母の入院:入れ歯ラプソディー その2
見慣れないお顔問題
母の上下一揃いの入れ歯が、彼女の状態を知るのに重要なアイテムになっていた、という話の続き。
母の状態というのは、「病状」と言い換えてさしつかえありません。
入院は「転んだこと」がきっかけでしたから、最初は「ケガ」として扱われておりました。
しかし、背中に激痛があったことと、どうも転んだきっかけであるところの左脚に力が入らないという症状が“アヤシイ”というので、様々な疑いのもと、検査が始まりました。
CTスキャン画像診断の結果、脊椎に良くないものがあるのがわかりました。激痛の場所とも符合してましたから、これは「骨癌」であろう、と見当がつけられました。
「骨癌」は本当に痛い病気です。
脊椎の骨の一つがずれ、つぶれかけていました。それだけでなく、背骨全体の骨密度が、かなり心もとないことも、その画像は知らせておりまして、これはもう「念のために立ったり歩いたりしない方がよいであろう」、ってことになりました。
神経内科の医者が診てくださっていましたが、恐れたのは仮にこれが悪性腫瘍なら、患部からの浸潤で四肢にマヒが出ること。もうひとつは万が一圧迫骨折などしたら、たちまちまったく動けない状態になるだろう、そうなるとお手上げだ、ってことですね。
老人を得意とする急性期の病院でしたから、何にせよ「用心する」「リスクを避ける」方針になります。
つまり、母はつい昨日まで自分で歩いていて、買い物にも出てたし、階段の昇り降りも問題なくしていたにも関わらず、病院に入ってからはトイレに立つ時もナースコールで看護師を呼ばねばならないと指導されたのです。
CTスキャン画像が出てからは、トイレに立つのも禁止。
いきなり寝たきりのオムツ生活に突してしまいました。
ベッドのギャッジアップも21度までに限る、とか、脊椎に圧がかかることを避けるように言いわたされました。
それがどれほど不本意なことかは、想像に難くないでしょう。自分で立って自分のことをしてはいけないわけですから。
トイレはもちろん、着替えるのも、食べるのも、食後歯を磨くのも人の手を借りなければならないのです。
トイレも着替えもプライバシーですが、「入れ歯もプライバシーだよなあ」とあたしがつくづく思ったのは、母が入れ歯をはずした時の顔を見た時でした。あたしはそれをそれまでまともにみたことがなかったのです。
いきなりの要介護 いきなりの老け顔
母は89歳だと言うと誰もが驚くほどにお顔の皮膚にシワがなく、ほうれい線もほとんど目立たず、つやっつやのつるつる。したがって年齢から考えると恐ろしく若く見える人でした。
メイクで若作りをするってのも可能なのかもしれませんが、80を過ぎてからはあんまりメイクをしなくなっておりまして、彼女に関していうと、メイクのせいで若く見えていたわけではないのですね。
もう本気で顔が若い。・・・・・・ああ、すっぴんの顔もプライバシーだって人も多いかもなあと、今思い至りましたが、母の場合そのへんはもうすでに「開陳」されていたといっていいです。
オシャレな人でしたから、メイクなしで外出するようになった時はあたしもたまげましたけど、でもじきに見慣れました。
それによってぐぐっと老けたということはなかったように記憶します。
しかし歩いて2分の八百屋に行くにもストッキングとパンプスで、口紅ひいていた時代のほうが、圧倒的に長いですから、「近所はすっぴんで歩くようになった」という、たかだかそれぐらいのことが印象に残っているのです。
しかし、入れ歯をはずした顔は、もう全然、まったく見慣れない。
どうにも母に見えませんでした。
一気におばあさんになってしまった、という印象でした。
入れ歯は「母らしさ」を支える必需品
入院の前半に関しては、食事のあと入れ歯を洗ってもらうと、母はすぐにそれをはめておりました。眠る時もはずしていなかったのじゃないかと思います。
見舞客は大変親しい人達ばかりだったのですが、たまたま入れ歯をはずしている時間に行きあわせた人たちは、みんなその見慣れなさに驚いていたようです。
「これ誰?」みたいな感じですね。
「らしくない」というべきでしょうか。
入れ歯なしだとしゃべり方も微妙に変わります。「さしすせそ」などは上顎がひっこんでいると、ちょいと難しいでしょう。
しゃべる内容は相変わらず明晰で、少々皮肉なばあさんのままですから、そのギャップも少々悲しいです。
あたしはその入れ歯を、母の一部であるように思いました。彼女の「らしさ」を支える必需品ってことです。
しかし、その象徴的な必需品は、病状の進行とともに、意味合いを変えて行ったのです。見慣れたお顔であることよりも大切なことはいくつもあるのでした。
ある時お見舞いに行くと、母が入れ歯のないお口でこういいました。「入れ歯はどこに行ったのかしら?」
つづく
写真は母が最後に履いていた普段履きの靴。病院に入った時の靴です。どれほど「再び靴を履いて歩きたい」と願っていたかと思うと、胸が痛みます。