世間のレールから外れる選択をする
今までの人生を振り返って、自分の人生を生きるようになったのはいつからだろう?と思う。大きな転機は蜘蛛膜下出血を経験した後だと思う。それまでの自分は、世間の中にまみれて自分の考えを押し殺し、世間的に得する方を選ぶような生き方をしてきた。
学生時代を振り返れば、成績は小中までは良かったし、それなりには頑張ってきた。真面目タイプで先生にも気に入られて内申点がやたらと良かった。高校に入ったら、理系の進学コースだったのでさっぱりついていけず、クラスでは最下位位の常連だったけれど、一浪して地方の国立大学に進学した。
心の底からやりたいと思えることをやってきた、というよりは、世の中で認められている良いとされる事のレールの上に乗って、学生生活を送ってきたような気がする。
なりたいものがあったわけでもなく、やりたいことがあったわけでもない。ただ、勉強はちゃんとして大学に行く。国立大学に行くのが世間的に良いことだからそうする、それだけのこと。
ミュージシャンになりたい、とか、有名人になりたい、とか、小学生ぐらいの頃は思っていたような気がする。だけど、そんなのなれるはずがない、と勝手に自らの意思で諦めていた。不思議だと思う。なんで、もっと頑張らなかったのか。
正直、勉強はそれなりに頑張った。大して良くない遺伝子の割には頑張ったと思う。勉強は楽しいし、知らないことを知ったり、難しい問題が解けた時は嬉しかった。その頑張りをどうして自分のなりたいもののために使えなかったのだろう。心の底から行きたいと思える大学ではなく行ける大学に行ってしまった私は、一体なにを望んで進学したのか。
大学は卒業しておくと社会的に有利だから行くという選択は間違っていなかったとして、ただ有利になるためだけに進学したのか?有利になるために大学に行っていても何の問題もないけれど、それとは別に自分のやりたいことやなりたいものはなかったのか?と学生時代の自分に会えるなら聞いてみたい。
そして、あの頃の私には誰も話してくれなかったアドバイスをしてあげたい。世間の良いとされる常識的な生き方を選択しなくても良い。自分の決めた自分の生き方をするために、適正なリスクを取る勇気を持って行動することが大切だ、と。
大学進学と同時に一人暮らしを始めて東京で就職して、結婚して主人と暮らして、子供が産まれて、蜘蛛膜下出血で死にかけて・・色々経験したから言えることがある。自分の両親にはもちろん感謝しているが、自分の人生について考えるきっかけは与えられず、世間的な王道の道を進むように無意識的に育てられてきた。
世間の良いとされるレールの上で頑張っても、所詮は世間の一般的なそれなりの成功と達成感や幸福感しか得ることはできない。リスクをとって挑戦と行動をする人だけが、一般以上のものを手に入れることができる。一度きりの人生。誰のものでもない自分の人生。リスクをとって失敗してもやり直しが利くし、やりたい事を頑張った方がよっぽど楽しい。
これからの自分の人生と、、主人と4人の子供達の人生、リスクをとって挑戦して、成功するまでやり続ける、といいう学生時代の私には持ち合わせなかった考え方を定着させた生き方をしていきたい。