鬱小説でしか得られない感情
小説が好きです。
本なら何でも好きなのですが、(漫画も絵本も戯曲もエッセイも詩集も学問解説系もその他色々)特に小説が好きです。
ジャンルで言うとホラー。ミステリー。
ホラーはモダンホラーやサイコホラーが特に好きです。
↑ここまで自己紹介。
最近、鬱小説について記事を書きたくて、本を読み返しています。
この場合の鬱小説とはアンチの言葉ではなく。
全体に漂う鬱屈とした雰囲気、後味の悪さ、理不尽、悲劇、どうしようもないと分からせられる展開。
それらがない交ぜになって一つの作品としてそびえ立ってる。
そんな作品のことを言っています。
鬱小説でしか得られない、独特の読書体験ってあると思います。
特徴的な後味と絶望、たまに「おい! どうしてこうなった!!!!」と作者先生の胸倉掴み上げたい(そのくらい大好きだってことです)気分になる、あれ。
小説という、文字主体の媒体であるからこそ掻き立てられる想像が、「鬱になる」感覚に拍車をかけているのかもしれません。
前に「鬱くしい漫画」紹介記事を書きましたが、鬱作品と鬱くしい作品はちがうのよ。
鬱くしい作品には後味がさわやかで美しいものもありますから。
まあこの「鬱小説」の定義も人によって異なるかもしれません。
私が鬱小説だと思っていても他の方からしてみれば全然違う! と思うものもあるかもしれません。
世間が鬱小説だと言っていても、私は違う! と思うものもあるかもしれません。
とはいえ。
よくこれが鬱小説だ! と言われているものは大概ちゃんと鬱小説ですよね。
これ褒め言葉なのかな。褒め言葉なのですが。字面があまりよろしくないな。
この辺についてはある程度ご容赦頂ければ幸いです。
最近読み返している作品、具体的には、ボトルネックとか向日葵の咲かない夏とか神様ゲームとかちーちゃんは悠久の向こうとか人間失格とか出版禁止(これが鬱小説かどうかは個人的には微妙なラインだが)とか。
抜け出せない泥のような地獄に浸かっていたい。