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【008】「旅の解像度」2022年9月の日記➀

・9月が終わろうとしている(このブログを書いてる最中に終わった)。

・とりあえずそう書いてみたけれど、別に9月に特別な思い入れなどない。世間では上半期の終わりを意味するようだけど、社会人であるにも関わらずそういった感慨も湧かない。経費の精算もやってない。しまった。週明けに突かれるだろうなぁ。

・ブログを書くのが習慣化している、とは言い難い更新頻度だけど、それでも人生の中で最も過去を振り返っている時期になっていることは間違いない。想い出にふける年齢でもないろう、なんて戯言も言ってられない年齢に突入してしまったということだろうか。

・9月に父が還暦を迎え、家族で祝いの旅行をしてきた。行先は箱根周辺。いまGoogleフォトを見返していたら、想像以上に写真が残っていた。写真がたくさん残る旅はいい旅だ。せっかくだからここに載せておこう。

彫刻の森美術館に行ってきた。これは「ミス・ブラック・パワー」らしいです。
パワーってタイトルに付くものはすべてが良いと決まっている。
これは彫刻の森美術館のマスコットキャラクターみたいなやつ。
巨大なバルーンフィギュアになっているけど、木に隠れており、全体像を観ることができない。
この美術館は全体的に挑戦的だったな。
カニがいたので撮った。それだけ。
土地に「強羅(ごうら)」と名付けた人間はどういう気持ちだったんだろう。
あと、いま気づいたんだけど、十五夜の日だったらしい。
タッチパネル式のガチャガチャを見つけた。初めて見たな。
複数のガチャガチャが一体化しており、タッチパネルでどのガチャガチャを引くかを選択できる。
面白かったので引きたかったけど、残念ながら惹かれる商品がなかった。
ロープウェイに乗った。スチームパンク感があってテンションがあがった。
父が高所が苦手だということを初めて知った。
土地の宣伝でダジャレを使うのって勇気がいる。
僕はその勇気を称賛したい。
高いアップルパイを食べた。薄い。
僕はまだアップルパイの定義を知らない。
花とか葉っぱの絵柄はスタッフがその場で書いてくれた。
複雑なように見えるけど、書き方の工程を見ていると、僕にも書けそうな気がする。
気がするだけ。
フォトジェニックなスポットで写真を撮るために並ぶ観光客の列。
別に皮肉の意図はないです。本当です。嘘です。
2泊目のホテルがラブライブサンシャインの聖地だった。
(ラブライブサンシャイン履修生しか分からない写真)
カモがたくさん泳いでいる水路があった。
ここが一番良かったかもしれない。カモが泳いでる姿は問答無用で良いものなので。
川の流れに逆らえないカモたちは、ゆっくりと下流へと下っていっていた。
彼らはどこに行き着くのだろうか。
雲を被った富士山。
あの雲にかかったところで、去年の僕は高山病に罹った。
いま、まじで辛かったんですよ。山をなめてはいけない。
ひたすらに美しい場所があった。
とても生活に近い場所だ。
もしもこういう場所で育っていたらどうなっていただろうか。
いや、その想像に意味はない。きっと変わらないだろう。

・たくさんの写真で旅を振り返ってみたけれど、意外とすでに記憶から零れ落ちていた出来事ばかりだった。もしも明日Googleフォトが死んで写真がすべて吹っ飛んだら、この旅の記憶は失われてしまうだろう。

・残るのは、「楽しかった」という低解像度の想い出だけだ。もちろんそれはそれで美しいものだろう。想い出は分解されて生活の中にじんわりと浸透しており、少なからず現在の思考に影響を与えているはずだ。

・それでも、記憶よりも、旅の最中に感じたリアルタイムの「楽しい」や「美しい」はもっとずっと高解像度だった気がする。大人になってから旅の最中に景色をよく見るようになった。視力は子供の頃よりも確実に悪くなっているはずだけど、どういうわけか「景色」が綺麗に見えるようになった。景色を見るのが楽しいのだ。

・一般に4Kと呼ばれる解像度は「約800万画素」だ。一方の人間の視界は約700万画素くらいらしい(諸説ある)。高解像度な写真は人間の視界以上の記録力を誇るはずで、であるならば写真は当時の旅をそのまま再現できる力があるのでは?

・もちろん、旅をしている最中には「音」や「におい」や「雰囲気」などの付帯情報があり、単純に解像度だけで判断できるわけではない。でも大人になった今は、子供の頃より解像度が高く見える。体感的には700万を超える解像度を映し出してくれているように思える。

・ひとつ、理由に心当たりがある。

・きっと、ちゃんと上を向いて歩けるようになったんだろう。子どもの頃は下ばかり向いて歩いていたので。いや、いまでもそうだけど。

・自分に自信がある人はずっと上を向いて歩いてきたはずで、もしもそうできていれば、子供の頃の想い出ももう少し鮮明に残ってくれていただろうか。

・いや、その想像に意味はない。きっと変わらないだろう。いや、違うな。どう考えたって変わっていたはずだ。性格も異なったものとして成長したはずだ。

・しかし下を向いていないと記録できない記憶もある。どうせ想い出になった瞬間、すべては低解像度に圧縮されるのだ。誤差のような「楽しさ」や「美しさ」しか残らないのなら、下を向いて歩いてきたことは、それはそれで良かったってことだ。

(おわり)



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