#26 心に、前と同じ悩みを聞いたら、軸がブレていなかった話
あきです。
このnoteの最初のほうに、「自分はアスペルガーなのかもしれないと疑った話」を書きました。
友人から「アスペルガーについての本を読んでみたら、自分にも思い当たるものが多くて少し怖くなった」と聞き、自分も確かに思い当たるわ…って気づいたのがきっかけです。
その時は、心に聞いてみたら「人間が勝手に作ったレッテルに過ぎない」、「逆に普通って何?」という答えが返ってきました。
時が流れて今、私がとらわれてるのは「私、ADHDじゃない?」。
少し前にADHDに関するマンガエッセイを読んで以来、その疑惑が頭から離れなくなってしまい…。
ADHDは大きく言うと「注意欠如・多動症」のこと。名称にもなっている二つの症状のうち、どちらが強く出るかは個人差があるんですが、私の場合は完全に前者の「注意欠如」。もの忘れしたり、めちゃめちゃ気が散ってしまったり、人の言ったことをすぐ忘れたり、あとは人の発言の奥を察せなかったり(これはASDの気もある)。
読んだマンガエッセイが本当に分かりやすく、身に覚えがありすぎて疑惑は深まるばかり…。
でも、こういうときは心に聞くそして無意識さんです。「これに当てはまるか? そうでないか?」の二極の発想で考えてしまうと、意識の世界に逆戻り。
「知らない! わからない!」テクニックと、邪魔をとってから、「心よ、私はADHDなの?」と聞くと「ADHDってなに?」とのこと。
これは前回から変わらないな、と思い、「心よ、それは注意欠如・多動症ってことだよ! 私はそれかな?」と続けると、「自分の感覚を大事にする練習をしてみて!」とのこと。「それは、自分の感覚が一般よりかけ離れてるかそうじゃないかより、自分の思考の仕方や感覚を生かすことを大切にするっていうこと?」と聞くと、肯定の感覚が残りました。
そうなんですよね。「普通」「一般」「常識」「平均」を考え始めると、どんどん苦しくなっていく。
けれど無意識の世界に立ち戻ると、そういった枠がサラーっと無くなっていくんですよね。
外の意識の世界に触れるたび、邪魔が入って苦しくなるけれど、それはしかたないこと。スパムメールが無くならないのと同じ。だからそのときには、ひとつひとつ丁寧に邪魔をとっていくのが良いんだろうな!
何より、心からの答えが大きな意味ではブレていないことに驚きました。心に聞くって、本当に最初使い始めたときはおそるおそるなんですが、こうしった大変を積み重ねていくうちに、信頼感が育っていくんだなぁと思います!
読んでくださって、ありがとうございました!