見出し画像

お別れ会をしたい。

こんにちは。
ただの専業主婦「おにおん。」です。

2月28日。でしたね。
もう3ヶ月も、連絡取ってないのかあ
この3ヶ月は私自身にいろんなことがあって
めちゃくちゃシェアしたいことがあって
事あるごとに
「あーこういう時!電話したい!」と
思って過ごしました。

でも「見てますよー」って言われてる気もして
そんなに悲観的にもならずにいられたかな。

彼女が居なくなってから
何のために、この出来事は起きたんだろう
何をわたしに伝えにきてるんだろう
何が今の私にできるんだろうと考えました。

私なりに解釈して
「わたしが、わたしらしく生きること」を
もっとしようと思いました。

Jerryみたいにまっすぐ表現するのって
本当に才能が必要でなかなかできない。

できないと決めつけないで
できそうなことだけやってみる。
彼女のそのまっすぐなところに
憧れていたんだ、わたしは本当は。
伝えられなかったけど。素直じゃないから。


大好きだった温浴施設で
意識を失って溺れて亡くなった

皮肉にも
あんなに泳げる彼女が
水の中で亡くなった

でも水の中が大好きだったから
最期その場所を選んだのかも知れない
そうであってほしい


この記事に出てくる

大学の先輩とも、「明日死ぬならどうします」って会話をしたところやけども、死って意外と重要よな。

この大学の先輩というのが、わたし。
前々から死生観について
話し合える関係だったな、彼女とは。

今度、死生観について講演をしている方の
話を聞きにいこうと思っているよ。
きっと聞いたらまたシェアしたくなる。
むずむずするんだろうなー

世の中のいろーんなことにいえると思うんだけど
「死ぬことを恐れすぎて
生きることを手放しちゃいけない」と思うんだ。
わたしの大好きな方の言葉に
「死ぬのは敗北じゃない。」ってある。

アナウンサーの小林麻央さんが
ガンで亡くなる前にブログに書いていた
「わたしは若くしてガンで亡くなった
可哀想な女性としてではなく
可愛い子宝に恵まれて
幸せに生きた女性として覚えていてほしい」と。
(うろ覚えなので大体こんな感じ)

長い人生の(長いかどうかは個人の解釈次第)
最期の一瞬だけを切り取って
「その人がどうやって亡くなったか」
そこだけを周りがあーだこーだいうのは
故人に対して失礼だし放っておけ。

その人の生きていた姿を見ていたなら
「あんなことしていたよね、素敵だったね」
「しあわせな人だったよね」
そういう記憶だけで良い。

Jerryは100歳まで生きたかったかもしれない
でも「元気なら」って書いてる
30歳は短かったと思う(わたしはね)
でも「来年には病気で寝たきり」だったかも
それは彼女の望んだ人生じゃなかっただろうし
いつでもこれがベストチョイスだったと思う。

死んでいい人なんかいない
ご家族の気持ちを思うと
これでよかったですねなんて言わない
けど、彼女が彼女らしく生きたことを
まっすぐ生きたことをわたしは知ってる。
絶対忘れない。

このnoteで出会った数々の
Jerryのお友達も、知ってくださってる。
このnoteに残り続ける。


ああ、ちゃんと、お別れ会がしたいなあ。
彼女が好きそうなものばっかり集めて
わいわい、賑やかな感じで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?