翔ける
10月30日
とても大切で温かくてかけがえのない日々が終わる日。
なにかを成し遂げられたのか
なにかを残せたのか
そんなことはどうでもいいのかもしれない
あなたの記憶に微かに残ってくれれば。
2020年、春、夏
大学受験を乗り越え、一人暮らしを始める。
想像していた大学生活とはかけ離れていた。
何をするにも自粛
入学式は中止、オリエンテーションは延期、新歓活動は禁止。
知らない土地でたった一人で過ごすことになった。
6月末にやっと部活禁止が解かれた。
小、中、高と続けてきた陸上を大学でも続けることにした。
新歓活動はなかったのに同期の数は多かった。
しかもみんな格上
負けたくないなと思いながら
ちょっと心が折れた。
同期には実力がある選手が多かったけど
部はお世辞にも強いとは言えなかった。
なによりゆるかった
クソガキながらこのままではダメだと思った。
当時の部長(3年生)に別のメニューで練習したい
という話をした。
生意気な1年生の意見を受け入れてくれて、相談にも乗ってくれた。
ここから02は大きく動き出す。
2020年、秋、冬
トラックシーズン最終戦が終わり
1年生シーズンが終わるとともに
競技者としての岐路に立たされていた。
”腸脛靭帯炎”
ランナーにはよくある怪我だったが
痛みをごまかしながら走っていた期間が長く
脚を引きずってしか歩けないようになった。
部活をやめる
マネージャーになる
我慢して治るまで待つ
3つの選択肢があった。
3つ目の選択肢を選べるように励まし続けてくれたのが
同期の親友と、マネージャーの先輩だった。
大きな問題がもう一つ
トラックシーズンが終わり3年生から2年生に幹部が引き継がれ
部長が変わった。
簡単に言うとその部長と合わなかった。
自分のやりたいことを押し通そうとする部長と
かなり激しく対立した。
今考えればもっとうまいやり方があったと思う。
巻き込まれても最後まで味方をしてくれた同期には頭が上がらない。
2021年、春、夏
もめごとでごちゃごちゃしているなか
気が付けば怪我も治り
2年生シーズンが始まっていた。
5月のインカレ
兄に目の前で入賞を見せつけられ
テンションがぶちあがった勢いのまま
自己ベストを2秒更新した。
勢いってすごい…
なんだかんだで体調を崩して1週間寝込んだり
同期の自己ベストで複雑な気持ちになったり
ほとんど練習せずに出た試合で自己ベストを更新したりしながら
幹部決めの時期になった
幹部決めの話し合いでは
”阿鼻叫喚”
”殴り合い”
なんてことは起こらず
投票の結果を本人が承諾するかという形で行われた。
投票の結果、部長になった。
嫌だった。
中、高と部長という立場に立たせてもらっていたが
うまくいった記憶がない。
子供っぽいし
理想論大好きだし
情に流されやすいし
どう考えても向いていない。
そもそも人の上に立つという考えが
とても嫌い。
そこで同期と約束をした。
・部長はただの象徴、部は同期全員で引っ張っていくこと
・上には立たない、前を歩くだけ
・チームとして強くなること
今の今までこの約束は破られていない。
2021年、秋、冬
あっけなく2年生シーズンが終わった。
1年生シーズンのような大きなけがもなかった。
幹部交代
一人一人と向き合うこと
嫌なことも背負うこと
部長になってから初めてした話は
そんな話だった気がする。
秋が一瞬で過ぎ去り
寒さで体の芯が冷えるようになってきたころ
親友から編入することを聞いた。
本人の前では泣かないつもりだった
帰ったと思って泣いていたら
のこのこ戻って来やがったので
本人の前でも泣いた。
10月に合格していた編入試験の結果を
12月に聞かされた
そもそも編入試験を受けていたことすら
知らなかったけれど。
編入まで4か月しかなかった。
なるべく一緒に練習して、
遊びに行って、
話して、
一緒に過ごせば過ごすほど
寂しくなった。
春休みは部活がすべてだった。
2022年、春
親友と別れた痛みも癒えぬまま3年生シーズンが始まった。
春休み
陸上のことを考えない日はなかった
親友の関東インカレ、全日本インカレの参加標準記録突破も
いい刺激になった。
状態は
精神的にも身体的にも
競技人生のなかで最高だったと思う。
3年生シーズンは順調に
軽くベストも更新して
インカレも入賞できる
はずだった。
シーズンインから
6月のインカレまで
1本も自分が思い描いていたレースができなかった。
東京からわざわざ島根まで応援に来てくれた親友にも
情けない姿を見せた
レース後スタンドでみんなの姿を見たとき
涙があふれた
止まらなかった
自分が負けたことよりも
みんなが悔しそうな顔をしているのが
悔しかった。
2022年、夏
インカレ後
病んだり
元気になったり
起き上がれなくなったり
食事がのどを通らなくなったりしながら
夏になった
7月
インカレ後、初めてレースを走ることになった。
ただの記録会なのに
怖かった
練習できていないことが
周りの心配が
何より崩れそうな自分が
結局レースは何事もなく
ベストを出して終わった。
直前に同期が
会心のレースをしたのが
いい刺激になった
あれは彼なりのエールだったのかもしれない
かっこいいからそういうことにしておく。
9月
7月のレースで状態が上がり始め
8月の中旬まではかなりいい練習ができた。
しかしお盆に帰省した後
また体調を崩す
ごまかしながら練習はしていたけど
体は耐え切れず
ある日の練習後動けなくなった
どんどん心と体が離れていく
幹部交代まであと2か月
今は頑張らなければ
思えば思うほど
体は動かなくなっていった
脚の痛みを言い訳に
走ることからも逃げた
9月の大学対抗戦、2週間前のことだった
試合が終わったら
走るのをやめようかな
と本気で考えた。
なんならやめるつもりだった。
期限をつけなければ
頑張れる気がしなかった。
そんなこんなでなんとか1週間は頑張って
試合を迎えた
当日の朝も走り切れたらいいかな
ぐらいの感じだった
みんなのレースをみて
頑張りをみて
部長がこれじゃだめだと
結果が出なくても楽しんでいる姿はみせようと
思った。
レース前
トラックからスタンドにいるみんなに手を振った
役員をしてくれていたみんなにも手を振った
いろんな思いがあふれた
普段は緊張で震える体が
震えていなかった
一人で闘っていないことに気づけた
これまでの
悩みから
苦しみから
痛みから
すべて解放された気がした。
1'56"48
2秒近くベストを更新して2位になった。
負けたけどうれしかった。
久しぶりに陸上を楽しいと思えたことが
みんなが喜んでくれたことが
それ以上に
勝ちたいと思った。
だからもう少しだけ走ることにした
どんな結果でも受け入れてくれるみんながいるから
頑張ろうと思っても体はわりと限界だった
走れない
眠れない
足が痛い
病院に行ったら
走るなと言われそうな痛み
そんなさなか言われた
「義務感で走っている」
が頭から離れなくなった
たぶん傷つける意図があったわけじゃない
とくに深い意味なんてなかったと思う
でもそんな言葉が刺さった
徐々に体調は回復し
9月末に体はほぼ復活した
刺さった言葉は抜けないまま
2022年、秋
10月
幹部交代まであと1か月
走る意味を
闘う意味を
考え続けていた
考えても考えても答えは出ない
義務感で走っているわけではない
考えれば考えるほど
義務感にとらわれる
だから
何も考えないことにした
ただ
走ることを
何より同期と歩める残りの1か月を
精一杯楽しもうと思った。
脚の痛みはごまかしながら
体調の波に抗いながら
それでも進み続けた
それが同期にできる最大限の恩返しだと思ったから。
10月28日
1500m
中学以来試合で避け続けてきた種目
前年親友がチームに勢いをつけてくれた種目
後輩がそれを受け継いでくれた種目
もう一度向き合ってみようと思えたのは
3年間
悩んで、
泣いて、
苦しんで、
それでも立ち上がって、
笑って、
たくさんの人と出会って、
別れて、
少しずつでも確実に前に進んできたから
直前で表彰台を決めてくれた後輩
スタート前話しかけてくれる同期
みんなが頑張る姿が力に変わる
向かい風が吹いているはずの競技場で
強い追い風を感じていた。
スタート直前
兄の姿が目に入る
兄にとっては引退試合
少しでも背中を押そうと思った。
スタート直後
左足甲に痛み
400m通過後
背中に違和感
800m通過後
腰に強い痛み
1100m通過
先頭と10m差
1200m通過
先頭に追い付く
1400m通過
先頭に
4'05"97 組1着
そんなに速いタイムじゃない
ラスト100m以外先頭にも立っていない
情けないけれど
背中と腰の痛みが強くて
レース中何度もあきらめようと思った
折れそうなタイミングで応援が聞こえた
これまでと同じように
一人で立てない僕は
ずっと誰かに支えられている。
終わりそうな流れであと2種目
10月30日
800m
3年間こだわり続けてきた
高校3年間も合わせると6年間
よく飽きないなと思う。
1500mから逃げるように
高校から800mを始めた
高校時代切れると言われ続け
結局切れなかった2分
今シーズン2分以上かかったレースは
軽く流したインカレの予選だけだった。
気が付けば入学時から6秒速くなっていた
0から始めた中距離パート
今となっては
大学ベスト男子800m1分台が3人
女子800m、1500mで中四国3位
2分一桁台2人から始まったパートが
ここまで強くなるなんて想像もできなかった。
中距離の同期3人で
何度もぶつかりながら
3年間やってこれたからここまで強くなれた
3人だったからこそ
同期2人が2つ前の組と1つ前の組で走った。
タイムは満足できるものではなかったかもしれない
それでも君たちがレース後
出し切った顔をしていたのがうれしかった。
次はお前の番だと伝えてくれているような気がした。
1500mで体はぼろぼろ
気候は気温が低く、風が強い
とてもタイムが狙えるようなコンディションではなかった。
だから自分が楽しいと思えるレースをしようと思った。
400m~600mが一番速い
いままでしたことがないレースをした。
500m~600mで強い向かい風が吹いていたのに…
案の定ラスト200mは体が動かなかった
手足はしびれ
脚の感覚はほぼなかった
1'58"62
サードベスト
9月と比べるとだいぶ遅い
でも楽しかった
まだまだ強くなれる
タイムが出せると感じたレースだった。
レース前まったく順位を気にしていなかったが
リザルトが出たら9位だった。
あと0.01秒で入賞
純粋に悔しかった
この借りは来年のインカレで
4×400mR
初めてフルメンバーで臨んだリレー
ずっとあこがれている先輩からバトンを受けとって
3年間一緒に頑張ってきた同期にバトンをつないだ
バトンミス
僕と同期の怪我を考えれば
もう少しタイムが狙えた
あと0.4秒が届いた気もする
でも
現状の最高のメンバーで
対抗戦で全く歯が立たなかった
他大学に勝てたのはよかった。
新しいチームで臨む
来シーズンのリレーに
少しでもエールを送れていたらいいな。
同期へ
この文章が届いているかわからないけれど
3年間の感謝をここで伝えたいと思います。
まず幹部交代式で泣きすぎて
まともに喋れなくてごめんなさい。
君たちと3年間過ごせてとても幸せでした。
これからそれぞれ別々の道を歩んでいきます。
もう少しだけ部活を続ける人もいるけれど
長くてもあと1年です。
高校と比べて
かなり自由な環境で
強いつながりのある組織をつくれたことに
自信を持ってください。
きっとあなたならどこに行ってもうまくやっていけます。
3年間悩んで、考えて、時には逃げて
でも戻ってきて、また頑張って
週5で部活なんて
普通の大学生では考えられない生活です。
その生活を続けてきたのだから
ただものではないはずです。
とてもありきたりだけれど
僕はずっとあなたの味方です。
あと1年は部活にいるはずなので
誰かに会いたくなったら
誰かと話したくなったら
いつでも部活に顔を出してください。
02のみんなが大好きです。
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