旅記録④詩歌管弦と関守の神・蝉丸神社
最初に、蝉丸神社の景色を俯瞰しつつ、
琴を奏で即興で歌った動画を置きます。
写真編集はあとからやりましたが、
音源は、お社の前で奏でたままの音です。
旅先の聖地の波動に乗せた響きを伝える、記録するために、
琴と共に旅しています。
…さて、道行記録はここから。
月心寺から、大谷駅へ戻り、通過、
大津方面へ逢坂の関へ向かおうとすると、
ほぼすぐに、蝉丸神社に行き逢いました。
石段下の狛犬さん。
なかなかにユニークな表情。
あとあと出てきますが、こちらの狛犬さんは、みな個性的にユニークでした。
この日、スマホカメラの状態がよくなくて、
撮ったはずの写真が記録されていないことが多く、境内の詳細が残っていませんでした。
舞殿からのこの位置で、しばし琴を奏でました。
誰もおらず、人も来ないので、
爪弾く手が止まらず、
いつまでもここで歌っていたい心地よさに浸りました。
畏れ多いので、舞殿には上がりませんでしたが、
このあと巡った関蝉丸神社上社・下社にも、それぞれ立派な舞殿がありました。
何はなくとも、それだけは欠かせないというふうに。
通常は無人のささやかな御社の風情ながら、
音曲管弦や詩歌文芸、能楽・芸能関係者の崇敬が篤く、
おそらくそうしたかたがたの聖地巡礼をはじめ、古今芸能者が集う催事があるのだろうと推察します。
羨ましい。
せめて人知れずでも、ここで絃ものを奏でられる幸せにひたりつつ、
いつまでも立ち去りがたくて、けっこうな時間、ここで過ごしました。
まだ一社目なのだし、この時期の日没は早い。
初巡拝で、このあとの旅程の目算がつかないのだから、次へ進まねばと、
後ろ髪引かれつつも、街道へ戻ります。
いつかここだけで一日過ごしたいくらい。
逢坂の関の山道を、荷車や牛車が通る際に便とした、車石が残されていました。
ここもお社へあがる参道だったのかもしれませんが、近づけません。
境内内にも、崩れる危険があるので近づかないようにとの注意書きがありました。
具体的にどこが危険かはわからない注意書きでしたが、少なくとも参道の隅、崖の淵あたりへは行かないほうが安心らしいです。
なぜ、“蝉丸神社”が三社あるのかはわかりませんが、
ここは最も京側の境、
都を去る者には名残り、都に向かう者にはいよいよという、
「ゆくも帰るも 別れては」を実感する由来地に思われました。
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