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【映画】ヴァイオレットエヴァーガーデン【感想&考察 長い】

本当は初日に観に行こうかとしてましたが
混雑を避けてようやく観てきました。

泣いた泣いた。

どこから泣いてたかって、

「Kyoto Animation」
のロゴが出てきたところから泣いてました。

色々な感情でもう頭の中がごちゃごちゃ。

もう一回観たい。

だけど、とりあえず書きます。
書くけどボロボロです。

アニメは二年くらい前に一回観て
しばらく期間が空いてました。

自動手記人形~ドール~の役割

久しぶりに観たので根本的に
『ドール』ってどうなんだろう?必要?って考えました。

自分の気持ちは自分で伝えるべきだ、と直感ではそう思います。
大袈裟な話、現代で言うと、好きな人へ告白するのに友達伝手だったり、ラインの文面だったりするのは私はあり得ないと思うのです。

『二人』の関係なんだから『二人』で関係を作りなよ、と。

この作品の主役となる
自動手記人形~ドール~は手紙を代筆します。

その代筆の方法もそれぞれで、
伝えたいことは大体決まっていて一緒に文章を考えながら書くパターンと、
アニメであったように、恋文を書きたいとアバウトな要望を元に書くパターンの二種類があるように思います。

前者は、
書き手がどうしても手紙を渡せないときのパターンです。

毎年の誕生日に手紙を送る

現代でそんな人、なかなか聞かないけど私はすごく好きです。
誕生日って一年で唯一主役になれる日なので。

大切な人相手なら、誰よりも祝ってあげたいと思う。
これが母親なら尚更です。
愛しい我が子と初めて出会った日だもの。

生前は伝えられなかったことを手紙にして伝える

これは、映画で出てくる少年のように
どうしても生前に伝えられないという人の最終手段です。

ヴァイオレットに想いを打ち明けるというワンクッションがあったからこそ、ちゃんと残せたのかなと。

どちらにせよ、
受け取った側が返事が書けないのは悔しいけれど、
今を生きる者達の支えとなる『手紙』はすごいと思った。

アバウトな要望を依頼するパターン

これは前の2パターンにも通づるところがあると思っていて、
人間の『役割』なのかなと。

会社にも、総務部、経理部、営業部、開発部など『役割』分担がされている。
社長だったら全部やるのかというとそれも違う。

手紙も同じ。

依頼する人は『想う人』
代筆する人は『想いを書き起こす人』

想う人が全てを伝えられるかと言われるとそうとは限らない。
だからこそ『想う人』の手伝いをするのが『ドール』

オタクがよく言う「(良すぎて)語彙がない」というのがよく見るやつ。

私も苦手だけど、伝えないと意味がないから頑張って練習してます。

ただ、どうしても、代筆業が現代であったら~と考えてしまい、
詐欺や偽装のない世界において成り立つ職業だなと思った。
手紙は自分で書くのが当たり前であって、人の代わりに返事を出すなんてことは非常識極まりない。

でもそれを素敵なお話に変えた岩井俊二さんの『ラストレター』という作品があります。
素敵な作品ですが、これはまた別のお話ですね。
バーチャルです、バーチャル。

ヴァイオレットとギルベルト少佐について

ギルベルトは幼い少女を自分が兵器にしたと悔やみながらも生きていた。
幼い少女は彼を憎んでもいなければ、
むしろ、唯一の家族だと思いながら生きてきた。
そして「あいしてる」の意味を知った少女は
自分自身も少佐のことを「あいしてる」だと気付いて生きてきた。

少佐は大人だったから辛かった。

償いはこれから沢山の子供の成長を見守ることだ、とでも思っていたのだろうか。一番大切な人を待たせて、不安にさせて、苦しめておいて。

本当に本当にバカ野郎である。

私も殴り飛ばしたい。

そんなバカ野郎も、
ヴァイオレットが自分自身で想い、自分自身で書き起こした手紙を読んでようやく気付いた。

ヴァイオレットは、少佐に会うのに身だしなみはこれでいいか、と年頃の女の子並みに気を配っていたものの、結局船からダイブからのびしょ濡れでの対面。
少佐もボロボロ。

そんなもんだよね。

でも、そんなもんだからいいよね、と思った。

二人は兄と妹のような関係かなとアニメでは思っていましたが、
映画を見るとどうだろう?

少佐に抱き締められたヴァイオレットは何を思っただろう。

抱き締められたら、抱き締め返す
そういう人間の本能的なものがヴァイオレットにはなくて
やっぱりヴァイオレットには少佐が必要だな、と思った。

少女への手紙はスラスラと書いている様子だったのに、
言葉にしようとすると涙が邪魔して言葉にならない。
ヴァイオレットは可愛い普通の女の子だ。

ヴァイオレットにとっても少佐にとっても
お互いが「道しるべ」であったし、これからもそう。

寿退社のような形でヴァイオレットはドールを辞め
一緒に暮らし始めた二人

最後の指切りは何を約束したのだろう。

「ずっと一緒にいるよ」かな。

なんでもいいや。
二人が幸せならそれで。
本当によかった。


時代の移り変わりと共に
手紙が廃れ、電話が主流になった。

この作品を観れば『手紙』がどれだけ素敵なことか
言わずもがな分かることではあるけれど

想いを自分の声で伝えることができ、
そしてリアルタイムで返答が出来る。
『電話』さん、大活躍でしたね。

変わりゆくものに乗り換えるのも
悪いことばかりではない。

未来へとタスキを繋ぐ形で終わって、
とても素敵な終わり方だなと感じました。

現代では『電話』よりも手軽な『メール』や『チャット』が流行り始め、
今では、個別で対人に連絡するのが面倒、不特定多数に投げた方が合理的という理由で『タイムライン』へ投稿なんてやり方が主流になってきている。

もったいないなぁ。
『note』もそのもったいないの一つかもしれない。

でも個別に伝えたい相手もいないし、
個別に伝えるのってとてもとても難しいからなぁ。

将来、電話なんか使わずとも脳波で会話出来るようになるかな?


飛んでいった手紙について

作中、手紙が飛んでいくシーンがいくつかあった。

まず冒頭、デイジーの亡きおばあちゃんがヴァイオレットに書いてもらった手紙
(これ新聞だったか、、、?)

そして、ヴァイオレットが少佐に会いに行く船で少佐に宛てた手紙

そして、少佐がヴァイオレットを追いかける決め手となった少佐宛の手紙

これら全部空を舞いました。

「手紙なんていらない」

その揶揄かなと思いました。

手紙ではなく自分で伝えていかないといけないから。

自分で書こうが、ドールに代筆してもらおうが
手紙は想いを伝えるきっかけでしかない。

自分で伝えなさい。

そう言っているように思えました。

京都アニメーションにとって、
今までとは違った色味の作品ですが、
本当に素敵な作品でした。

素晴らしい映像と共に素敵な素敵なお話でした。

これからもずっとずっと作品を作り続けて欲しいです。

また観に行きます。