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或る発狂詩人の独白

バナナの気狂いがミシシッピ川に抑留! 分裂! 足が割れる遺体ひどい死ぬ肩たたき蚊叩き明日はどっちこっち。あっちそっち? 目が痛いかゆいヒヤシンスシシカバブ、7は3! 5は7! 頭が割れそうにヘレンケラー、リバプールで待ち針、親不孝どもが笑う、俺も笑われる福神漬け? 昨日食べたら無かった、恋なんてしないけど足はない。ちぎれた足? どこへ行ったか知らないけどバケツの底が抜けた! 泥がごぼごぼ漏れ出す。あれは生きてる? 死んでる? いや、ぬるま湯に溶けてるチョコレート。舐めてみる? いや違う血の味か? 誰の血? 俺か君か。君は誰? 知らない顔、でも笑ってる、嘲笑ってる、ああ、やめてくれ。笑わないで。痛い痛い、耳が壊れる。鳴り止まない警報器。火事? 火事じゃない、あれはもっと赤い。どろどろ、あふれ出す赤い水。こっちに来るな、後ずさり、カーペットがぐしゃぐしゃ音立てる、まるで田んぼのように足がはまる。逃げたいけど逃げられない。誰かに呼ばれてる。行かないで、って声がする。誰だよ、そもそもここはどこ? 外の雨なのか血の雨なのか、区別がつかない。混乱、コンラン、分断、バラバラ。切り刻まれる。骨か? 骨までいくのか。いや、ギリギリで止まった刃物。誰の手が握ってるんだ? 俺じゃない。俺じゃない……はずだったのに。

……バタン。扉が閉まる。開いた? あれ、何かが転がってる。転がる音がする。ガラスのコップ? コロコロと割れないまま転がるわけがない。ぐしゃりと粉々、破片が突き刺さる、足裏に、指先に。痛いか? いや、痛いはずなのに痛みを感じない。血が床に広がっていく。濡れた足跡がリビングを横切って、台所までつながる。暗闇、ただ暗い。目を凝らすと見えるのは散らばる食器、倒れた椅子、よくわからない赤黒いシミ。ハエがぶんぶん飛び始めた? 夏の匂い? いや、季節は? 冬か夏かもうどうでもいい。時間が止まったかのように、空気は粘り気を帯びている。何かを叫びたいのに声にならない。喉がひゅうひゅう鳴って、脳みそが沸騰していく気がする。痛い苦しい、でも止まらない。思考が断片的に飛び散る。

……そこに誰かがいた気がする。もしくは今もいるのかもしれない。いや、もういない? どっちだ? わからない。だけど、床には人型の影がこびりついている。かたち、まるで黒い墨絵みたいにペタリと貼り付いて取れない。そいつは泣いてる? 笑ってる? それとも何も感情を持っていない? 俺は距離を取るように後ずさった。でも、その影を跨ごうとした瞬間、ずるりと滑って尻餅をついた。ひやり。背中にまとわりつく冷たさと、鼻にツンとくる鉄の匂い。ああ、これは血の臭いだ。知ってる。この臭いを前にも嗅いだ記憶がある。いや、何度も嗅いでいる。ここしばらく、ずっと部屋から消えないんだ。慣れたくないのに、嗅ぎ慣れてしまいそうなくらい強烈な血の臭いがここにはある。

息を整えようとして、何度か深呼吸を試みる。しばらくすると、脳の沸騰が幾分か鎮まった気がした。まだ視界はゆらゆら揺れてるけど、さっきよりはマシだ。思い出そう、何か大事なことを隠している。俺は逃げている。ずっと目を背けている。だけど、視界の片隅には、あの倒れた椅子や床にこびりついた足跡の残像がちらついている。何があったんだ、この部屋で。何をしていた? どうしてこんなに散らかっているんだ? 暗い照明、ラジオはザーザーとノイズを垂れ流し、夜なのか昼なのかもわからない。でもひとつだけ確かなのは、ここで“事件”が起きたということだ。断片的なイメージが浮かぶ。誰かと口論していた。何かを投げつけた音。ガラスの割れる音。苦しげな声。あれは俺のものだったか、それとも……。

玄関には泥だらけの靴が転がっている。俺のじゃない。誰がここに来た? 床には水滴や泥の跡が点々と散っている。さっきまで雨が降っていたのか? 窓は閉めきったままのはずだが……。混乱する。開けた記憶も鍵を閉めた記憶も定かじゃない。だが、誰かが入ってきた。間違いない。そうでなければ、こんなにぐちゃぐちゃなはずがない。

思い出したくなくてずっと押し込めていた。だけど、意識の奥に焼きついた映像がある。あの雨音の夜、俺は相手と言い争いをした。怒鳴り合って、コップを叩き落とし、破片を踏んづけた痛みも意に介さなかった。激しくぶつかり合う声と声。次第に、ただの怒りが狂気に変わるのを感じていた。悲鳴のような響きがどこかで弾け、そして……どこかの瞬間に、俺は一線を越えた。暴力。暴力を振るったのは誰だ? 俺か。そう、俺だ。手を振り下ろしたのか、刃物を握りしめたのか。記憶は曖昧だ。ただ、相手が動かなくなった瞬間だけは、鮮明に覚えている。世界が一瞬にして静まり返ったあの瞬間を。

そのあとはさらにぼんやりしている。床に広がる尋常じゃない血、息ができないほどの恐怖、湿った空気に溶ける自分の荒い呼吸音。「嘘だ」と何度も呟いたけれど、横たわったままの相手はピクリとも動かない。世界から切り離されたように、そこにあった。朝が来るまでの時間が、どれほど長く苦しかったか。だけど、やったことは変わらない。殺したのは俺だ。たったそれだけの事実が、俺の全てを塗りつぶしていく。

いったい何日が経ったのか。いや、もしかすると数時間かもしれない。外の世界なんてどうでもいい。俺はここから一歩も動けずに、部屋の中で腐っていく。ただこの狂った頭の中で、ありもしない声や映像が渦を巻いている。罪悪感だ。認めたくなくても、そいつはずっと俺の胸を締めつけていた。こんなふうに言葉を綴ることしか、理性を保つ方法が思いつかない。

……だから、認める。ここに告白する。俺はあの夜、この手で人を殺した。深くは言えないけど、大切だった人を……自分の衝動に任せて殺めたんだ。きっと誰も俺を許さない。俺も自分を許せない。逃げようとしても、罪の意識が追いかけてくるんだ。頭を壊して、言葉を壊して、まるで永久に続く悪夢の中をさ迷わせる。もう限界だ。この告白が、俺にできる唯一の償いだと思うしかないから。

けれど――そう。
まだひとつだけ、俺は言葉にできていないことがある。
俺は「人を殺した」だけじゃない。あの時、同時に“もう一人”も殺しているんだ。

その“もう一人”って誰だ? 俺はこの部屋に、血まみれの“他の死体”を見た記憶がない。となれば、他の場所で殺したのか? いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。
思い出すんだ――あの相手が倒れ込んだ、その直後。俺は息が詰まるほどの後悔に苛まれ、何かに突き動かされるように刃物を拾って、そのまま……。
そう。俺自身の胸に深々と突き立てた。

あの鋭い痛み、胸を焼き尽くすような熱さ、そしてかすれていく意識。血の海の中で、俺は確かにもう一度殺した。自分自身を。あの瞬間に自分という存在を断ち切ってしまったんだ。だから、気づくとこの部屋に転がるのは“もう動かない相手”と“もう息をしていない俺”……そのはずだった。

なのに、どうしてまだ俺はここにいる? それがわからない。生きているのか死んでいるのか、それともただの幻に囚われ続けているのか。俺の横にもう一人の“俺”が倒れているのか、それとも相手が倒れているのか。それすらも見分けがつかない。
だけど、ひとつ確かなのは、あの衝動の夜に“二つの命”を消したという事実。相手の命と、自分自身の命。その証拠は、目に焼きついて離れない真っ赤なシミや、暗闇の奥で鈍く光る刃物の記憶が語っている。

――もう一度、扉が軋んだ音を立てる。閉まるのか開くのか、わからない。
俺はただ、重たい身体を引きずってそのほうを振り返る。そこには誰もいない。いや、いるのか? 「この世のものじゃない何か」なのか、それとも単なる錯覚か。
わからない。何もかもが霧の中だ。ただ、告白することだけはできる。
俺は殺人者だ。そして同時に、自らも殺した。

そう、あのとき俺は二つの命を同時に奪ったんだ――。

そこで言葉が途切れる。ペンを握っていた手がだらりと力を失う。床に点々と続く赤黒い足跡は、どこへ向かうのか。出口へ通じているのか、それとも深い闇の奥へ飲み込まれているのか。
もう、考える余力もない。ただひとつ残った微かな感覚は、胸に開いた穴と、耳鳴りのように鳴り響く雨音(あるいは血の音)。
……きっとこれは終わりじゃない。終わりのようで、まだどこか続いているのだろう。俺が撒き散らした罪や苦しみが、闇の底で蠢いている。その事実を否定できない限り、俺は永遠にこの部屋から出られない――。

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