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大学は自己を見つめなおす場所

もうあっという間に前期が終わろうとしている。感覚的には3月からずっと止まった感じだけどもう少しで梅雨が明けたら本格的に夏が始まろうとしている。

そんな中前期は大学に一度も足を運ぶことなく、終わろうとしている。新入生が一番かわいそうではあるが。

一番「自由」だと言われている大学生が一番コロナの状況においては「不自由」になってしまった。第二波が来ている感じもある中で、後期もオンラインの可能性は現実味が出てきている。

そんな中で「大学」または「大学生になる」事の意義を考えた。

単なる大学生の一意見ですが。。

もうすぐ卒業を迎えるにあたって大学という場所は「アイデンティティ形成」の場であり、「自己を見つめなおす」という機能を果たしている場所だと感じた。

一番大学が高校以下と違うと感じるのはコミュニティが複数存在する事であり、無限に増やす事も可能であるということだ。

この状況下で自分は一度考えたことがあるのだが、「本当の自分ってどれだろう」という考えに支配されたことがある。

その主な原因はコミュニティが複数あることだ。

例えば、高校では基本クラスや部活の友達と一緒に過ごし、クラスが離れても一緒に帰ったりなどある程度固まった人間関係で過ごしていく。

だが、大学になると学部学科の友達、サークル部活の友達、アルバイト先での友達など少なくとも3つぐらいはコミュニティが存在する。

全部違う友達が出来るのである。これはこれで楽しいのだが、この3つのコミュニティで自分は毎回違う自分になると感じた。

ある時はまじめキャラで、ある時ははっちゃけるキャラで、またある時はただ何も考えずに居心地がよかったり、。

それで、高校や地元の友達と会った時もキャラが変わったり。どれが本当の自分だろうと考えるようになった。

まあ、どれも本当の自分であることに間違いはないが。

結局どの自分が、誰といるときの自分が一番自分らしくて好きな自分かという観点でつるむ友達だったりを決めたらとても楽になった。

そしてこれを理解できたのが、一番大学生になってよかったことだ。

大学という場所の中で勉強しろという声も聞こえてくるが、正直教授のワンマン授業がほとんど。入学前の期待は一気に消え失せた。もちろん面白かった授業もあるが、

どちらかといえばその授業や社会で起きたことに対して友人とかみ砕いて解説して議論している時間がとても楽しく有意義であった。

だからこそ「人」を通した自分の成長を一番感じられる場所が大学だと思う。

だが、このような状況でますます今の新入生を心配してしまう。このような機会が奪われていることを「しょうがない」で済まされてしまう事が無性に腹が立つ。

学生の期間は帰ってこないのにこのまま時間だけが過ぎていく事が本当に悔しい。だからこそ、毎日最高の一日にする。

コロナに負けない。「大学生」という期間でもっともっと成長する。

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