引っ越しに伴う、書籍の断捨離の悔恨
今になって痛恨…
大家事情により、今年の一月に、一ヶ月以内に緊急で引っ越さねばならなくなった際、
書籍を含め、日用品や衣類や雑貨など、八割以上を処分しました。
それまで学生の頃から数十年住んできた部屋だったので、
長年の積み重ねで、なにしろ、ものが多く、
次の新しい部屋には収納する場所がないことと、引越し費用をおさえるため、
猶予の一ヶ月で、無我夢中で持ち物を処分するしかありませんでした。
あの時は大家事情とはいえ、突然の大掛かりな身上の変化に精神が混乱し、
いずれ解体される愛着のある部屋との別離に絶望的にもなったし、
自分も、余命幾ばくもないような心情になり、
もう、ここで処分できるだけしなければ後がないと、追い立てられたようになって、
短期間で毎日、片付けても片付けても片付かない中、なにがなんだかわからなくなるほどの心理状態で断捨離し続け、
その時のゴタゴタで、今や、何が手もとにあって、何を失くしてきたか、あまり思い出せません。
特に、おしゃれより本が好きだったため、趣味で集めた小説類や、
一時は文学研究に進み、そういう仕事もしてきたので、集めた蔵書や資料が膨大(おまけに専門書はかさばる)で、
次の新しい部屋には、ほぼ収蔵は無理だったし、
研究者時代の本も、直接の専門に関するもの以外、すべて手放すしかなく、
今は研究職でもないから、死ぬまで読むこともないかもとあきらめ、
少なくとも、図書館や資料館で参照できたり、電子書籍でも確認できるものは全部手放したので、
岩波古典大系や、各資料集成等など、
まさか今になって、別の意味で、必要なことになるとは……
当時はしかたなかった処置でもあり、
全部をとっておいたら、むしろ収拾がつかないくらいの本の数だったから、
(全部を収納するために、書庫としてもう一軒借りなければならないくらいだった。前の部屋は収納スペースだけは豊富だったので)
断捨離で、最低限でも必須のものだけ残せたのは、よかったと思う反面、
もう取り返しがつかない思いにも、時折襲われます。
当時の部屋の様子や、どこに何があるかの情景や、手放した本の情景を思い出すと、切なくて心が沈む。
筆で生計を立てているのではない身の上だからと、あきらめるしかないけれど……
しかし皮肉なことに、新しい部屋になってからは、作業スペースが整えられたので、以前よりも、何かを書こうとする意欲は強くなり、
それが、一時は見失いがちだった、自分を取り戻すきっかけになったものの、
そうなるとさらに、以前はあったけれど今はない書籍や資料を思い出しては、痛恨の念にとらわれることに。
とはいえ、あれほどつらい思いで本を手放したので、また新たに本を増やす気にはなれず、
まあ、また新たに始めるつもりで、資料が記憶のどこかに片鱗しかないことを前提として、必要な資料確認をしていくしかない。
今後、図書館に行くいとまもなく、ともかくも手持ちの資料と考察だけでまかなわねばならないことも多いし、
せっかくnoteで、気合い入れて書きたいことがあった場合にも、
当面、古典や和歌の原文を、専門資料ではなく、文庫や電子書籍で確認できる翻刻から、参考資料にすることになるので、
なんとなく、無念です……