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匂いのない世界から
今週の水曜日は待ち焦がれた日であった。
副鼻腔炎の手術をして、鼻にガーゼをつっこみ鼻呼吸ができない生活になり10日間。ようやく、そのガーゼを取る日がきたようだ。
鼻呼吸ができない辛さは以下の通り。
・全てのやる気がなくなる。
・集中しにくい。
・食事の味が分からない。
・口の乾燥からくる喉の痛み。
・鼻の穴に綿球突っ込んでるので、外へ出たら 常にマスク生活。暑さで死ぬ。
とにかく嫌なことしかないのだ。
その日の夜はピザにした。ガーゼとり祝いである。匂いのある美味しい食事が戻ってくるのだ。楽しみで仕方がない。
午前中は落語一席をやり、3時半に病院へ。いろいろあったが、これでおさらばである。
さよなら綿球。くたばれ綿球。
病院のソファーへ座り1時間。ようやく呼ばれる。なかなか焦らすじゃねえか。
その時の待ち時間は浅田次郎の『壬生義士伝』を読んでいた。物語は佳境で僕の目からは涙が溢れていた。
診察室の中へ入り、先生に診察してもらう。
「どうですか?」
「わりかし調子よくなりました」
「よかったです。中のシリコン取ったら、もっとスッキリしますよ。」
え?シリコンだったんだ。たぶん、シリコンと言っていた。確かに思い返してみると、ガーゼ的なものが入ってると言っていて、ガーゼとは言われてなかった。改めて確認しようと思ったのだが、そのあとはそれどころではなかった。
そこから生き地獄だったのだ。
鼻の奥の奥に入っているそのシリコンを鼻の穴から抜くのだ。とんでもねえ痛みなのだ。『壬生義士伝』以上の涙がこぼれ落ちる。ぼろぼろ、ぼろぼろこぼれ落ちる。
またそれでは終わらない。
鼻の中の洗浄を行うのだ。そのため、麻酔をする。その麻酔の仕方が、ガーゼに薬を染み込ませ、鼻の中に詰めていくのだ。これも痛い。
そのまま、また40分待つ。めっちゃ辛いので気分を紛らすために『壬生義士伝』を読む。痛みとは関係なく僕の感情を揺らし、またツーっと涙が落ちる。
呼ばれる。
そして、ガーゼをとり、鼻の洗浄を行うのだが、結局痛い。毛細血管など、細かい神経が多いからなのか痛いのだ。掃除機みたいに、鼻の奥を吸っているようだ。
そして、何が一番嫌かと言うと、皆さんご存知の通り「鼻」というのは、穴が二つある。
一度の痛みが終わっても、必ずもう一度やってくるのだ。痛みを経験したあとに、
もう一度この痛みに耐えなければいけないのか、というこの恐怖。この恐怖とも戦わなければならない。ずっと泣きっぱなしである。
もう痛みで泣いてんのか、『壬生義士伝』で泣いてんのか、今どっちだ!いや痛みに決まってんだろ!わけわかんねえ!
終わった後はヘロヘロ。
イメージでは「あ〜スッキリした!」というイメージであったのだが、痛すぎてなんか頭も痛くなってきた。
そして、なぜかまだ匂いが戻らない。
結局、ピザを食べたが味のしないピザであった。
ピザの後は、遅めの美容室に行った。
普段僕は、髪を切ってもらう時は会話をしたくないため黙っているのだが、切ってもらっている途中、誰かにこの辛さを共感してもらいたくなった。
芸人にあってイジってもらうのも嬉しいが、そろそろ心配してほしい。というか、鼻の悩みに共感してくれる人になかなか出会えなかった。
気づけば僕は、ロン毛のイケメンのお兄さんに僕は唐突に話しかけていた。
「僕、入院していたんですよ。」
「え?そうなんですか?どうしたんですか?」
「副鼻腔炎って知ってますか?」
「あ、聞いたことありす!」
「術後10日間鼻にシリコン突っ込んで鼻呼吸できないんですよ。」
と言った時の美容室のお兄さんの反応で僕の痛みは癒されたのだ。
「やっっっっべすね!!
いかついっっすね!」
大きい声でびっくりしてくれる。こんなシンプルな反応で十分だったのだ。
散髪後、自転車に乗り帰る。
短くさっぱりし、シャンプーの後だから、まだ若干濡れている。坂道を下るときの風が頭皮にあたり、気持ちいい。
今は鼻よりも頭皮の方が敏感である。
匂いのない世界から、早く匂いのある世界へと移り住みたいものである。