脳神経内科医を20年やって心から伝えたいこと
はじめまして
こんにちは。医者として働き始めて、あっという間に20年近くが経ちました。これを読んで下さっている皆さんの勤続に比べたら、まだまだ短いかもしれません。でも、振り返るといろんなことがあったなと思います。
大学病院での外来診療と入院患者担当を主軸に、町中の中規模病院の外来や夜間当直の仕事、小さなクリニックで「かかりつけ内科医」の役割、そして慢性疾患を抱えた患者さんの家を回る往診。長いところでは10年以上勤務し、10年以上のお付き合いができた患者さんご家族もいらっしゃいました。
私たちの仕事では、「患者さんが一番の教科書」と言われます。患者さんに対して失礼な感じもするというか、「しっかり学んで一人前になってから担当してよ」と思われるかもしれませんが、やはり経験から学ぶものは大きいです。一方で、「患者を診たがらない医者には診せない」という不文律もあり、やる気のない後輩には「忙しそうだね、君はこの患者さんを診なくていいよ」という優し気な言葉とともにチャンスを取り上げますので、皆様の前に現れる若手の医者はやる気があるとご安心ください。
今まで出会ってきた患者さんご家族を懐かしく思い出しながら、教えて頂いてきたことを、この文章を読んで下さる皆様に少しでもお伝えできたらいいなと思います。
アルツハイマー病の治療薬
最近、アメリカで承認された新しいアルツハイマー病の薬が話題になっています。これまでにない、アルツハイマー病を「元から治す」薬です。しかし、素晴らしい話ばかりではなく、その有効性や実社会で使っていくにあたっての方法について、議論があるところです。
私には難しい政治的な背景もあるようですが、「そもそも脳が未開の地だから薬の評価がすぐに定まらなくてもしょうがないよね」とも思います。脳科学には「まだ分からない点がある」のではなくて、「根本的に仮説の上に成り立っている」といった方が近いと思います。アルツハイマー病にしても、「アミロイド仮説」という病気の原因や成り立ちについての考え方が、まだ仮説なのです。その仮説を有力にする証拠はいくつも集められてきましたが、完全な証明はされていません。
もちろん、苦労して研究開発してきた人々や、信じて治療をしてきた患者さんご家族を否定するつもりはありません。個人的には、自分や家族に適応(その薬を使ってよい状態)があったら、ぜひ使いたいとも思っています。
ただ、脳のことはそこまで白黒はっきりしていないわけだし、認知症について寛容な世の中であって欲しいと思います。認知症になっても良いし、認知症でも楽しく生きていける。そんな社会を目指す動きも、診断治療の進化と併存して、残って欲しいと思います。
病院に通っていても、健康診断を受けてください
病院で働いていると、お会いする方がみんな患者さんなので、世の中の人みんなに持病がある気がしてしまいます。たまに、健康診断の仕事をしたり、初めて病院に来た方を担当すると、毎日飲むお薬が無いことにビックリしたりします。
そんな偏った私ですが、それでもある程度のご年齢になると、血圧や脂質のお薬を飲んで、定期的に通院されている方もやはり多いはずです。そして、お薬の処方だけではなく、年に1-2回、たまには血液検査も受けているのではないでしょうか。
今日はそんな方々にも、健康診断を受けて頂きたいというお話です。会社に所属されていると健康診断の機会があって、がん検診オプションもあったりしますが、そうでないと案外受けていない方もいらっしゃるようです。特に、通院して検査もしていると、それで足りていると思われる場合があるようです。
実は「全身のチェック」をすることは、とても難しいことです。通常の通院では、まず出来ていないのが現状です。医療保険の制度上、疾患治療でなく早期発見や予防に関してはカバーされていないことも一因です。
私が主治医として診ていた患者さんの中でも、自治体の検診で便潜血検査をしたことから大腸がんが見つかった方、レントゲンで肺がんが見つかった方、心電図で治療が必要な不整脈が見つかった方、と申し訳ないことに沢山いらっしゃいました。それぞれ、便潜血やレントゲン、心電図をやってみないと分からないものであったし、またその方々の持病には必須でない検査だったのです。
詳細はお住いの自治体にもよりますが、健康診断のお知らせがあるはずです。新型コロナウイルス流行下で制限もありますが、しばらく間があいている方は、ぜひ健康診断や人間ドッグをご検討ください(なお、ご持病によっては例外もありますので、主治医にご確認ください)。
コロナ下の入院生活
新型コロナウイルスが流行り出してから、病院を受診するのに足が遠のいている方も少なからずいらっしゃると思います。私が外来診療をしていても、困りごとが「しびれ」や「ふるえ」だと、初診であれ再診であれ、受診されることが減っているなと感じます。それらの症状は、多くは慢性的に、月単位あるいは年単位で抱えられているので、少しくらい先延ばしにしても変わらないのでしょう。それにしても、新型コロナウイルスの流行も年単位になってきていますが。
入院診療も、急ぎでないとされる検査や治療に関しては、抑えられてはいます。でも、外来よりも入院の方が概ね緊急性が高いこともあり、どうしても入院されている患者さんは尽きません。マスクをして頂いたり、大部屋でもベッド周囲のカーテンを閉め切ったり、様々な対策がとられています。中でも私が一番気になっているのは、面会が困難になっていることです。
多くの病院で「面会は全面禁止」になっていると思います。それでも、お看取りの患者さんを主として、実はごく一部では工夫された形で面会が行われていたりもします。また、「リモート面会」と言って、スマホ等でビデオ通話をすることは、場所や時間の制限付きで出来ることが多いです。普段ビデオ通話をしていない高齢者の方などでは、病院スタッフがお手伝いをすることもあります。人手の問題で、なかなかご希望どおりの時間や頻度で出来ないことは申し訳なく思いますが。
それでも、やはり直接会うことが出来ないデメリットはとても大きなものです。手を握ること、家族だけでなく親戚や知人にも囲まれること。マッサージや歩行リハビリのお手伝いをしてもらったり、食事を食べさせてもらったりということも、ご面会の家族の力が大きかったことを痛感します。もちろん、「完全看護」の病院が多いですから、それらは看護師さんやリハビリスタッフなどの職員が、新型コロナウイルス流行下でも継続しています。また、コロナ前の面会可能な時でも、それぞれの生活があり、なかなか来院できないご家族が多いご時世です。医者として、ご家族のサポートを前提にしてはいけません。
でも正直に言って、特に慢性的な脳障害をもつ患者さんの場合、手厚いご家族ほど治療成績を上げるものはないと思います。多くの皆様がたぶんそうだろうなと思うでしょうが、医療者として公言が難しいがために、まだまだ真価が隠されていると思います。
病院を選ぶとき、治療を探すときに、ぜひこのことも思い出してください。
良い健康診断、悪い健康診断
健康診断はぜひしっかりと受けてください、というのが私の持論であり、社会のコンセンサスでもあると思っています。でも、その具体的な内容になると、有料(というか高価)な人間ドッグまで様々です。血液検査だけでも色々な項目の選択肢があり、他にも尿検査や、レントゲンや心電図、胃カメラや大腸カメラの内視鏡検査があります。そしてCTやMRIやPETといった画像検査になると、体のどこを撮るか、どんな写真を撮るかの種類も決めなければいけません。親戚や知人にお勧めを聞かれても、その人の年齢や生活習慣や持病によるところもあって、即答するのは難しいです。
自治体や職場の健康診断、あるいは検診(特定の疾患の発見を目的とした検査)は、「集団のメリット」を最大限にするという観点があると聞きます。例えば、何歳以上の人にこの検査をすることで、将来的に検診費用を超えた医療費抑制ができるか、と言った見方です。逆に、個人のことだけを考えると、それよりもう少し項目を増やしたくなります。例えば、どうせ血液をとるなら、この項目もチェックしておいて損はしないというか、稀ではあるけど早く見つけて早く治療したら良い病気もあるのだけどな、と思います。
一方で、高価な人間ドッグの中には、「お金持ちはいいな。この検査やっておいたら安心だよね」という項目も中にはありますが、「血液検査でこの項目をやるなら、この画像検査は要らないのでは? メリットより侵襲(検査をすることでの体への害や苦痛)が大きいのでは? 少なくとも5年10年に1回やれば十分な検査であることを説明しないと」と思うものもあります。院長先生の顔写真とともに宣伝されていたりして、「このドクターは心からお勧めしているのか、あるいは。でも名前も顔も出してご自分の医療水準がバレないとでも思っているのだろうか」と余計な心配をしたりします。
結局、どうすればいいの?と思われたら、まずは自治体の検診をしっかりお受けください。チャンスがあったら、プラスアルファの人間ドッグも、たまにはご検討ください。いくつかの人間ドッグを見比べた時に共通してやっている検査が、受けるべき一つの目安かなと思います。
認知症を予防する、脳の使い方
できるだけ認知症にならないための、あるいは認知症になっても進行をゆっくりとするための、「頭の使い方」というのはあるのでしょうか。一時期は、計算問題のドリルが流行ったこともありました。
そもそも、脳はどのように働いているのでしょうか。一つの大きな特徴は、部分ごとに違う役目を持っていることです。「大脳の右前は、体の左側を動かす」とか、「後ろの方で、目で見た映像を再現する」というように。これは「局在論」と言って、それぞれの機能を持ったブロックのパーツが組み合わされている状態です。あるいは最近では、「ネットワーク論」による脳の理解も進んでいて、ネットワークを接続するハブの機能を持った部位と、その間のつながりが重視されてきています。脳の中で、言語のネットワークや視覚のネットワークが張り巡らされているという仮説が、脳画像検査などから証明されています。
いずれにしても、脳には役割分担があり、それぞれの部位が影響しあいながら協同作業を行っているのです。そのため、脳の全体を使って刺激することが、全体としての脳の機能を高めてくれることになります。
では、脳の全体を使うためにはどうすれば良いのでしょうか。それは、言葉も使う、視覚も使う、手足も動かすことです。色々なことをすることなのです。
特定の計算などをすることは、脳の特定の機能を高めるには役立ちそうです。そのため、生活の上で必要な機能に対して、そのものをリハビリとして行うことは有効です。家の中で歩くことが独り暮らしを続けるために必須である方が、手すりを設置し、「この手すりを左手でつかんで右足を一歩だし、今度はこの手すりを右手でつかんで左足を出す」という一連の動作を練習することがあります。
では、生活全般を維持する認知機能を保つためには、どうすれば良いのでしょうか。やはり、生活全般を活動的に行っていくことに尽きるのです。
「虎の巻」では無い結論で、ごめんなさい。でも、「認知症にならないように、可能な限り努力したい」と真摯にお考えの方が、分かりやすくお金のかかる方法に嵌ることがないようにと思って、私なりに脳の仕組みから解説させて頂いたつもりなのです。
認知症を予防する、様々な方法
認知症にならない、あるいは進行をゆっくりとするための方法は、直接的に脳を使うことだけではありません。脳も体の一部です。首とつながっているし、全身の血液循環の一部になっているし、食べたものからできています。
そのため、まずは体を大切にすることが、脳を大切にすることです。一つの病名を挙げることには語弊もありますが、例えば、糖尿病は認知症になる確率を高くします。食事、運動、睡眠、ストレス管理。どれも完璧には難しいですが、少しずつ気を配ることが、積もり積もって大きな違いを生じます。ほとんどの病気に関して、そういった当たり前のことで大きく変わってくると、日々の診療をしていて痛感します。もちろん、遺伝に関するものとか、ご本人の努力ではいかんともしがたい領域があることも確かではありますが。
一方で、認知症を過剰に恐れたり、患者さんを毛嫌いしたりするのも、認知症を診ている医者としては悲しく感じます。また、そのような傾向と、実際に認知症にならないように気を付けて生活していくのとが必ずしも一致しないのも、不思議なことです。「いつか認知症になることをそんなに考えたくないのなら、認知症の人と上手くやっていけないというのなら、もっと体を大事にすればいいのに」と思うのですが。「問題から目を逸らしがち」ということで、一貫した傾向なのかもしれません。
認知症にならない努力をしながら、認知症になっても優しい社会を作っていくことは、矛盾しないと思います。私は、「ラジオ体操・散歩・健康的な食生活・会話」が、体を大切にすることの具体的な方法として好きです。それらを認知症患者さんと一緒にやっていければ、色々と上手くいくのではないかと考えています。
様々な「もの忘れ」
「もの忘れが増えてきたな」と、気になることはあるでしょうか。人の名前が出てこない、この間のあれは何だったっけ、という自覚があるかもしれません。ヒトの記憶力のピークは10代~20代です。高齢でなくとも、加齢とともに「もの忘れ」は増えますが、病的でない生理的な忘れごとも多いです。病的なもの忘れの定義の一つは、「日常生活に支障があること」であり、これは後付け理論のようで案外理にかなっていると思います。生き残るために、多少のもの忘れがあってもメモをとったりしてカバーしようとするのが生き物としての戦略であり、それさえ破綻する状況が病気なのです。
もの忘れは脳の機能低下です。脳の中でも、大脳の側頭葉という頭の横にある場所の、内側の方が記憶に深く関わっています。海馬と呼ばれる場所もそこにあります。有名な認知症であるアルツハイマー病で、比較的初期に萎縮する場所でもあります。そのためか、あるいは分かりやすい症状であるためか、「もの忘れ」が認知症の始まりとして有名です。
アルツハイマー病以外にも、脳血管性認知症や、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症など、様々な認知症があります。それぞれの病気で、また患者さんによっても、脳のどの部分から障害が始まって認知症になっていくかは異なります。脳は、それぞれの場所で、異なる役割を持っています。そのため、認知症のはじまりの症状は、記憶障害に限らず、様々なのです。
例えば、頭の前方にある前頭葉から始まる認知症では、性格が頑固になることがあります。散歩の道筋がいつも同じになる、同じメニューを食べたがるといった症状もあります。また、後方にある後頭葉から認知症が始まると、見え方の変化が起こります。柱の木目模様を人の顔に見間違うことが多くなったり、知人に会って誰か思い出す時に顔よりも声に頼るようになったりします。また、小さな脳梗塞が脳のあちこちに積み重なっていくタイプの認知症では、歩き方がちょこちょことして遅くなることがよく見られます。
このように、何が認知症のはじまりなのか、ご自分やご家族に認知症のはじまりのサインがあるのかどうか、考えれば考えるほど難しくなってしまうところもあります。認知症患者さんから悲喜こもごものお話を伺ってきた私としては、脳って面白いな、認知症も色々だなとだけ、お伝えできたらいいなと思っています。
発達障害と認知症
長寿社会になって、認知症の患者さんが増えました。
ところで、発達障害と診断される子どもが増えているそうです。また、成人してから(子どもの頃からの)発達障害を診断されることも増えて、大人の発達障害も増えているようです。
小児科ではない私が、発達障害のことをよく考えるようになったのは、認知症外来においてです。ご本人ご家族から、「物忘れがひどくなって。でも、昔から忘れ物など多いのですが」とか、「物忘れと、これは昔からなのですが性格の特徴がますます目立ってきて」などと伺います。情報の得られやすい社会になりましたから、ずばりとご家族から「診断はされていないのですが、たぶん元々発達障害で、それに認知症が加わっていると思います」と初診で言われることもあります。また比較的若いご本人から「職場でミスが多いから病院へ行くように言われたのですが、発達障害なのか、認知症なのか」と相談されたりもします。なお、現時点では良くも悪くも、発達障害と認知症の合併により診断やその後の治療、対応は基本的に変わりません。
発達障害と認知症は両方とも、主として脳の問題であり、また症状にも似たところがあり、オーバーラップは必然とも言えるでしょう。それ以上に、特定の発達障害と特定の認知症との関連が深いことが、今後明らかにされてくるようです。今のところは慎重に、「ある発達障害の方がもし認知症になったのならば、このタイプの認知症である確率が他の方より少し高くなる」くらいの言い方に留めておきたいと思いますが。
認知症も発達障害も、ネガティブな変化ばかりではありません。芸術系の能力に秀でた方もいる、と言うのはこういう場合に安直な話題ではありますが、実際にその脳の特性が活かされた素敵な絵を描く方が、発達障害があり認知症になった方でいらっしゃいます。緻密な線がたくさん描かれていてカラフルで、としか素人の私には表現できないのですが、それこそ脳に直撃する感動が引き起こされます。
認知症も発達障害も、解明が進んでいく領域だと思います。社会的対応もそうですが、医者の立場から言うと、それぞれに生物学的な基盤が明らかになって、それぞれに特徴的な治療法も開発されるでしょう。そんな風に「減らす対象」と捉えられることを少し寂しく感じるくらいに、発達障害からの認知症は、脳というもの人間というものを、赤ちゃんから高齢者までの生涯発達と多様性いうことを、考えさせてくれます。患者さんご家族からしたら、そんな呑気な気分にはなれないのかもしれませんが。
病院の待ち時間が長い理由
あいさつ代わりに「お待たせしました」と言いながら、外来診療をすることにも慣れてしまいました。基本的に待ち時間なしだったり、こちらが待ち構えていて来院されたら予約時間前でもお呼びしたりする外来も、たまにはあります。最近は受付状況などをインターネットで確認できるところも増えてきましたが、私には勤務経験がありません。
ひどいことに、私のメインの外来は約2時間待ちが常態化しています。たまに、新しい患者さんに「予約なのに、1時間以上も待つのですか?」と驚かれたりすると、「そういえば、そうだなあ」と新鮮な気持ちで申し訳なく思います。「待ち時間が発生しないように予約するべきではないか」という内容を暗に言われることもあり、それもごもっともです。
何が起こっているかと言うと、まず、それだけ無理な予約を詰め込まないと、かかりつけ患者さんの予約を回していくことができません。例えば午前の外来なら、午後の時間に予約を取ることは病院から許されないのです。それから、予約のない患者さんも拝見する外来なので予約に割り込みが生じますし、予約なしの患者さんの方が、初めましてであったり急に具合が悪くなっていたりで、時間がかかるものなのです。更には、入院患者さんの対応に呼ばれるなど、外来時間中に外来診療以外の業務も兼務しています。
言い訳ですが、もはや一人の医者に解決できる問題を超えており、ITとか経営とか私の疎いところで誰か何とかしてくれないかなと思っています。待ち時間を謝っても「先生が大変ですね」と言ってくださる、そして難病のためなかなか他の病院に外来を変わることもできない、私の患者さんたちのお気持ちにあぐらをかいていることを改めて痛感しながら。
スマートウォッチや自宅用の血圧計
スマートウォッチを使っている患者さんが増えてきました。後期高齢者と言われる年齢の方でも、スマートフォンは一般的ですし、スマートウォッチなどのウェアラブル機器を私よりも使いこなしている方もチラホラ見掛けて驚きます。
心電図を測れるスマートウォッチもあり、技術的には以前から可能であったのが医療機器としての承認の関係で最近になったようですが、身近に広まることを期待しています。不整脈の自覚があったとき、病院では普通の心電図に加えて、ホルター心電図という検査があります。胸に電極シールを張り付けて、小型の心電計をポシェットで首から下げるなどして持ち歩いてもらい、自宅などでいつも通りの生活をしてもらいます。そして翌日また来院して頂き、心電図を回収してデータを解析します。働いている方など、病院がやっている時間内に2日連続で来て頂くのも一苦労ですが、それでも24時間分のデータしかとれません。それに比べて、スマートウォッチは多少不完全であっても、長期間のデータがとれるメリットはとても大きいです。
血圧に関しても、同じように自宅で日々の記録を積み重ねられます。そればかりでなく、日常生活の中での数値が分かると言うのは、とても大事なことです。血圧については、スマートウォッチで頻回ではなく、血圧計でも朝晩測って頂ければ、ほとんどの場合で十分です。個人ごとに異なる朝晩の血圧パターンが分かれば一日一回の測定でも良いでしょうし、毎日でなくても、前回の診察から次回まで数回でも、診察室で測るだけより、とても役に立ちます。
診察室では、特に緊張していないつもりでも、家でリラックスしている時より血圧が高い方が多いです。待ち時間が短ければ、来院するために移動するという運動をした直後の血圧になってしまうこともあります。そのために、本来であれば減らしたり止めたりできる血圧の薬を飲み続けることになる場合さえあります。
病院で看護師や医者が測る血圧の方が、プロだし器械も違うし、正確であると思っている方もいらっしゃるようです。お持ちの血圧計が小型であれば、一度診察に持参されて、測り比べてみてください。診察で測る血圧との差を確認して、自宅での血圧測定を続けて頂ければと思います。
一度飲んだら、止められない薬
「飲み始めると、二度と飲み止めることが出来なくなる薬がある」と言う話を、皆さんは聞いたことがあるでしょうか。私は時々、患者さんから聞きます。例えば、血圧が高いと健康診断で言われて受診し、原因の検査をしたり、しばらく自宅でも血圧を測ってもらったりして、やはり高血圧が続くのでお薬を開始しましょう、と言った時です。
実は、私はその話の根拠を知りません。昔はそのような薬や考え方があったのでしょうか。思いつく限り、飲み始めたが故に飲み止められなくなる薬は、原理的にも、ごく稀にしか無いように思います。
ただ、基本的に一生飲むことになる薬は、たくさんあります。血圧の薬にしても、種類もありますが、飲み続ける方は多いです。でもそれは、飲み止めるとまた血圧が高値に戻って、高血圧による体への悪影響が心配されるからです。高血圧の多くは「本態性高血圧」と言って、他に原因となる病気がなく、動脈硬化などから血圧が高くなるタイプです。体重を減らしたり、減塩したり、運動やストレスなど生活習慣に気を付けることで、特に60代までの比較的若い方であれば、治して薬を終わりにすることも珍しくありません。でも、日々積み重ねられていく加齢に打ち勝ち、日々積み重ねられてきた生活習慣を変えることは、なかなか出来ることではないようです。そのため、降圧薬を飲み続けることになる方が多いことも事実なのです。
また、例えば脳梗塞を患った方が、再発予防のために血液をサラサラにするタイプの薬を処方された場合、これも基本的には一生飲み続けることになります。その薬を飲み続けるかどうかは、これまでの研究で、飲んでいる人と飲んでいない人との、それぞれの集団のどちらが元気に長生きするかの結果で決められていることが多いです。それでも、例えば貧血がどんどん悪くなる時などは、血液をサラサラにする薬は中止して頂きます。「飲み止められない薬」ではなくて、「飲める時は飲み続けた方が良い薬」なのです。
更に言うと、「もし飲み始めることで飲み止められなくなる薬をお出しするのであれば、こちらから事前に丁寧にご説明するのにな」と、思ったりもします。何でもご質問頂くのは大歓迎ですが、「医者やその診療がもっと信頼されて安心して頂けるように、気を付けていかなきゃいけないな」とも思います。
認知症が治る
認知症には様々な原因があります。そもそも、認知症とは「一度発達した知能が衰えて、日常生活に支障が出ている状態」といったくらいの曖昧な定義で、特定の病気の呼び名ではないのです。そのため、患者さんが多く有名なアルツハイマー病も、頭に水が溜まる水頭症も、同じように「認知症」と呼んで間違いありません。
時々、「認知症を治す」といった表現を見かけますが、アルツハイマー病は現在のところ根本的に治す治療法がありません。「治る認知症」としてよく例に挙げられるのは、水頭症です。中でも「特発性正常圧水頭症」の患者さんが多く、特に原因ははっきりしないまま頭の中に水が溜まり、その水を手術などで抜くと良くなるのです。でも、申し上げにくいことですが、実はあまり良くなりません。特に、3大症状である「もの忘れ」「歩行障害」「失禁」のうち、認知症といわれる所以である「もの忘れ」は、一度生じたものがすっかり無くなることは期待しないでくださいとご説明するくらいです。
他の「治る認知症」には、ビタミンや甲状腺ホルモンの不足などがあります。それらも長期にわたると、「廃用」と言って使わないことによる衰えが起きますので、やはり治療しても元通りというわけにいかないこともあります。例えば、寝たきりになると足の筋力などが衰えますが、寝たきりの理由が治ってリハビリをしても、高齢者ではなかなか元通りには歩けないこともあります。これが廃用です。脳の廃用は、足よりも治りにくいです。脳を作る神経組織は、筋肉や骨よりも作り直されることが難しいです。また、脳はとても複雑な働きをする臓器で、胎児期に作り始められてから機能的に完成するのは20歳過ぎともいわれ、その長期間の道筋を高齢になってから再度辿ることは困難です。
一方で、劇的に治ることも多いのが「せん妄」です。これは、例えば入院して環境が変化したり、病気や治療による心身のストレスを受けたりして、一次的に夢をみているような認知症のような状態になるものです(厳密には認知症に分類してはいけません)。せん妄の中で大怪我をしたり、尊厳を失うようなことがご本人ご家族の記憶に残ったりしてはいけませんが、そうでなければ「あれは大変だったね」と後々患者さんと笑いあえる幸せな時もあります。
いずれにしろ、認知症が疑われる時には受診して適切な診断を受けることが大切ですし、世の中に溢れる玉石混合の情報に踊らされてはいけないことも当然です。それにしても、「治る認知症」を信じてドクターショッピングをしたり穏やかならぬ患者さんご家族にお会いすると、その方が大事そうに見せて下さる切り抜きなどを書いた人に対して、なんて罪作りなことをしてくれたんだと思ってしまうのです。
急になる認知症
年をとると物忘れが増えてきて、人によっては年齢相応を超えて、だんだんと認知症になる。典型的な認知症のイメージはこのように、年単位でゆっくり進むものだと思います。日本人の認知症に多い、アルツハイマー病や脳血管性認知症(いわゆる「隠れ脳梗塞が積み重なって起こる認知症」など)が、そうだからだと思います。
ところが、一夜にして「認知症」になってしまう病気もあります。これをアルツハイマー病などと同様に認知症と呼ぶかは、その場の定義次第ですが、少なくとも患者さんの状態としては「まるで認知症」に、あっという間になってしまいます。
その原因の一つは、特殊なタイプの脳梗塞です。脳梗塞が、頭の横の奥の方にある海馬という所から後方にかけて発生すると、記憶障害に加えて、日常生活の行動も上手くできなくなります。脳の後方の障害により見たものを理解したり、上の方の障害により複雑な行動をしたりすることも難しくなるからです。一方で、単純な視力は保たれますし、手足も完全に麻痺するわけではありませんので、「まるで認知症」にも見えます。
脳梗塞の他に、ウイルスなどが脳に感染する脳炎に罹ったり、痙攣はしない静かなタイプのてんかんを高齢になってはじめて発症したりして、数時間で「認知症」になってしまうことがあります。
いずれの「急な認知症」に対しても、「明日になったら良くなるかな」などと待たずに、早く病院を受診して頂きたいと思います。有効な治療が存在する病気も多いですし、早い方が良く治ることも多いです。間に合えば、夕方以降にやっている救急外来ではなく、日中の脳神経内科を受診されることも、解決への近道です。
知的能力の個人差
脳を専門とする立場から、個人の能力について関わってきました。また、子どもの頃から自分の能力は気になってきましたし、今では母となって、我が子の能力の種類や程度や、それをいかに伸ばすかに興味を持たざるを得ません。
言葉の能力や計算の能力に、コミュニケーション能力や、いわゆる運動神経。一定の職業で発揮される、総合的な能力。複雑な能力になるほど、環境の影響も考えられはするでしょう。それでも、いずれにしろ能力は「個人の持ち物」である時代が続いてきました。
しかし最新の脳科学では、能力とは「個人と個人の間」に発生し、測定されるものという見方が登場しています。例えば、今までなら、ある一人の脳MRIを撮りながら言葉のテストを行いました。そして、その結果から「脳のこの場所で言葉の課題を処理していて、この人の点数は何点で良くできた」などと判断されていました。それを、二人組でやると、ペアを組む相手によって違う結果が出ることが分かってきました。
つまり、私がAさんと会話しながら脳MRIを撮りつつテストをする時と、Bさんと会話しながらの時では、テストの成績が変わるばかりか、使う脳の場所も違うのです。そうすると、「私のテスト成績」だけでなく、「言葉のテストをする時に使われる脳の場所」さえも、固有ではなくなるのです。
また、能力が育っていく場所も、「個人の中」から「個人と個人の間」へと、科学の見方が変わってきています。端的に言って、赤ちゃん一人ずつの脳や体の発達から、養育者との間に形成される愛着関係の中で育っていくものへと、考え方の重点が移されてきています。
決して「母性神話」のようなものを支持する潮流ではありません。ただ、例えば私の仕事で言えば、脳に障害を負った患者さんを個室でペーパーテストして、「あなたは何点なので、日常生活でも今後これができません」と決めつける時代ではなくなったということです。患者さんに対する私の働きかけを変えれば、患者さんの反応も変わるだろうという、希望を持てる時代がやってきたと思っています。
認知機能を低下させるもの
飲酒運転は絶対に禁じられています。アルコールにより、認知機能や運動能力などの脳の働きが抑制されて、事故の危険が高まるからです。
アルコール以外にも、このように脳の力を下げるものは、たくさんあります。アルコールと同じように、一時的な影響が大きいですが、程度を超えて積み重なると不可逆的になることもあります。
一部のお薬には、添付文書と呼ばれる説明書に「飲んだ後は運転や危険作業を控えてください」と書いてあります。脳の力を下げるからです。身近なものでは、花粉症などの時に飲むアレルギーの薬でもあります。睡眠薬や安定剤も、眠くなるのでわかりやすいですが、そのようなものが多いです。
睡眠不足も、もちろんそうです。寝不足のパイロットは良くない、というのは当たり前に思われますが、当直という夜勤あけの医者の治療成績も落ちることが証明されています。でも、一昔前までは当直あけに休みがある方が珍しかったですし、今でも実はそうかもしれません。「眠そうだけど慣れた仕事はまあできるだろう」くらいに思われがちですが、データははっきりとそれを否定しています。
私は少しばかり体が弱い子どもを育てているので、いつもできるだけ細やかな変化にも気づいて、速やかに対応してあげたいと思っています。寝不足になってしまうことはありますが、避けられる物質は避けています。お酒は元々そこまで好きじゃないことはありますが、付き合いもあって週に何日も飲んでいたのが、妊娠を考えた時から止めました。禁酒しなければいけない授乳の期間が終わっても、もしものことを思うと再開する気になれません(お付き合いで口にすることが全くないわけではありませんが)。これは何の自慢でもありません。脳の専門家として脳を知っているつもりなので、少しでも飲んだ後の、自分の育児能力が信じられないからです。
闇雲に、あれもダメこれもダメと言われても、守れるものではないと思います。ただ、脳の力を下げるものやその程度だけでなく、生活習慣病を予防するダイエットに関する知識もそうですし、まだまだ色々な事実の周知が足りないなと思います。他力本願ですが、一人の臨床医の手に余ることを、やってくれるのは誰だろうと考えています。
いろいろな失語症
「失語症」という言葉をご存知でしょうか。脳の障害により、言葉をやりとりする機能が難しくなってしまった状態です。ぱっと思い浮かべられるのは、言葉が出ない、発話が障害されるタイプだと思います。
失語症には様々なタイプがあります。先ほどの喋れない失語症である「運動性失語」と違って、言われていることが理解できないタイプである「感覚性失語」もあります。だいたい、理解できないタイプでは何かしら喋ることはできますが、内容が伴わないことも多いです。つまり、口から音は出せるし、単語としては正しい音であったりもしますが、文章としては成り立っていなかったり、短い文章になっていても文脈に合わなかったりします。そして、こちらが「手を挙げてください」などと言葉でお願いしても、患者さんには通じないのです。
更に他のタイプとして、喋ることも理解することも一通りはできますが、脳の中でそれらが上手くつながらない場合もあります。例えば、「言われたことをそのまま繰り返して言う」ことが難しくなります。
脳の中では、喋る場所と、理解する場所と、それらを連絡する場所が異なります。そのうちのどこが障害されるかで、異なるタイプの失語症になるのです。更に、口頭言語と読み書きも、脳の違う部位が担っています。概ね、喋れないと書けない、理解できないと読めないことが伴いがちですが、色々な場合があるので、診察ではそれぞれの能力を診させて頂いて診断していきます。
失語症になる原因は様々で、脳の病気は基本的に全てといっても過言ではありません。脳卒中や脳腫瘍、脳炎に頭部外傷などです。また、先天性と呼ばれる生まれつきのものや、発達の過程で生じたりする、小児の失語症もあります。認知症でも、例えば典型的なアルツハイマー病では記憶障害などから始まって、進行すると失語症になりますが、失語症から始まる認知症もあります。前頭側頭葉変性症などと呼ばれる認知症にも、言葉が出にくくなることから始まるタイプがあり、患者さんは多いとは言えませんが、決して稀ではありません。また、その原因は今のところ不明であり、誰がそうなっても不思議ではありません。
私が忘れられない患者さんの一人に、中高年の男性で脳梗塞により突然、喋れないタイプの失語症になった方がいます。発症して数週間の時でしたが、会話にならない会話をしていて流された涙の奥には、どのようなお気持ちがあったことでしょうか。また、認知症による理解できないタイプの失語症で、「意味不明なことをペラペラとしゃべっている」状態の高齢女性もいらっしゃいましたが、その心の在り方を考えると、更に切なくなります。
言葉というものは不思議なもので、完全に後天的な機能でもなく、「生まれた時から言語の原型は脳に刻み込まれている」という説も有力です。また、「言葉のない思考はあるのか」といった哲学的な問題もありますし、催眠術というのも実際にあって、トランス状態への導入には言葉が重要な役割を果たします。
失語症の治療としては、何よりもまず原因となる病気の治療がありますし、リハビリテーションも年々進化していると思います。でも、やはり脳やその機能は、ある程度以上が不可逆的に障害されることが多いのも現状です。
それでも、新しい生活を整えて、新しい関係で何とか上手くやっていく患者さんを見ていると、人間の強さを感じます。私自身、病前の患者さんと比べて悲しんでばかりいてもしょうがいないし失礼でもあろうので、目の前の患者さんを見て、それに適した関係を築いていくようにしています。たとえ言葉を失っても、人間は人間でしかないということを、患者さんから教えてもらってきたということだと思います。
脳による、いろいろな「見えない」症状
神経内科医で小説家でもあるオリバー・サックスの作品に、「妻を帽子とまちがえた男」というタイトルのものがあります。何をどう間違えたら妻と帽子を取り違えるのか、と思いますが、要は「何かしら見えるけれども、正確に理解できない。そのため、文脈や状況で判断してしまう。だから、帽子があると思ったところに妻がいると、手に取ってかぶろうとしてしまう」という話です。
ヒトの視覚はカメラに例えられたりしますが、眼球から網膜までは似ていると思います。その後、「目で見たもの」は視神経を情報として伝わって、脳に入って情報処理される過程を経ます。最終的には、大脳の後方にある視覚野に到達します。更に、視覚野の前方や上方の脳が司っている、言語機能や図形などを認識する機能の助けを借りたり、記憶や知識と照合して理解する過程が加わったりして、「真っ赤で美味しそうなリンゴだなあ」と認識されるのです。
「見えない」症状には、前述した視覚処理過程のどこが障害されるかによって、様々なパターンがあります。例えば、色・形・素材感など、それぞれの要素のうちどれが分かってどれが分からないかの組み合わせだけでも、バリエーション豊富です。また、止まっているものは見えないけど、動くと何かが動いていることは分かるので、「視力検査では数字がでないけどキャッチボールはできる」という患者さんもいます。逆に、「動きが分からなくて、世界が連続した動きではなくパラパラ漫画のようにしか見えない」という方もいます。更に、顔の識別に限って難しくなる「相貌失認」という症状もあります。顔というのはヒトにとって特別なものであり、脳にも特別に「顔を見る」ための特定の部分があるのです。相貌失認の患者さんは、声や服装や雰囲気で人を「見分けて」いるので、中には自分でも相貌失認だと気づいていない人もいると言われています。
「見えない」症状と裏表で、チカチカした光が見えたり、視野が全体にぼやけて見えなくなったり、眼科に行くような症状が脳の機能障害で起こる場合もあります。人影などのもっと複雑なものが見えることもあり、そうなると幻覚といえばそうですが、脳梗塞などで物を見るための脳部位のみが障害されて起こることがあります。精神症状と脳機能障害を厳密に区別することは難しいですし、精神疾患によるものと脳梗塞などの内科疾患によるものと、どちらがどうということもありません。ただ、高齢者に突然幻覚のような症状が生じた場合、脳梗塞などでメカニズムがはっきり説明できて今後どうなるかも目途がつきやすいと、安心してもらえる場合もあるかなと思います。
手は動くのに、作業ができない。脳による「行為」の障害。
失語は、脳の障害による言葉の問題です。一方、眼科では問題ないのに、脳の認識の問題により「見えない」障害は、失認と呼ばれます。同じように、麻痺は無くて手は動くのに、複雑な動作ができないような状態は、行為の障害である失行(しっこう)と呼ばれます。
例えば、「さようならの時の、バイバイと手を振る動作をやってみてください」と言っても、失行の患者さんは上手くできません。私がやってみせても、真似もできないことが多いです。「ノコギリで丸太を切る動作をやってみてください」と言っても同様にできませんが、実際にノコギリと丸太があればできる場合もあります。
大脳のてっぺんの辺りにある頭頂葉という場所に、単純な動作を組み合わせたり、目で見たものを真似して自分の動作として出力したりといった脳の機能があります。失行は、それが障害された、高次脳機能障害の1つです。分かりにくい症状ですが、意外によく出会います。アルツハイマー病の症状としても珍しくありません。「こんなこともできなくなって、もの忘れが進んで」と思われていることもあるかもしれません。
家電が上手く使えなくなって、ご飯をちょうど良い時間や硬さに炊けなくなったり。エアコンやテレビのリモコン操作が難しくて、使わなくなったり。そのような日常生活の症状には、記憶障害や失認など様々な原因の影響が考えられますが、主に失行による場合も少なくありません。その症状を治すにはどうすれば良いのかもケースバイケースではあります。しかし、脳梗塞のように再発予防が重要な病気によって起きている場合に、症状の診断をきちんとすることは第一歩です。また、アルツハイマー病のような現時点で「治す」ことが難しい病気の時も、「見ること」にはどのくらい問題があって「行為を組み立てること」にはどのくらい問題があるのかを解明することで、解決策が異なってきます。個人的には、リモコンの主電源以外のボタンにカバーをするとか、ご飯を家で炊かずに買ってくるような、複数の原因に共通して有効でさっぱりした変更が好きですが、そうはいかない生活背景の方もいらっしゃるので。
さて、失行という症状が有名にならない原因の一つでもあると思いますが、診察室ではなかなかここまでの詳しい話に至りません。時間の制限も確かにありますが、医者は診断や治療の判断については教育されていますが、患者さんに症状を解説し一緒に生活を考えていく訓練は、あまり無いためでもあるように思います。医者の話を上手く引き出してくださる患者さんご家族の診療では、私たちもお話しながら理解が深まる経験をさせて頂いています。
医療費の無駄
多くの医者は、お金のことを余り考えずに診療を行っています。開業の先生は違うかもしれませんが、勤務医では経営者からお金のことを言われても、大して理解していないように思います。医療費に関しては、医学部でほとんど教育を受けていません。たまに、「ではこれからCTを撮りましょう」と患者さんに言うと、「費用はいくらですか?」と聞かれたりしますが、全然答えられません。検査費が固有なのか、目的とか他の検査とかの組み合わせで変わってくるのかも、知りません。自費の妊娠反応検査がうちの外来では3000円とか、知っているものもわずかにありますが。
それでも、「医療費の無駄って多そうだな。税金も使われているのに」と思うことは、たくさんあります。いわゆる「無駄な検査」はたくさん行われています。医者と患者の慣れあいというか、保険を使ってやるべきではない検査だったり。よく考えたら、やってもやらなくても結論に影響しない検査だったり。また、物品を無駄に使うことも多いです。注射器や針や、そういった細かい物品の多くは、滅菌されて個包装されていて、使い捨てです。開けてうっかり触れば、もうゴミ箱行きです。値段も知らないので、「ちょっとこれをしたい」という時に、「これが使えそう」と言って適当に選んだ物が、実は高かったりします。医者が自由に出せる物品もあるので、暇つぶしを兼ねた手先の練習に消費するだけで、いくらかかっていることでしょう。最近では現場にもコスト意識が浸透してきて、物品入れに値段が張りつけられていたりもしますが。また、看護師さんの方が値段を伝えられていて、「これは高いから考えて」くらいのことを言われたりもしますが。
集中治療は莫大な費用がかかります。様々なモニター類、呼吸器、血液を入れ替える器械、それらを管理する人たち。桁違いという言葉そのものです。でも、その患者さん一人ではなく、知見を活かして今後多くの患者が救われることになるかもしれません。では、オーファンドラッグと呼ばれる、希少疾病用治療薬はどうでしょうか。直接的にその病気の患者さんは今後も増えないかもしれませんが、似たメカニズムの薬が、多くの人が罹りうる病気に応用されたり、人間の体への理解が深められたり、また社会の多様性にも貢献すると思います。このあたりはケチられたくないところです。また、人件費の割合が多いと言われますし、実際にブラブラしている時間がある医者も少なからずと思います。でも、患者さんの急な変化の時(結構良くあります)の人手や、教育や研修を兼ねていることを考えると、「減らさないで!」と思います。
職を失いたくないので、自分が所属する病院のことは言えませんが、病院の経営陣から理不尽とも思えるお達しが来ることを、ニュースや知人から見聞きします。「うちの病院にこういう患者を集めるために、こういうキャンペーンをしたいから、その実務はよろしく」といった「現場に丸投げ」と揶揄された話もありました。病院役員の少なからずが臨床医師出身なので、「経営のプロでもないのに。だからこんなおかしなことになるんだ」と悪口を言いたくなったりします。実際に、結果が伴わず現場が混乱だけして、朝令暮改のことの方が多く感じます。更に言えば、効率が悪いと考えられた診療を制限するなど、「もともとはお医者さんなのに、どうしてこんな患者を切り捨てるようなひどいことを決められるんだろう」と思うことも多いです。
これからも医療を継続していけるように、ぜひプロの手で費用面も改善していって欲しいものです。その際には絶対に、弱い者(患者)を守るという医療の本質は守っていきたいです。
病名告知という、悪いニュースを伝えること
相手の方にとって人生でそんなに何度も無いであろう、例えば「難病」の診断を告げる時が、私には多くあります。
皆様の中で「難病」をお持ちの方は、少ないとは思います。でも、何かしらの慢性的な病気だったり、あるいは医学的な状態ではなくて社会的な何かであったり、ある程度は重要かつ嬉しくないことは、多くの方で何かしらあるのではないでしょうか。また、それらを告げる方の立場である方もいらっしゃると思います。
仕事をはじめて何年か経って、自分だけで病名告知をするようになった頃は、正しく診断することや患者さんにお伝えしたい今後の治療や症状を話に詰め込むことに、一生懸命でした。そのため、今思うと、患者さんのお気持ちを考える余裕があまり無かったように思います。その後、意外な患者さんに「私はまだこの病気を受け入れていない気持ちなので」と何年も経ってから告白頂いたり、また私自身が家族の慢性的な病気を経験したりして、「告知される」ということを改めて考えるようになりました。
最近になって良かったなと思うことは、「同じ病名で5年、10年お付き合いさせて頂いた患者さんの中には、こんな方もいます」とお話できるようになったことです。「前より家事に時間はかかるとおっしゃいますが、お一人暮らしで買い物に行って自炊をされている方もいますよ」などというように。駆け出しの頃も、診断後5年、10年経った患者さんに「はじめまして」でお会いすることはありました。でも、自分自身が診てきた患者さんのことは、より実感として理解できている気がします。また、もっと若い頃だったら「個人差があるのでお答えできません」と言ってしまったであろうことも、たとえその方が正確な答えであったとしても、「具体的に話をする」ことで何か希望のようなものを持って頂けるようだと感じるようになりました。知識ではなくて、物語のもつ力を感じます。
嬉しくないことを告げるとき、勘違いの入った同情をすることは良くないですが、「ちょっと困りましたが、いっしょに考えて対処していきましょう」というスタンスで、私自身も「嬉しくはないよね」という気持ちを正直に持つようにもなりました。以前だったら、「こちらにいらっしゃる方には同じ病気の方が多くいますので、そんな悲劇と思われても困ります」くらいの強さを、医者は持たないといけないかと思っていたのですが。
今は、上に書いてきたことを、若手に伝える立場にもなりました。皆様も、「難病を告知される」ことはそうそう無いでしょうし、その際はご自分のことだけをお考えになって欲しいですが、機会がありましたら医者に対して診療の感想をぜひお伝えください。診察室はもっと、人間らしい気持ちのやり取りにオープンであるべきだと思います。特に、診断はAIができる、情報はネットで得られる、治療はロボットが出来るという時代がやってきているこれから。
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