今日成人を迎えました
はい、タイトルの通りである。なぜTwitterやインスタグラムではなくこんなところで報告を行うのかという疑問に対する答えがあるとすれば、俺が20になろうが90になろうが、俺のフォロワーである130有人のツイ廃にはなんの興味もないだろうということが明白だからであり、またこのような狭いフィールドに現在の心境を吐露することで、別に当方がヘラっているわけではないということを証明したいからでもある。今から書くことは、20歳という人生の節目を迎えたうんち大学生たる当方の心境を、午前0時半、大量のモンスターウルトラの空き缶に囲まれながら徒然なるままに描き出した聖なるアカシックレコードである。この文章が永遠にネットの大海に沈んだままアノニマスたちにサルベージされないことを願う。
諸兄は孔子という人物をご存じだろうか。中華全土に戦という名の嵐が吹いた春秋時代において、まさにその嵐の前の静けさと呼べる、当時最も道徳的かつ哲学的な思想を生み出した思想家であり、キリストや釈迦、SPYGEAと並んで四大聖人と呼ばれた天才である。彼はなんと3000人もの弟子を抱えていたらしいというから驚きだ。今ではそうでもなさそうだが、人口も少なく学問も浸透していなかった当時、3000人の意識高い系を追従させていたと言えば諸兄でも事の壮大さに気づくはずだ。それを聞いてもよく分かんないバカちんは、弟子全員でキルミーベイベーの円盤を買えば、その売り上げが4倍以上になると言えばもっとわかりやすくなるだろう。
そんなキルミー難民たる孔子のヴィータを弟子が400年かけて綴った本が論語である。孔子の言葉は短文として20篇の書物にまとめられ、今も東アジア全域において多くの熱心な信者がそいつを読んでいるらしい。この熱心さは、呉織あぎり役の高部あいが麻薬取締法違反の疑いで逮捕されたにも拘らず、第二期を待ち続けたキルミー信者たちのそれに似ている。そろそろしつこいですか?すみません。
その論語に、次のような言葉がしたためられている。
『子の曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、
矩を踰えず。』
この文章は要するに、孔子がこれくらいの年齢でこんなことしたよーという自身の人生をまとめ上げた壮大な自分語りである。amazarashi初期の曲のコメ欄にもここまで壮大な自分語りはないだろう。能無しの諸兄にもわかるように現代語訳すると、
わたしは十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持ち、
四十になってあれこれと迷わず、
五十になって天命(人間の力を超えた運命)をわきまえ、
六十になって人の言葉がすなおに聞かれ、
七十になると思うままにふるまって、
それで道をはずれないようになった。
などと供述しているのである。まあ、この言葉の中に孔子の人生の妙技が詰め込まれていると考えれば重みのある文章にも見える。当方はまだこの中でも15歳しか経験したことがないのだが、果たして当時の当方は学問を志していただろうか。あの頃の当方は周囲の人間に「ニートになる」「ヒモになる」「旅人になる」と嘯いていたものだから、学問以前の問題を抱えていたといえよう。孔子は三十になって独立したが、当方の場合ニートかヒモを目指しているのだから独立もクソもなく、旅人になればそれはそれで自己完結の境地に達しそうである。どうやら当方に孔子の生き方は難しそうである。
ここまでうだうだ書いていたが、諸兄はこの孔子の言葉に違和感を抱かなかっただろうか。いいこと書いてんじゃんとしか思わなかった人間は旅人にでもなるがいい。そう、なんと孔子は、20歳になった時のことを何一つ記していないのである。なんということであろうか。現代日本では成人式をやったり酒が飲めるようになったりソープに行けるようになったりと、20歳という年齢がいかにも「特別」なもののように扱われているのにもかかわらず、である。私自身20歳を迎えれば様々なものが劇的に変化すると思っていた。それは制度だけではない。人格や責任能力、コミュニケーション能力、言語処理能力、対人戦闘能力、棋力、うんぬんかんぬん。
しかしだ、5月22日の俺と5月23日現在の俺を見比べてみてくれ。いったい何が変わったといえるだろう?ケーキを食べてシャンペンを飲んで、おおよそ変わったのは体重だけである。年だけ取って、体だけでかくなって、一番大切なものが成長していない。いや、これは俺だけの話じゃない。孔子もそうだ。若干スルーしていたがこの孔子という男、30になるまでこどおじだったという衝撃の事実を弟子に語っている。すなわち孔子は、30までこどおじのままでいいよおと、まるで桑田真澄のように諭してくれているのである。これには弟子たちも苦笑いを浮かべたに違いない。しかし、これは日本最高のストリーマー集団、デトネーターの一員たる孔子の発言である。当方も信じるにやぶさかではない。
ここまで何が書きたかったかというと、要するに当方は20歳になったが、何の成果もありませんでした、という話なのである。そしてお前ら馬鹿どもも同じである。人は成長しません。すずめ百まで踊り忘れず。20歳になったからって何かが変わると思うなよな。そんだけ。眠いから寝ます。もうこれからはこのブログも日記帳にしていこうかな。ま、記念に書いときました。イジョウッ!
最後に、こうしの言葉の中で、当方の心に最も残ったものを一つ挙げる。
ハム太郎さんのみぎてとリボンちゃんのひだりて
リボンちゃんのみぎてとマフラーちゃんのひだりて
マフラーちゃんのみぎてとちびまるちゃんのひだりて
ちびまるちゃんはみぎてでタイショーさんのみぎてとがっちりあくしゅしてくださぁ~い
ハムちゃんズ『てをつなごう』 より
てか、よく考えたらもう日またいでんだな。
何やってんだろ、俺。