見出し画像

パラパラめくる〈第5話〉

 パラパラ漫画の作者が誰なのか分かり、作者の先生の行動もだんだんと分かってきた。先生は、週に3日から4日やってきて、昼過ぎから夕方頃まで作業をして帰る。パラパラ漫画を描いていた本は、元々あった本棚の裏側に隠していた。そうして、途中のものがバレないようにしていたのだろう。
 今日はどれだけ進んだのだろう、一体どんな作品が出来上がるのだろうと私は見たい気持ちをグッと堪えて、陰ながら見守っている。近づけば先生は警戒して作業が進まないことは分かっている。私は、先生が視界に入るギリギリのところからいつも見ているのだ。だが、木村さんはそんなことは関係なく、閉館したあとに、本棚の裏から本を取り出して、見たい時に見ている。「お、今日けっこうすすんでますね〜」なんて、呑気なことを言っている。その様子を見ると、見たいという気持ちがまた出てくるが、それをぐっと抑える。 

 そんな木村さんは、誰とでも分け隔てなく接する人で、もともと私に対しても、わりかし話しかけてくれる人であった。さらに、今回のをきっかけに会話をする機会が増えていった。
 彼女はさまざまな話を私にしてくれる。元々は海外にいたらしく、さまざまな仕事を転々としながら、この図書館の職員にたどり着いたとのことだ。
「しばらく海外行ってないな〜。」
口を開けば海外の話で、この図書館の仕事はたまたまやっていると言う感じで、本にもほぼ興味がなさそうだ。やはり、図書館の職員と言ってもいろんな人がいる。本の話は聞いてこないので、こちらは無理せずに会話ができて有り難い。
 会話の流れで、木村さんは私の話まで聞いてくれる。さりげなく普段の家での生活のことや仕事のことやらと基本的に答えやすいものが多い。それでもたまに、なんと答えていいのか分からない時は、図書館で働いて普段思っていることを話す。例えば、じいさん連中に番号をふっていて、「ジ-1」はこの人、「ジ-2」はあのじいさんと順番に話すと、彼女はケラケラ笑ってくれた。彼女は歯並びが良く、作られていない自然な白い歯が笑うと、キラリと見える。
「渡辺さん、やっぱり面白いですね。」
仕事のちょっとした合間や休憩時間に、彼女と話す何気ない会話。彼女の人生は私が経験してこなかったことばかりで、聞いていて楽しい。そして、私の話を白い歯を出しながらケラケラ笑って、「面白い面白い」と言って聞いてくれる。何気ないものだが、彼女のケラケラ笑う笑顔に癒される。もっと話したいという気持ちが出てくる。
彼女といると、楽しい。
 分け隔てのない彼女からしたら、それは当たり前なのかもしれないが、私からこんな感情が生まれるなんて、信じられないことであった。
 彼女は天真爛漫さがあるが、ガサツに人の心に入ってこない。彼女の明るさと人との距離感が私は好きだった。だが、たまに驚くことを言われる。
「気になるんならさ、手紙かなんか本に挟んでおいたら、どうですか?」
「え、手紙?」
「そう。パラパラ漫画好きなんですよね。ファンレターって言ったら大げさだけど。相手に伝えるっていうのもいいんじゃないかなあって。向こうもきっと喜びますよ。」
「んー、喜びますかね?」
「まあ、怖いっていう気持ちもあるかもしれないけど、一方通行だとあれだから、出したらいいんじゃないかなあって。」
「そういうもんですかね。」
私はもともと、先生と繋がりたい気持ちがあったので、やってみようと思った。好きだと言うこと、応援してることを素直に伝えてたら、先生も喜んでくれるかもしれない。

ーあなたのパラパラ漫画好きです。パラパラ漫画の完成楽しみにしてます。頑張ってください。ー

 閉館後、メモに書いて本の表紙をめくってすぐのところにはさんだ。先生はどう思うのだろうか。期待と不安でいっぱいである。
 翌日、私は本棚の隙間から覗きこむように先生の表情を観察していた。先生が本を開いた。ドキドキである。私の気持ちが伝わる瞬間なのだから。本を開き、すぐにメモに気づいたようだ。
 先生は、怯えていた。逆効果であった。おびえて、周りをキョロキョロしている。
 普通に考えたら、そうである。どうしよう、いつも慎重な先生はバレているということで、パラパラ漫画をやめてしまったら大変である。その日は仕事が手につかなかった。今回ばかりは木村さんの攻めた考えに苛立ち、だが、それをぶつけることもできないため、溜め込むしかない。
 閉館したら、急いでいつもの本棚へ行き、誰もいないのを確認したあと、本を出して開いてみる。すると、メモがひらりと落ちてきた。持ち帰ってくれなかったか。そりゃ、そうか。落ち込みながら、拾うとメモの裏になにか書いてある。

ーありがとうございます。ー

あ!返事が書いてある。「ありがとうございます」と先生に感謝されている。まさか、まさか、まさか、向こうからも返してくれるなんて。先生と私が繋がった瞬間である。人生で初めて誰かと繋がれた瞬間かもしれない。
 私はその紙をこっそりとポケットにしまった。これ以上なにか先生に伝えるのは野暮かもしれないと思い、そこからまた先生を黙って見守る生活をしていた。

 「最近、二人とも仲良いよね。」
木村さんにメモのことを報告しているところに、公務員で司書である水木さんがそう言ってきた。なんだか、見られてはいけないものを見られてしまったような、なんとも言えない感覚になった。そんなこと言われたら、木村さんが困ってしまう。私と仲が良いなんて恥ずかしいはずだ。私が否定しなければ。そう思っていたら彼女は、
「そうなんです。最近友達になったんです。」
え?まさかの返答に目をパチクリパチクリさせてしまった。
「トモダチ‥」
ぼそっと、E.T.のような片言で私は言った。続けて木村さんは、
「渡辺さんて面白いんですよ。」
それに対して水木さんは「そうなんだあ」なんて会話をしていたと思うが、あまりのことにその後のことは覚えていない。私にとってそれほどのまさかの言葉であった。
 でも、落ち着け私。
 彼女は誰とでも仲が良い。友達のハードルがとても低いだけなのだ。それだけのことなのだ。友達という言葉は私には重いけど、彼女はそうではないのだ。
「すみません。勢いであんなこと言っちゃって。まずかったですかね?」
二人になると、彼女はすぐにそうフォローしてきた。
「いえ、嬉しいです。」
「じゃあ、本当に友達ということでいいですか。」
改めて言われた。これは正式なものであろう。きっとこれは、盃を交わしたと同じことだ。思わず口元が緩んでしまう。
「はい。」
と、私が静かに答えると、彼女は「嬉しいです」と言ってくれた。
 私と友達になって嬉しいのか?そうなのか。落ち着くために、「友達」ともう一度言ってみる。なんと、良い響きなのだろう。
 いや、落ち着け!私の思いが強すぎる。傷ついた時に立ち直れない。宗教とか、なんらかの勧誘のために、仲良くしているだけなのかもしれないだろ。私は笑いたいのを必死に堪えて、棒人間のように無表情でいることにつとめた。

 それから私たちの関係性が日々少しづつ濃くなっていくごとに、先生のパラパラ漫画も1ページ1ページと進んでいった。秘密の共有からはじまったこの友達という関係性。この秘密の共有が終われば、私たちの物語も終わってしまうのではないか。いつも要らぬ妄想をしては、心配事が増えていく。
もし、ケンカをしたらどうしよう。
恋愛相談されたらなんて答えよう。
やっぱり宗教をすすめられたらどうしよう。
今までにない楽しみと不安をいっしょくたにしながらの毎日であった。それでも、木村さんはやんわり敬語を使っていたのが、日に日になくなっていく。まあ、私は相変わらず敬語多めではあるが、その小さな変化は私を安心させるのであった。

 「結婚するんだ。」

だから、彼女から唐突にそんなことを言われた時は驚いたし、どうしていいのか分からなかった。それでもちゃんと、「おめでとう」と言えた自分を褒めてやりたい。
 いつもの雑談のように、彼女はそう伝えてきたのだ。続けて、結婚の馴れ初めを話してくれた。相手は昔職場が一緒だった同僚で、その当時から付き合っていたとのこと。日本とドイツ人とのハーフでイケメンとのこと。彼の父のドイツのふるさとは、とても田舎でとても綺麗な場所であること。そして、結婚を機に、この仕事も辞めてしまうとのこと。
「実はお腹に赤ちゃんがいてね。渡辺さんとパラパラ漫画の件で、話した時あったでしょ。あの時期は、つわりがひどくて仕事も大変だったの。でも、渡辺さんと話すとだいぶ楽になったの。ありがとね。」 
 なんだか知らないうちに、彼女のことを元気付けていたらしい。妊娠していたことは気づかなかったわけではく、もしやとは思っていた。それでも改めて聞くと驚くものである。
 それよりも何よりも、一番の問題は彼女がこの仕事を辞めてしまうことだ。辞めてしまえば、彼女との接点もなくなってしまう。今どき、結婚出産で仕事を辞めることはないだろうと思ったけれど、わざわざ口に出すほどではなかった。この仕事にそこまでの魅力的な条件があるわけではない。なにより、彼女の誰とでも仲良くなれるその性格はきっと私語厳禁のこの仕事以外のほうが、むいているに違いないのだから。
「式はどうするんですか?」
「もちろん挙げるつもり。渡辺さんも良かったら出席して。」
「うん、行きたいです。」
彼女の結婚式が、彼女との最後の思い出になってしまうかもしれない。楽しみと寂しさ、そして職場の人と同じテーブルだったら、話すことなくて気まずいだろうなあと、いろんなことを考えた。
 まだまだ彼女と一緒にいたいと私は思っている。だけれど、彼女は私のことをどう思っているのだろう。私と同じくらいの気持ちなのだろうか。もし、友達ランキングがあるのならば、私の順位はどれくらいなのだろう。そりゃ、新規参入したばかりの私はだいぶ分が悪いとは思うのだが、結婚式までに少しでもいいから順位をあげていきたい。そして何人いるかすら分かってはいないのだが、できることなら友達ランキング1位を勝ち取りたい。
 なんなら、彼女の結婚式で友人代表のスピーチをしたい。
 そうだ、そうしよう。とんでもないことを思いついたものだと、自分でも思う。だけど、木村さんと友達になってからの私の心模様はじゃじゃ馬で、なかなか乗りこなせない。だからもう、思ったことは素直に行動にうつすことにしよう。
 今回だって、私の人生に「目標」という言葉なんて存在しなかったのに、急に出てきて、私は驚いた。それを抑え込むよりも行動したほうがきっと良いに決まっている。
 だから私は、すぐ行動にうつした。
「今度、二人で遊びに行かない?」
誘ってみたのだ。この私が。いつも使っている日本語のはずなのに、違う言語を話しているような違和感がある。こんな言語を発するなんて、現世では無理だと思っていた。
 彼女のほうは、すぐに満面の笑みで、
「うん行こう!渡辺さんから誘ってくれるなんて嬉しい。」
 こうして、彼女と遊びに出かけることになった。彼女の友達ランキングを急ピッチであげていかなければ、目標は達成できない。
 だが、誘ったはいいものの、実際はどこへ行けばいいのかまるで分からない。ほぼ、自宅と図書館の往復で、一人で行く場所はスーパーやコンビニ、たまにカフェといったところか。ファミレスも行ったことがあるが、職場の友人とファミレスに行くものなのか、その選択があっているのか私には分からない。しかし木村さんが、
「じゃあ、最近人気で気になる店があるんだけど、そこに行ってみない?」
さすがである。そうだ、私なんか心配しなくたって、彼女はこういうのに慣れている。心配ないと思うと同時に、木村さんはこういった友達がたくさんいて、ここから友達ランキングを上げていくのは至難の業かもしれないとも思った。
 そこからお互いにシフトが休日の日を見つけて、ランチに行く日程を決めた。
 その日ウチに帰ってからは、手を洗う前にカレンダーに「友人とランチ」と赤いマジックで書き込む。今までカレンダーの一日ごとの余白がやたらと大きいと不思議に思っていたのだが、スケジュールを書き込むというこんなたいそうな役割があったのか。誰も教えてくれなかった。 
 その日が楽しみという、また新しい体験にワクワクした。楽しみな日があると、そこまで頑張ろうという気持ちになり、前向きな気持ちになる。おそらくは皆が当たり前に経験したことのある気持ちを今さらながら経験している。
 私は狭い部屋の中でスキップをした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?