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異世界フリースタイルバトル
第1章「闇のラップと村の異変」
レオは、朝の空気を吸い込みながら小さな路地を歩いていた。
村の中央広場から聞こえるトラックのリズムがいつもより力強い気がして、胸がそわそわする。
ヘッドホンを首に掛けたまま、やや長めの癖っ毛を手で払いながら視線を向けると、幼馴染のマヤが集会所の入り口で腕を組んでいた。
「おはよう、レオ。気づいたら人が集まってるみたいだよ」
彼女のショートヘアが朝日に照らされ、活発な印象をさらに際立たせる。
スポーティーな服装に身を包んだ姿は、レオより少し背が高いだけあってやけに頼もしい。
広場では、村の若者たちが朝練さながらリズムを踏んでいた。
レオは苦手意識を覚えつつも、挨拶代わりの軽いフリースタイルを口ずさむ。
しかし、いつもと違う緊張感が空気に混じっているのか、言葉が出てこない。
細身の体がこわばって声が裏返りそうになり、思わず唇を噛んだ。
「どうしたの、レオ。元気ないじゃん」
マヤが首を傾げながら、彼の肩を叩く。
「なんでもないよ…今日は変に胸騒ぎがして…」
そう答えた瞬間、遠くから聞き慣れないビートが響き出した。
地を這うように低く、聴くだけで神経を逆なでする不気味な音。
ざわめき始めた村人たちの間から、ある男が転がるように飛び出してきた。
顔面は血の気が失せ、瞳は焦点を失っている。
何かに怯えきった様子で、息も絶え絶えに叫んだ。
「アンデッド…アンデッドが来る…ラップで、俺たちの心を…喰らいに…」
途切れ途切れの声が、妙に耳にこびりついた。
その瞬間、黒い靄をまとった不気味な存在が村の通りに姿を現し、カラカラと骨の軋むような音をさせながら空気を震わせる。
村人たちはそれぞれの言霊を解放するかのように、ビートに乗って対抗しようとするが、黒いラップの破壊力に完全に押されている。
レオは自分のヘッドホンを耳に当てた。
マヤも足元でリズムを刻みながら、鋭い眼差しをアンデッドへ向ける。
「行くよ、レオ。あんたも逃げるのはナシ」
「わ、わかってる…でも…」
口の中が乾いたように声が震えた。
それでも、目の前で次々と倒れていく仲間を見ては黙っていられない。
レオは奥底に眠るメロディを手繰り寄せながら、相手の黒いビートに合わせてリリックを紡ぎ出す。
「暗い夜道を彷徨うシャドー
怖がる心を鋭くえぐるフロー
だけど見失うなよ この光の道
誰かのぬくもりが 俺を導く」
優しい言霊を意識しながら、ゆっくりと相手を包み込むように歌い上げる。
その瞬間、アンデッドは一瞬動きを鈍らせたかのように見えたが、すぐさま低い笑い声を響かせ、重苦しい韻を畳みかける。
「腐った闇から はみ出す太陽
お前の希望なぞ 虚ろに沈む
今から刻むは 地獄のライム
光の言霊 剥がしてやるぜ」
その声を聴いた途端、レオは胸の奥を冷たい手で掴まれたような感覚に襲われた。
相手のディスはまるで、レオが大事にしていた小さな希望を直接踏みにじるかのように突き刺さる。
心の奥にある「自分は弱い」という思いが余計に膨らみ、脳裏に「戦っても無駄だ」という囁きがこだました。
「しっかりしてよ、レオ」
マヤが強く叫んだ。
彼女はレオの背中を後押しするように、勢いのある煽りを叩きつける。
「腐った闇に染まったアンデッド
ここは人の住む平和のスペース
どこかで怯えてる暇はない
マヤが光を連れて来るぜ 今日が舞台」
爆発的なリズムに乗せてマヤがビートを刻むと、周囲にいた村人たちも少しずつ声を取り戻していく。
高速のライムと迫力あるパフォーマンスに、アンデッドのラップがわずかに乱れた。
しかし、相手の闇のエネルギーは依然として強大だ。
レオは震える息を吐き出しながら、改めて声を上げた。
気持ちを鼓舞しようと、いつもの“優しい言霊”だけでなく、ほんの少しだけ攻撃的な言葉を混ぜ込む。
「アンデッドの闇に 奪われたくない
仲間を守るんだ もう引けはしない
癒しのフレーズで その闇 打ち砕く
俺の声が届くなら ここで示す覚悟」
その言葉と同時に、レオのフローが温かな光をまとったように響いた。
周りにいる村人の表情が少しずつ和らぎ、アンデッドの攻撃的なビートが一瞬だけ後退する。
わずかな隙を逃さず、マヤがさらに強烈なディスと煽りを加速させる。
「あんたの自慢の暗黒フロウも ここまで
闇の渦巻くその瞳をカチ割れ
この村は捨てたもんじゃない
ラップが命を守る世界だ さっさと去りな」
煽りに乗じて周囲の村人が力を合わせ、一斉に声を上げた。
アンデッドの姿が一気にかき乱されたかのようにぐらつき、やがて灰色の靄を引きずりながら闇の向こうへと姿を消していく。
レオは膝に手をついて荒い呼吸を整えながら、なんとか村を守れたことに安堵する。
けれど倒れ込んだ仲間たちを見渡すと、胸の奥が締め付けられた。
重苦しい雰囲気の中、口を開いたのは村の長老だった。
「レオ、マヤ…こんな化け物は初めてだ。
人々の心を喰らうアンデッドの背後には、もっと凶悪な支配者がいるという噂がある。
アンデッドリッチとかいう名で呼ばれておるが、その正体はわからん」
顔中に皺を刻んだ長老の言葉に、マヤは青ざめた表情で息を呑む。
レオもまた、先ほど感じた闇の圧力を思い出して顔をしかめた。
しばらく沈黙が続いた後、長老は静かに言葉を継ぐ。
「もしこのまま放っておけば、世界中が闇に飲まれる可能性もある。
だが、ここにはもう力のある者は少ない。
頼む、わしらの代わりに真相を探ってくれんか。
アンデッドリッチなる存在を突き止めない限り、再び奴らが襲ってくるだろう」
マヤは口元を引き結び、視線をレオに向ける。
レオはまだ怖さが消えないまま、ヘッドホンを外して一度深呼吸をした。
村を守り切った実感よりも、心のどこかにある「またあんな強敵と対峙しなきゃいけないのか」という不安がじわりと広がる。
けれどマヤのまっすぐな瞳が、弱気を吐く暇を与えてくれない。
「行こう、レオ。あれを野放しにはできないよ。
私たちだって、こんな形で大事なものを失いたくない」
マヤの決意表明に、レオは小さく頷きながらも、胸の奥で小さく震える自分を感じる。
怒りよりも先に、誰かを守りたい気持ちの方が勝っている。
その想いを抱えたまま、レオは一度もらったヘッドホンを装着し直す。
泥だらけになった靴に目を落とした瞬間、内向的な自分との葛藤がこみ上げた。
それでも引き返すわけにはいかない。
「わかったよ、マヤ。僕もやる。
あんな暗いラップ、もう二度とごめんだ」
損傷の大きい村を後にする準備を進める中、風が少しだけ冷たく吹き抜け、レオは痩せた肩をほんのわずか震わせる。
マヤの背中を追うように歩き出しながら、次に現れる敵がどれほどの闇を抱えているのか、いまだに想像もできなかった。
第2章「出会いと衝突」
レオは足元の草を踏みしめながら、マヤと並んで先の見えない小道を歩いていた。
村を出てから日はそう経っていないが、淡々とした景色に気持ちが引き締まる。
マヤはショートヘアを風になびかせながら、たまに後ろを振り返ってレオの様子を伺う。
「レオ、疲れてない?
何かあったらすぐ言ってよ」
マヤの声はいつもより優しく聞こえる。
レオは首にかけたヘッドホンに手をやり、微かな音楽を聞きながら小さくかぶりを振った。
「平気だよ。
それに、これからどんな敵が出てくるかわからないし、気を抜けない」
震えそうな胸の内を抑え込むように、少し強い口調で言い聞かせる。
道端にはかすかなビートが漂っていた。
ラップでの闘いが日常的に行われる世界では、誰かがどこかでビートを刻み、互いに火花を散らしている。
そんな当たり前の風景を見慣れたはずなのに、レオの心は落ち着かない。
小さな丘を越えたところで、視界が開けた。
そこには、オオカミの獣耳と尻尾を備えた青年が仁王立ちしていた。
筋肉質な体に毛皮のコートが映え、鋭い目つきが二人を射すくめる。
「おい、お前たち。
ここから先は勝手に通すわけにはいかねえ」
彼は胸の奥から野太い声を響かせた。
レオとマヤは目を見合わせ、すぐに身構える。
マヤが一歩前に出て、ショートヘアの先を指先で払う。
「道に用があるだけなんだけど?
悪いけど邪魔するなら、ラップで蹴散らすしかないんじゃない?」
その口調に挑発の色が混じると、獣人の青年は尻尾をピクリと動かし、鼻を鳴らした。
「そういう態度なら、容赦しねえ。
俺はファング。
ここじゃ、ビーストスタイルで通ってるんだよ」
重苦しいベースが地鳴りのように響き、ファングは吠えるようにフローを刻み出した。
「鼻先で嗅ぎ分ける弱気の香り
お前のリズムなんざ すぐ砕け散り
この牙とラップの衝動に酔いな
ひれ伏す姿しか想像できねえわ」
その声は低く、野性的で、体の芯にまで響いてくる。
レオは思わず息を詰めた。
相手の攻撃的なリリックが、まるで首筋に牙を突き立てられたように精神を揺さぶってくる。
「ちょっと威圧が過ぎるんじゃない?
レオ、私の煽りについてきて」
マヤがきびすを返しながら、歯を見せて笑う。
彼女はスポーティーな体格を活かして足元で素早いステップを刻み、煽りリリックを畳みかける。
「獣みたいに吠えるの勝手だけど
その強面 ただの飾りじゃないのか
動き鈍ってりゃ こっちが美味しくいただく
マヤの煽りでこそ現れる本性ってやつ」
疾走感あるハイテンポのラップが、ファングの耳元を揺さぶる。
青年の眉間に皺が寄り、一瞬動きが止まったように見える。
しかし、すぐに荒々しいシャウトが巻き起こった。
「口だけは達者だな
けどその薄っぺらいディスりは俺を止められねえ
ビートに乗せる怒りの獰猛さ、思い知れ」
獣の咆哮にも似た声が響き渡り、レオの心臓がどくりと鳴る。
ファングのラップは身体の奥底に響き、野性的な力で精神を揺るがす。
周囲の木々まで震えている気さえした。
レオは内向的な自分を叱咤するように、ヘッドホンをきつく掴んだ。
逃げ腰では終われない。
ビートを耳で拾いながら、ファングの高速リズムの隙を狙って言葉を紡ぐ。
「荒ぶる牙が 心を削る
だけど俺は そんな衝動も受け止める
優しいだけじゃ 届かない世界がある
だから今日だけは 俺も本気で吠える」
柔らかいメロディラインを残しながらも、最後の一節には確かな決意がこもる。
その決意がファングの耳にどう響いたかは定かではないが、彼の目がわずかに揺れた。
ファングは尻尾を振り払い、もう一度喉の奥から声を張り上げようとする。
だが、マヤがすかさず畳み込むように煽りを放つ。
「そっちがビーストなら こっちはクイーン
ガオガオ吠えるだけじゃ 役不足さ
テンポ狂わせ 乱すぜ 本能
マヤのステージが ここを支配する」
言葉に合わせて繰り出す軽快なフットワークが、まるで目の前の空気を切り裂くかのような迫力を生む。
ファングの肩が上がり、その牙を剥き出しにして息を荒らげた。
しかし次の瞬間、彼の瞳から一瞬だけ戦意とは違う別の感情が見え隠れした。
「くっ…お前ら、想像以上にやるな。
けど、俺だって理由があるんだよ」
ファングはそう呟くと、拳を握りしめたまま視線を下に向ける。
その姿を見ていたマヤは、一瞬だけ煽りのトーンを落とし、息を整える。
レオもヘッドホンを肩へ下ろし、相手を正面から見据える。
「理由って、どんな?」
マヤが問いかけると、ファングは鼻先で軽く息を吐き、呟くように言葉を零した。
「仲間がアンデッドの奴らにやられたんだ。
今もどこかで苦しんでるかもしれねえ。
だから闇に染まった奴らを見つけるまで気が立ってる」
レオはその言葉に一瞬胸を痛める。
ファングの攻撃的なラップが、ただの好戦的な性格ゆえではないと気づく。
マヤも口を結び、静かな視線でファングを見つめた。
「わかった。
なら、同じ目的だよ。
うちらもアンデッドのせいで村の人が苦しんだ」
マヤがそう語ると、ファングは舌打ちしながらも攻撃の姿勢を解き、尾を下げた。
彼はまだ警戒を解いていない様子だが、少なくとも互いに敵同士ではないと判断したようだ。
「お前らが信用できるかはまだわからねえ。
でも、少なくともアンデッドを追いかけるって意味じゃ目的は同じだろ」
ファングは低く唸るように言い放ち、毛皮のコートを翻した。
マヤは腕を組んで少し考え込み、レオはその様子を無言で見守る。
やがてマヤはゆるく笑みを浮かべると、ファングに近づいて右手を差し出した。
「私たちも、力が欲しい。
あんたみたいに強烈なラップで立ち向かえる仲間がいれば心強いし、同じくアンデッドを探すなら一緒に行く方がいいんじゃない?」
ファングはその手を見つめながら、小さく鼻を鳴らす。
けれどマヤの勢いに呑まれたのか、頭をポリポリと掻いてから小さく頷いた。
「わかった。
お前らが見せた熱意は嘘じゃなさそうだ。
一緒にアンデッドを探そう」
レオは内向的な自分を励ますかのように、スッと深呼吸をした。
ファングの荒々しいスタイルにやや圧倒されてはいたが、同時にこの世界のどこかにいるはずのアンデッドを倒すには、彼の野生的な力が頼りになる。
まだ本当の信頼を築けたわけではないが、少なくとも誤解は解けた。
三人はそれぞれのラップスタイルを意識しながら、険しい道を進む支度を整える。
ファングが獣のように鼻をクンクンと鳴らし、どこからか微かな敵意の残り香を探っている。
マヤは軽い足取りでその先を見据え、レオはヘッドホンに触れながら二人を追う。
闘いが当たり前の世界で、牙を剥くようなラップで想いをぶつけ合うのも仕方のないことだと思いつつ、レオはどこか複雑な心境を抱えたまま足を踏み出した。
ファングも肩の力を抜いた様子でコートの襟を正す。
そして、まばらに陽が差し込む木立の奥へと、三人は一緒に消えていく。
第3章「闇の使者と情報屋」
朝の光が薄雲を抜けて射し込み、木々の葉を揺らしていた。
レオ、マヤ、そしてファングの三人は人里離れた林道を進みながら、昨日の出来事を思い返している。
ファングの足音は重みがあり、マヤのステップは軽快で、レオはそれぞれの音を感じ取りながら歩を合わせていた。
「ねえ、そろそろ休憩にしない?
私のスイーツ欲が限界にきてる」
マヤが背伸びをしながら、目を輝かせる。
ファングは鼻をひくつかせ、辺りを見回した。
「甘い匂いが…するような、しないような。
ま、腹ごしらえは大事だろ」
野性味あふれる声で呟き、ファングはしぶしぶ同意する。
レオは少し先を見つめながら、どこか落ち着かない様子でヘッドホンを首にかけ直した。
「それなら近くに街があるはずだよ。
昔、地図で見た記憶があるんだ」
やや長めの癖っ毛を風に揺らしながら、レオは優しい調子でそう言った。
マヤは微笑し、ファングは頷いて足を速める。
三人が向かった先には、こぢんまりとした商人の集落があった。
通りには活気があふれ、屋台からはさまざまなビートと香りが漂っている。
目立つリズムに誘われるように歩くと、紫の髪をツーブロックにしてゴーグル型のヘッドホンを首にかけた女性がターンテーブルを回していた。
派手なアクセサリーをジャラジャラと鳴らしながら、通りかかる人々を軽い調子で煽りつつ音を操っている。
「よう、そこのビーストフェイスとショートヘア、あと…癖っ毛ボーイ。
旅の途中?
だったら私のビートでも聴いていかない?」
軽口を叩くその女性は、どこか飄々とした雰囲気を纏っていた。
マヤは興味津々に近づき、視線を合わせる。
「あなた、ただ者じゃなさそうね。
もしかしてDJか何か?」
紫髪の女性はターンテーブルの音量を少し下げながら、口角を上げる。
「うん、情報屋も兼ねてるシェリーっていうDJ。
ここら一帯のラッパーやら魔物やら、なんでもかんでも話が入ってくるのよ」
飄々とした語り口だが、その瞳の奥には鋭い光が宿っている。
レオは好奇心と少しの警戒を抱えながら、彼女の足元を見た。
奇抜なシューズから何やら魔法的な仕掛けを感じ取ったが、深くは問いたださなかった。
「アンデッドリッチって、聞いたことない?
私たち、そいつの情報を探してるんだ」
ファングが低い声で尋ねると、シェリーは笑みを深める。
「アンデッドリッチ。
最近、闇の眷属が活発化してるって噂だね。
聞きたいなら教えてあげるよ」
ターンテーブルを止めると、彼女は弾むような足取りで屋台の裏へ三人を誘う。
簡素なテーブルを囲み、マヤは持っていた甘い菓子をかじりながら、シェリーの話に耳を傾けた。
彼女いわく、闇の使者が各地で暗躍しているらしい。
その名も「シャドウ」という謎のラッパーで、呪いのような闇の言霊を巧みに使って相手を追いつめるという。
アンデッドリッチの手先ではないかとも言われているが、確証はないとのことだった。
「でも、一度姿を現せば、かなりの確率で精神を蝕まれるって話よ。
あまりにも凶悪なビートを持ってるって」
シェリーがいつになく真剣な面持ちで言い切った瞬間、どこからか不自然な冷気が忍び寄った。
レオは背筋に違和感を覚え、立ち上がる。
「やけに静かだ…」
ファングも獣耳を立てて空気の変化を探る。
マヤが腰に手を当てつつ、細かくステップを刻み始める。
そして、不意に頭上から黒い霧が落ちてきた。
「闇のエコーが聞こえるか…
怯える声、澄んだ瞳を濁らせてやろう」
低く響く声が、まるで夢の中の囁きのように三人の意識を侵食する。
その音源を探すと、ローブに身を包んだシャドウが薄暗い路地に浮かび上がっていた。
光る瞳が、あたかも相手の弱みを的確に見つめているかのようだ。
「シャドウ…まさか、ホントに来るなんて」
シェリーは一瞬息を呑んでから、ゴーグル型ヘッドホンを装着し、ターンテーブルを回す構えをとる。
ファングが歯を剥き出しにして威嚇するように構え、マヤは煽りリリックのタイミングを図る。
しかし、シャドウは低いビートを操り、闇のエコーを広げてきた。
レオの瞳がかすかに震え、ほんの一瞬、頭が真っ白になる。
「か弱い意志、怯えた心
光のように見えて ただの幻想
一人じゃ動けず 震える言霊
甘い優しさなど すぐに崩れる」
沈むようなフローが、まるで肉体を通り越して魂を叩く。
レオは胸の奥を踏みつけられたような苦しさを覚えた。
自分が抱えていた弱さを、いとも簡単に見抜かれている気がしてならない。
「レオ、大丈夫?
ここで折れたら、あいつの思うつぼだよ」
マヤが声をかけるが、闇の言霊にまとわりつかれたレオはうまく息ができない。
ファングもまた、狂暴性を煽られるような衝動を必死で抑え込み、尻尾がそわそわと揺れている。
シェリーはターンテーブルに手をかけ、ビートを強める。
「こんなときこそ、私のDJで流れを取り戻す。
耳を貸して、あんたたち!」
彼女の言葉を合図に、重めのベースが空気を震わせた。
マヤが一歩踏み込み、シャドウのビートに向かって高速ラップを刻む。
「闇の帳に包まれたシャドウ
素顔隠して ただの影のラウド
あんたが怖がらせたいなら 待ってあげない
こっちは本能むき出しで踊ってやる」
激しいフロウにシャドウのローブが揺れ、わずかに闇のエコーが乱れる。
続けてファングが獣のように吠える。
「暗がりから 弱さを奪うなんざ 下劣な手口だ
俺の牙はそんな手段を許さねえ
血潮たぎらせ ラップで噛み砕く
ビーストスタイル 舐めんなよ」
荒々しい声がシャドウの周囲の暗闇を切り裂くように響き、わずかに光が差し込んだ。
その光で、レオは一瞬だけ呼吸を取り戻す。
内向的な自分を振り払い、震える腕に力を込めるように、言葉を絞り出す。
「闇を知るなら それを超えたい
仲間がいるなら 立ち止まらない
優しいフレーズが かき消されそうでも
俺の意志だけは 消えやしないんだ」
言葉が全身を巡ると同時に、レオの声にほんのり温かみが戻った。
シャドウはローブの下から怪しく光る瞳を向け、静かな笑い声をあげる。
「闇を捨てても 得るものはわずか
お前らの道も ここで消えるかもしれない
アンデッドリッチが全てを支配する日が来る
そのとき 人の心は根こそぎ奪われるだろう」
不気味な言葉を残したまま、シャドウの姿はスッと薄暗い霧の中へと消えていった。
ファングは追おうとしたが、あまりの急な消え方に足が止まる。
マヤが大きく息をつき、レオの背中を軽く叩く。
「今のが、噂のシャドウなのね」
レオは唇を結んだまま頷いた。
心の中に染みついた恐怖の残滓が、まだスッキリと晴れない。
ファングも眉をひそめながら、尻尾をゆっくりと下ろす。
「アンデッドリッチが全てを支配する、か。
大げさな脅しにしても嫌な響きだな」
シェリーはターンテーブルを操作し、空間に漂う負のビートをかき消すように音を整える。
ゴーグル型ヘッドホンから、微かな安定したリズムが広がり始めた。
「まったく、厄介な相手ね。
でも、あんたたちだけで行くのは無茶じゃない?
私、ついていこうか」
緊張した面持ちから一転、シェリーは人懐っこい笑みを浮かべる。
マヤは彼女をまっすぐ見つめた。
「正直、すごく助かる。
情報が多いってだけじゃなく、あのDJスキルなら私たちの後押しになるし」
ファングも無言で頷いた。
レオはまだ微かに呼吸を乱しながら、それでも穏やかな表情でシェリーを見上げる。
「その…ありがとう。
一緒にいてくれるなら心強いよ」
そう口にすると、シェリーは照れ隠しのようにゴーグルに手を添えて笑う。
紫の髪がきらりと揺れ、派手なアクセサリーが音を立てる。
「じゃ、決まりだね。
アンデッドリッチを追うなら、私が知ってる噂話もいろいろ役立つはず」
四人は濁った闇の気配が取り巻く通りを後にし、再び旅路へ足を向ける。
シャドウの言葉が胸に重く残る一方で、レオは自分の弱さを正面から自覚する。
優しさだけでは押し返せないほど強大な闇が待ち受けていると知り、もっと力をつけなければならないと思い始めた。
うなだれている時間はないと感じたレオは、首にかけたヘッドホンを調整しながら、決意を新たに足を踏み出す。
それぞれのやり方でアンデッドを追い詰めたいという思いが重なり、初対面だったシェリーとの間にも不思議な連帯感が生まれていた。
第4章「ライバルの強襲と真実の影」
レオ、マヤ、ファング、そしてシェリーの四人は、アンデッドリッチの行方を探すために日を重ねて移動を続けていた。
情報屋としてのシェリーのネットワークを頼りに、各地の噂を拾いながら手掛かりを集めている。
しかし、アンデッドリッチの直接的な痕跡は簡単には見つからず、気づけば夕暮れを迎えることも多かった。
「どうも最近、町の外れで不穏なビートが聞こえるらしいわ。
アンデッドに関わるものかは断言できないけど、少し調べてみる価値はあるかも」
シェリーがゴーグル型ヘッドホンを片手で支えながら口を開くと、マヤが身軽にステップを踏んで顔を上げる。
「そんなら行くしかない。
何もしないで待ってたら情報なんて向こうから飛んでこないし」
ファングは獣耳をひくつかせて周囲の空気を探る。
レオは細身の体を少し伸ばし、首にかけたヘッドホンを一度外してから付け直した。
「わかった。
僕もその場所を見に行ってみたい。
もしかして、アンデッドの手掛かりがあるかもしれないから」
四人は街の裏通りを抜け、外れの荒地へと足を向けた。
暮れかかった空の下で、冷たい風が肌を撫でる。
ファングの尻尾が緊張を示すように揺れ、シェリーはターンテーブルをいつでも起動できるように手をそっと置いている。
一帯が薄暗さに包まれ始めた頃、不意に強烈なベースが鳴り響いた。
そのビートはどこか鋭く、不穏なエネルギーを含んでいる。
マヤが足を止め、ファングが鼻を鳴らす。
「誰かいる。
妙に尖った匂いがする」
彼が言った直後、レオの視線の先に黒いジャケットをまとった長身の男が姿を現した。
無造作なドレッドヘアを揺らしながら、サングラスの奥でこちらを睨む。
「あんた、何者?」
マヤが初対面らしく問いかけるが、男は答えず、冷淡な雰囲気をまとったまま音を刻み始める。
不吉なまでに完璧なビートに乗せ、口を開くと、その声は鋭い刃のように突き刺さる。
「知る必要あるか?
ここに用があるなら通ればいいが、お前らの力じゃ闇には届かない
俺のリリックで その甘さを粉々にしてやる」
挑発的なフローが一気にあたりを支配し、レオたちの耳を震わせた。
その言葉には圧倒的な自信と攻撃性が漂い、まるで底知れぬ闇を覗き込むような危うさがある。
ファングが唸り声を立て、マヤの眉間に険しい影が落ちる。
「なんだこの人…普通じゃないよ」
シェリーがゴーグルをずらしながら呟くと、マヤが一歩踏み出して、煽りのリリックで相手を打ち崩そうとする。
「強いのは勝手だけど こっちはチーム
分断狙いのディスなら通用しない
お前のクールなフリに私は乗らない
マヤの煽りは その自意識を揺さぶる」
胸に迫る速射ラップを投げてマヤは攻勢を仕掛けるが、男はまるで意にも介さないかのように冷たい微笑みを浮かべる。
サングラスをわずかにずらし、再び響かせる声はさらに鋭くなる。
「チームか。
仲良しこよしの甘いビートで どこまでやれる
結局お前らは 互いに支え合わなきゃ立てない弱者
孤独を恐れるなら 俺に語る権利はない」
その瞬間、マヤの胸に強烈な衝撃が走ったように見えた。
相手の言葉には容赦がなく、絆をあえて弱さと断じるディスが、精神を抉る。
マヤが一瞬だけ動きを止めると、ファングが怒りを帯びた声で割り込む。
「俺たちを見くびってんじゃねえぞ。
仲間の力は弱さじゃない。
ビーストスタイルでそいつを証明してやる」
ファングの獣のような咆哮がビートを裂き、荒々しいフロウが空気を揺らした。
「孤独を愛すって? それもいいさ
けど舐めてると痛い目見るのはお前の方だ
牙むき出しのラップが お前の自尊心に噛みつく
吠え面かくなよ 俺たちは甘くねぇ」
攻撃的なディスが繰り出され、男のコートが風にあおられる。
しかし、まるで何事もないかのように、彼は小さく首を振った。
そして、静かにビートを刻み直し、淡々とした口調でさらに厳しい言葉を投げる。
「野生の勘頼みじゃ どこまでいける
所詮は感情に支配されたアマチュア
俺はオリバー。
底なしの孤独と怒りで フロウを研ぎ澄ませてきた」
オリバー、と名乗った男の言霊が一際鋭い。
ファングは心の奥を抉られたように目を見開く。
マヤは一度息を整えながら、再び切り返そうとしたが、オリバーは全員を見回し、追い打ちのリリックを与える。
「アンデッドを追うらしいが その意義は何だ
お前らが手を伸ばしても その闇は深い
ましてやアンデッドリッチ?
弱い者が集まっても 影一つ消せやしない」
その言葉を聞いた途端、レオの胸に鋭い棘が突き刺さった。
お前たちは弱い、と言われた気がして、逃げ腰の自分をまた知らされたように感じる。
ヘッドホンを握りしめながら視線を落としかけたとき、オリバーがさらにラップを加速させる。
「敗北の匂いを纏ってるお前…癖っ毛の少年
リリックが温いまま いつまで通用する
アンデッド相手に優しさを説く?
その優しさこそが 足枷になるとは気づかないか」
レオは息が詰まる思いで、そのディスを受け止めた。
自己肯定感の低い自分を否定するような響きに、頭が真っ白になりそうになる。
脳裏に「あいつの言うとおりだ。優しさなんて何になる」と声がこだまする。
だが、なんとか唇を噛んで踏みとどまった。
マヤとファングがレオを助けようと、再びリリックを放とうとする。
しかし、その瞬間オリバーは手を制するように片手を挙げ、冷然と口を開く。
「言い返したいなら勝手にすればいい。
だが、俺が本気でビートを踏んだら、お前らは自信ごと打ち砕かれるだろう。
覚えとけ。
アンデッドが魂を集めてるのは本当だ。
最終的に何をする気かは知らんが、世界を巻き込むのは確実だろう」
冷ややかに吐き捨てるように告げられたその情報に、一瞬空気が凍りついた。
魂を収集している――やはりアンデッドリッチには恐るべき企みがあるのだろう。
しかし、その事実を語りながらも、オリバーはどこか苦しげな面差しを浮かべているように見えた。
「お前も、アンデッドに何かされたのか?」
ファングが静かに問いかけると、オリバーはほんの一瞬だけ口元を歪める。
「奪われたんだ。
俺にとって大切だった存在をな」
それだけ言うと、彼は一瞬目を伏せ、サングラスをかけ直す。
マヤは言葉を飲み込み、ファングも追及することをためらう。
オリバーは再び冷徹な雰囲気を纏い、背を向けるかのようにコートを翻した。
「俺は俺で奴らを追うさ。
復讐のためにな。
だが、お前たちでは到底かなわないと思うね」
ラップバトルが終わったわずかな静寂の中、オリバーの一言が胸に重く落ちる。
視線を交わす余地もなく、彼は足音を響かせて暗がりの向こうへと消えていった。
しばらくして、ファングが低く舌打ちする。
「強烈な野郎だ…けど、本当に強い。
なんか悔しいが、正直奴に比べると俺たちの技量はまだまだかもしれねえ」
マヤも神妙な面持ちで腕を組み、レオは小さく呼吸を整える。
シェリーがゴーグルに触れながら、力なく苦笑した。
「アンデッドが魂を集めているって、確信を得られただけでも収穫だけど…
あのオリバーに、私たちは認められてすらいないみたい」
レオはうつむいたまま、ヘッドホンを握りしめる。
自分がオリバーのディスを真正面から受け止められなかった事実が、ここまで胸を苦しくさせるとは思わなかった。
優しさを否定されて、まるで自分の存在価値まで否定されたように感じてしまう。
けれど、目の前で落ち込んでいるわけにはいかない。
アンデッドリッチが人々の魂を収集していると知った今、ますます世界の危機が近づいているのを感じ取る。
ファングが尻尾を振りつつ、レオの肩を軽く叩いた。
「落ち込むんじゃねえよ、レオ。
あいつのラップは強すぎたが、俺たちだって弱いままじゃ終われねえ。
それに、お前の優しい言霊は誰かを救う力になると思うぜ」
不器用なフォローに、レオは眉尻を下げながらも微笑もうとする。
マヤも少しだけ明るい声を出そうと努力しているのか、拳を軽く握った。
「そうだよ。
確かにオリバーは手強いし、あんな強烈なディスりには私もぐらついた。
でも、私たちは私たちなりのやり方でアンデッドを追い詰める。
それでいいじゃん」
レオは胸の奥に沈んだ重たい感情を、少しずつほどいていくかのように息を吐く。
シェリーは首を振ってから、意を決したようにターンテーブルを抱え直す。
「アンデッドリッチが魂を集めている理由をはっきり探りたいわ。
どこかで闇の儀式を行おうとしている可能性もある。
もし世界そのものを支配するつもりなら、放っておくわけにはいかない」
四人は気持ちを整理するように視線を交わし、それぞれが何をすべきかを確認する。
オリバーという天才ラッパーに打ちのめされたことで、また一つ事実を突きつけられた。
しかし、その苦い経験と悔しさこそが、さらなる意志を生む糧になると信じたい。
ファングが尻尾を高く揺らしながら先を歩き、マヤが少し前向きな声でレオに話しかける。
「行こう、レオ。
あいつがどこへ向かうかは知らないけど、私たちは私たちのやり方で強くなればいい。
アンデッドリッチが世界をどうしようと企んでるのか、突き止めようよ」
レオは静かに頷き、噛み締めるように唇を結んで歩き始める。
さっきまでの動揺を隠すようにヘッドホンを首にかけ直し、足元の砂を踏みしめるたびに、自分を鼓舞する心のビートを感じようとした。
シェリーも後ろからついてきて、少しだけ明るいリズムをターンテーブルで刻んでみせる。
彼らはまだ未知の強敵と対峙しなければならないだろう。
だが、アンデッドリッチの闇を断ち切るために、こうして一歩ずつ前へ進むしかない。
第5章「終焉のフリースタイル」
城の正門をくぐった瞬間、身の毛がよだつほどの冷気が全身を包んだ。
マヤはショートヘアを指先で払いつつ、不吉な風を感じ取る。
ファングは尻尾を立て、鋭い目つきで周囲を睨んだ。
シェリーはターンテーブルを抱え直し、いつでも音を操れるよう心を研ぎ澄ます。
レオはヘッドホンを耳に当て、吐息を飲み込んでから足を進めた。
玄関ホールの奥では紫色の邪気が揺らめき、骸骨の身体に高貴な衣装を纏ったアンデッドリッチが不気味なラップを口ずさんでいる。
その口から漏れる言霊は、重低音よりもさらに深い“闇の圧”をまとい、死霊のざわめきとともにホール中に反響していた。
「生の苦しみ 喰らい尽くす
腐った感情 ここに捨てろ
俺の領域に足踏み入れた報い
その魂まで闇に塗り替えてやる」
アンデッドリッチの声に合わせて、床からはいくつもの死霊がわき上がる。
マヤは無意識に息を呑んだ。
不気味な合いの手が次々に響き、ファングの野生の勘を狂わせようと渦を巻く。
シェリーの手が震えそうになるが、すぐにターンテーブルを操作して正気を取り戻そうとする。
「なんて破壊力…」
ファングが鼻をひくつかせ、尻尾を引きずるように一歩後ずさった。
レオの瞳も恐怖に揺れている。
あまりの闇の重圧に心が砕けそうになる。
そこへ、“あいつの言葉”が脳裏をかすめた。
「弱いままじゃかなわない。
優しさなんて足枷になる」
オリバーの冷酷なディスりが胸に刺さるが、同時に、あのとき感じた悔しさがレオの奥底で熱を生む。
「マヤ、ファング、シェリー…僕、もう逃げたくない」
レオの弱々しい声が微かに震えながらも、ヘッドホンを握りしめるその手は離さなかった。
マヤが鋭い眼差しをレオに向け、少しだけ頷く。
ファングは唸るように息を吐き出し、シェリーはゴーグルをかけ直した。
アンデッドリッチが笑い声を上げる。
「くだらぬ結束。
その無力な声、俺がネクロ・リリックでねじ伏せてやる」
城の梁から幾体もの死霊が降りてきて、邪悪な合いの手を重層的に重ねる。
アンデッドリッチのラップはまるで呪詛のように鼓膜を直撃し、四人の精神を削っていく。
「生きるとか守るとか 所詮は綺麗事
死の支配に抗うなよ 下卑た命を曝せ
絶望に沈む世界が美しい
ここに築くのはネクロな楽園」
あまりの闇の濃さに、ファングが思わず歯を食いしばる。
体が硬直し、ビートに乗れなくなる。
マヤの表情にも焦りが浮かぶ。
優れた煽りのセンスを持つ彼女でさえ、言葉を失いそうになるほどの圧倒感。
しかし、そのときシェリーがターンテーブルに手を滑らせ、深いベースを力強く上げた。
「気をしっかり持って!
負けるなら、何も残らないよ!」
彼女の呼びかけに合わせ、マヤが無理やりステップを踏み、ファングが吠えるように息を吐き出す。
レオは震える声を押し殺して、ヘッドホンのボリュームを上げる。
仲間の足並みに合わせるように、自分のフローを探った。
アンデッドリッチが微かな嘲笑を浮かべる。
「苦し紛れの抵抗など愚かしい。
曲げることのできない絶望を味わえ」
「愚かかどうか、確かめさせてもらう」
マヤが激しく足を踏み鳴らし、一気に煽りのリリックを吐き出した。
「アンデッドリッチのブランディング
死の威圧で圧しきろうなんて
あんたが欲しいのは本当の征服?
そんなんじゃ こっちの情熱は折れないね」
彼女の声に呼応するように、ファングが獣の咆哮を混ぜ込み、攻撃的なラップを重ねる。
「ネクロの境界 腐る思考
一度や二度の死じゃビビらねえ
獣の血が沸く限り 牙は折れない
ビーストスタイルでその王冠に噛みついてやる」
怒涛の煽りがホールを震わせ、死霊たちがざわつき始める。
アンデッドリッチはしかし、一切怯むことなくさらなる闇を喚起した。
「その牙と煽り、全て無駄に変える
王冠を砕け? 笑わせるな
言葉とともに貴様の魂を腐食させよう
闇の深淵に沈めば光は消える」
死霊の合いの手が増幅され、マヤやファングの心まで重く圧迫する。
だが、レオはその闇の中心に一歩踏み込むように前へ出た。
細身の体が震えているのを自覚しつつも、自分なりのラップを探す。
シェリーが小さな声で言葉を投げかける。
「レオ、あんたの“癒しの言霊”が必要。
私がDJでサポートする。
マヤとファングが壁を作る。
あとはあんたが仕上げて」
レオはヘッドホンからこぼれるビートを感じ取り、内向的な自分の奥でかすかに灯る「優しさ」をメロディに変えてみようと思った。
大勢の前で激しいディスりは苦手。
でも、今なら自分が紡ぐ言葉に確信を持てそうな気がする。
「アンデッドリッチ。
確かにあんたの闇は深い。
だけど、俺たちは繋がるラップで支え合う。
その絆が 闇を超えていくんだ」
温かいメロディに乗せて、柔らかいリリックを押し出す。
空気が一瞬だけ静まり、死霊たちが首をかしげるように揺れる。
アンデッドリッチは馬鹿にしたように笑う。
「ぬるい情に縋るか?
そんな浅い光など一瞬で呑みこめる。
慈悲とやらは弱さの象徴。
この場で粉々に砕くまでだ」
腐食するような闇のフローが再び襲い、レオの心をえぐる。
しかし、レオは動じなかった。
後ろでマヤとファングが必死に闘志を燃やし、シェリーのDJがリズムをつないでくれる。
みんなの意志がレオに力を与える。
「なら砕いてみろ、俺たちの想いを。
弱さといえるなら、それでもいい。
けど、この優しさはもう誰にも奪わせない。
俺が今、ここで証明する」
その宣言とともに、レオは“癒しの言霊”を最大限に高めたメロディを紡ぎ始める。
ビートに優しいハーモニーが溶け込み、空間全体にじんわりとした暖かさが広がっていく。
マヤが高速ラップで合いの手を入れ、ファングのビーストスタイルが野性的な迫力を上乗せする。
シェリーはターンテーブルから重厚でいて温かなグルーヴを生み出し、闇のリズムに対抗。
やがて、四人の声が一つに混じり合った。
マヤの煽りが闇を裂き、ファングのシャウトが死霊を押し返し、シェリーの音響操作がアンデッドリッチの呪詛ビートを打ち消す。
最後にレオの“生きる力”がこもったフリースタイルが爆発する。
「闇に堕ちても 希望は消えない
震えた心が 強さに変わる
仲間と繋いだ この瞬間のビート
命が奏でる Rhymeを見逃すな」
そのリリックが響いたとき、アンデッドリッチの目の奥で揺らめく邪気が揺れた。
不死者であるはずの彼が、言霊の波動に耐え切れないのか、一瞬だけ後ずさる。
「くだらぬ…くだらぬぞ…
こんな脆弱な光に、なぜ俺が…」
アンデッドリッチは自分のラップを重ねようとするが、そこにはすでに隙が生まれていた。
ファングが鋭い一撃のようなラップを叩き込み、マヤがそれを煽り上げ、シェリーが相手の邪気を打ち壊すほどの強烈なビートを重ねる。
レオがとどめのリリックを放つ。
「闇に沈む悲しみを背負っても
俺たちは進むんだ 一人じゃない
笑われた優しさも 味方がいれば武器になる
命の歌で あんたの呪縛を超える」
崩れ落ちるように、アンデッドリッチの骸骨の身体から闇のオーラが剥がれ落ちていく。
死霊の合いの手が止まり、紫色の邪気が消えていく。
やがてアンデッドリッチは膝をつき、王冠を床に落とす。
「この…くだらぬ…繋がりごときに…」
呻くように最後の言葉を残し、その姿は灰色の塵に変わって城の床に散らばった。
長い長い闇の死闘は、四人のラップの力で終止符を打たれた。
マヤは荒い呼吸をしながら、拳を軽く握り締める。
ファングは尻尾をさすり、ほっとした様子で床にしゃがみ込んだ。
シェリーはターンテーブルを抱きかかえ、頭を振って息を整える。
レオは震える膝を押さえつつ、ヘッドホンを外して床に両手をついた。
彼らはまだ未熟だ。
けれど、仲間同士で支え合い、互いのスタイルを活かしてラップで闇に立ち向かった結果、誰もが不可能だと思っていたアンデッドリッチを倒すことができた。
不意に、城の入り口から立ち去る気配があった。
レオが振り返ると、廊下の陰に黒いジャケットの男の影がちらりと見える。
ドレッドヘアが揺れ、サングラスの奥に目が光った気がしたが、すぐに視界から消える。
「オリバー…今、いた…?」
レオはそう呟いたが、返事はない。
まるで二度と姿を見せる気がないように、彼はひっそりと立ち去ったのかもしれない。
城の天井から差し込む微かな月明かりが、骸骨の残骸を照らし出す。
その光の中、レオ、マヤ、ファング、そしてシェリーは静かに視線を交わした。
暗い闇を切り裂いた達成感と、まだ見ぬ未来への戸惑いが混ざり合う。
誰もが息を飲んでいたが、マヤがひとつ大きく息を吐き出した。
ファングは尻尾を小さく振って、微笑に似た表情を浮かべる。
シェリーは頭を軽く振って、リズムの名残をかき消そうとする。
レオは胸を撫で下ろしながら、優しい瞳で仲間たちを見回した。
未熟かもしれない。
それでも、彼らは“絆”というかけがえのない力を得て、最凶のアンデッドを撃退するに至った。
そして、すべてを見届けるかのように、夜の静寂の中で彼らのラップの余韻がいつまでもホールに響いていた。
最終章「新たなビートへ」
空が白み始める頃、廃城の深い闇はすっかり姿を消していた。
レオとマヤ、ファング、シェリーの四人は、崩れかけた大広間の片隅に身を寄せ、夜通しの激戦を思い返している。
アンデッドリッチの邪悪な力は消え去り、死霊のざわめきも途絶えたままだ。
コンクリートのように固まっていた重苦しい空気が少しずつほどけ、外の世界に澄んだ風が流れ込む。
レオは薄暗い床から立ち上がり、ヘッドホンに静かな音を流す。
心を締め付けていた恐怖と緊張がほぐれ、代わりに大きな安堵感が胸を満たす。
彼の瞳は澄んだ茶色を取り戻し、いつもの柔らかい表情を浮かべていた。
「大丈夫、レオ?
まだ膝が震えてるようだけど」
マヤがショートヘアをかき上げながら、少し離れた場所で軽いストレッチをしている。
彼女のスポーティーな体格は、汗でうっすらと光っていた。
レオは小さく笑って首を振った。
「ありがとう。
もう平気。
僕が最後に“優しい言霊”を信じられたのは、みんなが支えてくれたからだと思う」
ファングは毛皮のコートの汚れを払い落とし、尖った牙をちらりと覗かせて唸るように笑う。
衝動的で荒々しい性格のままだけれど、マヤほどではないにしても疲労が隠せない様子だ。
それでも尻尾がゆっくり揺れているあたり、どこか満足気だ。
「ま、最後のフリースタイルはキレイに決まったじゃねえか。
アンデッドリッチのヤツ、相当の強敵だったけどよ。
お前の優しさが逆に致命傷になったってわけだな」
シェリーはターンテーブルとゴーグル型ヘッドホンを大切そうに抱き、紫の髪をツーブロックに分けたスタイルを手で整えている。
ふだん飄々としている彼女も、今はさすがに汗ばんだ笑みを浮かべていた。
「ほんと、あんな強烈なネクロ・リリックは初めてだったわ。
最初はビビったけど、ファングとマヤの煽りが効いたし、レオの“癒しの言霊”がなきゃ正気保てなかった。
それにしても…」
彼女の視線は城の奥の廊下へ向く。
ついさっきまで、誰かがそこに立っていたような痕跡が微かに残っている。
とっさに目が合ったのは、長身でドレッドヘアの男。
「オリバー…だよね。
最後まで姿を現さなかったけど、ちゃんと見守ってたのかも」
マヤが小さく息をつきながら呟く。
レオはオリバーとの厳しいラップバトルを思い出し、自分の弱さを鋭く突かれた感覚を思い返す。
それでも今は不思議と心に曇りはない。
「彼は彼で、復讐のためにずっと闇を追いかけてたんだろう。
でも、僕たちとは違う道を選んだんだと思う」
レオは首にかけたヘッドホンをそっと外す。
オリバーが去り際に残した静かな気配は、どこか孤独と悲しみを孕んでいたような気がする。
いつかまたどこかで、ラップの火花を散らす機会があるかもしれない。
ファングは尻尾を軽く振って鼻を鳴らす。
「オリバーがこれから何をするかは知らねえが、奴が望むならいつでもラップで相手してやるさ。
つうか、まだシャドウって魔族ラッパーもいるしな。
どこかの闇でしぶとく生きてそうだぜ」
マヤは頷き、ショートヘアを揺らしながら遠くを見つめる。
彼女が苦手としていた繊細な感情表現も、今はほんのりと優しさを帯びているように見える。
「そうだね。
アンデッドリッチは消えたけど、世界が平和ってわけじゃないし。
闇はまたどこかに潜んでるかもしれない。
でも、私たちなら乗り越えられるでしょ」
シェリーはターンテーブルを抱えなおし、ゴーグルを少し上にずらす。
「ま、あたしは次のパーティで忙しくなるかも。
世界が混乱しても、ビートは止まらないしね。
みんなが心を取り戻すためにも、新しい音を生み出さなきゃ」
レオは軽く笑い、廃城の崩れた壁の先から差し込む朝日に目を細める。
自分が最初に抱えていた“弱さ”は、完全に消えたわけではない。
けれど、内向的で優しいリリックがあっても、仲間と一緒なら闇を払うことができると知った。
「僕、優しい言霊でもちゃんと戦えるってわかった。
自分にも、守りたい人たちにも誇れるラップを届けられるようになったんだって実感できる」
その言葉に、マヤが笑みを返す。
ファングは尻尾を大きく振り、シェリーは軽く手を振って合図する。
四人は廃れた城を後にし、出口へと足を進めた。
外には、眩しい光の中で鳥の声が響いていた。
アンデッドリッチによる闇の支配は終わり、世界のあちこちで人々が再び自分のビートを刻み始めるだろう。
シャドウが今どこで何をしているのかはわからない。
オリバーが何を思い、どんなラップを続けるのかも未知のままだ。
それでも、レオたちが手にした“絆”は確かだ。
ファングは好物の肉料理を思い出したのか、早く帰って宴会をしようと鼻を鳴らす。
マヤは甘いスイーツを食べたいと騒ぎ、シェリーは新曲のビートを試したいと口を開く。
レオは照れたように笑いながら、ヘッドホンを首にかけ直す。
恐れや葛藤は消え去ったわけではないが、仲間がいる限り、どんな闇でも乗り越えられるだろう。
日差しを浴び、彼のやや長めの癖っ毛がふわりと揺れた。
その瞳は静かに、けれど確かな自信を映している。
こうして、一行のラップの旅はひとまず区切りを迎える。
村で始まった小さな衝動が、いつしか世界を覆う闇を払い、そして新しいビートを刻む力へと変わった。
相変わらずレオのラップは優しいままだが、それでも、大切なものを守れる強さを宿していると実感できる。
陽ざしが少しずつ強くなる中、レオはふと立ち止まってヘッドホンを耳に当てた。
自分の作ったメロディが、今は仲間たちの足音や声と重なり、何とも心地よいハーモニーを奏でている。
また新たなビートを追いかける日はきっと来るだろう。
そう思いながら、レオは誰にも聞こえない小さな声でフリースタイルを口ずさんだ。