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朽ちゆく住まいに花束を

母親の親戚の家は、車で約1時間ほど先の田舎にあった。そこには年に一回松茸を収穫することを目的としていて、ついでに家の中を手入れする。手入れをすることでその家は、かろうじて生きながらえていた。住宅は使っていなければ、当然のことだが埃が溜まる。それだけでなく、水洗の底から鼻を刺激する匂いが漂ってくる。湿った匂いと、ツンとした匂いは混じり、そこには誰もいないことを理解した。
故郷の実家では、木材を燃やし続ける祖母を覚えている。裏庭で、パチパチという音が鳴り続け、時折大きな音をたてて煙が立ち、炎の中で木材が崩れ落ちる。後から聞いた話だが、元々あった醤油蔵の一部を解体した木材をひたすら燃やし続けていたのだという。祖母は、いまでは考えられない違法行為を平然とやってのけていたのだ。こどもながらに、残された親戚の家と一部が解体された実家の死の香りを感じ取っていた。

ぼくは、建設業界でマンションの施工管理をした後、設計や施工といった建築に関わる仕事をテクノロジーを活用して支援する仕事に就いている。建築の過程をマネジメントしたこと、支援を通して設計から建物の管理まで大局的に見れたことで建物のライフサイクルに興味を持つようになった。現在は、建築の過程や建物を活用することを考えることに携わっている。日本では1990年代以降に、建物のライフサイクルを構築するためのファシリティマネジメント(FM)を取り入れ始めた。人・お金・情報に加えて建物を資産として運用していく。また2000年代以降には建設業では、テクノロジーの普及とともに建物の維持管理も含めた建物のライフサイクルを含めた計画が行われている。例えば、壁や柱といった建物を構成する部材の構造や仕上げ素材をデータベースで管理し、竣工した後の建物の維持管理、転用を計画する。建築の過程で変更した箇所などデータ上で管理することで、維持管理に関わる費用を抑え、建物のライフサイクルを前向きに考えることができる。土地や建物の価値が見直されている。
建物の計画のあり方が変化している例として、東京の銀座の「Ginza Sony Park」の計画がある。このプロジェクトは、現存していたオフィスの一部を解体し、数年後に建物を建築する間に公共に開かれた公園として活用している。解体から建築までのプロセスは綿密に計画されている。そこにいる人々のいずれかは、かつてあった建物の痕跡と新たに建つ建物に思いを馳せながらゆるやかに過ごすだろう。単純に建物を解体して新築すること以上の価値が見出されている。また、住宅規模の事例として住宅の廃材を新築する住宅の一部として転用することや、廃材を利用したプロダクトの製作が行われている。空いたスペースの活用だけでなく、建物を資源とみなして、別の形で活用されている。建物を建てて終わることから、建物のライフサイクルが見直されている。

建物とその周縁を考えるようになったきっかけがある。約2年前に、唐突に母親から「実家の一部を解体しようとしているけどどうしよう」という連絡があった。出身地の2階建ての木造民家は、築60年ほどが経過し、形を保持しながら生活者によって少しづつ姿形を変えている。元々壁や建具があった場所は、取り壊したり、取り外すことで、手を加えられた痕跡が残っている。表から裏庭に続くコンクリートの土間の真横には、祖母が解体した蔵とは別の醤油蔵がある。湿気による腐食を防ぐため、礎石という石の上に木の柱が配置されている。新しい木の柱は、礎石の上に立つ柱の隣で、土間に直接配置されていたりもする。

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曽祖父の代から継がれてきた家は、知っている歴史と知らない歴史が混じっている。そして家は、自分たちの住まいとしてだけでなく、時には従兄弟の家族が家の離れに住んでいることもあり、様々な世代に受け継がれた場所である。生活者は変わり、修繕を繰り返すことで、現在の住宅の形になっている。正直なところ、早く家を売り払って、病院も近く何かあった時の備えのある場所に住んでもらいたいと思っていた。

何かできることはあるだろうかと思っていると、大学の頃知り合った設計士の方が、生活していた住宅の一部を改装し、夫婦経営で住宅の一部を民泊施設として提供しているという。そこは住む場所の一部に、宿泊客が介在する余白を設け、新たな空間にしている。また、民泊施設を経営している本人が1987年に設計し、角は四角でコンクリートの表面が際立ち、西洋文化を取り入れた内装を持っている。内装の一部を改装し、宿泊施設として提供することで新しいものとして受け入れられている。設計士のパートナーは料理が好きで、訪問客をもてなすことが楽しいのだという。その場所は、真似することのできない個性を持っていた。時間の経過した建物を新たな価値を見出し再び引き受けているのだ。

実家について考え始めたことで先走って、「祖母も他界して、自分たちが現在のような動きが困難になったときのために考えなければ」ということを相談してみた。実家には毎年、夏の盆と冬の正月に親戚が集まる。月に何回かは、祖母を訪ねて叔母など市内に住んでいる親戚が訪れる。ただ、集まってご飯を食べるだけなのだが、現在に至るまで、卒業や就職、結婚やこどもなど変化が差し込まれるきっかけとなっている。今後は、それぞれの家族の時間を過ごすことになるかもしれない。両親以外の人間が関与できる回路を設けて、同時に改装や解体するときの費用を確保するようにできないかと。両親は、「それはわかるけど急に言われても先のことは想像できないし、どのようにすればいいか正直わからない」と言う。喋り終えた後、確かに的外れなことを言ってしまったと後悔した。そもそも年に数回帰省する程度で、両親が実際にどのような生活を送っているのかわからない存在が、「このままだとやばそうだからどうにかしましょう」といっても的外れだ。それでも、建物のライフサイクルを考えるようになったことで、この場所で何か実践をできないだろうかと思っている。家はいずれ、解体することになるか放置しておけば、朽ちていくだろう。そうだとしても、別の形で継いでいくことはできないか、この土地が好きで興味のある人がいれば譲渡しても良い、と思うくらいだ。住宅としての機能以外の形で提供することや、丈夫な木材として転用することも考えられる。
パチパチと木材の燃える音と煙の香りがする。住んでその後のことを考える。住宅という規模で、いち家族の小さなことではあるけれど、このことを考えることは、生活を含めた建築のライフサイクルを考えることにつながるのではないかと思っている。

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