介護において、当事者(障がい老人)と介護者とのコミュニケーション・会話はとても大切だと思います。ともかく、コミュニケーションなしに人間は社会生活を送ることはできません。
ですから、このコミュニケーション・会話についてしっかりと理解することが求められているように思うのです。
1.一般的なコミュニケーション・会話の理解
一般的なコミュニケーション・会話は次のように理解されているのだと三木那由他(哲学者)は指摘しています。
普通の理解では、コミュニケーション・会話においては、発信者が思いや意図を定めて、聞き手に伝えるということが基本で、その伝えようとしている意味、意図をしっかりと受け手が理解できるかということがコミュニケーション成立の基本だと考えられているのです。
ということは、発信者が主体で、受け手はあくまでも受身的な立場、発信者が「主」で受け手が「従」であるかのように思われているのです。
ところが、三木那由他さんは、この発信者が「主」で受け手が「従」ではない場合もままあると指摘しているのです。
2.『魯肉飯のさえずり』
実際のコミュニケーションにおいでは、会話する者たちは、性別、年齢、体力、経済力などなどの、さまざまな属性に基づき、「優位―劣位」といった、非対称性、権力性の軸が交差しているのです。
これをインターセクショナリティといいますが、このインターセクショナリティの磁場によって優位にある者が、例え聞き手であっても、会話の内容を決定するという事態が生じることがあるといいます。
三木那由他さんは、温又柔さんの小説『魯肉飯のさえずり』(中央公論新社2020年)を紹介しながら、コミュニケーションには、「意味の占有」、「コミュニケーション的暴力」の可能性があるといいます。
かなり長くなりますが、紹介します。
3.意味の占有
このように話し手がその振る舞いや発言で何かを意味しようとしても、聞き手の力によって別の何かを意味したことにされる事態を三木那由他さんは「意味の占有」と呼んでいます。
非対称的な関係、権力関係によって、その発語の意味は歪められ、優位側、権力側によってその内容が決められる怖れがあるのです。
4.介護の世界の「意味の占有」
このような「意味の占有」「コミュニケーション的暴力」は介護の世界でも起こりえると思います。否、「意味の占有」が生じやすいと思うのです。
それは、介護の世界のコミュニケーション・会話は、話すことが難しくなった当事者が多いため、どうしても職員が主導していく必要があるからです。
さらに、介護の世界の「困っている人―支援する人」という関係性や、「介護する人―介護される人」という関係性には、非対称性、権力性、暴力性が潜んでいるのです。 このような非対称的な関係性は、当然、コミュニケーション・会話にも影響を与えるはずです。
相談に来た方や当事者(お年寄り)の訴え、発言内容を専門家が意図的ではないにしても、歪めてしまう、つまり「意味の占有」を行ってしまう怖れがあるのだと思います。
当事者とのコミュニケーションで、相手が認知症だから、わがままな人だから、頑固な人だからと当事者を無視することもあるでしょうが、きちんと相手の話を聞いているようでも意味を占有し、意味を捻じ曲げていることも多いように思うのです。
それでいて、当事者の話を私はきちんと聞いてやっているという勘違いが横行していくこともありえるのだと思います。
インターセクショナリティについては以下noteをご参照願います。
コミュニケーション考2もご笑覧ください。