[読書メモ] くらやみに、馬といる / 河田桟
くらやみに、馬といる
立石の書店 POTATO CHIP BOOKS で偶然手に取った本。真っ黒なカバーと横長の珍しい装丁に惹かれて購入した。夜の暗闇で馬と過ごす不思議な体験を共有できる作品。これまでに読んだことが無いタイプのノンフィクション・エッセイで、文章には深い洞察と温かみがある。日々の喧騒から距離を置いて頭を休めたいときに読むべき一冊。
近眼の不便さは、日常の日中にのみ感じる価値観であること気付かされる。居心地の良い暗闇かつ自然の中においては、近眼の不便さから確実に開放される。
言葉が表現できる限界について様々な有識者が語っているが、筆者独自の感覚と視点による表現が興味深い。確かに暗闇で見えていたものを明るみで見たとき、全く感じ方が違う。夜の森と昼の森の違い、暗い部屋で見る家具と明るい部屋で見る家具の違いなど、自分でも経験したことのある例は枚挙にいとまがない。
ここでは、暗闇の中で感じる陽の部分(温かみのようなもの)が、明るみの中では見えなくなってしまうことについて説明している。
同じ本を読んでも年齢によって感じ方が変わる。同じ景色を見ても自分のメンタルコンディションによって感じ方が変わる。老人になってフィジカルなエネルギーが少なくなった時には、さらに感じ方が変わるのかもしれない。その感じ方はどこか達観したものになるような期待感がある。
「ここ」とは「くらやみ」が生み出す自分だけの特殊な空間のこと。ただ暗いというだけではなく馬というくらやみを共有する存在が必要だったことを説いている。経験したことが無い境地だが、妙に腹落ちする。
・OS(Operating System):コンピュータの基本的なシステム機能を提供するソフトウェア
・エミュレート(emulate):システムや機能を別の環境やプラットフォーム上に模倣して動作させること
ヒトが社会生活を営む上での共通的な言動の基盤を標準OSと呼んでいる。標準OSを持っていない人々は、エミュレートして無理に標準OSを使っているという表現は言い得て妙である。
ヒトの標準OSは日々進化している。ソフトウェア(メンタル)の進化に対して、ハードウェア(フィジカル)の進化が追いついていない様にも感じる。メンタル不調を訴える人々が年々増えていることにも関係しているかもしれない。