「人それぞれだよね」という結論だけはやめよう
日常会話ではしばしば「ま、人それぞれだよねー」で〆ることがあります。私は、お節介なようですがこれがたまらずモヤモヤするのです。
人それぞれであること、時と場合によることなんて、当たり前なのです。
「人それぞれ」と言ってしまえばそこで会話が終わってしまいます。疎ましい人と早く話を切り上げたい場合でもない限り、これを言うのだけは避けたほうがよいと私は思います。
さながら伝説(?)のスレッド「シンジ「なにがQだよ!!」」の
シンジ「時と事情によるだろ!!!!」
シンジ「時と!!!!」
シンジ「事情に!!!!」
シンジ「よるだろ!!!!!!!!!」
です。これを言ってしまえば終わりなのです。世の中のものは、殆どが時と場合と人によるのです。そらそうよ。
なら、どうするべきか。私は、会話に結論をつけるのであれば必ず「意味のある結論」で以てするべきだと主張します。たとえどんな他愛の無い会話であろうと、です。例外はせいぜい、意図して結論をはぐらかすときと睦言を交わすときくらいです。
そう、たとえば、夕ご飯何が良いか、今日は暑いかどうか、復讐は本当に何も生まないのか、おすすめの映画はなにか、神は居るのか、きのこたけのこどっちが美味いか。なんであってもです。今回の記事では以下の要領で話を進めます
・それではどんな結論にすればいいのか?
・具体例
・結び
それではどんな結論にすればいいのか?
私の記事はアフィブログではないので結論ファーストで行きます。
意味のある結論とはひとえに以下の3パターンに定まります。
1) 例外なく/100%結論はYES /「A」である
2) 例外なく/100%結論はNO /「B」である
3) YES or NO (A or B)か定まる条件を、具体的な閾値・確率で述べる
これはまさに科学なアプローチです。
ここの読者の年齢層はわかりませんが、これは日常会話に限らず読書感想文でも論文でも課題でも仕事でも同じです。ただし、私は決して日常会話ひとつに堅苦しい厳密性を持ち込むべきと主張しているのではありません。
ここでは、いくつかの具体例を使いましょう。
具体例
例1
「ご飯どこ行こうか?♪」
「なんでもいい」
・・・最低ですね。
ここでは「ハンバーグ!」「昨日は洋食だったし和食にしよう」「高円寺のあそこのお店が美味しかった」「私今ラマダーンなの」と答えるべきでしょう。
特別食べたいものが思いつかないときは「洋・和・中・エスニック」「パン・麺・米」「これまで/これからの食事の内容との差別化」「外出中であればその名物」などの側面でもって、合理的にかつストレスフリーに答えを導いていくべきでしょう。
例2
「(大学にて)○○って授業をとろうと思うんだけど、どうだった?(面白かった?)」
「うーん、人によるかな」
これも最低です!!
会話拡げる気あるんですかって感じです。
ここでは
「絶対取るべき!(○○ちゃんなら)絶対気に入るよ!」
「クソだったよ、取らない方が良い」
「△△を目指しているなら、一応取っておくのがオススメ」
などが答えの具体例です。
ちなみにこの3回答は順に
1) 例外なく/100%結論はYES /「A」である
2) 例外なく/100%結論はNO /「B」である
3) YES or NO (A or B)か定まる条件を、具体的な閾値・確率で述べる
に従っています。
ところで、面白いか・取るべきかどうかは当然人次第なので、無条件にオススメできるかできないかを述べることはできないでしょう。
その時は、「私は○○という理由で面白いと思った」「××な人なら面白いと感じそう」「正直微妙だけど、今履修しておけばツブシが効く」などと根拠を添えて回答するのです。
すなわち、これが「具体的な閾値・確率」です。
100%YESと言えないのであれば、YESとなる条件を言えば良いのです。もしくは、YESとは言い切れないけど本当に迷った場合はYESに賭けたほうが分が良い理由を説明するのです。
さて、世の中ほとんどのものが「時と場合による」のですから、であれば「どう"よる"のか」を述べるべきだと私は主張します。「例外なく/100%結論は○○である」となるケースはあまりありません。
しかし、いざそのような回答が出てきた場合、それは非常に興味深い結論であると私は思います。すなわち、そのような答えが得られたのであれば、今後も無条件でAもしくはBをとるべきであるという話なのです。より正確には、「例外はあるにはあるが、その想定をする必要性は今後もほとんどないであろう」です。
例えば、「過去を変えることはできるか?」答えは、「例外なく/100%NO」です。 ・・・ここで、突如宇宙人がやってきて時間渡航の技術をもたらす可能性はなくはありません。決して0%ではありません。しかし、そのような想定をすることはほぼほぼ意味がありません。今後の人生で決断をしていくうえで、このような可能性を考慮する必要はありません。もしもし万が一にもそのようなことがあれば、そのときになってから考えればいいわけです。
「トンネル現象で壁をすり抜けてしまうことはあるか」「宇宙が明日終わってしまうことはあるか」・・・厳密にはある、そう、あります。しかし、それを視野に入れる必要は日常生活ではほとんどないのです。
これを、もう少し身近なスケールに落とし込んで行くと、話が面白くなってきます。
例3
「頭に血が上った状態で何かするとロクなことにならないか?」
これは、私個人の答えは「100%YES!」です。ほぼ100%、頭に血が上った状態での行動はロクな結果を産み出しません。数少ない、日常スケールでの絶対的YESです。このような条件を問わない結論こそが、日常生活での指針たる名言となることでしょう。
なにせ、ここで余計な価値判断をする必要がなくなることで、私たちは日常のもっと重要なものに頭を使うことができるのですから。
例4
「宝くじを買うべきか?」
・・・宝くじが当たる可能性は、あります。そうして、確率がいかに低かろうと、当たるという想定で行動する(=実際に宝くじを買う)人もいれば、「当たる可能性を考慮に含めない」(=一切買わない)人もいるわけです。「趣味程度に、戯れで買う」という人もいれば、「おれは宝くじに当たるから、働かないぜ!」と大見得を切る人もいるでしょう。まさに「時と場合による」「人それぞれ」なワケです。
ここでは、YESともNOとも言い切れません。ですが、あえてここでは「人それぞれ」で話を終える誘惑に抗いましょう。
ここでの答えはなにも
「1等が当たる確率は(ジャンボだと)0.00001%だよ」
「1口あたりの期待値は○○だよ」
でなければならない、と私は言いたいわけではないのです。
「私は毎月、お小遣いから○○円ぶんを買うかな」
「当たる人は現実にいるわけだし、夢を買うのはアリだと思う」
「当たるわけないじゃん!」
「運気が向いたと感じるときは買えばいいんじゃない?」
「買わなきゃ当たらないよ!」
「それを買うお金で、今日のランチで少し贅沢できるんだよ!?」
思いつくだけでもこんなにも答えのバリエーションがあります。これに比べたら「人それぞれだよ」だなんて、いかにつまらない答えでしょうか。
このような答え方をすれば、そこからあなたのの考え方や生き方が見えます。
日常会話の美はここにあり。
結び
以上の具体例を通じて、みなさんにはきっと伝わったのではないかと思います。
「人それぞれだよ」だなんて、世界一つまらないセリフです。
人それぞれであるなら、あなたはどうなんだろう。
あなたとお話をしている相手はどうなんだろう。
それを深めていくことこそが会話ではないでしょうか。
人それぞれであることは当たり前なのです。だからこそ、具体的にある個人の場合はどうであるのか。それこそがミソなのではないでしょうか。
それでは、今日はここで。
みなさんも良い毎日を♪
月城うさぎ