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骨になりたてのお母さん 【靴の底 #24】

「おかん、骨になりたてやん」
喪服姿の人が骨壺と遺影を持ち、昼食をとりに店の前で集まっている光景をみて隣りにいる旦那が言った。
なんてことを言うんだ、と怒ると「鎌倉は骨になりたての人をよく見る」と返してきた。

確かに鎌倉という街は寺社仏閣があちらこちらにあるため、喪服姿の団体を見ることが多い。
黒い服に身を包んだ人が持つ骨壺はもちろん人の形はしていないけれども、どことなく人の気配がしており、大切に抱かれている姿は赤ん坊のようだ。

最近、鎌倉は紫陽花の季節と海の季節になったせいか、引っ越してきた頃より観光客が多く、老若男女、日本人外国人とさまざまな人が歩いている。

皆が地面を見ないで、笑顔で前を向いて歩いているのが鎌倉という街の素晴らしいところだ。
楽しそうに笑う人たちが多いのも観光地ならではだろう。
韓国の化粧とファッションをした若者たちが大きな声で笑うそばで、喪服姿の大人たちが円になって話している。
鮮やかな色の笑顔と統一された黒色の服装は相反することなく、混じり合い、統一感を持ってこの街に受け入れられている。

短パンの喪服を着た男の子が観光客の合間から走ってくるのが見えた。手にはペットボトルを持っており、大人たちに駆け寄ると白髪の老婆に水を手渡す。
骨壺を隣の青年に渡すと老婆は水を受け取り、口に含んだ。

ちょうど片手に鎌倉ビールを持った大学生らしき若者の集団が海に向かって歩いてきており、喪服姿の団体と入り交じる。
海風が鶴岡八幡宮に向かい駆け上がると入り交じった人たちの服と髪がはためいた。

「由比ヶ浜の海岸は夏になると渋谷になるってほんまやなぁ」

つい先月地元の友人から聞いた話を旦那がし始めるが、私はどうしても喪服姿の団体から目が離せなかった。

観光客の中で浮かぶこともなく、沈むこともなく、日常の中の存在として受け入れられている骨壺を抱える人たち。

「骨になりたての人も一緒にいる?」

私の唐突の質問に旦那の視線がもう一度動く。

「さーな。わからん。今の風でどっか飛んでいったかも」

この人は本当に失礼なことをいうものだと眉間にシワが寄る。

「さぁ、信号が青になったで。ここは事故が多いから手を上げてわたりや」
「子供じゃないんだからムリだよ」

横断歩道を渡る前にもう一度、喪服姿の団体に目を向けると皆どことなく清々しい笑顔で骨壺を中心に話していた。


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