花時計
ここ数日、大雨が続いていた。
これから行く街はここから2~3日徒歩で進まなければならず野宿を余儀なくされる。
野営は慣れているがこれだけの雨が続くと、思うように進まないのではという意見に珍しく皆が賛同した。
急がなければならない旅だが体調まで崩すわけにはいかないと、雨がせめて小雨に変わるまでは今の街に滞在しようということになった。
それから2日この街に滞在しているが雨は止むことなくひっきりなしに降り続いている。
ロイドは部屋のベッドにあぐらをかき、剣の手入れをしていた。
この部屋にはミニキッチンがあるためジーニアス達が自炊を担当してくれている。お陰で宿代は最小限に済んでいて非常に助かる。
武器やアイテムの買い出しはとうに済んでいるしこの雨では観光も出来ない。
出来ることは部屋で武器の手入れをするか素振り程度…。元々飽き性のロイドには暇つぶし等出来るはずないわけで。
「だぁー!もう、早く雨辞めよなっ」
自然界に楯突くこと等全く持って意味ないのは承知だが、窓の外で降り続ける雨に向かって憎々しげに睨み付けた。
何度目かのため息をつきながらも、手に持っていた愛刀を磨く手はやめない。
幾つかの布を使いわけて片方の剣を丁寧に磨き上げる。このやり方を教えてくれたのは丸一日姿を見ていないクラトスだ。
クラトスは現在一人部屋だったはずだ、と思い出す。
宿の空きが4人部屋と3人部屋と1人部屋それぞれ一つずつしかなく、男性陣は3と1に分かれるしかなかった。
「私が一人部屋でも良いか?」
すかさずクラトスが言ってきて皆、特に異論はなかったために部屋割りで揉めることはなかった。
部屋には食事をする程の大きなテーブルがないので共用の食堂を使わせてもらって集まって食事を取っている。でも、昨日の夜も今日の朝もクラトスを見かけることはなかった。
朝呼びに言ったらしいコレット曰わく既に部屋にはいなかったらしい。
思えばここ最近クラトスとはロクに話をしていない。
世界再生の旅でクラトスが傭兵を名乗っていた頃は他愛ない話の一つくらい出来ていたはずなのに。
話を振られることは結局殆ど無かったけれどこちらのくだらない話も真面目に最後まで聞く姿勢がロイドは嫌いではなかった。
もしかして、こちらが何かをしてしまったのだろうか?
(とは言っても聞いたところで、話さないだろうしなぁ)
口数少ない男にどう質問すれば答えをくれるのか、誰か教えてほしい。
今度は別の溜め息をついた。
部屋に閉じこもりっきりで一人でいるのも良くない、とロイドはベッド上に散乱していた布を畳みケースに仕舞うと、ベッドから下り傍らのサイドテーブルに無造作に置いていた腰ベルトを装着し磨き立ての剣を鞘に納めて携えた。
(一人でいると変なこと考えちまう。一旦外の空気吸いにいこう)
ドアノブに手をかけながらクラトスの後ろ姿が脳裏に浮かぶ。
(…クラトスも、外にいるのかな)
部屋からでる間際にちらりと窓の外に目をやるとどんよりとした曇り空に大量に降る雨。こんな中あいつは何をしてるんだろう。そう思いながらドアを閉めた。
「あ、先生!ジーニアス」
「あ、ロイドじゃん。どっか行くの?」
ロビーにあるふかふかなソファーにはジーニアスとリフィルが大量の本を傍らに無造作に重ねた状態で隣り合って座っていた。
リフィルは食い入るように本に見入っていて表情は見えなかったが上肩気味に小刻みに震えるところを見ると、どうやら「遺跡モード」に入ってるようなのでロイドは慌てて見なかった振りをした。
地を這うような低い笑い声が聞こえてきて思わず身震いする。
「あーごめんね。姉さん、街の図書館でまだ見たことない天使言語で書かれた文献を手に入れたみたいで、さっきからこんな調子で話掛けると凄んでくるからいっそ無視して」
「…大変だな…お前も、そんな感じじゃ、ジーニアスは一緒に外に行けそうにないか」
「残念だけど。あ、外行くならロビーで傘借りれるから気をつけて行ってよ」
「あぁ、また後でな」
ジーニアスを内心不憫に思いながらもそのまま受付にいた女性にお願いし、レンタル傘を借りた。
そのまま外に出ると雨風が顔に吹き付けてきてロイドの跳ねた髪が大きく揺れた。
窓から見るよりも出かけられないほどでは無さそうだった。
借りた傘を開くとロイドをすっぽり覆えるくらい大きくて綺麗な紺青色をしている。
建物から一歩踏み出すと、とととと…と傘に雨が規則的に当たる小気味良い音が何とも心地いい。
ドワーフである義父が作ってくれた丈夫な赤いブーツは雨をも難なく弾き、水溜まりが多い道ながら足取りは軽い。
何度か訪れた街なのに雨が降っているとまるで違う景色に見えてくるのが不思議だ。
傘さえあれば、雨も悪くないとすら思った。
シルヴァラントは纏まった雨が殆ど降ったことがない。
テセアラに降り立ってからサイバックに立ち寄った際に大雨に見舞われた時はジーニアスと二人でずぶ濡れになるのも厭わずはしゃいでしまった。
だが、ロイド達が今いるここはシルヴァラント。
これも世界再生の旅で各地で封印を解放した影響なのだとリフィルは語っていた。
こんな雨なのにやけに出歩いてる人が多いのは、もしかしたら珍しい長雨に釣られたのかもしれないと思った。
(俺も……この世界の仕組みを何も知らないでコレットに全てを押しつけ続けてたら…今頃こんな風に手放しで喜んでたんだろうな)
「…あれ?」
ふと角を曲がった先に小さな公園があった。
興味本位で立ち寄ってみると、ブランコと滑り台とベンチだけというこじんまりした公園の中央に一つだけ一際目を引く物があった。
「なんだこれ?」
色とりどりの花が丸く規則性を持って植えられている。
その中央には大きな長短のある針が2つ。
「それは花時計というものだ」
「!」
背後から聞き慣れた低音の声が聞こえて振り向くと、クラトスが同じ群青色の傘を差して立っていた。恐らくロイドと同じように出かける際、宿主に借りたのだろう。
驚いた表情のロイドに対し、クラトスは気にすることなくそのままロイドの隣に並んだ。
「あ、あんた今までどこに」
「…一人でここまできたのか?」
ロイドが言い終わるより前に被さるようにクラトスが口を開く。
「…そうだけど?」
「…そうか」
別にもうそこまで幼くないのだし一人で出掛けると言うのがそこまで不思議なのだろうか?とロイドは疑問に思う。
「良いだろ、暇だったんだから!」
「別に咎めているわけではないがな…」
ならこちらも、とロイドは身体ごとクラトスに向き直り改めて疑問をぶつけた。
「クラトスこそ!昨日の夜も今日の朝も何で顔出さなかったんだよっ」
「……昨日の夜は腹が空かなかったんでな。朝食は皆より遅れて取らせてもらった」
言い終わる前に納得出来るか!と口を開こうとするとすかさずジーニアスに伝えたはずだが?とクラトスは補足するがそんな話聞いていない。
思わずむくれながらロイドは無言で睨みつけるとクラトスはほんの少し困ったような表情になりながらもその視線を受け止めた。
「すまぬ、どうやらお前に心配を掛けてしまったようだな」
いつもよりほんの少し優しい声音。
何となく自分が悪者になったような気分になったので仕方なく視線を外す。
持っていた傘で顔を隠すようにして、ロイドはクラトスに背を向ける。
「…ロイド?」
その行動にロイドが怒ってると思ったクラトスが珍しく慌てた口調で呼び止めてきた。
「てかあんた、俺のこと避けてないか?」
「……どうしてそう思うのだ」
「だって、あんたやたら一人になりたがるじゃないかっ」
そう言いきってハッと手で口を押さえる。
それは単なる思い込みかも知れないから本人に直接聞くつもりは無かったのに。
親子と分かってから、クラトスが再び仲間として加わってくれたときは実を言って本当に嬉しかった。
以前の旅では当たり前のように同室になり、ぎこちなかったのは最初だけで気付けば当たり前のように剣の手入れを教えてもらったり稽古をしたり他愛ない話をするまでになった。
それが今は叶わないのかと。ここに至るまで複雑な関係にこじれてしまってるから前のようにはいかないのは分かっているけれどーー
「お前は時に聡いのだな」
その言葉にロイドの傘がびくりと揺れた。
「じゃあやっぱ、俺を避けてたのか?」
振り向いたロイドは今にも泣き出しそうな表情になっていて、クラトスもそれを見て苦しそうな表情になる。
そのまま暫く見つめ合う形となった。
雨がさらに強さを増していくーー。
先に口を開いたのはクラトスの方だった。
「…この花時計は、」
つい、と視線を花時計に移す。
ロイドも釣られて花時計に視線を落とした。
「数年前から時が止まったままなのだ」
「…え?」
確かに針の位置は現在の時刻とはかけ離れたままで、先程見たときと同じ位置から動いていないことが分かった。
慌ててクラトスを見たがその横顔は髪に隠れて計り知れない。
「私はかつて、この花時計が動いているのを見たことがある」
「え?」
クラトスは再びロイドに視線を向けた。
「アンナと…お前と共にな」
「……!」
「ここは私の母がかつて住んでた街なのよ。小さいけれど良い街でしょう?」
そう言ってアンナは幼子の手を取りながら弾けるような笑顔で振り向いた。
アンナの胸元は相変わらずエクスフィアに寄生されたままなので、この時期にしては厚着せざるを得ないアンナは暑いのか少し顔が赤らんでいる。
「アンナ、あまり無理をするな。また熱が出るぞ」
エクスフィアの影響もあるのだろうが、アンナは事あるごとに体調を崩しやすい。
アンナはどこまでも真面目なクラトスの態度に心底残念そうに肩を落とした。
「そんなことは分かってますー!でも今日はどうしても買い出ししなきゃだものね。たまにははしゃいでもいいでしょ?今日はとても気分がいいの」
ここぞとばかりに甘えてくるのは流石妻と言うべきだろう。
仕方ないとばかりにクラトスは小さく溜め息をつくと、幼子のもう片方の手を取る。
すると幼子は太陽のように笑いながら
「おとーさん!」
と呼んでくれるのがくすぐったい。
アンナと目配せするとその両手を思い切り上へと上げてやる。キャッキャ言いながら身体が空中に浮くのを楽しむ。
最近お気に入りの遊びらしい。
だいぶ人通りも多くなってきたのでクラトスは幼子と同じ目線になるようしゃがみこむと。
「ロイド、肩車でもしてやろうか」
ロイドと呼ばれた幼子はぱぁっと嬉しそうに顔を輝かせて父の背中に飛び込む。立ち上がった瞬間あっという間に空が近くなったように感じたのか、ぐんと右手を上に伸ばした。
「のいしゅよりたかーいね」
「フ……そうか」
肩に乗せたロイドに髪を操縦桿のようにされ無造作に引っ張られてもクラトスは気にするどころか嬉しそうに見えて、側にいたアンナは小さく笑った。
「…ねぇクラトス、ロイド。あの角を曲がった先に公園があるの。寄ってもいいかしら」
「別に良いが…何かあるのか?」
「見せたい物があるのよ」
「「みせたいもの??」」
二人して首を傾げる姿はまさしく「親子」でアンナはとても幸せな気分になった。
「あ、ほら!これよ」
「……!」
「おはないっぱい!これなーに?」
「これはね。この街名物の花時計よ」
小さな公園に似つかわしくないくらいの大きな花時計は周りを囲む花々が朝露に煌めいて神々しくも見える。
時計がまだ昼時にすらなっていないことを伝えてくれている。
だがその時計の何らかの違和感にクラトスはいち早く気づき、固まった。
「ーーークラトス?どうかした?」
「……あ、いや、立派な花時計だな」
「でしょ!ずっと昔からここにあるらしいのよね」
「ねぇおとーさん!ロイド、おかーさんのとこいくっ」
ロイドが頭上でそう言うのでクラトスは再び身を屈めロイドを下ろしてやる。すぐにロイドは母の膝元にぎゅっと抱きついた。
「…ねぇ、クラトス」
ロイドと同じ目線になるように屈んで、愛おしそうにその頭を撫でる。
「いつかロイドが大きくなったら、また三人でここに来れるかな」
「…どうしたのだ?急に」
クラトスを見上げた瞳は優しく細められていたが、同時に悲しそうにも見えた。
ロイドはアンナから離れると一目散に近くにある滑り台へと走っていくと、アンナはゆっくりと立ち上がった。
「時折思うんだ。今、この瞬間こそが奇跡なのかなって。当たり前のような日々は当たり前ではないんだって」
「そうだな…私達は追われてる身だ。いつ何が起こってもおかしくない」
うん…とアンナは静かに頷いた。
今この瞬間だってどこかに敵が潜んでいるかも知れない。
アンナは胸元にあるエクスフィアを服越しに触れた。
「クラトス一つだけお願いがあるんだけど」
「…お前の一つだけと言うのは聞き飽きたな」
「もー!今それ言うかなぁっ」
その様子に幾分空気が和んだ気がして、クラトスはつい口元が綻んだ。
アンナもそんなクラトスを見てほっとしたように笑った。
「聞こうか」
「え?」
「頼みがあるのだろう?」
「……うん」
この流れで改まって言うのが気恥ずかしいのかこめかみ付近をポリポリと掻きながら言葉詰まらせる。
「 」
「!……アンナ、それは」
二人の間をザァッと風が吹き抜け、アンナの跳ねっ毛のある鳶色の髪が大きく揺れる。
一瞬見せた表情をひた隠すかのように彼女は笑っていた。
クラトスは何故かそれ以上の言葉が口からついて出てこず、ただただアンナを見つめていた。
やがてロイドがこちらに走ってきて今度はクラトスの膝元にしがみついた。
「ねーおとーさん!あれ、なぁに?」
「あれ?あぁ…ブランコのことか」
「ロイド、おかーさんと乗ろう!あ、クラトス。私とロイド対クラトスでどれだけ高く上がれるか競争でもする?」
「アンナ……本気か?」
「いーじゃない!たまには遊んだって」
「………はぁ、」
「ほらほら、行こう?」
もう何も言うまい、とクラトスは口を噤む。
先程の言葉とアンナが見せたあの表情は何らかの覚悟が隠っていたような気がして妙な胸騒ぎがした。
己の運命に気付いているのか、或いは…。
ノイシュがぺろっとクラトスの頬を舐めてきた。
主人の感情の起伏を敏感に察知したかのように。
クラトスは無意識に今この幸せな瞬間を切り取るかのようにアンナとロイドの楽しそうな姿を、頭に心に刻み込んだのだったーーー
一頻り話を聞いた後。
ロイドはほぅ、と溜め息をついた。
滅多に話そうとしない家族の思い出は胸の奥が暖かくて切なくて、でも確かに自分がそこにいた証。
小さすぎて覚えていなかったはずなのにクラトスが話す一句一句が、その出来事を鮮明に彩り可視化されるから不思議だ。
クラトスの表情は相変わらず読めない。
「それから一年は特に危険なことがなく穏やかな日々だったのだが…アンナの体調は日に日に悪くなっていった。
クヴァルに見つかり悲惨な最期となってしまったが…どの道彼女の命は燃え尽きる手前だったかもしれん」
「…母さんは…分かってて明るくしてたのかな」
「…恐らくな」
ロイドは襟元から色褪せたロケットペンダントを引っ張り出した。
それはフラノールでクラトスに会った次の日にノイシュが咥えていた物であり、救いの塔ではこれが胸元にあったお陰で罠の矢が突き刺さらずに済んだものだ。
一度は壊れてしまったが得意の細工でほぼ元通りになっている。
蝶番を開けばそれは家族写真でクラトスと赤ん坊であるロイドがアンナの胸に抱かれている。
母の顔は幼すぎて殆ど覚えてないに等しかったがこの写真のお陰で今では母の笑顔をぼんやりと思い描ける。
「お前は、アンナに良く似ているな」
「そうなのか?」
「ダイク殿がお前を育ててくれたというのもあるだろうが、明るい性格は恐らくアンナ譲りだろうな」
そして、どちらとも無く二人で空を見上げる。気付けば雨足が少しずつ弱まっていて雲の切れ間から光が漏れ始めていた。
するとクラトスは意を決したようにロイドに向き直る。
「ロイド、私から折り入って頼みがあるのだが」
「……どうしたんだよ、改まって」
クラトスの瞳はいつになく力強く、真っ直ぐにロイドを見据えていた。
「アンナが愛したこの花時計を、どうにかお前の手で直せないだろうか」
「え、俺が?……そうしたいのは山々だけど機械系は詳しくないからなぁ。そもそもこれ、どういう技術で動いてるんだ?石炭、じゃないしな」
文明が遅れているシルヴァラントではテセアラのような魔科学やヴォルトの電力を用いた技術は廃れているため石炭が主な動力だ。
暫く周囲を確認しながら思考を巡らせ、ふとある結論に至る。
「もしかしなくてもエクスフィアか!?」
「……ロイド、ここを見ろ」
指し示す先を覗き込むように見ると、見覚えのある赤い石が数個、花に紛れて輝いてるのが確認出来た。
「私も当初見たときは驚いたが…あれはハイエクスフィアを用いたものだ。シルヴァラントに詳しいユアンによればここにはかつて大きな王国があったそうでな。国の繁栄をこのような形で表したかったのだろう。
この花達も恐らくハイエクスフィアの影響で4千年前からずっと咲き続けていると予測される」
「だから風化することなく、ここにずっと残ってたって?んな馬鹿な…」
目の前にいる男もクルシスの輝石ーーハイエクスフィアを装備しており天使化して4千年も生き長らえているのだ。信じられないことばかりだ、と首を振るロイドだがふとあることに思い当たる。
「もしかして、花時計を囲むこの花壇って…抑制鉱石ーーー要の紋そのものってことなんじゃ」
「なに……?」
クラトスは驚きに目を見開く。
頭の回転が早いロイドはそんなクラトスを置き去りにし、傘を開きっぱなしのまま押し付けるように預けると、雨に濡れるのも構わずそのまま周りに咲く花を踏み潰さないように掻き分けて中心部へと足をそっと踏み入れる。
エクスフィアがある場所にはやはり要の紋はなく土台代わりに金属に埋め込まれていて、どうやらエクスフィアから漏れる灯りを応用しているようだった。
端から見たら誰もエクスフィアだと気付かないだろう。
再び戻り、今度は花が植え付けられてる石の花壇を見落とさないようにじっくり観察しながら回る。
するとやはり花壇の側面部分には小さくまじないのような物が刻まれていた。だが所々すり減っており、恐らく風化が原因であろうと特定できた。
(これが要の紋だなんて。親父がみたらきっとびっくりするだろうなぁ)
ロイドはすかさず服の内ポケットから工具を取り出し手際よく補修を始める。
石を削る音が聞こえ始めて、クラトスはロイドの側に行くと先程までロイドが使っていた傘を上から翳してやる。
「サンキュー」と言いつつそのまま手先に集中するロイドの背中をクラトスは飽きずにずっと見つめ続けていた。
そこまで時間は掛からず。
ロイドが「よし」と言いながら額の汗を右手のグローブ越しに拭いつつ立ち上がると花壇の周囲が一瞬青く光ったような気がした。
そのまま慌ただしく前方に回り、ロイドはぱぁっと笑顔になると即座にクラトスを手招きした。
クラトスはロイドの傘を綺麗に畳みながら同じく前方に回るとーー
花時計の長針がちょうど動いたのを見た気がした。
ロイドは近くにいた人に時刻を聞きに行き、再び花を掻き分けて手作業で長短の針を現在の時刻に動かす。
再びクラトスの隣に並び、無事針が動くのを確認した途端はぁ~…と長いため息と共にその場で背中を丸める。
「……良かった。ちゃんと動いて」
ほっとしたようにうなだれるロイドの頭にぽん、と何かが乗る。
それはクラトスの大きな手だった。
それに驚いて上を見上げるとそこにはクラトスが心底嬉しそうに微笑んでいて。
あ、これ本当に嬉しいって顔だ。と分かる。ほんのたまに自分だけに見せるようになった父親としてのクラトスの表情に酷く弱い。
ロイドは慌てて顔を伏せた。
「……こんなにも早く原因を特定し、直せるとは。流石だな」
「いや、こんなのは別に…」
真っ当に褒められてしまいロイドは何も言えない。そのまま大人しく頭を撫でられていたがサァッと不意に爽やかな風が吹き始めて、ふと空を見上げたら雲の切れ間から晴れ間が見えていつの間にか雨は止んでいた。
「ロイド見ろ、虹だ」
太陽が顔を覗かせたと同時に、花時計向こうの空に大きな虹がうっすら掛かり幻想的な風景を生み出していた。
「あんなデカい虹初めてみた。綺麗だなー」
「…アンナもきっと嬉しかったのだろう」
「え?」
「息子が思い出を守ってくれた上に形はどうであれ、再び家族でここに集まれた。この虹はアンナなりのお礼かもしれない」
クラトスがそんな風に言うなんて、と茶化すまでもなくロイドは不思議とそれをすっと受け入れることが出来、右手のエクスフィアーー母の形見をそっと撫でた。
二人で見上げる空の向こうには母の優しい笑顔が見えたような気がした。
周囲にいた住民も次々と傘を閉じながら花時計が動いてるのに気づき歓声を上げながら集まってきたので、ロイドはクラトスの腕を引っ張り公園を後にした。
「良いのか?あれはお前が直したというのに」
「いいんだ。本当に大したことしてないし、二人が喜んでくれたなら」
二人、が指し示す意味にクラトスは即座に気付いたのかそっとロイドに耳打ちした。
直してくれてありがとう、と言われたロイドは今度こそ照れ臭そうにこめかみをポリポリ掻く。
そう、その仕草はアンナが照れ臭い時にしていた癖そのもので。
クラトスはその姿を懐かしそうに目を細めた。
宿までの帰り道。晴れ上がった空の下二人は歩く。
あれだけ雨が降ったはずなのに風は湿り気もなくからっと爽やかだ。
晴れ晴れした気分でロイドは歩くがふとあることを思い出す。
「で、体よく誤魔化そうたってそうはいかないからな。何で俺を避けてた?」
「だから避けてないと……しかも何故、お前限定だと思うのだ?」
「何となく」
きっぱりそう言い放つ息子にクラトスは少し意外そうな顔をして、小さく息を吐いた。
「一つ言えるとしたら、お前がまだ私を完全に仲間と認めていないようなのでな。ある程度様子を見ようと思っていただけだ」
「は?俺そんなこと言ったかよ」
ロイドは心外だとばかりに訝しげにクラトスを見るが、逆にいつになく強く睨み返されてしまいロイドは慌てて思考を巡らす。
歩みは止めずに暫く考えた後、「あ!!」とすれ違う人々が驚くほど大きな声をあげた。
「…いちいち騒がしい奴だなお前は」
「あ、あの時のか!?あんた、根に持ちすぎ…っ」
「ーーさぁ、何のことだかな」
思い出すのはミズホの里での一件だ。
魔術障壁で隠されていたらしいデリス・カーラーンが露呈してしまい世界が大混乱に陥る中、事態を説明すべく立ち寄ったミズホの里で副頭領のタイガが対応してくれた際クラトスとは初対面だったので、ロイドが説明した時のことだった。
「えっと…こいつはクルシスの天使で…」
「な、何だと!?」
クルシスや天使の因果関係については流石ミズホの民、調査済みなのだろう。普段冷静なタイガが思わず乗り出す。
後ろに控えていたリフィルは額に手を当て呆れ顔、クラトスは仕方なく目を閉じる。
「だけどこいつは俺のホントの親で…」
「な、なんと、それは真か!?」
「……」
クラトスは突如口元を手で覆い、タイガに見られないよう顔を逸らす。
そんなクラトスの姿をリフィルは冷めきった眼で背後から見つめていた。
「でも裏切り者なんだけど…」
「……」
タイガはロイドとクラトスを交互に見比べて気の毒そうな顔をしていたがロイドは気にもとめずに続けた。
「とりあえずは俺達の仲間だ」
「…………………とりあえず、か」
心底落胆したような声音のクラトスにリフィルは慌ててロイドの肩を掴む。
「ロイド!あなた、もう少し考えて言葉を使いなさい」
「へ?一応本当のこと言ってるつもりなんだけど…」
「率直過ぎるのもどうかしらね」
「…………とりあえず、仲間ということなのだな。クラトス殿、宜しく頼む」
「…………こちらこそ」
「あのときは説明するのに嘘は良くない、そう思っただけだ。それに俺はあんたのことに関してはーーー」
そこまで言いかけて頬がさっと朱差す。
それっきり口を噤んだロイドに対し、クラトスは眉尻を下げながら口を開く。
「大人気ないな、私は。お前の言う通り私はミトスのやり方に加担し見てみぬ振りをしてきた。お前達を裏切り傷付けた者が仲間と受け入れてほしいなどーー」
「そこまで!今回は俺が悪い。クラトスがそこまで気にするなんて思わなかった。本当にごめん」
あの後リフィルに呼びだされ言われたのだ。
「クラトスみたいなタイプは周りが思ってる以上に繊細で傷つきやすいのだ」と。
ロイドは時に明け透けに物を言うことが多々あり(恐らくドワーフであるダイクの影響が強い)周りからも注意されることはあった。
目の前の男は尚更気をつけないといけない。とロイドは心に刻んだ。
「よし!この際だからちゃんと言っておく」
「……」
「本気で裏切ってた訳じゃないってのは今では分かるつもりだ。それに、あんたに対して許せなかった部分は俺がクラトスにあの時勝ったことで俺に赦されてるんだ。
だから胸張って側にいろよな」
その言葉にクラトスの眼が大きく見開いた。
ロイドは真剣にクラトスを見上げているが恥ずかしいのか頬は朱めいている。
クラトスは突如ぷっと吹き出した。
今度はロイドが目を見開く。
声に出して笑うクラトスなんて一生見れないと思っていた。
この後雪でも降るのではないか?
「ふふ…っお前は、本当に…」
「別に何も可笑しいこと言ってない!」
「…だからだ」
「へ?」
「立派に成長してくれたな。我が素晴らしき息子よ」
「な、何だよ、急にそんな……」
でも、気のせいだろうか。
クラトスの眼が一瞬微かに潤んでるような、そんな気がしたけどあまりに爽やかに笑っているから。
ロイドはそれを見なかったことにした。
そして、一緒になって笑った。
クラトスがこんなにはっきり笑うとこっちまでこんなに幸せな気持ちになるんだと、心がぽかぽか暖かい。
「そうだ!この後用意してくれる昼飯はちゃんと食えよな!みんなも心配してたんだぞ」
「……後で皆に詫びなければな」
「じゃ、俺も付き合うよ。ーー父さん」
自然に口をついて出たその呼び名に自分でも驚いたけど。
呼ばれたクラトスが今日一幸せそうな顔で笑ってくれたから良しとしようか。