教員の魅力を発信!誰に発信する?
自分自身を振り返ってみれば、「魅力は?」と聞かれたときに語ることはいっぱいある。先日、訪ねてきてくれた教え子の成長や、学校になかなか来ることができない子との関係性、いろんな問題を子どもと一緒に考えたこと、分かってきたよ、できたあ!!と喜ぶ姿、どれをとっても私にとっての魅力である。だから、続けてきたのだと思う。
なのに、発信するとなると、どうしても作られたような、上塗りしているしているだけのような、本当にこれでいいのだろうか、という思いがどうしても出てきてしまう。私の違和感。
仕事上、発信する側にいる。加えて、今まさに必死で教員をやっている方を目にする機会がたくさんある。その方たちは本当にがんばっていて、その姿に勇気をもらう。それで十分だと思う。その姿そのものが、すでに魅力である。
私が感じる違和感は、どこにあるのだろう、どこからくるのだろう。
発信されている魅力に対して、ああそうだよな、って思うこともあるし、そこまでの熱量を自分は感じていないな、っていうところもある。
なんだ、それぞれの感じる場所や熱量の違いなのか?と思ってきた。
受け取る相手を想像すると、いろんな背景の、いろんな状況の方がいるわけで、その一人一人にフィットするものを発信するのは難しい。誰か一人に届けばいいくらいの発信ならできそうだけど、広くいろんな人に、となるとなかなか難しく、そこに違和感を感じるのかもしれない。
わたしの違和感。いまは、ここまでしか気付きが言語化できていないけど、そのうち、はっきりしてくるものがあるだろう。
問題は、魅力がないから教員になりたくない、ということでもないのかもしれない。魅力を感じるべきは、これからなる人よりも、今頑張っている人なのかもしれない。そこ、なんとかできないものかなあ・・・。今の仕事で。