【019】「明日のパッキングは明日する」2023年9月の日記➀
どこかに旅に出ると想定しよう。
旅というものは、いつだれとどこに行くかが重要である。
それらが上手く決まれば、もう旅は成功したも同然である。
そして、旅の前には荷造りをすることになる。
二泊三日の旅ならば最低でも2セットの下着を詰め込まなくてはならない。
そのほか、旅のさなかに作業をするならパソコンが必要となるし、宿泊するホテルに部屋着が備わっていないならば寝間着も詰め込まなくてはならない。風呂上がりの化粧水を忘れないことも重要だ。
僕はけして旅をするのが得意な方ではない。
ひとり行動は好きだけれど、旅と呼べるほどの距離をひとりで渡る機会はとても少ない。幸いにしていまの僕には旅が得意な友人が数人いて、彼ら/彼女らにはとても感謝している。自分のなかの境界性を超える機会があるというのは幸運なことである。お陰様で生きております。本当に。
さて、問題は荷造りである。
僕は荷造りを当日まで行わない人間としてアピールを続けている。
やあ、見てごらん。みっともないね。醜いね。
今日やるべきことを今日やることのできない人間の言い訳だよ。
宿泊を伴う旅の前日には毎回この文句を掲げているので、ポストをみかけた際は、僕が旅行に出掛けるタイミングだと思って頂いて構わない。
それを知って何になるんだって感じだけど。
大抵の旅は朝に出発するものである。社会人の旅は時間との闘いであり、限られた時間をめいっぱい有効に活用して楽しむべきである。旅の出発は早ければ早いほど好ましい。寝坊などもってのほかだ。
ならば荷造りは前日に終えておいた方が良いに決まっている。しかし僕は荷造りを当日の朝に行う。これは人間的な性質の話なので突き詰めて考察してもしかたがない領域の問題だ。できないものはできない。
これは本当に良くない思考なのだけど、僕は、大抵の出来事は当日頑張ればどうにかなると思っている節がある。そして実際にどうにかなってしまっている。
ゆえに「明日のパッキングは明日やる」なんて言い訳が吐けるのである。
そしてこの信条を矯正するつもりは今のところ更々ない。いやはや困ったものだ。
心のどこかで「頑張ること」には多大なエネルギーと時間が必要であり、いざとなった時にそれを補うことは不可能だという思想が根付いている。これはこれで真摯な姿勢だという自負がある。準備とは一朝一夕では成り立たないものであり、準備をしてこなかった以上、一日二日の差異など誤差の範囲であると。だから真摯に荷造りをするならば、旅の出発の一週間前にしなくては意味がない。当日も前日も誤差に過ぎないのだ。
まぁ、これは戯言なんですけどね。
それでもこの信条には自分なりの想いが詰まっている。
2023年9月1日、福岡の中洲川端に位置するローカル映画館「大洋映画劇場」の閉館予告が発表された。
僕は大学の頃に福岡に住んでおり、大洋劇場には大変お世話になった。自分の映画オールタイムベストの中には大洋劇場で鑑賞した作品もいくつか存在している。
いわゆるAAA(トリプルエー)級の大作の上映は控えめに、小規模劇場作品や、過去作のリバイバルを中心にスケジュールを組み、新旧幅広い作品への間口を用意。TOHOシネマズやユナイテッドシネマズ、T・ジョイなどの大手劇場が周辺に密集する福岡市という立地において映画文化を守り継承していく立場を貫いてくれた。
それが2024年3月には閉館してしまう。いや、この日記の執筆時点ではすでに閉館してしまった。閉館間際のラストランではチャップリンの作品を上映していたらしい。その中には「独裁者」も含まれていた。これも僕の色々な部分に影響を与えた作品だ。
噂によると同地は野村不動産が再開発を手掛けているらしく、2024年12月に着工予定。そこには映画館も入居するらしい。それがどんな映画館になるかは分からないけれど、大洋劇場と同じような役割を果たしてくれるなら嬉しい。でも大手デベロッパーが手掛けているなら、その期待もけして高らかには謡えない。
どこかに旅に出ると想定しよう。
旅というものは、いつだれとどこに行くかが重要である。
それらが上手く決まれば、もう旅は成功したも同然である。
明日のパッキングは明日する。
明日の旅の荷造りは明日する。
この信条は変わらない。
でも、旅というものは、始める前から大方の結果が見えている。旅が始まるまでの「状況」や「行い」で楽しさが決まっている。
そうした「状況」や「行い」とはけして一人の人間の影響では定まらない。
大洋劇場は過去の色々な結果を踏まえて閉館を選んだ。それは消費者にはどうにもならない事情だったのかもしれない(実際に「老朽化」は大きな要因として挙げられている)。
それでも出来ることはあったのではないか。
すでに福岡の地を離れたにも関わらず、そんな感慨を身勝手にもおぼえる。
明日のパッキングは明日する。
明日の旅の荷造りは明日する。
何かを本当に考えたいならば、今日や昨日や明日にじたばたしても仕方がない。連綿と続く日々の中で、機会はずっと身近に落ちていたはずなのだから。
明日のパッキングは明日する。
これは、きっと、すでに手遅れになった人間の戯言だ。
少し格好付けすぎかもしれないけれど、「手遅れ」に慣れ過ぎた僕としては、せめてその罪悪感を抱えながら生きていきたいと思うのだ。
(おわり)