マンドリンの弦は痛かったけれど、今は…
大学生の頃、サークル活動で夢中で弾いていたマンドリンを、最近、再び取りだして、弾き方を思い出している。
自分で驚いたのは、弦を押さえても、あまり指が痛くならないことだった。
マンドリンの弦は、4本✕2。
同じ音の弦が2本並びにあり、均等に押さえて共鳴しつつ一音を響かせる。
それが美しいのだけれど…
初めてこの楽器と向き合った頃、指が慣れるまで、この二本弦は、ほとんど拷問だった。
細くて鋭く、張力が強いため、かなり深く指に食い込む。それが2本ずつあるのだから、それはもう、肉が切れるほど痛い。
十代の箱入り娘は、左手や指を酷使するほどのことは日常生活であまりなかったので、指先は餅のように柔らかいし、もやしみたいにか弱かった。
それまで、箏は弾いたことがあっても、左手指で押さえることは、限られていたし、
フルート経験でも、さほど左手指に負担はなく、
ピアノを習った時なんて、左手が不器用すぎて続かなかったくらいなのに、
マンドリンは、左手の働きが、ある意味、右の弾き手より激しい。
マンドリンを始めてから、指先のみならず、
いきなり左手を酷使したせいで、二十歳前後の数年、左手の甲に大きなガングリオンができ、腱鞘炎も相まって、眠れないほど痛くて辛かったことは、今も忘れられない。
でも、その時の鍛錬のおかげで、左手は器用になったし、特に小指の力が強くなった。
整体の仕事を覚えてから、左右の手で均等な力で、同じように指を働かせられたのは、この恩恵だと思っている。
弦を押さえる指先は、文字通り指に「二」の字を刻みつつ、最初は泣くほど痛かったけれど、
一週間ほど続けて、毎日練習しているうちに、指先にサックのような硬い皮ができ、
さらに続けると、やがて硬い皮は指の皮と同化して、普通の指と変わらなくなる。
こうなれば、もう痛くない。
マンドリンとようやく仲良くなれたようで、嬉しかったっけ。
しかし、たとえば、試験やら夏休みやらで、あまり練習しない期間があると、
今度は、一週間くらいしたら、サックのような皮が浮き上がってきて、やがて剥がれ落ちる。
次に活動に戻った時には、また一から指の皮を作り直さねばならず、痛い忍耐の日々となる。
演奏家は日々練習が欠かせない…というのは、
楽器から離れる心や音の影響もさることながら、
そんなふうな、身体のつくりから変化してしまうことが大きいのだと、痛感したものだった。
やがてマンドリン部を卒業し、上京して研究の世界に入り、さらに社会人となると、
田舎と違って、楽器の音を出せる時間帯が難しくなり、多忙にも紛れ、演奏会のような目標もなくなったので、だんだん弾けなくなり、
最近までしまい込んだまま、今に至る。
学生の頃に、なにかしら習ったり打ち込めることは、集中できる環境に恵まれているため、
本当に宝の時期だったと思う。
その後も、琴や絃楽器への憧憬は強く、
近年、真琴という絃楽器に出会い、弾き歌う活動をするようになったけれど、
これは一弦一音のハープ型なので、左手で弦を押さえて音を変化させることはない。
ツィター属の琴のような、一弦中に多彩な音階を表せたり、音をスライドさせるような音変化ができないのが、少し寂しくなり、
いい折りとも思えたので、最近、再びマンドリンを取りだして、
完全に忘れている奏法を取り戻そうと、
しばらく爪弾きながら…自分で驚いた。
指の皮ができるまで、またしばらく痛いのを覚悟していたけれど、なんだか全然痛くない。
歳をとると、面の皮同様に、指の皮も厚くなるのかな…
まぁ人並みに家事その他、力仕事をやるうちに、繊細な指先も、頑丈になったということかしら。
いつまでも白魚のような指ではいられない。
さまざまな芸能文化や楽器活動を経て、年季がそれなりに入った今の自分として、
ピックでのトレモロの定型だけでなく、
中国の琵琶のような、指での奏法も試してみようかと画策したり、
小娘の頃とは違う、皮の厚い自由な心境で、かつての盟友と向き合えるのかな…と、これから愉しみである。
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