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重陽・菊…またしても?

もうだいぶ過ぎてしまいましたが、近々、能楽『菊慈童』の演目をテーマにするので、
書いておこうと思い立ちました。

  重陽の節句

9月9日は、重陽の節句でした。
1月7日人日・3月3日上巳(桃)・5月5日の端午・7月7日七夕と共に、奇数である陽が重なる、五節句のひとつ。

「菊の節句」とも呼ばれ、
菊の花びらを浮かべた菊酒を飲んだり、
菊の葉に着せ綿をかぶせ、菊の香りの氣と露を染み込ませ、それで体を拭うことで、
無病息災・延命長寿を祈願する、中国由来のならわしがあります。

菊酒にはそうした効用があるとされることから、「菊」の名がつく日本酒は多いですね。

節句として文化行事としては、有職故実関係者以外、日本ではさほど定着していませんが、
9月に敬老の日があるのも、諸説あるものの、これも由来のひとつなのかな、と思ったりします。

…閑話休題。
実は、9月9日は、私の父の命日でもあります。
苦しみもなく、何かに導かれたように、唐突に常世へ旅立ちました。平成19年。奇しくも9が3つ重なりました。
無病息災・延命長寿を祈る日が命日なんて、父らしく、今は父も、別の世で元気に笑顔で命を得ているように思え、
この日は私は毎年、重陽と父の来世を偲ひながら、酒と経文と音曲と共に、祈りの時を過ごしております。

  陽が重なる日

「重陽」というのは、究極の陽が重なる日とされます。
陰陽説では、陽は男性であり、
陽の氣がふたつ重なる、つまり“男性が重なる”、ことを意味し、

いわゆる男性恋愛記念日、みたいな意味合いもあるらしく。

私はBLは苦手……と何度か書いていますが、表現の一部が苦手なだけで、
偏見も否定もするつもりはないです。

今ふうにBL、といってしまうと、趣が変わりますが、
多くの古典作品にも、意外に男性同士、特に少年愛は見られます。

で、好きとか嫌いに関わらず、古典文学を研究していると、自然にそういう情報が入ってきて、
知りたくなくても、知ってしまう話もあるわけで。

特に、室町時代あたりから近世近代にかけて、そういう艶本みたいな書物は、公に出てこないものの、かなりあると聞きます。

日本では、僧侶や武将たちの、男社会での衆道の話はけっこう普通に知られていますし、
何かの話では、『平家物語』で有名な「敦盛の最期」の後日談で、
平敦盛を一の谷で討った、熊谷次郎直実は、出家して蓮生法師となりましたが、蓮生は敦盛の健気な美しさを終生愛して供養します。
その功徳により、あの世では、敦盛の仇の怨みも昇華し、想いも成就したことになっており、
現在、蓮生法師の墓所は、男性同士の愛を守護する聖地となっているとか。
(話で聞いただけで、詳細はすみません、ちゃんと調べていません。研究内容からはずれているし、追究する気もなかったので(汗))

重陽は、季節柄「菊の節句」と呼ばれますが、
男性愛では「菊」が、象徴的に使われているようで…
…このへんのことは、これ以上書かないことにします。

たまたまですが、恒例の神社ご奉納で、来たる秋大祭の際に、
前回は『松虫』でしたが、
今回は重陽にちなんで『菊慈童』を、即興の語り舞いとする企画を立てたので、『菊慈童』と重陽について書こうとして、

本当にたまたま、今回も男性愛にちなむ(ような)話だったっけと気がついて、こういう傾向の話題になってしまいました(汗)

  菊花に活かされる少年

さて能楽を知っていると、『菊慈童』『枕慈童』という、菊酒にまつわる不老長寿の物語から、
重陽の節句のいわれに、馴染みやすくなります。

この物語には、永遠の美少年が登場しまして…
…萩尾望都さんの『ポーの一族』では、永遠の美少年は、薔薇に囲まれ血のエナジーを糧とするバンパネラですが、
『菊慈童』の美少年は、深山幽谷で、菊に囲まれ、菊の葉に浮かぶ露を飲み、意図せず永遠の若さと命を保つ、不老不死の仙人となります。

物語としても短く、謡曲の練習に早くから使われるため親しみやすく、
「深山幽谷にひそむ、永遠の菊香の美少年」
という美しいイメージもあって、普通に純粋に、秋の季節によく謡われる題材です。

「慈童」とは、皇帝のそば近くに仕え、日常深くまで身の回りその他の世話をする、才気・美貌・品格にすぐれた少年の役職。
昔は、年端のいかぬ子供であっても、教養や礼儀をわきまえ、知性や才能を早くから発揮する人材が多くいました。
必ずしも性愛目的でなくとも、気遣いのできる才長けた子は、皇帝から重用されたろうと推察し、成人後も、皇帝の腹心として生涯務める者も少なくなかったでしょう。


中国、魏の文帝の御代。
さる山の麓に、万病に効き寿命が伸びるという、薬の水が湧くと聞き、
文帝に命じられ、臣下一行がその水源を確かめに深山に分け入っていくと、

ケモノしか住めぬような山中深くに、菊に囲まれた小さな庵があり、
中から、ひとりの美しい少年が現れます。

山中にありながら、その臈たけた美しさに、これは人ではなく妖怪が化けたモノかと怪しむと、
少年は、自分は周の穆王に仕え寵愛を得ていた慈童であり、妬みにより企まれて罪を得、懲罰として深山に置き去りにされた身の、成れの果てであると語ります。
人里離れた深山に置かれたということは、すなわち死を命ぜられたと同じです。

こんな人里離れた山中深くでは、虎や狼などに襲われたり、病毒に侵されるなど、普通でも到底生き延びることなど難しく、
その上、魏の文帝の時代から周の穆王の時代は、なんと七百年は隔たっています。
数百年も少年のまま生きるなど、あり得ません。

やはり妖怪化生の類かと、臣下たちは疑いますが、

少年は、宮廷を追われる前、穆王から、観音経の二句の偈を手づから書き添えた枕を賜った旨を語り、その枕を押し戴いて臣下たちに見せました。
帝と過ごした閨を懐かしく思い起こさせる枕……少年は、枕の経文を、日々のよすがに、山中に自生する菊の葉に書いて唱え、慰めとしていました。

すると、その菊の葉より得も言われぬ芳しい酒のしずくがしたたりはじめ、日々、そのしずくを飲むうち、ケモノに害されることも、病を得ることもなく、日々を変わらぬまま歳月を過ごしていた…
…まさか千年近くも変わらぬまま歳月が経っていようとは、少年自身もここで初めて知ります。

帝の聖徳、経文の功徳による奇瑞。
それが、麓の村まで薬の水が流れていた由縁だったのでした。

菊のしずくは、酒ですが薬ゆえ、酔うても身を滅ぼすこともなく、深山幽谷において、少年を美しいまま永久の姿に留め置いたのです。

しかし…少年は嘆きます。

生き永らえはしても、もう、もとの懐かしい時には戻れない。
待つ人もない。焦がれてやまぬ帝も、すでに御代が移り久しいという。
自分ひとりが何も変わらぬまま、数百年も、ただただ愛しい寂しい想いを抱え、命永らえて、なんの甲斐があろうか…

菊の葉の酒は、永遠に、戻らぬ懐かしい日々、恋しい人との追憶に誘うばかり。
菊の葉よりしたたり落ちるは、少年の涙の泉です。

少年は菊水の酒をふくみ、恍惚となりひとしきり舞いながら、
当代の帝の長寿延命を祈念しつつ、臣下に菊酒を託し、
再び山深くに、ひとり立ち去ります。

  永遠の涙

中国の話となっていますが、出典は『太平記』に垣間見える以外、明らかではありません。

日本には、不老長寿の水が湧く「養老の滝」伝説がありますが、その奇瑞に通じる伝承で、
東洋版・ルルドの泉でしょうか。

水は波動を留めるゆえに、聖なる水は奇跡をもたらすといい、
霊水は病を治し命を延ばすとは、どこの伝承でも見られる話で、現代でもそういう謂れの聖地があります。

酒を、永遠に絶えぬ奇瑞の水として顕彰する曲は、能楽でもいくつかありますが、
前回の『松虫』も、この『菊慈童』も、二度と帰らぬ時、失われた愛する人を偲びつつ、
絶えることなく湧く薬の酒に、とめどもない哀愁の、涙のしずくをリンクさせています。

『菊慈童』の舞は、薬の菊酒のめでたさを讃え、一見、楽しげな調子に思えますが、
内実は、永遠の生を得たことを喜ぶのではなく、
過ぎ去りし日々を懐かしみ、取り戻せぬ悔いを噛みしめながら、孤独の生をかこつ永遠に、涙する心情を帯びています。

少年にとり、その永遠は、死よりもはるかに重い罰と感じられたのではないかと思うのです。

常若の命は、誰もが夢見る憧れですが、
何も変わらず、終わらぬ生を、ひとり生き続けることは、幸せでしょうか。 


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