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記録は残る 希望は消えぬ 〜2020年NOLTYのCM動画〜
この動画、見られるでしょうか。
NOLTYの、2021年仕様の手帳CMの動画。
自分記録に残してあった動画が、今朝、出てきたので…見られるかしら。
2020年。
仕事も慶び事も、
社会人、学生、仕事も、慶び事も、
それまでの当たり前がなくなり、
楽しみも意気込みも、
予定がすべて、取り消された一年。
でも次の予定、次の希望への一年が始まる。
記録を記していく…
現実はどうあれ、
「手帳に書き込む」
「手で書いていく」
言葉の力を、感じる動画でした。
世界中がストップした際、もし産業や、生活する上での機能さえも不能になったなら…と想像した時、
私はそれまでより手帳ノートを文字で埋めるようになっていました。
かつて私は、近代以降の著名人たちの、記録や日記を翻刻して編集する仕事をしていましたが、
維新後、震災後、戦中戦後の厳しい中、品質も落ちてボロボロの紙に、余白もなく小さな文字でびっしりと、真っ黒になるほど書きつけた記録の数々を見てきて、
そこに個人の命の残留を感じ続けてきました。
有名無名関わりなく、
身分も立場もなく、
書くことは、魂の発動であり、
ひと目に触れずとも残らずとも、
そこに明らかな存在証明が刻まれるのを感じます。
どのような時代、不測な事態が起ころうとも、
書く力は失われないし、
書き残すことは、記録としてやがて歴史となり、
予期せぬ糧となります。
仮に電子機器が使えなくなっても、アナログは残る。
紙やペンがない世になっても、人は昔に戻り、
木簡や竹簡に燃えさしの炭、岩に刻んでも、おそらく書き続けるはず。
文字は命のしずく。
そして言葉は力となる。
それは普遍の真理であり、
未来永劫の、魂の発動の証し。
予測なく突然に、不自由で不安な時を過ごしたからこそ、気づけたことも多く、
そうしたなんらかの“狭間”を経験し、記録に残せたことは、
自分にとっての財産と思える。
そう感じられることが、書く者としての果報に思えます。