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パラパラめくる〈第7話〉(最終話)

 翌日図書館へ行くと、まだ職員たちが昨日のことで盛り上がっていた。事情を聞いたのだろう。木村さんは、そっと私に近づき、「大丈夫?」と声をかけてくれた。友人代表のスピーチができないのは悲しいが、友達がいるというのは有り難いことである。だが、落ち込んでいる暇などない。私にはやるべきことがある。
 職員たちの盛り上がりが一通り終わった頃合いをみて、その集団に言葉を投げかけた。
「昨日見つかったパラパラ漫画の落書き、私が消しておきます。」
すると、そのうちの一人が、
「いつもごめんなさいね。ありがとう。」
私がそう言うのを待っていたかのように雑に本を渡してきた。さっきまではあんなに興味があったのに、もうなくなったみたいだ。
 私はその本を大事に手に取り、机に置き、椅子に座った。事務室には誰もいないことをいいことに、白くてうすいカーテンをシャッと開けた。午前中の強い日が指してくる。少しでも明るい方がいい。太陽が本を明るくし、それはまるでスポットライト、とは言い過ぎだが、彼女の最後のパラパラ漫画を読むのだから、これぐらいはさせてもらいたい。
 私の手は、ほどよく汗ばんでいた。手汗がひどいのが学生時代からの悩みであったのだが、まさかこんな時に役立つとは思わなかった。改めて見ると、今までの本に比べるとだいぶ分厚い。
 この落書きを作品と思っているのは、描いている作者を含め、結局のところ私だけであったわけだ。この分厚い本も、先生の集大成というわけではなく、単純にこれを描く時間だけが心が落ち着く時間だったのだろう。描いていない時間は、寂しくて、孤独でどうしようもなかったのかもしれない。右手で表紙をめくる。左手の親指でパラパラとページをめくっていった。

 いつものように棒人間が登場し、走り出した。勢いよく走り出している。しばらくすると、川がでてきた。その川をジャンプする。
 それから野を越え、山を越え、谷を越え、そこにもう一人の棒人間が飛び出してきた。今度は二人で仲良く走り出して、船に乗り海を渡って行った。たどり着いた先で二人が、万里の長城へのぼったり、パリのエッフェル塔を見たりと世界を巡っていくという壮大な物語である。もちろん、今までで一番の長編ではあるのだが、それでもわずか数十秒の時間である。
 この棒人間と昨日の表情が見えなかった先生の姿とが重なる。このパラパラ漫画に登場するような友達は、先生はいるのだあろうか。そうであってほしいと、ただただ祈るばかりである。
 木村さんと私はどうなのだろうか。彼女がこの仕事を辞めてしまえば、プツッと切れてしまうような細い糸でつながった友達なのかもしれない。ただ、それだけでも私は自分が変われた気がする。おこがましいかもしれないが、辛そうな先生を私が救うことができるかもしれない。
 だから願わくば先生と、いや、彼女とお友達になりたい。
 プツッとキレてしまうような細い線で繋がれたお友達でいいから、一瞬でもいいから、彼女とお友達になりたい。
「あなたがどう思おうが、私はあなたのパラパラ漫画が好きでした。それで他の人と繋がることができました。」
どうして、昨日言えなかったのだろう。その一言を言うだけでも変わったかもしれない。おこがましいが、彼女の支えになれたかもしれない。そのあとに続けて、
「お友達になりませんか?」
どうして言えなかったのだろう。それでも彼女は帰ったかもしれないけど、でも伝えたかった。
 そうだ、彼女は図書館に入り浸っていたのだ。この図書館の会員として登録しているはずだ。もちろん、個人情報で手に入らないかもしれない。ただ名前さえ分かれば、こんな時代だ。彼女がどこに住んでいるのか見つけ出すことだって、本気を出せば私にだって割り出すことができるかもしれない。
 彼女の名前を知り、住所を知った瞬間にカウンターで働いている私は着ているエプロンの紐をほどき脱ぎ捨てる。そして、図書館から私は飛び出し、途中子どもたちの遊び声を耳で感じながら、じいさんたちが将棋をうっているのを横目で見ながら、彼女のウチまで走り出すのだ。
 私はその時どんな表情をしているのだろうか。笑ってるのだろうか、泣いているのだろうか。いや、あの棒人間のように表情はないのだ。ページをめくられるように、棒人間の私がパラパラパラパラと走り出す。走って走って走っていく。川をジャンプし、野を越え、山を越え谷を越え、彼女の家の前まで辿り着く。そして、私はインターホンを押すのだ。
「どうしたの?」
「お友達になりたいって言ったでしょ。」
「あれ本当だったんだ。嘘だと思った。嬉しい。」
「私だってそう言ってもらえると嬉しいよ。行こうか。」
「どこへ?」
「あなたが鉛筆で描いたでしょ。世界へ。」
「そうだった。行こう。」
「うん。」
私たちは世界旅行をするのだ。

 私の妄想が、夢がふくらむごとに、1ページ1ページと消しゴムで消していく。別れを惜しむように、再会を願うように。消しカスが溢れかえる。本に興味がない私と、本を冒涜した彼女との、この図書館での出来事は、そして私の妄想の全ては消しカスへと変わっていった。

 事務室から、表のカウンターが見える。「ジ-14」の姿が見える。
「昨日帰り際に噴水に突き落とされたんだよ。あのパラパラ漫画のやつに決まっている。おかげでこっちは風邪をひいちまった!」
ここまで聞こえるような大声である。
「てか、風邪引いたんならウチで休んでろボケ。うつったらどうすんだ。」
私は心の中で叫んだ。確かに心の中で叫んだつもりだったのだ。

「なんだいきなり!喧嘩売ってんのか!」

そのはずなのに、あれ?なにかがおかしい。私の心の声が、どうしてコイツに届いているのだろう。ん、これは私の妄想か。

「なんだお前は!」

いや、違う。これは現実だ。いつの間にか、表のカウンターへ出て、「ジ-14」に思ったことを言ってしまった。
「おい!」
「あの、すみません。」
「すみませんじゃねぇ!さっき利用者のわたしに対して、なんて言ったんだ!?」
「いやあの、すみませんはそう言うことじゃなくて。声をかける時に、呼び止める時のすみませんの奴です。」
「ああ?」
「ここは図書館ですので、お静かにお願いします。」
「な、なんだと。」
「それに突き落とされたのはお気の毒だとは思いますが、私たち職員はなんら関係ありませんので、いつものように奥のソファーに腰掛けて、いつものように新聞を読みながら、うつらうつらしててください。そう死ぬまで。」

もう現実と妄想の区別がつかなくなった私に怖いものなんてないのだ。 

 「ジ-14」は口をもごもごしながら、「ああ」とか「うう」とか言いながら図書館から出て行った。
 ふと、我にかえる。こりゃ、まずいな。今日から働きづらくなっちゃう。まあ、静かな図書館で話しかけれることがまた減っても対したことはない。木村さんはいなくなり、寂しくなるけど、友人代表のスピーチも選ばれなかったけど、彼女の孤独に比べれば大したことなんてない。
 カウンターから事務室へ戻ろうとすると、何人かの職員が無言で親指を立てて、グッドポーズを私にしてくれた。音にならない小さい拍手を私に送る人もいた。どうやら、私はちょっとしたヒーローになれたのかもしれない。それに対して私も、小さくグッドポーズを皆に返した。

 昼休み、木村さんがやってきた。「さっきのすごかったね」と褒めてくれた。彼女に言われると、一際嬉しいものである。
「それでさ、お願いがあるんだけど。」
「お願い?」
「うん。この間、友人代表のスピーチ決まってるって伝えたでしょ。あれは、前からずっと決まっててあれだったんだけどね。渡辺さんにも、結婚式をなにかで盛り上げてほしいなって思ったの。」
「うん。」
「あの、嫌なら断ってね。」
「うん。」
「本当に断ってね。」
「うん。」
「結婚式の余興をやってもらえないかな?」
「え?」
「うん、そうなるよね。ごめんごめん!そうだよね。気にしないで。」
余興。余興とは、なにをすればいいのだ。手品?一発ギャグ?そう言えば歌を歌っているイメージもある。どうすればいいのだ。だが、余興を頼むというのは、木村さんとの繋がりが太くなったような気がする。
「うん、いいよ。」
「え?いいの!本当に!ありがとう、嬉しい!」
「でも、なにやればいいかな?」
「うーん、そこなんだよね。でも、渡辺さんならなんだか面白いこと思いつきそうだったから、頼んでみようって思っちゃった。さすがに無責任だよね。まだ時間あるから思いつかなかったら本当に断っていいからね。」
木村さんのためにやりたいけれど、誰かとコミュニケーションをとることすらも、ままならない私が、人前でなにかをするなんてできるのだろうか。一体どうすれば。

あ‥

「スクリーンてある?」
「うん、披露宴で馴れ初めの動画流すからあるよ。」
よし、それなら行けるかもしれない。手元を映して、スクリーンに繋げたらみんなに見えるだろう。
「スクリーン使って何するの?」
「あの、パラパラ漫画をやろうと思って。」
彼女と初めてまともに口を利いた時と同じような驚いた顔をしている。だが、その時と同じように表情が変わり、
「いいじゃ〜ん。超楽しみ!馴れ初めのパラパラ漫画作ってよ!」
そうか、それはいいかもしれない。だが、出席者が喜んでくれるかどうかなんて分からない。  パラパラ漫画を描いた彼女もどう思うのか分からない。もしかしたら、嫌がるかもしれない。だけど、彼女のパラパラ漫画のおかげで木村さんと友達になり、こうして余興をすることになったのだ。ここで、パラパラ漫画をやるのは、私からすれば、必然なのだ。
 それに、繋がりたかったあなたとの物語をここで終わらせたくはない。こんなふうにパラパラ、パラパラとめくっていたら、またいつかあなたと繋がる日がくるのかもしれない。
 そんな妄想をしながら、木村さんから旦那さんとの馴れ初めを詳しく聞き始めた。
 あいかわらず、木村さんの白い歯が眩しい。

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