15. 自分をアップデートし続けるには
つぐさんとやりとりをしている中で、時々、彼の在り方について話を聴かせてもらうことがあります。
その中で何気なくポロっと出てくる言葉が、後々まで深く印象に残るものだったりして。
そんな風に、ふと口をついて出てくる、ということは、もう彼の中では当たり前のようになっている考え方なり、習慣なのだろうな、と思います。
今日は、そんな中から、最近改めて聴かせてもらって、感化されたことを書いてみたいと思います。
それは何かというと
自分の限界を少し超えて1日を終える
ということ。
いつも、このことを意識しながら、日々を送っているのだそう。
これまで自分自身が関わってもらったり、撮影会を開催しての仕事ぶりを目の当たりにして思うのは、彼の仕事をこなす際の丁寧さです。
質の高さは、いうまでもなく。
日々、あんなに超人的な撮影数をこなしているにも関わらず、ひとつひとつの仕事に手を抜くことがまるでなくて、反対にここまでできるの?と驚くくらい、きめ細やか。
見ていると、能力の高さもさることながら
明日もあることだし
今日はこのくらいにしておこう
みたいな、余力を残したエネルギーの使い方をしていなくて、
その時できることをやり切る
というスタンスを、いつも貫いているんだな、と感じます。
ですが、そんな彼も、元々目の前のことにいつも全力だったかというと、違ったのだそう。
ある時ふと
どうして自分は余力を
残しながら生きているのだろう?と
それまでの生き方に疑問を持ったことがあって
そこから、在り方を変えていったのだ、と。
沢山やろうとするから
当たり前の基準が上がるのだよ。
やるから変わるし
それは筋トレと一緒で
しんどいところをやり切るから筋肉がつくんだ。
いつも同じようにやってたって
変わらないのだから。
少しの負荷をかけつつ
やり切るのだよ。
引き受けたことを、やり切る。
それが、自分にとって少ししんどいことであっても、引き受けると決めたことには、力を出し切る。
そうすることで、当たり前の基準が上がっていく。
それが、彼がずっと取っているスタンスのようです。
* * * * *
では、何のために?
日々自分に負荷をかけることをずっとやり続けるって、言うのは簡単だけれど、大変なこと。
そこには、それをやるだけの理由があるはずで、それは何なんだろう。
ふと浮かび上がってきた疑問を、そのまま尋ねてみました。
すると、こんな答えが返ってきました。
何かがあるから
がんばっている訳じゃないんだよ。
今楽しんでいる先に
もっと楽しいことがあるかもしれないから
やっているんだよね。
これを聴いて、どこまでも、やっていることの動機に”楽しむこと”がある人なのだなぁと、改めて思ったのでした。
そしてきっと、彼の言う”楽しむ”っていうのは、ただ笑っていられるだけのものではなく、もっと奥深く味わい深いものなんだろうな、と。
今までしたことのない経験をすることの、楽しさ。
まだ知らなかった世界を垣間見ることの、楽しさ。
クリエイティブに何かを生み出していく、楽しさ。
新しい出逢いをすることの、楽しさ。
人間として生きていることの、楽しさ。
そして、楽しむためなら、そこに多大な努力が必要であろうとも、それを惜しまない。
そして、そうすることで、自分をアップデートし続けている。
そんな在り方を、こうして見せ続けてもらえていることは、ありがたく幸せなことだなぁと思ったのでした。
つづく。
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