
彼女を女友達にNTRされましたが、なぜかドキドキしてます。
第1章 三人の日常と小さな違和感
第一節
「悠太、今日は何の曲練習してるの?」
「いや、特に決めてないんだけどさ。何度弾いても飽きない曲って、あるじゃん。」
玲奈がストレッチをしながら笑う。
ゆるく巻いた黒髪が肩にふわりと落ちて、スタジオの蛍光灯を反射していた。
「私、ちょっと絵描いてるから、気にしないで。」
その横でスケッチブックを抱えた真由が少し遠慮がちに口を開く。
黒髪のショートボブがよく似合う彼女は、どこか伏し目がちに見える目元が印象的だった。
「真由、また玲奈の姿を描いてるの?」
「うん。ストレッチしてる姿とか、見ててきれいだなって思っただけ。」
「そうなんだ。いつか私も、真由の描くイラストみたいにキレイに動けたらいいな。」
玲奈が軽く背中を反らせると、真由はチラリと視線を上げて、そのしなやかなラインを見つめる。
「……いいね。そのポーズ。」
ぽつりとつぶやいた声は、いつもの落ち着いたトーンよりも少しだけ上ずっていた。
悠太はその小さな違和感を気に留めるでもなく、ギターの弦を一度かき鳴らす。
「おっ、いい感じ。玲奈は今度のライブでステージ上で踊る予定とかあるの?」
「まさか。軽音サークルなのに私だけ踊るわけにもいかないでしょ。まあ、ちょっと振り付けを考えてる曲はあるけど。」
「そっか。それ面白そうだよね。」
悠太は適当な相づちを打ちながら、チューニングをもう一度確かめる。
そのとき、真由が玲奈に視線を向けつつ、どことなく浮かない表情をしているのが見えた。
けれど、彼女が何を思っているのかまではわからない。
「ねえ、悠太。」
「ん?」
「私と真由、どっちが好き?」
玲奈が冗談めかして言うと、悠太は一瞬ぽかんとする。
だが、すぐに「玲奈が一番に決まってるだろ」と笑顔で返した。
「ひどいなあ。私のことも好きって言ってくれてもいいのに。」
真由がふわりと笑う。
そのときの笑みは、どこか寂しげなように見えた。
悠太も玲奈も、その一瞬の表情にあまり気づかない。
「じゃあ、そろそろ練習始めようか。」
「うん。私も描き終わったら聴かせて。」
玲奈が軽快に立ち上がり、真由はスケッチブックを抱えたまま微笑む。
ごく自然に見える三人のやり取りだったが、真由の瞳に映る玲奈の姿は、少し特別な輝きを帯びていた。
部室の空気には、仲良し三人組の楽しげな雰囲気が満ちている。
しかし、真由の胸の内には言い知れないざわつきが生まれていた。
そんな微妙な違和感を覚えるまでもなく、悠太は「三人でいるのが当たり前」としか思っていない。
けれど、この日を境に、彼女たちの関係はゆっくりと揺れ始めていく。
第二節
「悠太、今日バイトは?」
「夜からだよ。だから夕方まではサークルの練習に集中できる。」
「そっか。じゃあ真由も一緒に何か食べに行こうよ。」
玲奈がスマホを片手に声を弾ませる。
彼女の明るいトーンを耳にすると、悠太も自然と笑顔になる。
「行く行く。私、ちょうどお腹すいてきたとこ。」
真由がカフェラテ色の瞳をわずかに細める。
黒髪ボブがさらりと首筋で揺れ、内向的なイメージとは裏腹に、どこか魅力的な空気をまとっていた。
「じゃあ、サークル終わったら三人で駅前のカフェに行こうか。」
「うん、賛成。」
そう言い合いながらも、悠太は内心で小さな引っかかりを感じていた。
真由が玲奈を見つめる目が、まるで憧れというよりは何か特別な感情を込めているように思えてならない。
「真由、最近よく絵を描いてるよね。玲奈の姿ばかり……なんか熱心だなあって。」
「え、そ、そうかな。可愛いからつい描いちゃうだけだよ。」
「やめてよ、照れる。」
玲奈は少し顔を赤らめて笑う。
悠太はそのやりとりを見て、軽いジェラシーを覚えるのと同時に、自分の勘違いかもしれないという思いも頭をよぎった。
「……でもなんか、真由の絵って愛情こもってる感じするよね。」
「当たり前だよ。モデルが玲奈だもん。」
真由が軽くウインクするように片目をつぶる。
冗談なのか本気なのか判断しづらい微妙な声色だった。
悠太は思わずギターケースを抱える腕に力が入り、心がざわつく。
「じゃ、先に部室行こうか。みんな待ってるだろうし。」
話題を変えるように悠太が歩き出す。
玲奈と真由は顔を見合わせて笑い、悠太の後を追う。
サークル室に入ると、メンバーが談笑していた。
いつもの賑やかな光景だ。
二人の男子が「悠太、ちょっと新曲聴かせてよ」と声をかけてくる。
玲奈は「私は踊れる曲がいいな」と言い、真由はそんな彼女の横顔をスケッチブック越しにそっと見つめていた。
「おーい、真由も一緒に聴いてよ。」
「うん、わかった。」
真由は少しだけ頬を緩めて、玲奈の隣に腰を下ろす。
近くに並んだときの二人の距離感が、なんとなく悠太の目に焼きついて離れなかった。
「よし、じゃあ簡単に弾いてみる。」
悠太がギターをかき鳴らすと、玲奈は軽いリズムを取るように肩を揺らし、真由は静かにペンを走らせる。
三人それぞれが違うことをしているのに、不思議と一体感があった。
だが、悠太は心の隅で思う。
真由がこれほどまでに玲奈に惹かれるものがあるとしたら、それはいったい何なのだろうと。
自分には理解できないほどの特別な気持ちが、そこに存在しているのではないかと。
そんな疑念を抱き始めている自分に気づきながら、彼はメロディを奏で続けた。
第三節
「今日は疲れたね。サークルも盛り上がってたし。」
夕方になり、三人は駅前のカフェに入った。
玲奈はフルーツタルト、真由はパスタ、悠太はコーヒーだけ頼んでいる。
「悠太、それだけで足りるの?」
「俺、夜勤のバイトあるから胃もたれしないようにしておきたいんだよ。」
「そっか。でもちゃんと食べなよ。」
玲奈が心配そうに眉を寄せる横で、真由は静かにタルトをフォークですくっていた。
横から見ると、玲奈の笑顔に対してどこか切なそうな眼差しを向けている。
「ねえ真由、さっきの曲どうだった?」
「すごくよかったよ。悠太のギターって、聴き手の気持ちをほぐしてくれる感じがする。」
「そりゃ嬉しい。けど、まだまだ練習不足だと思ってるけどね。」
悠太は謙遜しながらも内心ほっとする。
だが、真由の言葉に何か重みがあるようで、その響きが妙に胸に残った。
「それに、玲奈のダンスも見られたし。すごく絵になるんだよ、あの動き。」
「ありがと。でも真由のイラストの方がよっぽど素敵だと思うんだけどな。」
「そんなことないよ。」
真由が小さく首を振る。
その目はまるで、「あなたこそが私の中では特別」というメッセージを秘めているようだった。
悠太は二人のやりとりを見ながら、自分が入り込む隙がないような微妙な感覚を覚える。
「ところで今度、また三人でどこか出かけない?せっかくだし遊園地とか行こうよ。」
「いいね。真由も行く?」
「もちろん。玲奈と……悠太も一緒なら、楽しいと思う。」
一瞬言いよどんだように聞こえた真由の言葉に、悠太は胸がざわついた。
しかし、玲奈は気づいた様子もなく「やった、じゃあ来週あたり予定合わせよう」と上機嫌だ。
「じゃ、そろそろ私は行くね。バイト遅刻しちゃうし。」
悠太が立ち上がると、玲奈も「気をつけてね」と笑う。
真由は軽く頭を下げ、「お疲れさま」と呟く。
店を出る前に、悠太はふと振り返る。
テーブル越しに目を合わせる玲奈と真由。
その光景が当たり前のはずなのに、どこか胸が落ち着かなかった。
「いってきます。」
そう言ってカフェを出た悠太は、背後で小さく笑い合う二人の気配を感じながら、複雑な思いを抱えたまま夜の街へ歩き始めるのだった。
第2章 ――芽生える疑念と募る想い
第一節
「悠太。最近、なんかぼーっとしてない?」
「そんなことないって。夜勤とサークルでちょっと寝不足なだけだよ。」
大学の廊下を歩きながら、玲奈が心配そうに覗き込む。
悠太はギターケースを肩にかけたまま小さくあくびをし、なんとか笑顔を作ろうとする。
「ほんと? 私には、何か悩んでるようにしか見えないけど。」
「大丈夫だって。玲奈こそ、昨日のダンスの練習で腰大丈夫なの?」
話題をすり替えるように悠太が聞くと、玲奈は「平気平気」と軽く腰に手を当てる。
隣を歩く真由はあまり口を開かず、時々ちらりと玲奈の仕草に視線を向けていた。
「そういえばさ、来週のサークル発表会、私はイラストの展示手伝う予定なんだよね。」
真由が控えめな声で切り出す。
彼女は黒髪ショートを軽く払ってから、視線を手元のスマホへ落とす。
「真由が描く絵、めちゃくちゃ評判いいじゃん。去年もみんなにほめられてたし。」
「そんな大したものじゃないよ。好きで描いてるだけだから。」
「でも、去年のイラストはすごかったよ。玲奈の踊ってる姿、あれ見たら誰でも感動するって。」
悠太が思わず口を挟むと、真由は少し照れたように笑う。
玲奈はそれを聞いて、「そうそう。私、あの絵が嬉しくてスマホの待ち受けにしてたんだよ」と楽しそうに言う。
「待ち受けにしてたの? 初めて聞いた。」
「だって真由が描く私、いつもより美人に見えるからさ。なんか自信つくんだよね。」
玲奈が明るい声で言い、真由は小さくうなずく。
そのとき悠太は、真由の頬がわずかに紅くなっているのを見逃さなかった。
「……やっぱり、何か特別な気持ちがあるんじゃないか。」
声には出さず、胸の中でつぶやいた悠太は、自分がそのことばかりを気にしている事実に気づく。
三人で一緒に行動しているのは当たり前のはずなのに、真由が玲奈へ注ぐ視線が以前より強いように感じられた。
「じゃ、俺はそろそろバイトだから。今日は練習休みだし、二人は先に帰る?」
「うん。私は真由とご飯でも食べて帰ろうかな。」
「そうなんだ。……じゃあ、また明日。」
玄関ホールに差しかかったところで、悠太は軽く手を振って別れる。
玲奈が「じゃあね」と笑顔を向けた横で、真由が小さく頭を下げる。
その目は玲奈の隣に立つ悠太に向いているようで、実は玲奈の後ろ姿を追っているようにも見えた。
校舎を出た悠太は、一人になると急にため息をつく。
夜勤がつらいわけではない。
ただ、真由の視線がどうしても気になってしまう自分がもどかしかった。
「女同士とか、そういう次元の話じゃないかもしれない。」
口に出さずに思い返しながら、悠太は人気の少ないバス停へ向かう。
心のどこかで、真由が玲奈を好きになったらどうなるのか考えている。
そんな想像をしてしまう自分に戸惑いながら、一日が終わろうとしていた。
第二節
「悠太、このイラスト見た?」
翌日、サークル室でギターのチューニングをしていた悠太のもとへ、先輩の男子が寄ってくる。
先輩が見せてきたスマホの写真には、真由が描いたと思われる女性のシルエットがある。
しなやかな手足にバレエシューズらしき形があり、それが明らかに玲奈を想起させるデザインだった。
「どこで撮ったんですか、それ。」
「さっき廊下で真由が飾り付けの下書きしててさ。サークル発表会用のイラストらしいけど、めちゃくちゃ完成度高いよな。」
先輩が感嘆の声を漏らし、悠太は視線を落とす。
写真に収められた下書きは柔らかな線で構成され、ダンスしている玲奈そのものを彷彿とさせる。
「……やっぱり、そうなんだ。」
悠太は心の中でつぶやき、スマホから目をそらす。
軽くお礼を言って先輩が去ると、真由の姿を探そうと辺りを見回す。
しかし、サークル室には真由はいなかった。
「そりゃ、外にいるか……。」
気になって部室を出ると、廊下の奥で真由が紙を広げて作業しているのが見える。
悠太はそっと近づいてみるが、どんな顔で描いているのかまでは見えない。
「真由、調子どう?」
声をかけると、真由は振り向いて「悠太……どうしたの?」と驚いた様子を見せる。
頬に髪がかかっていて表情は読み取りにくいが、彼女は戸惑いを隠せていないようだった。
「先輩が写真見せてくれた。あれ、玲奈がモデルだよね?」
「……うん。私の勝手なイメージだけど、姿勢とか雰囲気とか、あの子が一番絵になるから。」
真由は少し硬い声で答える。
筆を持つ手が微かに震えている気がして、悠太の胸はざわつく。
「真由が描く玲奈って、なんかすごいんだよ。こう……想いがこもってるっていうか。」
「そりゃ、私……玲奈がすごく、好きだから……。」
小さく落ちるその声に、悠太は息をのむ。
真由が言う「好き」が友情なのか恋愛なのか、悠太には判別がつかない。
けれど、一度芽生えた疑念がどうしても頭から離れてくれなかった。
「そっか。……すごく、いい絵だと思う。」
「ありがとう。もう少し仕上げたら、みんなにも見てもらうつもり。」
真由が短く答え、再び作業に戻る。
顔を伏せたままだが、その指先は震えが止まっているように見えない。
悠太はかける言葉を見つけられず、踵を返してサークル室へ戻る。
彼女が真剣な表情で筆を動かす姿と、玲奈を描いたあのイラストが重なり、胸が妙に締めつけられる。
「本当に、ただの友達じゃないのかもな……。」
思わずつぶやいてから、悠太は自分の頬が微かに熱を帯びていることに気づいた。
嫉妬なのか焦りなのか、あるいは別の気持ちなのか。
自分でもよくわからないまま、胸の奥に重たい塊が生まれそうになる。
第三節
「ねえ悠太、今日もなんだか落ち着かない顔してるよ?」
放課後、カフェテーブルについた玲奈が首をかしげる。
悠太は表情を隠そうと、急ぎ気味に水を飲む。
「いや……そんなことないよ。ちょっと寝不足でさ。」
「ふうん。あ、真由はバイト入ったらしいから、今日は二人だけだね。」
玲奈はメニューを広げて軽くうなずき、悠太はなんとなく気まずく目をそらす。
真由がいないだけで、なぜか心が落ち着かない。
そんな自分に戸惑い、余計に会話がぎこちなくなってしまう。
「そういえば、真由は発表会のイラストを頑張ってるみたいだね。玲奈はまたモデルになるの?」
「どうだろう……。本人がいいって言うなら私は喜んでポーズもとるけど、あの子の方から『見ないで』とか言われるときもあるし。描いてるとこ見られるの、恥ずかしいのかもね。」
玲奈がくすっと笑う。
スマホを操作する指先が楽しそうだ。
「真由が描く玲奈って、やっぱり特別な感じがするんだよな。」
「え? 特別?」
「うん。なんていうか、すごく……深い感情がこもってるように見えるっていうか。」
悠太の言葉に、玲奈はしばらく考え込むように沈黙する。
そして、意を決したように顔を上げる。
「ねえ、もし真由が……私のことをそういう意味で好きだったら、どう思う?」
「……え?」
思わぬ問いかけに、悠太はうまく答えられない。
玲奈は少しだけ不安げな表情を浮かべ、テーブルの上で手を組む。
「いや、別に確信があるわけじゃないんだけど。たまに、普通の友達同士と違う空気を感じるときがあって……私も変だよね。」
玲奈が苦笑いでつぶやき、悠太は心臓がドキリとする。
彼女がまさに同じ疑問を抱いていることがわかり、どこか胸が熱くなるような焦るような気持ちが湧いてくる。
「もし真由が玲奈を……そうだとしても、別に悪いことじゃないだろ。本人がどう思ってるか、聞くわけにもいかないしさ。」
「そうだよね。私も、どうしていいかわからなくて……。」
玲奈は小さく息をついて、メニューをそっと閉じる。
悠太も言葉を失い、沈黙が二人の間を覆ったまま時間が過ぎていく。
店内を見回すと、他の学生たちは楽しそうにおしゃべりをしている。
いつもの風景のはずが、今はどこか居心地が悪い。
真由が抱えている感情は何なのか。
そして、それを知った玲奈はどうするのか。
悠太は思考が堂々巡りを始めてしまい、コーヒーを一口飲んでも落ち着けない。
「……私、ちょっと外の空気吸ってくるね。」
「うん。わかった。」
玲奈は席を立ち、カフェの扉を開けて外へ出ていく。
残された悠太は、彼女の背中を見送る視線とは別に、真由の顔を想像していた。
それは単なる親友への心配ではなく、もっと複雑な想いが入り混じっている気がしてならなかった。
第3章 本心の片鱗と楽しい日々のはざま
第一節
「真由、悪いけどこのアンプ片付けるの手伝って。」
「うん。わかった。」
サークルの演奏がひと段落し、メンバーが機材を整理している時だった。
悠太はギターをスタンドに立てかけ、ステージ脇のアンプを動かそうとする。
真由はイラスト道具を少し脇に寄せてから、悠太の隣へ駆け寄ってくる。
「それ、重い? 私も端を持つから声かけて。」
「助かる。いくよ……せーの。」
二人が息を合わせてアンプを持ち上げると、少しだけバランスが崩れ、真由の肩が悠太の腕に触れる。
彼女の頬がわずかに上気したように見え、悠太は自分もなぜか鼓動が速くなっているのを意識してしまう。
「……ごめん、私が力入れすぎたかも。」
「いや、気にしないで。もうちょっと奥に……ここらへんで大丈夫かな。」
アンプを所定の位置に下ろしたあと、真由は手を軽く振りつつ小さく息をつく。
悠太はその横顔を見ながら、自分が話を切り出さねばと思う。
「真由、ちょっと聞いていい?」
「うん。何?」
真由はイラストボードを抱えたまま首をかしげる。
周囲にはまだ数人のサークルメンバーが残っているが、楽器の調整に集中していてこちらには気を留めていない。
「おととい……玲奈のこと、好きって言ってたよな。あれ、どういう意味?」
「……どういう意味、か。」
真由は視線をそらし、言葉を探すように唇を少し開く。
しかし、すぐには何も言えない様子で、代わりに静かに首を振る。
「友情として、かな……? それとも、もっと特別な気持ち?」
「……わからない。」
かすれたような声が真由の口からこぼれる。
彼女は俯き、黒髪のショートボブが頬を隠すように揺れる。
「わからないって言うけど、真由はすごく玲奈を大事に思ってるように見えるんだ。俺も、もちろん玲奈が好きだけど……何て言うか……。」
「ごめん。悠太には申し訳ないって思う。でも、止められないんだよ……。」
真由がしぼり出すように言い、イラストボードを胸に抱える。
悠太はその表情をどう受け止めればいいかわからず、複雑な気持ちが渦巻く。
「もし……もし真由が本当に恋愛として玲奈を好きなら……俺はどうすればいいんだろうな。」
「私にもわからない。でも、玲奈が笑うと私も嬉しいし……一緒にいるとドキドキする。そう思っちゃいけないってわかってるんだけど……。」
言葉を紡ぐたびに、真由の声は震えている。
悠太はその様子を見て、なぜか胸が痛むのと同時に奇妙な感覚を覚える。
彼女の想いを否定できない自分と、混乱する自分がせめぎ合う。
「……そっか。ごめん、無理に聞いたりして。」
「ううん。悠太が悪いわけじゃないよ……ただ、私の気持ちがぐちゃぐちゃなだけ。」
真由は少し笑おうとするが、うまく笑みが作れないようだ。
悠太はその場で言葉を失い、やりきれない気持ちを抱えたままサークル室の片づけを再開する。
その後ろ姿を見つめる真由もまた、小さく息をつきながら筆を握りしめていた。
第二節
「玲奈、今ちょっといい?」
「どうしたの、真由。外、寒いからこっち入って。」
夕方の廊下で声をかけられた玲奈は、少し首を傾げつつサークル室の隣にある空き教室へ真由を誘う。
窓が少し開け放たれたままの教室は冷たい風が入っているが、人の気配がなく話しやすい雰囲気だ。
「実は……今日、玲奈に見せたいものがあって。」
「見せたいもの? イラストかな。どんな絵? 私、真由の絵大好きだから嬉しい。」
玲奈が笑顔で身を乗り出すと、真由はバッグからスケッチブックを取り出す。
何枚かのページをめくった先には、躍動感のあるバレエを踊る女性の姿が描かれている。
「これ、玲奈がダンスしてるイメージ。まだ下書き段階だけど……どう、かな。」
「すごい。私、こんなにしなやかじゃないと思うけど、真由の絵っていつも不思議と理想的に見えるんだよね。」
玲奈は感心したようにスケッチを見つめる。
そこには柔らかな線で描かれたバレリーナ風の玲奈の姿があり、華やかさと繊細さを同時に放っている。
「玲奈、いつも明るくて元気で……私にはないものをたくさん持ってて……だから、私、描くのが楽しくて……。」
「それは嬉しいけど、真由だって素敵なものを持ってるよ。私にない集中力とか、感性とか……。」
玲奈がスケッチブックに手を伸ばしてペラリと次のページをめくると、そこにはさらに深みのある彩色の仮想ラフが並んでいる。
しかし、真由は慌ててそのページを押さえ込む。
「ご、ごめん……そっちはまだ途中で。」
「あ、そう? でもめちゃくちゃいい雰囲気だね。すごくドキドキするような絵っていうか……。」
玲奈が言いかけたところで、真由は手を止めて俯く。
そのまま沈黙が続き、廊下から誰かの足音が聞こえてくるが、ここには二人しかいない。
「……玲奈。私、あなたと一緒にいるときが一番落ち着くの。けど、それ以上に……どうしてもドキッとしたり……切なくなったりする。」
「え、それって……。」
玲奈の声が詰まる。
真由は視線を下げたまま、小さく呼吸を整えるように唇を噛む。
「自分でも、どうしようって思ってるんだけど……好き、なんだと思う。友達じゃ足りないって……思ってしまう。」
その告白じみた言葉に、玲奈の目が大きく見開かれる。
しばしの沈黙の後、玲奈は軽く息を吐いてスケッチブックを抱える真由の手にそっと触れる。
「……ありがとう。正直、驚いてる。でも嬉しい気持ちもあるし、どうしたらいいのか私もわからない。」
「ごめん、変だよね。私、あなたには悠太っていう彼氏がいるのに……こんな気持ち抱いちゃいけないのに……。」
「ううん。変じゃないよ。私も……最近、真由を見てるとなんだか胸が高鳴るときがあって……。」
二人は見つめ合い、その後一言も発せずに数秒が過ぎていく。
冷たい風が窓から入り、髪を揺らすたびに微妙な緊張が漂う空気を生み出す。
「玲奈……。」
「……真由、ごめん。ちょっと頭の中ごちゃごちゃしてて……でも、嫌とかじゃないんだよ。むしろ……。」
玲奈は言葉を切り、はっきりと伝えられないまま真由の手をほんの少しだけ握り返す。
その不器用なやりとりが、二人の間の微妙な想いを浮かび上がらせていた。
第三節
「週末は、三人で遊園地行くんだよね。天気、どうだろう。」
週末を前に、悠太はサークル室のソファでスケジュール帳を眺めている。
そこへ玲奈が駆け寄ってきて、ドリンクのペットボトルを手渡す。
「はい、練習お疲れ。天気予報だと晴れらしいよ。」
「それは助かる。雨だったら遊園地楽しめないしね。」
玲奈は軽く笑いながら椅子に腰を下ろす。
サークルメンバーがまだ機材を片付けている中、真由の姿だけが見当たらない。
「真由は先に帰ったのかな。最近、イラストの仕上げで忙しそうだから。」 「そうみたい。発表会用の展示に力入れてるんだって。」
玲奈はスマホをチェックしつつ答える。
悠太は「ふうん」と返事をしてから、視線を天井に向ける。
「なあ、玲奈。真由、どんな様子?」
「どんな様子って?」
「なんていうか……前より元気がない気がするんだよ。俺の勘違いならいいけど。」
玲奈は一瞬言葉に詰まったように見えるが、すぐに微笑を浮かべる。
彼女が髪をかき上げると、黒髪のロングがさらりと肩を滑り落ちる。
「真由は、ちょっと繊細なところがあるからね。自分の絵に納得いかないと落ち込みやすいし。」
「そっか……。でも、たまには息抜きもしないと。」
悠太は軽く背伸びをしながら、真由の不在をやけに意識している自分に気づく。
彼女の様子はどうなのか、玲奈は何を思っているのか——頭の中が整理できないまま時間だけが過ぎていく。
「それにしても、遊園地かあ。ジェットコースターとか乗るのかな。」
「真由がどう思うかわからないけど、私と悠太が盛り上がってたらきっと付き合ってくれるよ。」
玲奈が楽しそうに話す横で、悠太はどこか落ち着かない。
今までは三人一緒にいることがごく自然だったのに、ここ数日で三角関係めいた空気が漂い始めた気がしてならない。
「もし真由がなかなか来ないようなら、俺ら先に帰る? 外、もう暗くなりそうだし。」
「うん。じゃああと十分くらい待ってみて、それでも来なかったら連絡だけ入れて帰ろうか。」
二人が立ち上がり、サークル室のロッカーをチェックしていると、ドアが開いて真由がひょこっと顔を出す。
手にはイラストの入ったファイルを抱えていて、少し焦った様子だ。
「ごめん、待たせちゃった? ちょっとデザイン室に行って仕上げを頼まれて……。」
「全然平気だよ。そろそろ帰ろうかって話してたところ。」
玲奈が柔らかく笑い、真由はほっとした表情を見せる。
悠太はそんな二人を見守りながら、改めて思う。
この三人での時間が好きだけど、何かが少しずつ変わろうとしているのかもしれない、と。
「じゃあ、三人で駅まで行こうか。」
「うん。私も腹ペコだし。」
「それなら、途中のコンビニで軽く買い食いしてもいい?」
談笑しながらサークル室を出る三人。
だが、その笑い声の奥底には、まだ言葉にできない気持ちが隠されている。
ほんの少しだけ重たい空気が混じっていることを、それぞれが薄々感じながら廊下を歩いていた。
第4章 ――ステージの成功と失う予感
第一節
「悠太。準備、もう大丈夫そう?」
「たぶんね。ギターの音も出してみたし、後はリハの集合時間を待つだけ。」
学園祭の朝。
大学構内はいつも以上に活気づき、廊下には色とりどりのポスターや装飾が飾られている。
悠太は自分のギターをチェックしながら、ステージ裏のスペースに腰を下ろしていた。
「うちのダンスの方は、ほぼ段取りできてる。真由が描いてくれたポスターも貼り出して、いい感じに目立ってるし。」
「そっか。じゃあ真由はイラスト展示の設営が終わったらこっちに来る感じかな。」
玲奈が軽くストレッチをしながら答える。
彼女の黒髪ロングがふわりと揺れ、ステージ照明のテスト光で少しだけきらめいている。
「そういえば、昨日真由からLINEが来てさ。『初めてこんな大きいサイズの絵を描いたから不安』って。」
「真由、割と繊細なとこあるからね。でも大丈夫。あの子の絵、評判いいし、今回も絶対みんな驚くと思う。」
玲奈がそう言って微笑む姿を見ると、悠太はやっぱり少し胸がチクッとする。
真由の視線や言葉が、最近どうにも頭から離れない。
そして、玲奈と真由の間に流れる空気も、どこか自分が入りきれないように感じてしまう。
「悠太、顔が固いよ。大丈夫?」
「……ああ、ちょっと緊張してるだけ。ステージ立つの久しぶりだしさ。」
「ふふ、いつも通り弾けばいいよ。私もダンス、張り切って披露するから。」
玲奈はそう言って軽くウインクする。
彼女の笑顔は明るいが、胸の奥底では何を思っているのか悠太にはわからない。
「じゃあ、リハーサル行ってくるね。悠太も自分の番までゆっくり休んで。」
「わかった。俺も音合わせしておく。」
玲奈がステージ袖へ向かうと、スタッフの一人が「次、ダンスチームリハーサル入りまーす」と声をかける。
悠太はその背中を見送ったまま、ギターの弦を静かに指で弾く。
ドゥン、という低い音が彼の心にも振動を伝え、落ち着かない想いをさらにかき立てていく。
「ほんと、やばいな……俺。」
自分の中に生まれつつある不安と、妙な高揚感。
それらが混ざり合って、学園祭の華やかな雰囲気にのみこまれそうになる。
耳を澄ませると、遠くからダンスリハの曲が流れ始めていた。
まだ観客はいないステージ。
しかし、じきに大勢の学生や来場者が集まってくるはずだ。
その中で、自分はギターを弾き、玲奈はダンスを披露し、真由は絵を展示する。
いつもならそれだけでわくわくする学園祭だが、今の悠太の胸中には落ち着かないものが渦巻き続けていた。
第二節
ステージのリハーサルが終わり、いよいよ本番が近づいてくる。
学園祭のメイン会場では、すでにいくつかのサークルがパフォーマンスを披露し、観客の歓声がそこかしこで上がっている。
「悠太、もうすぐ出番だって。準備いい?」
「うん。ギターもチューニング大丈夫だし……気合い入れるよ。」
バンド仲間が舞台袖で声をかけ、悠太は深呼吸をする。
玲奈は自分のダンスチームと控え室で合流しているらしく、この場に姿はない。
「真由は……どこにいるんだろう。」
そう思って視線を巡らせていると、背後から小さな声がかかる。
「悠太……大丈夫? めちゃくちゃ緊張してるように見えたから。」
振り返ると、真由がイラスト展示のスタッフ用バッジをつけて立っていた。
彼女はいつもより少し落ち着かない様子で、そわそわと視線を左右に動かしている。
「そっちはもう展示終わったの? どうだった?」
「うん。とりあえず貼り付けとかは完了した。でも、お客さんが入るときは一緒にいるように言われてて……すぐには見れないんだけど。」
真由が抱きかかえるファイルには、何枚かの予備イラストが入っているらしい。
悠太はそのファイルをチラリと見つめ、彼女がそこに何を描いているのか気になってしまう。
「じゃあ、俺がステージ出るの、見に来れないの?」
「ううん。大丈夫、ちょっとだけ時間もらったから。バンド演奏、見たいし……玲奈のダンスも。」
真由の言葉に、悠太は思わず喉がつまる。
彼女が「玲奈のダンス」を特別に待ちわびているのは、なんとなくわかる。
だけど、その想いを否定する気にはなれない。
「そっか……ありがと。俺も一応頑張るけど、みんなの演奏だし、楽しんでくれたら嬉しいかな。」
「うん、楽しみにしてる。悠太のギター、好きだよ。あったかい感じがするから。」
真由はそう言って微笑むと、「それじゃ、あとでね」と言葉を残して去っていく。
その背中を見送る悠太の胸には、一種の複雑なドキドキが渦巻いたままだ。
「はあ……俺って、変に意識しすぎなのかな。」
メインステージのアナウンスが「次のパフォーマンスは軽音サークルのバンド演奏です」と告げる。
自分たちの出番が迫り、悠太は慌ててギターを手にする。
心を落ち着けようとするが、真由と玲奈の顔が交互に頭に浮かんでしまい、ますます混乱しか感じられない。
「よし……行くか。」
仲間に合図してステージへと向かう。
スポットライトがまぶしく、客席にはすでに多くの学生が集まっているのがわかる。
視線を遠くへ伸ばせば、きっと玲奈と真由もいるのだろう。
ドラムのカウントが始まり、ベースがリズムを刻む。
悠太は息をのみながらもギターを構え、最初のコードを思い切り掻き鳴らす。
この音が、二人の耳にどう届くのかを思うと、妙に胸が高鳴る自分に気づく。
第三節
「ありがとうー! 軽音サークル、佐藤悠太でした!」
演奏が終わり、客席から大きな拍手が沸き起こる。
悠太は額の汗を拭いながら、ステージの中央でギターを背負ったまま頭を下げる。
楽器を片付けながら観客席を見回すと、手を振っている知り合いの姿がちらほら。
「やったね、悠太! すごい盛り上がりじゃん。」
「ありがとう。みんなのおかげだよ。」
バンド仲間とハイタッチしつつ、舞台袖に戻る。
そこにはちょうど真由が来ていて、小さく拍手をしてくれる姿があった。
「よかったよ、悠太。すごく楽しそうに弾いてて、私も見ててワクワクした。」
「そ、そっか。ありがと……真由、今から玲奈のダンス、観に行く感じ?」
真由は小さくうなずき、ステージの奥に視線を向ける。
すると、すでに玲奈とダンスチームのメンバーが舞台裏で待機しているのが見える。
「うわ、ちょっと緊張する。こういう大きいステージでのダンス披露、玲奈も久々じゃない?」
「そうみたい。でも、あの子ならきっと堂々と踊ると思う。」
真由がバッグからスマホを取り出し、カメラを起動させようとする。
一方で、悠太もギターを片付けながら、玲奈の踊る姿を心待ちにしている。
「じゃあ、俺もこのまま袖で観てようかな……せっかくだし。」
「うん、一緒に観よう。」
ステージの照明が変わり、ダンスチームの紹介アナウンスが響く。
客席から「がんばれー!」という声が飛び、玲奈がチームメイトとともにステージ中央に姿を現す。
軽やかな音楽が流れ、彼女の身体がしなやかにリズムに合わせて動き始める。
「すごい……やっぱり玲奈って華やかだよね。」
「うん。表情もすごく生き生きしてるし……。」
真由はスマホを握りしめながら小さくつぶやく。
その目はまるで、尊敬と憧れと何か切ない感情が混ざったような光を宿している。
「うわ、あのターン……キレイに回ってる……さすが。」
「ほんと、綺麗だ……。」
悠太も思わず息をのむ。
しかし、その次の瞬間、ダンスがフィニッシュに近づいたところで観客から大きな歓声が上がり、玲奈とチームメイトは見事に一列に並んでフィニッシュポーズを決める。
「すごい拍手……!」
「うん、玲奈たち、最高だね。」
大きな拍手が鳴り止まず、ステージ上の玲奈ははにかむように笑顔を浮かべて頭を下げる。
そして舞台袖へ戻ってくると、真由がいても構わず思わず飛びつくようにハグする。
「やったよ、悠太……成功した!」
「お、おめでとう……玲奈、すごくよかった。」
悠太はそう言いながら玲奈の背中をポンポンと叩く。
すると、すぐそばで真由が立ち尽くしているのに気づくが、玲奈はそのまま真由の方に振り返り、興奮気味に近づく。
「真由、見ててくれた? 私、失敗しなかったよね!」
「……うん、すごかった、ほんとに……玲奈らしい踊り、素敵だった。」
真由が力を込めるように言うと、玲奈は思わず感極まったのか、彼女にもハグをする。
その瞬間、悠太は強い胸の痛みを感じ、こみ上げるような不安と嫉妬を覚える。
ステージの華やかな成功の裏で、三人の関係には微妙な揺れが走り始めていたかのように思えた。
第5章 本当の気持ちと新たな風景
第一節
「悠太、こんなところにいたんだ。」
「……真由。」
夜の街に点在する小さなバーのカウンター席。 薄暗い店内には数人しか客がおらず、ほんの少しけだるいジャズが流れている。
悠太はカウンターに肘をつきながらグラスを眺め、視線は定まらない。
「ごめん、まだ俺たちが未成年の設定だったら、ここで飲んでるのはフィクションってことで。」
「うん、大丈夫。私も冷たいジュースだけ頼んでるから。」
真由が隣に腰かけ、控えめにグラスを置く。 手の中のファイルがわずかに震えているように見えたが、その表情は硬いままだ。
「どうしてここに?」
「玲奈から聞いて……悠太が一人でバーに行ったって。心配になったから来ちゃった。」
淡々とした語り口ながら、真由の視線には焦りや不安が混ざっているように感じられる。
悠太は氷の音がカランと小さく鳴るのを耳にしながら、ため息まじりに口を開く。
「俺、玲奈を失ったのかもしれないって思ってさ。けど、止めたいような、止めたくないような……意味わからなくて。」
「……玲奈に、ちゃんと話を聞いた?」
真由がそっと問いかける。 悠太はグラスの中の氷を指先で回しながら、首を横に振る。
「ふつうの友達関係を超えた二人の仲の良さを見て、頭が真っ白になった。なのに変なんだよ……二人がハグしてるところ思い出すと、苦しいのにゾクゾクもする。」
「悠太……。」
真由は小さく息を飲む。
あのステージ裏でのハグは、玲奈と自分が本当の気持ちに気づくきっかけでもあったが、悠太にとっては混乱の種になっているのだとわかる。
「ごめん、こんなの迷惑だよな。俺は玲奈の彼氏だったはずなのに。真由の気持ちもわかってるつもりなんだけど。」
「迷惑なんかじゃない。私も、最初は自分の中の気持ちをどう扱ったらいいかわからなくて……焦ってばかりだった。」
店の奥から小さな音楽が変わり、しっとりしたピアノのメロディに切り替わる。
真由は意を決したようにバッグからスケッチブックを取り出し、悠太のほうへ向ける。
「これ、玲奈を描いた最後のイラスト。さっき展示会場を片づける前に回収してきたんだ。」
「……すごくきれい。けど、どこか儚い感じがするな。」
ページには、ダンスのポーズを取る玲奈の姿が大きく描かれている。
背景は淡い色彩の抽象模様で満たされ、見ているだけで胸が締め付けられそうな美しさが漂っていた。
「私、これを描いてる最中に『玲奈のことをこんなに好きなんだ』って、もう嘘をつけないって思った。だから、玲奈にも正直に言うしかないって決めた。」
「玲奈は……何て?」
真由はスケッチブックを閉じると、まっすぐに悠太を見つめる。
「『同じ気持ちかもしれない』って。それでも、悠太を傷つけたくないって涙ぐんでた。」
「そっか……。」
悠太は苦笑いしながら、もう一口だけグラスを傾ける。
先ほどより視界がわずかにぼんやりしているのを感じた。
「だったら、俺にはもう止める理由が見当たらないんだよな。二人が並んでるのを見ると、嫉妬もするけど、どうしようもなくドキッとしてしまう。この感情は何なんだろう……。」
真由は複雑そうな顔をしつつも、そっと肩に触れる。
その指先は微妙に震えているが、どこか決意めいたぬくもりが伝わってくる。
「玲奈に会いに行こうよ、今。私も逃げずに向き合いたい。」
「……うん。わかった。もう逃げても仕方ない気がしてるし。」
悠太はカウンターにお金を置き、マスターに軽く頭を下げる。
真由もスケッチブックを大事そうに抱え、ドアへ向かう。
「行こう。三人で、話そう。」
夜風が吹きつける店の外に出ると、空には少しだけ星が見えていた。
混乱と戸惑いの中に、ほんの少しだけ希望にも似た予感を感じながら、二人は玲奈のもとへ歩き出す。
第二節
大学近くの女子専用シェアハウス。
門扉の前で足を止めた悠太と真由は、こわごわと呼び出しベルを押す。
オートロック越しに小さな応答音が響き、そのすぐ後に扉が開く。
「来てくれたんだ……真由。悠太も一緒なんだね。」
「うん。ちょっと二人で話したくて。」
玲奈が驚いた様子で迎えに出る。
彼女はパジャマ姿の上に薄いカーディガンを引っかけているが、目元は少し赤く見えた。
「寒いし……中に入る? みんな寝てるから、リビングの隅で話そう。」 「ありがとう。」
すでに深夜に近い時間帯のため、シェアハウスの共用リビングは電気が消え、薄暗い照明だけが点いている。
玲奈はソファに腰かけ、悠太と真由は少し距離を置いて座る。
「ごめん、こんな時間に押しかけて。どうしても話したくて……。」
「ううん。私も、一人で考えてたらどうしていいかわかんなかったから。」
玲奈の声はかすかに震えている。
真由がスケッチブックを取り出すと、玲奈はじっとそれを見つめる。
「それ、例のイラスト……?」
「うん。玲奈に見てもらいたいって思ってたもの。もう仕上げちゃったから、最終形はこれ。」
真由が開いたページには、完成版のダンス姿の玲奈が繊細なタッチで描かれている。
背景は淡いピンク色でぼかされ、そこにきらきらとした光の粒が散りばめられているように見えた。
「すごくきれい……こんなに優しく、でも強い雰囲気で描いてくれて……ありがと。」
「私が見てる玲奈は、こういうイメージなんだと思う。明るくて、華やかで、でも実は誰よりも繊細な……。」
真由は言いかけて唇を結ぶ。
隣で悠太も黙ったまま、二人のやりとりを見守る。
「ねえ玲奈……私、本当にあなたのことが好き。友達以上に好き。」
「……私も真由を大事に思ってる。最初は『こんな気持ちになるわけない』って思ってたのに、最近はずっと真由のことばかり頭に浮かんで……。」
玲奈は瞳をうるませながら、そっと真由の手に触れる。
その瞬間、悠太は胸の奥に突き上げるようなざわめきを覚えるが、なぜか否定する気にならない。
「悠太、ほんとにいいの……? 私たち、裏切る形になってしまうんじゃ。」
「……そうだな。裏切りかもしれない。けど、二人を止める理由を今の俺は見つけられないんだ。むしろ……。」
悠太は言葉を濁しつつ、複雑そうに笑う。
玲奈と真由が手を取り合う姿に胸が痛む半面、なぜか胸が高鳴る自分も確かにいる。
「玲奈が幸せなら、それが一番なんじゃないか……。あと、真由が安心できるなら、それも嬉しいと思ってしまうし……ね。」
「悠太……。」
玲奈は涙をこぼしそうになりながら、真由のほうへ顔を向ける。
彼女の指先が真由の髪に触れ、真由は小さく首をすくめるようにして遠慮がちに微笑む。
「ごめん、私たち、もしかしたらすごくわがままなのかも……。」
「でも、嘘つかれるほうがつらいよ。二人の気持ちが本物なら、止める権利は俺にはないから。」
悠太の言葉に、玲奈と真由は互いにうなずき合う。
小さく肩を寄せ合いながら、視線を交わし、そのまま自然に手を重ねる。
少しだけ戸惑ったように見つめ合った後、お互いが安心したように息を吐いた。
「……私、真由と付き合いたい。悠太には本当に申し訳ないし、ずっと悩んだけど、それでも真由のことはもう放っておけない。」
「玲奈……ありがとう……。私も、本当はそれが一番の願い。」
真由が涙をぬぐい、玲奈を見上げる。
傍らで悠太はその光景に言い知れぬ衝動を覚えながらも、ぎこちなく笑う。
「そっか……二人がそうなら、受け入れるしかないよな。なんか変だけど……俺、ちょっとドキドキしてるんだ。」
「悠太……ごめん、こんな形になって……。」
「いいって。玲奈が笑ってるなら、俺もそれでいい気がしてきた。」
玲奈と真由は深く目を合わせ、微笑む。
暗いリビングの中、それは穏やかであたたかい光景に見えた。
第三節
数日後の昼下がり。 大学の構内で、悠太はギターケースを背負いながら歩いていた。 サークル室に行く前にちょっとだけ自販機に寄ろうとした矢先、見慣れた二人の姿を見つけて足を止める。
「玲奈と……真由。」
二人は手をつないで並んでいる。 雑談をしながら、真由が描いたイラストの話で盛り上がっているようだ。 楽しそうな笑顔が自然にこぼれ、まるで恋人同士そのもの。
「もう隠す必要もないか。私たち、付き合ってるんだし……。」
「うん。みんなにはちょっと驚かれるかもだけど、開き直ってるよ。」
玲奈の声が微かに聞こえ、真由がこっくりとうなずく。 すると視線に気づいたのか、玲奈が「悠太!」と手を振ってくれた。
「やあ……二人とも仲良さそうだね。」
「そりゃ、もう開き直ってるからね。悠太こそ、バンドの練習? 頑張ってる?」
「うん、ぼちぼちかな。そういえば、次の学内ライブの企画、俺も参加する予定なんだ。」
悠太は照れくさそうに話しながら、二人の手がしっかりつながれている様子に胸が微妙にざわめく。
けれど、その奥にはなぜか甘い興奮にも似た感覚があり、自分でも不思議だと思う。
「じゃあ、三人でご飯とか行く? 時間あったらだけど。」
「いいね。私、お腹すいた。」
「真由は?」
玲奈が尋ねると、真由は「うん……私も、行きたい」と軽く笑う。
以前よりも少し柔らかい表情に見えるのは、恋人になった玲奈の隣にいる安心感があるからだろう。
「じゃあ、学食が混んでたら外に行こうか。」
「うん。」
玲奈と真由は手をつないだまま歩き出し、悠太はその後ろを追いかける形になる。
まるでいつもとは逆転した光景に、思わず苦笑いがこぼれる。
「俺、こうやって後ろから二人を見ると、なんか胸がドキドキするんだよな……。変だよね。」
「変じゃないと思う。私も、悠太に関しては大事な友達だし……。」
「玲奈も同じ気持ちだよ。」
二人が楽しそうに笑い合い、悠太は不思議な満足感と切なさを同時に抱えたまま、歩みを進める。
振り返った真由が「早く早く」と手招きすると、悠太は自然と足を速める。
「ありがとう。俺、そんなに落ち込んでもないから平気だよ。二人の笑顔、案外悪くないって思ってるし。」
もう失恋したはずなのに、なぜか胸が高鳴る自分がいる。
学内の通路を曲がると、ちょうど陽の光がまぶしく差し込む広場に出る。
その場所で、玲奈と真由はちょっとだけ顔を寄せ合って笑い合い、再び悠太を振り返る。
「変なのかもしれないけど……恋愛の形って、本当にいろいろあるんだな。まさかこんな形で振られるとは思わなかったけど。」
悠太は自嘲気味に笑みを浮かべるが、その顔は不思議なほど明るい。
二人がはしゃぐ声を耳にしながら、ギターケースを背負い直してゆっくりと歩を進める。
「でもまあ、こうして三人でいると、なんかドキドキもするし……案外悪くないか。」
ちらりと玲奈と真由の手を握る指先に目をやり、胸の奥がざわめくのを感じる。
自分にとって新しい世界が開かれていくのを、なんとなく確信するような気がした。
「恋愛の形は想像よりもずっと自由……か。そうかもな。」
今日も空は青く晴れていた。