適正なリスクをとる選択
自分では当然だと思う考え方が、自分以外の人にとっては理解できないものである事は意外と多い。
小学5年生の息子が、自作でパソコンを作りたいと言い出した。それについて、親である私と夫は息子の最適解を逃してはならないと思い、夏休みにパソコンのパーツを購入してあげるから、組み立てみてはどうかと提案してみた。費用は出世払いでオッケー。万が一失敗したとしても、大丈夫だからやってみたら?という感じで提案してみたのだが、息子はそれをプレッシャーに感じたようだ。
前々から色々調べて自作パソコンについて詳しく知っているらしく、どれほど費用がかかるものなのかとか、組み立て自体が自分にとって難しそうだということも認識している。だから、上手くいかなかったらどうしよう、とか、自分が作ったパソコンを費用に見合う使い方ができるだろうか、という不安の方が強くなってしまったらしい。まだ小学生だし、そんなこと考えなくてもいいのに、と思うけれど、私も彼の立場なら、たぶん同じようなことを想っていただろうと思う。
自分にはもったいない。かかる費用以上の成果を出すのは無理だから、今のままの方が良い。挑戦しても上手くいくかどうかわからないし、失敗するのも怖い。たとえ不便でも、ちょっとくらい我慢したほうが得な気がする、、、などなど。
めゃくちゃやりたいことであっても、そんな思いが湧き上がる。
だから、息子が不安になってプレッシャーを感じて、私たちの提案を断った気持ちは痛いほどよく分かる。
しかし、夫はまた違った考え方をする。全くプレッシャーを感じない、と。むしろ、新しいことに挑戦して、新しい高価なものを手に入れて、やる気が湧いてくるのだと。それを使って、絶対にやってやろう、という気になるのだと。
不安になる要素が全くないこんな考え方が私にとっては不思議で仕方ないけれど、これが人によって考え方や感じ方が違うということなのだと思う。個体の本能というか、遺伝子レベルでの違いな気がする。私や息子が不安とプレッシャーに押しつぶされやすい遺伝子を潜在的に持っていて、夫は不安を感じずに挑戦的な遺伝子を持っている。それだけのことなのだろう。
私や息子の様なタイプの人間が、こんな風に不安を感じてしまうことは変えられrない。そのせいで、結局リスクを取ることが苦手なのだと思う。リスクから逃げて、安全な方法で物事を進めることしかできない。だから、大きな失敗もなく大きな成功もない。
でも、潜在的な感じ方は変えられないにしても、学習して意識することで適正なリスクをとった選択をすることは可能になる。大きな成果を出したければ、時にうは適正なリスクをとって前に進まなければならない。失敗しても大したことじゃない。適正なリスクをとって挑戦することの方がよっぽど価値があると、私は学んで知ることができた。
不安やプレッシャーを感じたとしても、挑戦することが必要であれば挑戦する選択をする。結果的に不安を潜在的に感じない人と同じ成果が得られる。
結局、どのような感じ方をする人であったとしても、適正なリスクをとって挑戦し続けることが成功を手に入れるための必須条件だということに変わりはない。多様な考え方を認めて、取るべきリスクをとって、逃げずに前に進む。それが不安を感じやすいタイプの人であっても、不安を感じないタイプの人であっても、成功したいと思うならば取るべき選択肢は一つしかない。リスクをとって挑戦する。
どんなタイプの人であっても、必要なことは自分の心を落ち着けて正しい選択をすること。セルフコンパッションの重要性を改めて感じるきっかけとなった。
という訳で、私たちの提案を断った息子にこれらのことを説明してみたら、少し一人で考えて「やっぱりパソコン作ってみたい。」と言ってきた。よかった。子供のやる気は熱しやすく冷めやすいから、自作パソコンを作りたいなんて、今は強く思っていたとしても来年はどうなっているか分からない。
リスクをとって挑戦することにも、子供のうちから慣れていってほしいと思う。石橋を叩いて渡るような生き方しかしてこなかったことに今更ながら後悔している私から見たら、息子が私と似たタイプならば尚更、このような後悔はしてほしくない。