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書くから面白くなる

人様のブログや、エッセイなどを見ていて、
奇想天外な経験や、面白いことばかり起こっているみたいに見える人がいますが、そういうのって才能なのは確かだと思います。

生まれついてのコメディアン体質というのか、別に人を笑わせるためにそうしているわけでないだろうのに、日常が他者を笑わせるためにあるんじゃないかというくらい面白いこと続きで、
またそういう人は、類は友を呼ぶというか、友達や対人、すれ違った人すら面白かったりビックリ人間だったりしているようで、
毎日書いていてもネタが尽きない、というか、書くことが追いつかないくらいに見える……

私はそんな面白いこととは無縁だなぁ……ギャグの才能はないし。
笑わせるのって、実は泣かせるよりよほど難しい。
あえて笑わせようとネタをかますのって、逆に寒くなりがちだし。

しかし、実はこれって、ある意味、引き寄せだなと実感した時期がありました。

面白いことが起こるから、書けるんじゃない。
書いているから、面白いことだらけになるんだ、と。

だいぶ前のことですが、小説の同人誌を書いて、即売会に売りに行ったり、書店委託したり、通販もしていた時期がありました。
幸運にも読者に恵まれ、書き甲斐もあって充実していたし、
どこからともなく落ちてくる物語を、ひたすら文章化することに夢中になっていましたっけ。

生きている実感があって、幸せだし、楽しくてたまらない日々でした。

同人誌の製本のページ組み構成の関係で、余ってしまうページを埋めるため、本編の物語とは別に、私自身の裏話みたいな身近な話題を書いていたのですけれど、
夢中で書き続けていたあの頃は、架空の物語と、現実の自分の世界との境目がわからなくなっていたような気がします。自分すらも非日常感覚というか。

そのせいか、変な夢をよく見ていたのですが、はじめは、その内容を書くことから始め、
それを面白がってもらえたので、自分も楽しくなり、日常雑話でもなんでも書くようになったら、
次第次第に、なんでもないことでも、面白い視点で感じるアンテナが、敏感になっていったようです。

そのうち気がついたら、自分の日常のすべてが、ドラマやコントみたいに感じられるようになって。
道を歩いていても、仕事をしていても、ランチ休憩に出歩いても、家で家事をしていても、
「あり得ないんですけど!!」というような、けったいな出来事が、日常茶飯事になっていきました。

もともとドジで変わり者の私ではありましたけれど、面白いことをしようとなんてしていないし、格別に珍しいところへ行ったり、面白い人と会ったりもしていないのに、
“犬も歩けば”的に、奇妙なことに遭遇し、「聞いて聞いて♪」てな具合で、それを書かないではいられなくなる。

真面目に書いているつもりでも、それが笑いをとるようになっていきました。
むしろ、意図的に笑いをとろうとしなくても、周りが笑ってくれる、みたいになっていって。

それで思ったんです。
楽しんで、それを表すのを日常的にやっていると、
面白いことのほうから、こっちに引き寄せられて、やって来る。
ネタなんて、考えるものではないんだと。

その後、あることが原因で、書くことがトラウマになってしまった時期があり、それにより同人誌も卒業し、
ずいぶん長く、書きたいのに書けない餓鬼地獄のような状態になりました。
それと同時に、笑える日常も、いつしか退化し、無味乾燥した日々となってしまった。

時を経て、ブログなどでリハビリしているけれど、まだ少し緊張が残っていて、未だ、あの頃の自由自在な筆力の境地には戻れていません。
物語が落ちてきて止まらず、それを夢中で文章化する……それに勝る魂の歓びは、他のどこにもないというのに。

こうして書く日課を取り戻すことで、またあの頃の、アンテナびんびんの、奇想天外な笑いと歓びの日々に立ち返れたらいいな。

また、笑いながら夢中で、物語でも日常雑話でも、書き綴って生きていきたい。

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