水無月、心に刻む「大和ことのは」の心
〜 学び得よ こひねがはしき
みな月の 風のすがたを 大和ことのは 〜
歌人・正徹(しょうてつ)は、室町時代中期 14世紀、臨済宗の歌僧。
家歌集『草根集』、歌論集『正徹物語』。
この歌は「夏風」の表題にあり、
歌意は、
「乞い願わくは、水無月の風のあり様の如く、さらさらと身に染みて清々しい、やまとうたの言の葉を、学び得させたまえ」
というような心でしょうか。
和歌を志す者すべての心に響かせる一首で、
私自身の祈りとも通じ、目が覚めるようでした。
実のところ、この時代の和歌は専門外ですが、
この頃の、宮家や華族のみならず、武家や僧侶、市井の歌人の和歌に、時々、ハッとさせられる歌を見出して感嘆します。
中世後期〜近世前期は、連歌や後の俳諧に繋がる流れも隆盛しますが、
型にとらわれぬ新風を求めつつも、和歌本来のあり様を探究し、実直に、和歌の道を究めている、この正徹や、
戦国歌人の木下長嘯子(豊臣秀吉の正室・高台院の甥にあたる)の、思いを表す言葉選びが秀逸で、
この後に続く、松尾芭蕉に繋がる歌人俳諧人らに、多大な影響と学びを与えています。
和歌とは、古代の文字以前は、村などの共同体における呪術的集団祈念の祭祀や歌垣などのような、共有される共鳴思念に近いものでしたが、
文字による文学教養となってからは、それまでの伝統的な約束ごとを踏襲しつつも、
個人の感性や想いを表す、“個”による“孤”の独白手法が濃くなり、個性が際立ち、
それは早くも『萬葉集』で、大伴家持周辺の歌には、すでに個性の機微が見受けられるようになります。
平安期の、歌会などの場で公開される機を意識した創作歌の頃は、まだ虚心も技巧的作為として入る部分もありますが、
中世ともなると、それとは別次元で、禅の境地に近い、隠者の心情吐露の側面が強くなるように思います。
誰にも告げられぬ、また、語る者もおらぬ“孤高”を、和歌により発露する。
自身も和歌を創作する者には経験があると思いますが、劣等感にさいなまれ、孤独感が増し、または抑えきれぬ恋情に身を焦がすような、
心が引きこもる“孤独感”が増す時ほど、よい歌が次々と創作される傾向があります。
人知れぬ、誰にも救い得ぬ、心のうちの鬱屈を、和歌により発露する。
言葉にしきれぬ想いを、和歌でのみ発露し得る。
やまとうたの不思議であり、心髄です。
和歌に表すこと自体、隠された承認欲求のひそかな表れでもありますが、
深い森の中の人しれぬ隠り沼に、一陣の波紋が拡がるような趣の歌は、
いつか、同じく孤独にさいなまれた誰かの心を慰め、共鳴となることもある。
悩みは人それぞれ異なるけれど、孤独感や悲しみは、誰しもが覚える、人の心です。
人は、おのれの心を歌わずにいられず、
また、誰かの歌に共感する以外、慰められない心が、時としてあるように思います。
顔も人となりも知らぬ、生きる時代も環境も違う人と、貴賤もなく、心の友になれたような思いがする。
心の共鳴は、せめても孤独から救われる波紋です。
「つらい」「苦しい」「悲しい」という思いをこめた和歌は、
一見、マイナス思考のかたまりで、読む人をも落ち込ませるように見えるかもしれないけれど、
その底には、魂の奥からの、「負けない」「あきらめない」「立ち上がれ」という、力強い思念が渦巻き燃えたぎり、沸きいでているのです。
それは、言葉を超えて、真の命の波動に共鳴します。
そしてやがて、自分の孤独が、転じて、自分だけの個性と、ひとりでやり遂げる力として開花するきっかけとなることもあります。
私にとっても、和歌が歌えることが、自分が自分であり、誰でもない自分自身の感性の発露として、救われる道となっています。
今こそ、やまと心を世界波動として、
やまとことのはにより、“個”“孤”を、“共鳴”へ。
誰に伝わらなくとも、私は歌い続けます。
目に見えずとも、それは必ず、風と共に波動を乗せて周波数でこの世を満たす。
やまと歌は、やまと言の葉は、命あるモノすべての、魂の根源を呼び覚ます、たぎりたつ原動力です。
〜 隠り沼の 下ゆ恋ひあまり
しらなみの いちしろくいでぬ 人の知るべく 〜
(『萬葉集』に2首重複歌がある。
歌意は「人知れぬ森の奥に隠された静かな沼が、底より水が湧き出て、その勢いが白波をたてるように、思いのたけは、明らかな勢いとなってあふれ出ます。やがて人がそれと知るほどに」。
隠していた恋心が激しすぎて人に知られてしまうという危機感の歌ですが、隠しきれない強いおのれの想いを、覚悟と共に発露している歌とも読み取れます)