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【エッセイ】ラーメンとつれづれ日常話
第1章「行列と豚と、少しだけ昔の話」
東京に住んでいた頃は、とにかくラーメン二郎の行列に人生の一部を捧げていた気がする。
特に神保町二郎の待ち時間は“凶悪”で、下手すると平気で一時間、いや二時間を超えるなんてザラだった。
冬の寒空の下で湯気すら出ないホットドリンクを手に並ぶのは修行のようで、あまりにツラくなると「もう近くの空いてる店に逃げようか」と何度も心が折れかけた。
ほかにもひばりヶ丘駅前店や関内店にも足繁く通っていたが、やはりどこも一筋縄ではいかない行列ができていた。
誰が言い出したのかはわからないが「この行列こそが二郎の味の一部だ」と信じている人もいるらしい。
それでも列を耐え抜いた後の“豚”(二郎で言うチャーシュー)を目の当たりにすると、そんな苦労はいっぺんに吹き飛んだ。
脂身たっぷりのトロフワな豚が丼の上に鎮座しているのを見たら、たとえ膝が震えるほど並んでいようとも「やっぱり並んでよかった」と思えるのだから不思議だ。
実際、インスパイア系も含めていろいろ回った。
ラーメン富士丸西新井店、ラーメン豚山、東京駅近くのラーメン雷……どこもそれぞれの魅力があって飽きない。
しかし、最近はさすがに歳なのか、あのギトギトが少々きつくなってきた。そこで少し路線変更して、六厘舎のつけ麺をはじめとする“魚介とんこつ系”に手を出すようになり、これがまたハマる。
喜びは減らないが、お腹の肉が増えてくるのが困りものだ。
妻からは「あなた、最近ほんとにお腹まわりヤバイよ」としょっちゅう言われる。“しょうがないじゃないか、好きなものは好きなんだから”と心の中で反論したいが、実際に言うと火に油を注ぐので口にはしない。
その代わりと言ってはなんだが、子供が大きくなったら一緒に二郎系巡りをしたい、なんてときどき夢想する。
うちの息子は今はまだ小学生だから、激しい背脂の洗礼を受けるにはいささか早すぎるだろう。
ただ、背丈はあまり大きいほうではないが、やんちゃ盛りでサッカーを頑張っているので、将来の胃袋の余裕には期待している。
近い将来、二郎デビューの日が来るのかと思うと、今からちょっとわくわくする。
もっとも、東京にいた頃はよく一緒に行列に並んでくれた“知り合い”がいた。
あまりこういう話を詳しく語るのははばかられるが、とにかくラーメンへの情熱の塊のような人だった。
その人の行動力には驚かされっぱなしで、こちらが「ちょっと今日は並ぶのしんどいかも」と尻込みしていると、さも当然のように「せっかく来たんだから行こうよ」と背中を押されてしまう。
今となってはどうしているのか連絡を取る機会も減ったが、あの熱量のおかげで私のラーメン好きが加速したのは間違いない。
いつか懐かしい思い出話をつまみに、また並んでみたいものだ。
ともあれ、長い行列も豚のボリュームも、すべて含めてラーメンの醍醐味だと考えている。
こうして書いているだけでもヨダレが出そうだが、最近は静岡のほうで暮らしていることもあり、東京ほど手軽に巡れないのが少々残念。
まあ、たまに遠出のついでに寄ってみるのもいいのかもしれない。
新幹線で腹を空かせて上京し、目的地で待ち受けるは濃厚スープと巨大な豚――想像するだけで幸せな気持ちになる。
妻にはあまり賛同してもらえないが、息子が大きくなれば理解者になってくれるかもしれない。
そう信じて、私は今日もこっそり運動不足の身体を鍛えずに、ラーメンの写真を眺めては次の一杯を夢見ている。
第2章「瓶牛乳の行方と、サッカー少年の寄り道」
先日、我が家でちょっとした珍事件が発生した。冷蔵庫のポケットに置いたまま忘れていた瓶牛乳を、つい「殺菌してあるから大丈夫だろう」と放置し続けていたら、なんとヨーグルトになっていたのだ。
正直、ヨーグルトらしき白い塊を見た瞬間は「これはこれでアリかも?」と少し興味をそそられたが、思いとどまってそのまま捨てることにした。
私の好奇心が勝るのが先か、妻の怒声が先か――そこは危険を回避した自分を褒めたい。
さらに困ったのが、スーパーで買ってきた焼きカレーだ。
ひと仕事終えて小腹が空いた夜に温めていたはずなのに、そのままレンジの中に放置していた。
気づいたのは二、三日後。何かを再加熱しようとして扉を開けたら、埃まみれのようになった焼きカレーがそこに鎮座しているではないか。
さすがに腰を抜かしそうになった。
ご想像どおり、妻にもきっちり叱られた。
私としては「まあ誰しも一度はやるだろう」と言いたいところだが、深く反省していることだけはここに記しておこう。
そんな私のズボラさ加減は今に始まったことではない。
実は生まれも育ちも静岡で、小学生の頃、何の勢いかサッカー部に入ってみたものの、練習についていけずにあっさり挫折した過去がある。
わたしの運動神経は、言うなれば“カッチカチ”で、脚はまるで金属バットのようにボールを跳ね返す。
結果、1年と持たず退部してしまった。
そのときの「部活つらいなあ」なんて気持ちを思うと、いまだに脳裏に嫌な汗が浮かぶほどだ。
だからこそ、うちの息子はサッカー部に入れた。
彼は小学高学年ながら元気があって、私のように根性なしで辞める様子はない。
サッカーが好きならとことんやればいい――そう思うのだが、最近は部活以外にもコンビニや友達の家に寄っているらしく、帰宅時間が遅いのが気になる。
いくら元気いっぱいとはいえ、夕飯前に駆けずり回っているのか、あるいは道草を食っているのか。
キッチンで妻が「そろそろ夕飯だよ」と急かすときに、ふと「どこにいるんだろうなあ」と気にしてしまう。
もっとも、私自身が子供の頃は大抵寄り道三昧だった。
鈴カステラやミニヨーグルト、ミニ桜もち、ピンク色の麩菓子……ああいう駄菓子を眺めている時間が至福で、よく駄菓子屋に入り浸っていた。
その資金源がどこから来ていたかと言うと、親の定期購読していた雑誌の代金からこっそり千円をくすねていたという、いま考えると相当腹黒い行いである。
先生や親の前では何食わぬ顔で「お金が無くなった? そんなの知らないよ」なんて態度を取っていた。
大人になってから母親に白状したら、思いのほか落ち込んでいた。
自慢のできる話ではないが、人というのは成長とともに罪悪感が追いついてくるものなのだろう。
そんな情けない過去を思うと、息子の遅い帰りについても大目に見てあげたい気持ちがわく。
むろん、妻の説教が待っている以上、あまりにも遅ければちょっとは注意せねばならない。
しかし私には、息子が駄菓子屋や友達のゲームに夢中になっている姿が何となく想像できるのだ。
どこをどう歩いているのやら、と時々携帯を眺めてしまうあたり、自分でも何か“落ち着かない気分”を抱えているのかもしれない。
ま、これも子供の健全な遊びだということで、しばらくは見守ってみよう。
今のところ、学校から特にクレームは来ていない。せめて私のように大失敗をしでかさなければいいのだが――そんなことを思いつつ、ふと冷蔵庫の扉を開ける。
念のため、先日のヨーグルト化事件の再来がないかを確かめる習慣ができてしまったのは、何とも複雑な話である。
第3章「帰りを待つはずだったのに」
今日は、いつものようにお気楽な話を書く気分になれない。
正直に言うと「いつもと違う話になることをお詑び申し上げます」と、まずは断っておかなければならないほどの出来事が起きてしまった。
先日から、息子の帰りがやたら遅いと気になってはいたが、まさかこんな形で決着がつくなんて思いもよらなかった。
息子が帰宅しない晩が続き、不安を抱えつつも「そのうちフラッと戻ってくるのでは?」と呑気な自分がいた。
ところが一日経っても、二日経っても姿を見せない。
さすがにおかしいと思い、警察に捜索願を出した。
まさか自分がそんな書類を出す日が来ようとは──こういう書面はテレビドラマの中だけの話だと勝手に思い込んでいたのだ。
不穏な胸騒ぎは、ある朝、悪い現実として突きつけられた。
近くの河原で息子の遺体が発見されたと警察から連絡を受けたのだ。
普段なら「河原」と聞くとバーベキューや釣りのイメージが浮かぶのに、その日の河原の光景はどんなものであれ全く頭に入らなかった。
ただ、心臓がドクンドクンと鳴っていたことだけは覚えている。
うまく言葉にできないが、最初は「何かの間違いでは」と疑った。
呆然と突っ立っていると、妻が隣でくずれるように泣いていた。
こういう事態が起こると、自分がいかに普段通りの日常に依存していたかを思い知る。
ラーメン屋に通うだの、冷蔵庫で牛乳を放置しただの、そんな出来事はすべて遙か遠くの思い出話のように感じられた。
人間の脳というのは、ショックが大きいといきなり過去の記憶を棚に押し込めてしまうらしい。
自分が仕事をしていた頃の記憶までもが、まるで古いアルバムの裏に貼りつけられた写真のように色あせている。
告別式と葬儀では、同級生たちが列をなして涙を拭っている姿が印象的だった。
子供というのは大人が考えている以上に純粋に悲しみを共有するものらしい。
その光景を見ても、自分の胸のうちに渦巻いているものは“実感のわかない悲しみ”というか、身体の一部がすぽっと抜け落ちたような感覚だけだった。
妻はずっと息子の写真を握りしめていたけれど、私にはそれを見て話しかける言葉すら出てこない。
何もかも“どうでもいい”という気持ちが唐突に押し寄せ、仕事も手につかず、パソコンを開いても視線が虚空をさまようばかり。
それまではちょっとした買い物でも息子を呼び出して「一緒に行くか?」と声をかけていたが、その相手がいなくなった生活は戸惑いしかなかった。
家の空気が変わったといえばいいのか、あるいは色彩を失ってしまったのか、表現のしようがない。
いつもならこんな文章を書くときは、最後に「さて、また次のラーメン店でも探してみますか」とか冗談で締めくくるのが常だった。
だが今はそれができない。
だから今回ばかりは“しめっぽい”と言われようと、申し訳ないと思いつつ、ここで筆を置くことにする。
「いつもと違う話でごめんなさい」──これが今の私にできる最大限の言葉だ。
こんなことになるなら、あの冬の寒さだって喜びに変えられるほどのエネルギーが息子にはあったのに、と悔やんでも悔やみきれない。
それでもページの上で何かを伝えるしか手段がないから、こうして書き残しておく。
私たち家族にとって、長く果てしない闇の入り口に立っているような、そんな心持ちでいるのだ。
第4章「捜査と疑惑と、引き出しの奥の過去」
事件からしばらく経ち、わが家には警察の人たちがちょこちょこ顔を出すようになった。
近所の交番勤務らしき若い巡査から、いかにも刑事ドラマに出てきそうな渋いスーツ姿の捜査員まで、バラエティに富んでいる。
私はどちらかというと「お巡りさん=道案内」ぐらいのイメージしかなかったのだが、今回はそうはいかない。何しろ「事件」だからだ。
聞かれることは多岐にわたる。最後に息子を見かけたときの様子や、普段の友達関係、部活のこと、さらには私たち家族のふだんの生活サイクルまで。果てには「奥さんとの仲はどうですか?」なんて、プライベートの核心に突っ込んでくる。
いや、そもそもそんなに仲が悪いわけではない…はずなのだが、いざ聞かれると歯切れが悪くなる。
インスタントラーメンのスープみたいに、うまく混ざらない沈殿物が少々あるような気がしないでもない。
もっと困るのが、私自身への質問がやたらと細かいことだ。
「最近は何をされてましたか?」「夜はどこに行かれましたか?」といった外出確認はもちろん、意外なことに「東京に住んでいた頃のお知り合いは?」なんて切り込んでくる。
いや、昔の知り合いは何人かいるが、詳しく語るにはちょっと抵抗がある。たとえば、“ラーメン好きな知人”の存在をどこまで話したものやら。
正直、向こうが何を疑っているのかも掴めず、つい言葉を濁してしまう。
妻はというと、私とは別の部屋で話を聞かれているようだ。
リビングから薄く聞こえる声が、いつになく低いトーンで続いているのがわかる。
それでも客間や台所は片付いていて、外から見れば「普段通り」にも見えるかもしれない。
しかし、普段であればテーブルに置いてあるはずのティーセットが、今日はやたら奥まった位置に隠されている。
おそらく、落ち着いてお茶を淹れる余裕もないのだろう。
目の届くところにあったはずの冷蔵庫メモもどこかへ消えている。
とにかく家の中がそわそわしているのだ。
警察の方々も当然ながら真剣な表情で、家族以外にも息子の友人や学校関係者に聞き込みをしているらしい。
担任の先生はかなり驚いていたようで、「何か手がかりになることがあれば…」と協力を申し出てくださったと聞く。
そんな中、「もしかしたら家族内でゴタゴタがあったのでは?」という視線が私に向けられているのは、気のせいだろうか。
もちろん「いやいや、そんなことはないですよ」と答えはするが、どうにも言葉が足りない気がする。
まるで、引き出しの奥にしまい込んだ何かをこじ開けられそうで落ち着かない。
実を言うと、私には東京で暮らしていた頃の話をあまり大っぴらにしたくない理由がある。
大昔からの友人ならまだしも、深く立ち入られると困る“知り合い”というのが存在するのだ。
もちろん、これは事件とは全然関係ない……はずなのだが、そういうときに限って「あの人、今どこで何をしてるんだろう」と頭をよぎってしまう。
以前、思いがけずSNSでつながったきり連絡を取っていなかったが、なぜか最近「お元気ですか?」というメッセージが届いていたような記憶もある。それを警察が知ったら、あらぬ方向に疑われやしないだろうか。
世間は想像以上に“事件”というものに敏感なようで、近所でも妙に距離を置かれる気配を感じる。
わが家の前を通る際に視線を感じることが増えたし、ゴミ出しに行けば「こんなタイミングだけど大丈夫?」なんて、どう反応していいか困る声をかけられる。
いつのまにか外を歩くときも、周りの顔色をうかがう自分がいる。
それでも食事は取らなければならないし、洗濯物も干さなくてはならない。日常の雑事は淡々と続くという不思議さを、私はこの数日で痛感している。
そんなわけで、警察の捜査は着々と進んでいる。
息子が学校でどんな行動をしていたのか、部活外でどこに寄っていたのか。それどころか、家族同士の人間関係まで丹念に調べられるらしい。
私としては「なぜ息子がこんな目に?」という気持ちがある一方で、自分が微妙に疑われている雰囲気もあって落ち着かない。
人間というのは、潔白なら胸を張ればいいはずなのに、何故か挙動不審になってしまうから不思議だ。
それでも、はっきりさせないと先に進めない。
私もできるかぎり協力するつもりでいる。
息子がなぜこんなことになったのかを知るためにも、あの東京時代の話を、いずれは誰かに話す場面がくるのかもしれない。
引き出しの奥に眠る思い出は、今はまだ動かしたくないけれど、いつまでも封印できるかどうかはわからない。
何もかもが中途半端に宙ぶらりんで、これが“疑惑”というやつなのだろうか、とぼんやり考えている。
第5章「告白と、その後に続くもの」
さて、そろそろ正直に書かねばならない。
私の筆は一見、軽妙なエッセイを装ってきたかもしれないが、じつを言うとその裏には、かなり洒落にならない真実が隠れていた。
実は――息子のことを、この手で殺したのは私だ。
こんな告白をいきなり聞かされても、多くの方は「冗談じゃないか?」と思うだろう。
ところが残念ながら冗談ではない。
そもそもあの子が大きくなったら二郎系ラーメンに連れて行くなどと言っていたが、それももう叶わない話だ。
どうしてこんなことになったのか? それは私が抱えていた、とある秘密から始まる。
東京に住んでいた頃、ラーメン好きの“友人”と一緒に行列に並んでいたと書いた。
しかし、単なる友人というよりは「愛人」というほうが正しい。
しかも、ヘビー級の豚入りラーメンを何時間でも並んで食べられるほどの行動力と、“妙な計算高さ”を持ち合わせていた女性だった。
私は当時、今の妻と婚約間近でありながら、どうにも誘惑には勝てず、その女性と深い仲になってしまった。
そして結婚して静岡に引っ越した後も、こっそり連絡を取り続けていたのだ。
しばらくは平穏な日々を装っていたが、最近になって彼女から連絡が入るようになった。
金銭的に困っているから助けてほしい、と。
困ったことに彼女は私との“親密な証拠”をいくつも握っていたらしく、もし支払いを渋るなら妻や世間にバラすと言い出したのだ。
さらに悪いことに、息子がスマホをいじっているとき、どうやら私とその女性のやりとりを見てしまったらしい。
純粋な息子が母親に告げ口するのは時間の問題だった。
そこで私の頭に浮かんだのは、“息子にバレるなら、黙らせるしかない”という短絡的な考えだった。
愛人の言葉を鵜呑みにしたわけではないが、「バレて困るなら、なかったことにすれば?」と何度か半ば冗談で彼女から言われていたのも事実だ。
気づけば河原で息子を呼び止め、衝動的に手をかけてしまった。
あまりにあっけなく、取り返しのつかない事態になった。
こうしてみると、人間というのは実に勝手な生き物だ。
ラーメンの脂身よりも自分の保身を優先するし、愛情があったはずの家庭さえも守る気力が失せる。
あれだけ面倒くさがりだった私が、ここまで必死に取り繕っていたのだから、ある意味すごい集中力ともいえるかもしれない。
では、なぜこんなふうに書き綴っているのか?
理由はふたつある。
ひとつは、警察の捜査が進んでいる以上、遅かれ早かれボロが出るだろうと悟ったこと。
いずれは何らかの方法で真実を告白しなければならないのなら、いっそ自分で自分の首を絞めにかかるほうがマシだと思ったのだ。
もうひとつは、これまで“軽妙なエッセイ”として読んでくださった方々を最後に裏切ってしまおうという、歪んだ自己顕示欲。
要は、これが私流の“舞台挨拶”なのである。
まるで舞台裏で悪役が「実はヒーローも僕が倒したんですよ」と囁くようなものだ。意地悪だと思われても仕方がない。
それでも、ここまで書いた以上はもう取り繕えない。
これまでの話をエッセイだと思って読んでいただければこそ、その裏に隠された冷酷さを感じ取っていただけるはずだ。
思えば、母親の雑誌代をくすねたのとは比べ物にならない悪事を犯してしまった。
ただ、あの頃の腹黒さは今も健在だなと我ながら思う。
人間の裏側とはこんなに薄っぺらいものか、と呆れる方もいるだろう。
いずれ警察が私を訪ねてくるだろうし、裁判か何かになるのかもしれない。
もしかしたらこの文章が証拠として提出される可能性だってある。まあ、どのみち世間にバレるなら、先に白状しておくのも一興というわけだ。
──ということで、この場を借りて改めて言っておく。
「実は私がやりました」という一文。
それこそが私が書きたかった結論だ。
エッセイ調で逃げ回るのはここまで。
読者の皆さんには、今まで軽妙な話を並べておいて最後にこんな仕打ちをして申し訳ない。
だが、ちょっと考えてみてほしい。
世の中のドラマやエッセイなんて、程度の差はあれ、どこかしら誇張や嘘が混じっているものだ。
私の場合、その“嘘”があまりにも大きかったというだけである。
最後までおつきあいいただいて、ありがとうございました。
これでやっと、筆を置くことができます。