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ノックス、ヴァンダインの破戒

ノックスの十戒

  1. 物語に登場する犯人は、最初から読者に紹介されていなければならない。ただし、その人物の心情や動機が明確すぎて読者が容易に見抜けるようではいけない。

  2. 探偵が事件を解く手段として、超自然的な能力を利用してはならない。

  3. 犯行現場には、二つ以上の隠し通路や抜け穴があってはならない。

  4. 未知の毒物や、複雑な科学的装置を使った犯行は避けるべきである。

  5. 主要な登場人物として外国人を設定してはいけない。

  6. 偶然や直感によって探偵が事件を解決することは許されない。

  7. 探偵自身が犯人である場合、そのことを隠すための変装などを用いない限り禁じられる。

  8. 探偵は、読者に提示されていない手がかりを使って事件を解明してはならない。

  9. 探偵の助手は、自身の考えや判断を読者に開示する必要がある。その知能は、一般の読者より少し低い程度であるべきだ。

  10. 双子や一人二役といったトリックを使用する場合、それが事前に読者に明示されていなければならない。


ヴァンダインの二十則

  1. 事件の謎を解くための手がかりは、全て作中で明確に提示される必要がある。

  2. 作者がトリック以外の形で読者を誤解させるような描写をしてはいけない。

  3. 無意味な恋愛要素を加え、物語の知的な展開を妨げることを避けるべきだ。ミステリーの目的は犯人を裁きに導くことであり、恋愛の成就ではない。

  4. 探偵や捜査員が突如として犯人になるような展開は不適切である。

  5. 犯人の特定は、論理的な推理によって行わなければならない。偶然や予期せぬ告白による解決は避けるべきだ。

  6. 探偵小説には探偵役が必要であり、その人物の捜査と推理によって事件が解決されなければならない。

  7. 長編の探偵小説では、死体が不可欠である。軽犯罪では読者の関心を保つことが難しい。

  8. 占いや心霊術など、非科学的な方法で事件の真相を示すことは禁止される。

  9. 探偵役は一人が望ましい。複数の探偵が協力して事件を解決するのは読者に不公平感を与える。

  10. 犯人は物語で重要な役割を果たす人物であるべきで、突然登場したキャラクターが犯人であってはならない。

  11. 犯人を端役の使用人などにするのは安易な手法とされる。その程度の人物の犯行なら物語にする価値はない。

  12. たとえ複数の殺人事件があったとしても、真の犯人は一人であるべきだ。共犯者が存在する場合でも中心は一人に限られる。

  13. スパイ小説や冒険小説とは異なり、探偵小説では秘密結社や犯罪組織のメンバーを犯人にしてはいけない。

  14. 犯罪の方法やそれを解明する手段は、合理的かつ科学的でなければならない。架空の科学や未知の毒物の使用は避けるべきだ。

  15. 事件解明の手がかりは、探偵が犯人を明かす前に全て読者に示されるべきである。

  16. 無駄な情景描写や不必要な文学的装飾を省くこと。

  17. プロの犯罪者を犯人に設定するのは避けるべきだ。魅力的な犯罪は、アマチュアによるものである。

  18. 事件の結末を事故死や自殺で片付けてはならない。

  19. 犯罪の動機は個人的なものが好ましい。国際的な陰謀や政治的動機はスパイ小説に属する。

  20. 散々使い古された手法は作家が避けるべきである。

プロローグ:嵐の夜の招待状


その夜、空は黒い絨毯を引いたように暗く、海は怒り狂った獣のように吠えていた。波が船の側面に何度も叩きつけられ、しぶきが冷たい霧となって九条悠也の顔を湿らせる。
「これほど荒れるとは聞いていなかったな。」
彼は船の甲板で船酔いをこらえながら、ポケットの中の手紙を再び取り出した。湿気で少ししわくちゃになった紙に、簡潔だが挑発的な文面が書かれている。
『九条先生へ、
迷宮館で命がけの推理ゲームに挑戦していただけますか?
事件があなたを待っています。
久瀬鷹彦』

九条はその一文を読み返すたびに、薄い笑みを浮かべた。久瀬鷹彦――彼は推理小説界の巨匠として知られ、奇抜な性格と謎めいた行動で有名だった。だが、この手紙の言葉には、単なる遊び心以上のものを感じた。
「事件が待っている……か。」
九条は空を見上げた。雲間から一瞬だけ月が顔を覗かせるが、すぐに雷光がその光をかき消す。
「面白くなりそうだ。」


その時、九条の背後から軽快な足音が近づいた。
「九条先生、嵐の中でこんな余裕の笑みを浮かべているとはね。」
声の主は、もう一人の探偵、三上涼介だった。三上は九条とは異なり、穏やかで人懐っこい笑顔を浮かべていたが、その目には鋭い観察眼が宿っていた。
「涼介、君も呼ばれたのか。」九条は振り返ると、小さくうなずいた。
「まあね。久瀬さんに恩があるから断れなかったんだ。君と一緒なら心強いよ。」三上は軽口を叩きながら、九条の隣に並んだ。
「期待しないことだ。」九条は静かにそう返した。


千里眼の能力
船が孤島に近づくにつれ、九条は自分の「異能」が静かに働き始めるのを感じた。彼は特異な能力――千里眼を持っていた。この能力により、遠く離れた場所の様子が鮮明に見える。嵐の中、その能力を無意識に働かせた九条は、迷宮館の中で蠢く影に気づいた。
「妙だな……。」九条はポケットから取り出した懐中時計を握りしめた。視界の中に浮かぶ館の一室では、誰かが不穏な動きを見せていた。
「どうした?」三上が尋ねた。
「館の中に人影がある。」九条は曖昧に答えたが、その視線は一点を見つめていた。「そして……血の跡が。」
三上は眉をひそめた。「まさかもう事件が起きているのか?」
九条は無言でうなずいた。船が島に到着する前に、何か重大なことがすでに進行していると直感していた。


第1章:最初の犠牲者
嵐の夜、迷宮館はその名の通り、まるで迷宮そのもののように巨大な暗黒の塊となり、島の頂上にそびえ立っていた。その壁は冷たく湿った石でできており、雨水がその表面を伝う様子は、さながら何か未知の生物が鼓動しているかのようだった。風はうなり声を上げ、波は遠くの崖に激しくぶつかり、砕けた海水が霧のようになって館の外壁を覆い尽くしていた。
館の窓はどれも厚いカーテンで覆われ、その向こう側には一切の光が漏れていなかった。扉や窓枠の隙間を通して漏れ聞こえる風の音は、まるで誰かが嘆き悲しんでいるかのようで、嵐の夜には不釣り合いな静寂の中に微妙な緊張を付け加えていた。この場所が、外界のどんな喧騒や生命の息吹からも隔絶されていることは明白で、まるで過去と未来が絡まり合う奇妙な空間に迷い込んだような錯覚を覚える。

九条と三上が迷宮館に駆け付けた時、大広間の中では突然の停電がすべてを闇に変え、その暗闇は尋常ではないほどの深さを持っていた。重厚なカーテンが風に揺れる音さえ聞こえないほど、部屋は静まり返っていた。それはただの「暗さ」ではなく、空間そのものが光を拒絶しているかのような感覚を伴っていた。その場に立つ者全員が、まるで時間が凍りついたように動けなくなり、息をすることさえ躊躇われるような奇妙な静寂に囚われていた。
九条悠也は立ち尽くし、静かに息を吸った。その呼吸音でさえも、大広間全体に反響しているように感じられた。その瞬間、彼の心には暗闇の奥底から湧き上がるような、得体の知れない「何か」が迫ってくる感覚が広がっていた。それは具体的な音や匂いではなく、視覚でも捉えられないもの――ただ確実に存在している「気配」だった。
その気配は、館そのものが発しているようにも思えた。重い壁が長い年月の中で吸い込んできた無数の秘密、閉ざされた扉の向こうに隠された過去の囁き、それらすべてがこの瞬間に形を成し、九条を取り囲んでいるようだった。嵐の音さえもかき消されるような深い静寂の中で、九条は不意に微かな吐息のようなものを感じた。それは自分自身の呼吸ではなく、まるで闇そのものが息づいているかのような――どこからともなく漂う冷たい風の動きだった。
「……何かがいる。」九条は小声で呟いた。その声は決して恐れを含んでいたわけではないが、それでも空間に響いたその音は、彼自身をさらに緊張させるのに十分だった。彼はその場で足を止め、全神経を研ぎ澄ませた。その目は暗闇の中でも動く微かなものを捉えようとし、耳は遠くのかすかな音に集中していた。
その時、闇はただの闇ではないと彼は確信した。それは何かを隠し、何かを守り、何かを仕掛けるための舞台装置のように感じられた。そしてその中心に、自分自身がいるという事実が、九条の胸に奇妙な高揚感をもたらしていた。
この場の静寂、それは単なる静けさではない。それは恐怖と期待、そして目に見えぬ脅威の狭間に漂う、緊張の結晶のようなものだった。九条は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。館の冷たい空気と共に、その場に漂う謎が自分の内側に流れ込んでくるような感覚を覚えながら――。


停電の混乱
「全員、声を出せ!」
九条の鋭い声が闇を切り裂いた。その響きは、嵐の音と共鳴して不気味に反響し、まるで館自体が生きているかのような錯覚を覚えさせる。
雨音が窓を叩き、風がうねりながら廊下を通り抜けていく中、どこからともなくガラスが割れるような音が聞こえた。ゲストたちはそれぞれの場所で身を縮め、互いを探るような怯えた声を上げる。
「ここにいます!」
「私は……近くにいるわ!」
「誰だ!足音が聞こえる!」
暗闇の中、声が飛び交うが、それぞれが混乱と恐怖を増幅させるだけだった。誰かがぶつかったのか、椅子が倒れる鈍い音が響き、続いて短い悲鳴が上がる。
「灯りを!誰か、灯りを!」
「やめろ、俺に触るな!」
九条はその場で動かず、鋭い耳を立てて混乱の中心を探ろうとした。声と音が乱雑に入り混じり、誰が何をしているのかまったく掴めない。
廊下の奥からは低く、不気味な音が聞こえた。足音のようにも聞こえるが、単なる嵐の戯れかもしれない。だが、それを確かめる余裕は誰にもなかった。

千里眼の閃き
九条は一瞬、目を閉じた。その瞼の裏で、闇の中に浮かぶように映像が広がる。それはこの場ではない、別の場所で起きた出来事――いや、まさに今、遠くで起きている光景だった。
久瀬鷹彦が大広間の中央でうずくまり、その胸には古代文字が彫られたナイフが深々と突き刺さっていた。鮮やかな赤ではなく、どす黒い血が床を広がり、冷たい大理石の表面に奇怪な模様を描いている。
その唇がかすかに動く。「ゲームが始まった……」
その言葉が九条の脳裏をかすめた瞬間、視界が闇に戻った。九条は深く息を吸い、再び耳を澄ます。

光の復活と死の発見
「停電はいつ直るんだ!」
三上涼介の苛立ちを含んだ声が混乱の中に響いた。その声に応えるかのように、突然、館内の電気が戻った。
眩しい光が一瞬、大広間を照らし出した。倒れた椅子、散らばるグラス、そして互いに怯えた顔を浮かべるゲストたち。その混乱の中で、大広間の中央に横たわる一つの影に全員の目が吸い寄せられる。
「久瀬さんが……!」
誰かの震える声が場を切り裂き、全員の視線が血まみれで倒れる久瀬に集まった。彼の胸には深々と突き刺さったナイフ。その先端から滴る血が床に広がり、見る者の心に恐怖を植え付けた。
九条はその光景に動じることなく、ゆっくりと膝をつき、久瀬の首筋に指を当てた。
「死んでいる。」
その一言が発せられると、まるで館中の音が消えたかのように、大広間は静寂に包まれた。全員の動きが止まり、嵐の音だけが遠くで響いている。
「誰がこんなことを……?」橘遥香が震える声で呟いた。
「いや、もっと考えるべきだ。」九条が立ち上がり、鋭い目で周囲を見渡す。「この停電の混乱に乗じて、計画的に実行された殺人だ。」
誰もが息を呑み、疑念と恐怖の目を互いに向けた。その中で、九条は静かに次の一手を考えていた――殺人の意図と、それを遂行した者の真実を暴くために。


記憶の残滓
その瞬間、九条の脳裏に突然奇妙な記憶がよぎった。それは数年前、ある廃墟となった教会で起きた事件だった。あの時も似たような静寂があり、殺人の背後には奇妙な象徴が残されていた。
「……久瀬もこれを望んでいたのか?」九条は呟いた。彼の目は虚ろでありながら、どこか冷徹な輝きを放っていた。
「どうした、九条?」三上が問いかける。
「いや、何でもない。」九条は首を振り、再び現実に意識を戻した。


現場検証と紙片の発見
九条は血の海の中に転がる凶器――古代文字が彫られたナイフに目を留めた。その模様は宗教的な儀式を彷彿とさせ、どこか異国の香りを漂わせていた。彼は慎重にナイフを持ち上げると、その重量感と冷たさに眉をひそめた。
「これは単なる凶器ではない。犯人はこれを使う意図があったはずだ。」
さらに久瀬の手の中に小さな紙切れが握られているのを発見した。九条はそれを取り出し、ゆっくりと広げた。
『迷宮の中で死者は道を示す』
「これは……?」九条は呟いたが、紙切れの言葉は彼の脳内でこだまし、さらに深い謎を呼び起こした。
「九条、それは?」三上が顔を近づける。
「何かのヒントだろう。」九条はその紙を懐にしまいながら答えた。「だが、まだ全体像が見えない。」


容疑者たち
九条は静かに立ち上がり、大広間に集うゲストたちを見渡した。その場の空気は重く、嵐の遠雷が窓越しに低く響いている。ランタンの灯りに照らされたそれぞれの顔は、まるで舞台での仮面のように何かを隠しているかのようだった。
九条の目がまず留まったのは、部屋の隅に立つ 黒崎恭一。彼はスーツの袖を軽く整えながら、まっすぐではなく少し下を向いて視線を彷徨わせていた。彼の動きは洗練されているが、その瞳には冷静さと同時に鋭い緊張感が宿っている。
黒崎は久瀬の秘書という立場ながら、この場では異様に静かだった。九条が彼に向かって軽く頷くと、黒崎もほぼ無意識に返したが、口を開こうとする気配はない。その沈黙の裏には、久瀬への忠誠心か、あるいは何かを秘匿しようとする意図が透けて見えた。
次に九条の目に入ったのは、部屋の反対側で小さく身を縮めるように立つ 橘遥香。彼女の短い黒髪は嵐の湿気で少し乱れており、表情には不安の色が濃く浮かんでいる。遥香は若手作家らしい華奢な姿だが、その瞳の奥には怯えだけではない、鋭い計算がちらついていた。
彼女は時折、視線を黒崎の方に向けたり、九条の様子をちらりと見たりする。その動きは慎重だが、どこか不自然で、まるで自分の存在をできるだけ小さく見せようとしているかのようだった。
田宮真知子
は、部屋の隅の椅子に座ったまま微動だにせず、窓の外に目を向けていた。彼女の端正な顔立ちは嵐の光でさらに陰影を強め、物憂げな雰囲気を漂わせている。その眼差しは何かを見ているというより、過去の記憶に囚われているようだった。
久瀬の元妻である彼女は、他のゲストたちと違い、この場における発言を完全に放棄しているかのように見えた。その姿は無力というよりも、状況を観察して、機を伺っているようだった。
小野寺隼人
は、椅子から半分腰を浮かせたような姿勢で立ち、九条の動きを追っていた。彼は久瀬のビジネスパートナーで、筋肉質な体格がその実業家としての堅実さを象徴している。しかし、何度も口を開きかけては閉じる動作が、その意図を隠しきれていない。
隼人は一見して堂々としているようだが、その微妙な仕草は何かに気を取られているようだった。九条が視線を向けると、彼は一瞬、顔をそらした後でわざとらしく笑顔を浮かべた。その動きが余計にぎこちなく見えた。


最後に九条の目が止まったのは、窓辺に立つ 李翔(リ・シャン)。彼は中国製と思われる煙草を指先で軽く回しながら、無表情で部屋全体を見回していた。その仕草には余裕が感じられるが、どこか意図的に作り込まれたもののようでもあった。
九条の視線に気づいた李はゆっくりと顔を向け、その目で九条を捉えた。その瞳は、深い闇を湛えた水面のように静かでありながら、その下に激流を隠しているようだった。李の微かな微笑は、挑発とも受け取れるほど慎重に計算されたものだった。
「李さん、久瀬さんとはどういう関係ですか?」九条が問いかけると、李はゆっくりと煙草を持ち上げ、吸うふりをした後、軽く肩をすくめた。
「ビジネスの話で呼ばれただけです。」李は冷静に答えたが、その声には微妙な緊張が滲んでいた。それは明確に意図を隠そうとしている者の声だった。
九条は改めて全員を見渡し、彼らの言葉だけでなく、その沈黙や動作の一つ一つを記憶に刻みつけた。それぞれの立場と動きが、この嵐の夜の中で絡まり合い、一つの大きな謎を形作っているように見えた。


二つの隠し通路
その時、廊下の奥から微かな足音が聞こえた。それは不自然な間を持ち、全員の注目を集めた。
「誰だ?」三上が声を上げると、九条がその方向に鋭い視線を向けた。足音が消えると同時に、九条は廊下の壁をゆっくりと見渡し始めた。
古びた壁の中で、異様に浮き上がった部分を見つけた彼は、指で軽く叩きながら壁全体を調べた。そして、壁に掛けられた古びた絵画の背後にわずかな空間の気配を感じた。
「この絵画の裏だな。」九条は手を伸ばし、慎重に絵画を外した。すると、その裏には暗い隠し通路が隠されていた。
「これは……。」九条は暗い通路を覗き込み、静かに笑みを浮かべた。「迷宮館はその名にふさわしい場所だな。」
だが、その瞬間、三上が廊下の反対側を指差した。「おい、九条。こっちも何かおかしいぞ。」
九条が振り向くと、三上の指先には床の隙間に微かな光が漏れている部分があった。九条はすぐにその場所に歩み寄り、慎重に床を押したり叩いたりして調べた。
「ここも隠し扉だな。」九条は小さく呟き、手を滑らせて床板の端を持ち上げた。途端に、小さな隠し扉が音を立てて開いた。その下には、さらに別の地下通路が広がっているのが見えた。
「……二つの通路だと?」三上が驚きの声を上げる。「これ、どっちを選ぶかで大きく変わりそうだな。」
九条は両方の通路を見比べ、一瞬、考え込んだ。「迷宮館がこんなに入り組んでいるとは思わなかった。だが、今の足音を考えると、絵画の裏が先だろうな。」
三上は少し肩をすくめた。「なるほど。あっちが直感なら、それを信じるしかないな。」
九条は絵画の裏の隠し通路に再び目を向けた。「時間もない。まずはこちらに行く。」
二人は通路に足を踏み入れた。その背後で大広間に残されたゲストたちは、深まる恐怖に囚われ、ざわめきを抑えられずにいた――。

第2章:秘密の通路と双子
嵐が吹き荒れる中、迷宮館の廊下は冷たい沈黙に包まれていた。その沈黙はただ静かなだけではなく、まるでこの館自体が何かを隠し持ち、息を潜めて獲物を待ち受けているかのような不気味さがあった。九条悠也はその廊下の片隅にある隠し通路の入口で立ち止まり、ランタンの微かな灯りを中へ向けた。


隠し通路への一歩
石の壁は冷たく湿っており、触れると粘つくような感触が残る。九条の目はランタンの光を頼りに床を調べた。その石畳には明らかに新しい靴跡が残されている。これが古い館の一部だと考えるなら、ここを通った者がいることは間違いなかった。
「誰かがここを使ったな。」九条は呟いた。
その声は通路の奥で反響し、低く重い音として返ってきた。彼は背後に目を向けた。三上涼介が後ろで腕を組み、静かに見守っている。
「涼介、慎重に頼む。」九条が言うと、三上は肩をすくめて答えた。
「慎重にするべきはお前だろう? ここに入るのは俺じゃなく、お前なんだからな。」三上の声には余裕があり、どこか皮肉めいていた。
九条は少しだけ苦笑し、ランタンを掲げて通路の暗闇を一歩一歩進んでいった。


迷路のような館
隠し通路はまるで館そのものが意思を持っているかのように複雑だった。壁の曲線が微妙に歪んでおり、まるで人を惑わせるために設計されているようだ。天井は低く、時折頭上をかすめるような感触を覚える。古い石の匂いが鼻を突き、湿った空気が肌にまとわりつく。
「この通路、作ったやつは間違いなく性格が悪い。」三上がぼやいた。
九条は振り返らずに答えた。「ここを通るのが好きな人間なんていないさ。」
「いや、これだけ複雑にする必要があった理由を考えた方がいい。」三上は言葉を続けた。「これ、ただの脱出経路じゃない。どこかに導くための道だ。」
「導く?」九条は一瞬、足を止めた。
三上は軽く壁を叩きながら説明した。「この不自然な曲線、ただ人を迷わせるためだけにしては計算されすぎている。もしかすると、通路自体が何かを指し示しているんじゃないか?」
九条は軽く息をつき、納得するように頷いた。「なるほどな……。通路の構造そのものが手掛かりだと?」
「お前より少し考えただけだ。」三上が微笑みながら歩み寄った。「ここでは頭を使う方が先行できるぞ。」


惑わせる影
九条が三上の言葉を受け流そうとした瞬間、遠くからかすかな囁き声が聞こえた。「……やめて……助けて……」
九条は眉をひそめ、通路の奥にランタンを向けた。「今、何か聞こえたか?」
三上は肩をすくめた。「何も聞こえなかったが?」
九条は慎重に耳を澄ませたが、声はそれきり聞こえなくなった。だが、暗闇の中、壁に映る影が一瞬だけ動いたように見えた。
「待て、誰かいる。」九条はランタンを掲げて足を速めた。
三上は軽くため息をつきながら後を追った。「おい、そんなに焦るな。誰もいないかもしれない。」
だが九条はその言葉を無視し、暗闇に足を踏み入れた。影が揺れた先に到達した彼は、ただ壁のひび割れがランタンの光を反射していただけだと気づき、肩を落とした。
「気のせいだったか。」九条は自嘲気味に呟いた。
三上はその場に追いつき、小さく笑った。「お前、本当に慎重派か? そんな影に振り回されてるようじゃ先が思いやられる。」
九条は苦々しい表情で返事をしなかったが、その背中には不安の色がわずかに浮かんでいた。


図書室の謎
やがて隠し通路の出口に到着した二人は、館の別の部屋――古びた図書室に出た。壁一面に並べられた本棚は、ほとんどが埃を被っていたが、その中に異様に新しい本が一冊だけ差し込まれているのを九条は見つけた。
「妙だな。」九条はその本を手に取ろうとしたが、その瞬間、本棚全体が低い音を立てて動き出した。
「なんだこれ!」九条が驚きの声を上げる前に、三上が手を伸ばして九条を後ろに引いた。
「待て。罠かもしれない。」三上が鋭い目で本棚を観察した。「この仕組み、見たことがある。引き出した本が鍵の役割を果たしているが、間違った順番で触れると警告音か、それ以上の仕掛けが作動する可能性が高い。」
「……随分詳しいな。」九条が目を細めた。
三上は肩をすくめた。「推理小説の読み過ぎかもな。ただ、現場でも役に立つことがある。」
九条は軽く笑い、三上に指示を仰いだ。「なら、お前が先に試せよ。ここは頭の切れるやつに任せる。」
三上は頷き、慎重に本棚の仕掛けを操作し始めた。彼の動きは的確で、迷いがなかった。本棚が完全に開いた時、九条は軽く口笛を吹いた。
「見事だな。」九条が言った。
「もっと褒めてくれてもいいんだぞ。」三上が軽く笑った。


双子の出現
図書室でさらに調査を進める中、九条はゲストたちに目を向け、妙なことに気づいた。この場には、顔が非常に似ている二人の女性がいた。それは橘遥香と橘美咲だった。
「君たち、双子か?」九条が問うと、二人は互いに目を合わせた。
「ええ、そうです。」遥香が答えた。「普段は別々に暮らしていますが、今回は特別に一緒に来ました。」
「特別、ね。」九条は考え込むように顎を撫でた。「この状況では些細なことも重要だ。二人が別々に行動していることで、アリバイを証明するのが難しくなる。」
その時、背後からもう一組の双子――小野寺隼人とその妹、小野寺桜子が現れた。
「……君たちも双子か?」九条が半ば呆然とした声で尋ねると、隼人は肩をすくめて答えた。
「そうだけど、何か問題でも? 俺たちは別に怪しい行動なんてしていない。」
「いやいやいや、ちょっと待て。」三上が両手を上げて制止するような仕草を見せた。「つまり、ここには今、二組の双子がいるってことか? それも片方が女、片方が男女の組み合わせで?」
「ええ、そういうことですね。」桜子がにっこり笑った。「推理ゲームには双子が欠かせないでしょ?」
「欠かせるべきだ。」九条はため息混じりに呟いた。「こんな状況では、アリバイどころか誰が誰だか分からなくなる。」
「そういうこと!」三上が九条に向き直り、苦笑しながら言った。「お前、双子が一組いるだけで混乱するのに、二組いるってのはどう考えても不公平だろ。」
遥香が反論するように声を上げた。「私たちは別に疑われるようなことはしていません。勝手に怪しむのはやめてください!」
「それはこっちも同じだ。」隼人が少し苛立った様子で言い返す。「俺たちは普通に行動していただけなのに、いきなり犯人扱いかよ?」
「いや、犯人扱いはまだしていない。ただ、可能性を排除できないと言っているだけだ。」三上が手を振りながら訂正した。「だが、全員が別々の証言をしていて、それを証明するのが自分の兄弟姉妹しかいないってのは、どうにも怪しい。」
桜子が手を腰に当てて抗議した。「私たちは双子ってだけで疑われるの? 他にもっと怪しい人たちがいるでしょ!」
「例えば誰だ?」九条が冷静に尋ねる。
「えっと……」桜子は少し口ごもり、遥香の方を指さした。「例えば彼女たちよ!」
「はぁ!? なんで私たちなのよ!」遥香が声を荒げる。
「なんでって、そっちだって私たちを疑ってるんでしょ!」桜子が言い返す。
「ちょっと待て!」三上が間に割って入った。「このままじゃ双子同士の喧嘩で収拾がつかなくなる。落ち着け、全員!」
九条は苦い表情を浮かべながら、静かにランタンを揺らして言った。「結局、どちらも一歩も引かない状況だな。このままだと、全員が怪しいままだ。」
「だから、双子の片方ずつを見張るべきだ。」三上が真剣な口調で提案する。「お前は遥香たちを調べろ。俺は隼人たちの行動を追う。それでいいだろ?」
「勝手に仕切るな。」九条は不満げに言いつつも、その提案に逆らえないのは分かっているようだった。「まあ、仕方ないか。それで行くか。」
「さすが、お前も分かってるな。」三上は軽くウインクしながら笑った。
二組の双子がそれぞれ不満そうな顔を浮かべ、九条と三上はそれを苦々しく見守る。
双子たちがそれぞれに主張を繰り広げる中、九条と三上は次なる手を考え始めた。どちらが犯人か、それともどちらも潔白なのか――この混乱の中から真実を見つけ出すのは容易ではなさそうだった。


不可解な音と暗号
その時、遠くの廊下から微かな音が聞こえた。それは規則的な足音ではなく、不規則なリズムで続く奇妙な物音だった。
「またか。」九条は音のする方向に目を向けた。「この館全体が何かを隠している。」
「いや、その音は違う。」三上が足音を耳で分析し始めた。「歩いているのではない。何かが落下して転がっている音だ。それもかなり規則的に。」
「どうしてそんなことが分かる?」九条が不思議そうに尋ねた。
三上は目を細めながら答えた。「昔、似たような音を聞いたことがある。大理石か鉄球が斜面を転がる音だ。音の反響を考えると、すぐ近くに仕掛けられている装置がある。」
九条は少し驚きつつも、三上の推測を信じて行動を始めた。「なら、その装置が何を隠しているのか調べる必要があるな。」


次なる展開へ
九条と三上は通路をさらに進みながら、それぞれの思考を巡らせていた。三上の頭脳は、九条にとって頼れる相棒であると同時に、どこか競争心を煽る存在でもあった。
「この館の真相を突き止めるまで、俺たちはここから出られない。」九条はそう決意し、三上と共に次の部屋へ向かった。
その背後で、誰かの目が彼らをじっと見つめていることに気づく者は、まだいなかった――。

第3章:密室の幻影
嵐の音は絶え間なく館を包み込み、まるで外界とのつながりを完全に断ち切ろうとしているかのようだった。九条悠也は、図書室から戻る途中で千里眼を働かせ、遠くの大広間に集うゲストたちの様子を覗き見た。何人かは明らかに疲労し、怯えている。それでも、誰もが何かを隠している顔をしていた。
「疑惑の館、疑惑の人々……こんな夜には愛すべき皮肉があるものだな。」九条は独り言のように呟き、廊下の奥で待つ三上涼介のもとに戻った。


二人だけの秘密
三上は冷たい石壁にもたれかかり、腕を組みながら静かに待っていた。その姿は表面的には余裕に満ちているように見えたが、九条だけはその背中に潜む微かな緊張を感じ取っていた。ランタンの灯りが彼の横顔を優しく照らし、わずかな影がその表情をさらに繊細に映し出している。
「涼介。」九条は軽く微笑みながら、少しだけ足を速めて彼に近づいた。声は柔らかいが、ほんの少しの躊躇がその中に含まれていた。「こんな館に閉じ込められるなんて、ロマンチックとは言えないな。」
三上はその言葉にクスリと笑みを漏らし、体の角度を少し変えた。「お前と一緒ならどこだってロマンチックだと思ってたけどな。ただ……殺人事件が起きなければ、もっと楽しめたかもしれないけど。」
その一言に、九条の胸がわずかに締め付けられる。彼は顔を背けようとしたが、その動きを抑え、少し赤らんだ頬を隠さずに答えた。「次の事件を防ぐには、君がもっと役に立ってくれることを期待してるよ。」
三上は、まるで九条の照れた表情を面白がるかのように、片眉を上げて言った。「おいおい、そんな冷たいこと言うなよ。俺がいつもお前に振り回されてるの、知ってるだろ?」
九条は冗談を軽く流そうとしたが、三上の目が真剣に自分を見つめていることに気づいた。少し動揺したように唇を開いたが、すぐに言葉を飲み込む。その仕草が、三上に一層の自信を与える。
「お前、さっき図書室で一瞬だけ俺を見たよな。」三上は壁を離れ、九条に少し近づいた。声には冗談めいた調子が残っているが、その目にはわずかな不安と期待が混じっていた。「俺に何かを考えてた顔してたぞ。」
九条は一瞬、言葉を詰まらせた。図書室での自分の視線が三上に見透かされていたことに気づいていなかったのだ。彼は表情を崩さないよう努めながらも、視線をほんの少しだけ下げた。
「……考えてたのは、俺たちがここを出た後の話さ。」九条は、できるだけ軽い調子で言った。
その言葉を聞いた三上の顔には、一瞬の驚きと、次いで何とも言えない安堵の色が浮かんだ。彼は微かに笑い、九条の肩に軽く手を置いた。その手の温もりが、九条の全身に伝わる。
「だったら、もっと話してくれよ。」三上の声は低く、優しかった。「お前が俺のことをどう思ってるのか、言葉で聞きたいんだ。」
九条は一瞬だけ息を止めた。その瞬間、彼の胸の奥にある何かが弾けるような感覚があった。だが、彼はその感情を表に出さないように、小さく笑みを浮かべただけだった。
「こんな状況で話すのは、あまりに場違いだと思わないか?」九条は冗談めかして言ったが、その声にはわずかな震えが混じっていた。
二人の間に流れる空気は、それまでの重い館の雰囲気とは対照的に、穏やかで温かなものだった。まるで嵐の中に一瞬だけ訪れる静寂のように、二人だけの時間が生まれていた。
三上は少し離れ、冗談めかした口調に戻った。「まあ、どこか安全な場所に着いたら、ゆっくり話を聞かせてもらうよ。それまで、俺が役に立つことを証明してみせる。」
九条は微笑みながらも、心の中でわずかな焦りを感じていた。それは事件に対するものではなく、自分が三上に抱く感情がこれ以上隠しきれないのではないかという恐れだった。
「期待してるよ、涼介。」九条は小さな声でそう言い、再び前を向いた。彼の視線は廊下の暗闇へ向けられていたが、心の中では三上の手の温もりが、まだ残っていた。


密室の悲劇
その夜、九条と三上が大広間に戻った後、さらに衝撃的な事件が発生した。ゲストの一人、田宮真知子が自室で絶命しているのが発見されたのだ。彼女の部屋は内側から鍵がかけられており、窓は完全に閉じられていた。
「密室か。」九条は現場に入るなり、腕を組んでつぶやいた。
田宮の身体はベッドの脇に崩れるように倒れており、その手には何かを掴むような形跡が残っていた。指先には黒い粉のようなものが付着している。床には倒れたランプが転がり、灯りの焦げ跡が奇妙な模様を描いていた。
「これは……どういうことだ?」三上が首をかしげた。
九条は部屋の中を注意深く観察しながら答えた。「犯人はこの密室を作るために、ごく初歩的なトリックを仕掛けている。」


手垢のついたトリックと未知の毒
九条は田宮の部屋のドアノブを調べ、その根元に小さな針金が絡みついているのを見つけた。そして、その針金は部屋の外側に繋がっていた。九条は針金を引っ張り、ため息をついた。
「犯人は、ドアノブに針金を仕掛けて外から鍵をかけたんだ。非常に古典的でチープな手法だが、それがかえって見落とされやすい。」
三上は苦笑した。「まさか、そんなベタな方法で密室を作っていたとはな。」
九条は床に落ちていた黒い粉を指で触り、軽く匂いを嗅いだ。その瞬間、彼の眉がぴくりと動いた。匂いに混じるかすかな刺激が、九条の記憶の中で一つの仮説を形作る。
「これは……ただの焦げたランプの芯じゃないな。」九条は粉を慎重に紙に包みながら言った。「どうやら、この粉はクルサリオキシン(Crusariotoxin, 化学式: C₁₂H₁₈O₄NCl)を含んでいるようだ。」
「クルサリオキシン?」三上が首をかしげた。「聞いたこともないな。」
九条は頷き、説明を続けた。「これは特殊な有機化合物で、燃焼するときに微量の神経毒性ガスを発生させる。直接摂取するだけでなく、煙として吸い込むだけで短時間で意識を奪う効果があるんだ。そして、吸引量が一定を超えると心臓が停止する。」
三上は驚きを隠せない様子で九条を見つめた。「そんなもの、一体どこで手に入れたんだ……いや、それを作った奴がいるってことか?」
「それが問題だ。」九条は紙に包んだ粉をポケットにしまいながら、険しい表情を浮かべた。「クルサリオキシンは市販されているものではなく、非常に限られた研究施設でしか合成できない。犯人はそれにアクセスできる立場にいるか、精密な化学知識を持っている可能性が高い。」
三上は額を押さえながら呟いた。「つまり、毒で殺し、その後で密室に見せかけたわけか。」
「そうだ。」九条は静かに頷いた。「犯人がこれを選んだ理由も興味深い。古典的な手法を採用しつつ、現代の化学を取り入れることで、捜査をさらに混乱させる狙いがあったのかもしれない。」
三上は一歩後退し、深く息を吸った。「古典的な密室トリックに最新の毒物……犯人はかなり計算高い奴だな。」
九条はランタンの灯りに照らされる粉の跡をもう一度見つめ、低く呟いた。「犯人はこの毒物を扱えるだけの知識を持ち、しかもそれを隠すための手段にも長けている。普通の人物じゃないことは間違いない。」


幽霊の目撃談
その時、大広間に戻った橘遥香が、顔面蒼白の状態で駆け込んできた。「幽霊よ! 久瀬さんが幽霊になって出てきたの!」
「幽霊?」九条は冷静に聞き返した。「何を見たんだ?」
「白い影が私を追いかけてきたの……声も聞いたのよ!」遥香は震えながら話した。
九条は千里眼を使い、その場で何が起きたかを探ろうとした。彼の視界に浮かび上がったのは、廊下の奥で誰かがランタンを揺らしながら走る姿だった。そのシルエットは幽霊のように白く見えたが、それが単なる光の反射であることに九条はすぐ気づいた。
「落ち着け。」九条は遥香に向かって言った。「お前が見たのは、誰かが廊下を走っているだけだ。光と影がそう見せただけだろう。」
だが、他のゲストたちも同様に「幽霊」を目撃したと言い始め、不安はさらに広がった。


再び浮かび上がる謎
その夜、九条と三上は再び館内を調査し、隠された部屋で久瀬の書いた日記を見つけた。そこにはこう記されていた。
『迷宮館は、罪人を裁くための場所である。真実を求める者は、自らの罪を認める覚悟を持て。』
「罪人を裁く……か。」九条は日記を閉じ、静かに呟いた。
「俺たちも、その中に含まれてるのかもな。」三上が小さく笑った。
九条は何も答えず、ただ前を見据えた。その背後で、不気味な笑い声が一瞬だけ響いたことに気づく者は、まだいなかった――。


第4章:探偵の正体
嵐は依然として迷宮館を包み込み、雷鳴が不気味なリズムで響いていた。冷たい風が廊下の隙間を抜け、どこか人間のすすり泣きのような音を立てていた。九条悠也は静かに久瀬鷹彦の遺体のそばにしゃがみ込み、その無表情な顔を見つめていた。


隠蔽工作
「久瀬、お前が仕掛けたゲームは確かに巧妙だが、結末を操るのは俺だ。」九条は小さく呟き、久瀬の胸に突き刺さったナイフを抜き取った。その冷たい刃には、微かに血がこびりついていた。
「これは証拠として残すわけにはいかない。」九条は懐から取り出した布でナイフの柄を丁寧に拭い始めた。その動きには冷静さが漂っていたが、その目には焦りが浮かんでいた。
さらに、久瀬の手の中に握られた小さなメモを目にすると、九条はそれを素早く回収した。それは短い暗号文で書かれたものだった。
『影の中に真実が隠れる』
九条は眉をひそめながら、その紙切れをポケットに押し込んだ。これ以上の手がかりが他人の目に触れるのを防ぐ必要があった。しかし、彼の計画を狂わせる出来事がその直後に起こる。


目撃者の存在
九条がナイフを懐にしまい込もうとした瞬間、背後で微かな物音が聞こえた。振り返ると、廊下の暗がりに使用人の一人が立っていた。彼の顔は蒼白で、口は驚愕のあまり開いたままだった。
「……見たのか。」九条の声は低く冷たかった。
使用人は震えながら後ずさりしたが、その足元で小さな石が転がる音が響いた。九条は冷徹な微笑みを浮かべながら、ゆっくりと近づいた。
「ここで見たことは……君の胸の中にしまっておいた方がいいな。」
使用人の背中が壁にぶつかり、逃げ場を失ったその瞬間、九条は視線を巡らせた。廊下に飾られた重い装飾品が目に入る。
「これを使えば事故に見せかけられるな。」九条は心の中で計算を巡らせながら、その装飾品に手を伸ばした。


オウムの鳴き声
その時だった――突如として鋭い声が廊下を貫いた。
「犯人!九条!犯人!九条!」
九条は驚いて振り返った。そこには、久瀬が飼っていたオウムが止まり木に留まりながら、九条の名前を繰り返し叫んでいた。暗闇の中、その鳥の目はまるで人間のように鋭く輝き、九条の動きを正確に捉えていた。
「……お前、いつからそこにいた?」九条は額に冷や汗を滲ませながらオウムを睨みつけた。
「犯人!九条!読んだぞ!九条!」オウムはまるで確信したように繰り返した。
このオウムは、ただの動物ではなかった。久瀬が愛玩していた特殊な鳥で、まるで読心術を使うかのように人間の考えを察知して反応する能力を持っていたと言われていた。
「読んだ……だと?」九条はオウムの言葉に動揺し、ナイフを握りしめたまま手が震えた。


動揺と失態
「黙れ!」九条はオウムに向かって手を伸ばしたが、鳥は素早く飛び去り、廊下の奥で再びその声を響かせた。
「九条!犯人!九条!」
その声は館中に響き渡り、近くにいたゲストたちが足音を立てて集まってくる気配がした。九条は手元を見下ろし、ナイフの柄を取り落としたことに気づいた。
「しまった……。」九条は急いでそれを拾い上げようとしたが、複数の足音が近づく中、隠蔽の時間はもう残されていなかった。


追及の始まり
「九条さん、何をしているんですか?」橘遥香の鋭い声が廊下に響いた。彼女と他のゲストたちが廊下に集まり、九条を取り囲んだ。その目には動揺と疑念が浮かび、オウムの「犯人!九条!」という声がその場の緊張感をさらに高めていた。
九条は冷静を装いながらも、内心では手が震えそうになるのを抑えていた。「これは……その……現場の証拠を調べていただけだ。」
だが、九条が振り返った瞬間、最も目を逸らしたくない相手――三上涼介が、他のゲストの後ろからゆっくりと姿を現した。彼の目は、普段の軽口や冗談めいた柔らかさを一切失い、鋭い視線が九条に向けられていた。
「九条、何を隠してるんだ?」三上の声は低く、冷静だったが、その言葉には明らかな不信感が込められていた。
九条は一瞬、言葉を失った。三上の鋭い視線はただの疑問ではなく、確信めいたものを含んでいるように感じられた。
「隠してるって、何のことだ?」九条は表情を崩さずに返したが、その声には微かに緊張が滲んでいた。
三上は腕を組みながら、ゆっくりと近づいてきた。「さっき図書室で言ったよな。お前が何を考えているのか気になるって。でも、こうしてみると、俺が思っていた以上にお前の中には俺が知らない部分がありそうだ。」
「それがどういう意味だ?」九条は眉をひそめながら問い返した。
「意味はそのままだよ。」三上は目をそらさずに答えた。「久瀬さんが死んでから、お前の行動はどこか奇妙だ。普段のお前なら、もっと理性的で、全員をリードしているはずだ。それがどうだ?現場で何かを隠そうとしているように見えるのは、俺だけじゃないだろう。」


疑惑の視線
その言葉に、他のゲストたちも九条を見る目をさらに険しいものに変えていった。橘遥香は不安げな声で尋ねた。「まさか……九条さん、本当に何か隠してるんですか?」
小野寺隼人も腕を組みながら低い声で呟いた。「オウムが言ってることがただの偶然とは思えないな……。」
九条は冷静を保とうとしたが、三上の視線が何よりも鋭く、胸に刺さるようだった。
「オウムの言葉に惑わされるな。」九条は努めて声を落ち着かせ、周囲に向かって言った。「これはただの動物だ。偶然に過ぎない。」
だが、その言葉に三上はすぐさま反応した。「九条、本当にそうなのか?」三上の声は少し低くなり、その瞳は九条の奥深くを見透かすように覗き込んでいた。「俺にはそうは思えない。」
「何が言いたい?」九条は鋭い口調で返した。
「お前は何かを隠している。」三上は一歩踏み出し、他のゲストたちに目を向けた。「俺は九条を信じてきたし、今も信じたいと思ってる。でも、この状況では、お前にも説明責任があるはずだ。」


緊迫した空気
九条の手は無意識のうちに懐に隠したナイフを握りしめていた。だが、その手を動かすことはできなかった。三上の目は、かつて彼が見た中で最も冷たく、容赦がないものだった。
「証拠を集めていただけだと言ったはずだ。」九条は毅然とした口調で言った。「それ以上の意味はない。」
三上は少しの間、九条を見つめ続けたが、やがて深く息をついて肩を落とした。「……分かった。だが、これ以上疑惑を増やす行動はやめてくれ。」
その瞬間、九条の胸に微妙な痛みが走った。それは三上が自分を完全に信じ切れていないことを理解したからだった。だが、同時に彼の冷静さが、この場を救っていることもまた事実だった。
「次はないぞ、九条。」三上が静かに言い残し、他のゲストたちに目を向けた。「全員、もう一度状況を整理しよう。このままでは犯人の思うつぼだ。」
九条はその場を立ち去る口実を探しながら、心の中で次の一手を計画していた。オウムの声が再び廊下に響き渡り、嵐の音に混ざる中、九条の胸にはかつてないほどの孤独感が広がっていた。

第5章:終焉と真相


嵐の轟音が迷宮館を包み込み、地下室の冷たい空気は湿り気を帯びていた。壁に刻まれた古代文字がランタンの光を反射し、揺れる影を生み出している。その中央には巨大な石棺が鎮座し、その周囲には久瀬鷹彦が遺したノートや資料が乱雑に広がっていた。
九条悠也は地下室の中央に立ち、石棺のそばで壁に寄りかかる久瀬の従者の娘、神代沙織を見つめていた。沙織の顔には、長年抱き続けた復讐心と緊張が浮かんでいた。
九条の姿勢には独特の落ち着きがあった。腰に密かに隠された小型の銃と、靴に仕込まれた暗器。それは、かつて「ヴェールの影」のために動いていたプロのスナイパーとしての彼の過去を物語っていた。標的を静かに仕留めることに長けた彼は、暗闇の中でさえ敵の気配を正確に捉える訓練を受けていた。
「『ヴェールの影』を壊すには、久瀬の存在が邪魔だった。」九条は静かに口を開いた。
沙織は冷たい目で九条を見返した。「分かってるわ。でも、あの男はただの障害じゃない。この結社が支配する恐ろしい仕組みそのものよ。」
九条は頷いた。「そうだ。久瀬は結社の中枢にいて、この館もその秘密を守るための舞台に仕立てた。奴が生きている限り、この世界の不自然な秩序は続く。」
沙織の視線は石棺を越えた暗闇に向けられた。「父を犠牲にしてまで彼らが守ろうとした秩序なんて、壊して当然よ。」
九条は無言で視線を床に落としたが、その瞳には冷酷な決意が宿っていた。「だが、あいつはただの歯車じゃない。結社のすべてを背負い込んでいる。その彼を消すことで、結社そのものに致命的な打撃を与えられた」
彼は一瞬だけ右手を腰に触れ、冷たい銃の感触を確認した。まるで過去の仕事の瞬間を思い出すかのように。
沙織との確認
九条はしばらくの沈黙の後、低く話しかけた。「沙織、久瀬はお前が確実に片付けてくれて良かったよ。」
沙織は表情を崩さずに頷いた。「ええ、暗闇の中であの男の不意を突いたわ。ナイフを胸に刺した瞬間、ほとんど声も上げずに倒れた。予想以上にあっけなかった。」
九条は冷静に頷き返した。「さすがだ。俺が千里眼で久瀬の動きを把握していたおかげで、お前が動くタイミングを完璧に計算できた。停電の混乱もお前の行動を最大限活かすための演出だった。」
沙織は口元に薄い笑みを浮かべた。「確かに、あなたの指示がなかったら、久瀬をあのタイミングで狙うのは難しかった。携帯で教えてくれた位置情報が正確すぎて、驚くほど簡単に刺せたわ。」
九条は軽く肩をすくめた。「千里眼はこういう時に便利だからな。久瀬の警戒心がわずかに緩んだ瞬間を捉えたのも、俺が奴をずっと追い続けていたおかげだ。」
沙織の瞳がわずかに鋭さを増した。「……でも、田宮はどうだったの? あれもあなたの計算通り?」
九条は薄く笑いながら答えた。「田宮は俺が動くまでもなかった。李翔に任せておいたからな。あいつの手際の良さは期待通りだったよ。俺が沙織、お前に集中できたのも、李翔が田宮を確実に処理してくれたおかげだ。」
沙織の目が僅かに見開かれた。「李翔……? あの無口な男が?どうしてそんなに信頼できるの?」
「彼は過去に同じような仕事を幾度となくこなしているプロの殺し屋だ。こういった場面であいつほど頼れる協力者はいない。」九条は言葉を添えた。「田宮の行動パターンも千里眼で把握していたし、李翔に指示を出すタイミングも間違っていなかった。奴が的確に動いてくれたことで、こちらの計画に狂いはなかった。」
沙織は顎に手を当て、しばらく考え込むような仕草をした。「二人とも片付いた……でも、これで終わりじゃないのは分かってる。久瀬も田宮もいなくなっただけじゃ、結社全体を止めるにはまだ遠い。」
九条はその言葉に薄い笑みを返した。「そうだな。これからだ。結社はまだ他の幹部が動いているだろう。だが、この館での動きが今後の布石になる。俺たちがどう動くかで、このゲームの結末が決まる。」
沙織は九条の言葉に短く頷き、その瞳に強い決意を宿した。


闇の中から蘇る影
九条悠也はランタンの揺れる光の中で周囲を見回していた。地下室には重い沈黙が漂い、湿気を帯びた冷たい空気が全身にまとわりつくようだった。石棺の陰影が揺らめき、その暗がりから何かが迫り来るような気配がした。
「九条……」背後にいる沙織が不安げに呟いた。その声にはかすかな震えがあった。
その時、不規則な足音が響いた。石畳を踏む音は地下室の奥から徐々に近づいてきている。九条は鋭い視線を音の方向に向け、ランタンを持ち上げた。
光が届いた先に現れたのは、血まみれで死んだはずの久瀬鷹彦だった。
「久瀬……!」九条は思わず声を漏らし、鋭い目がわずかに見開かれる。彼の冷静な仮面の下では、激しい動揺が走っていた。
久瀬の姿は恐ろしいほどに生々しかった。胸元には赤黒い血痕が乾き、服の隙間から見える肌は蒼白だった。まるで死と生の境界線に立つ亡霊のようであり、その目には奇妙な冷静さが宿っていた。
「驚いたかね、九条?」久瀬は不敵な微笑を浮かべた。「私が死ぬにはまだ早いさ。」
九条は一瞬、眉をひそめながら問いかけた。「……どういうことだ? 確かにお前は死んだはずだ。」
久瀬は肩をすくめた。「見せかけの死、それが舞台演出というものだよ。私が仕掛けたこのゲームの本質を知る者なら、当然理解していると思ったが?」
沙織が怒りを込めて声を張り上げた。「あなたがすべての元凶よ! 父を殺したのも、『ヴェールの影』を守るために仕組まれたものだったんでしょ!」
久瀬は静かに沙織を見つめ、その言葉を受け流した。「犠牲は避けられない。それが結社のやり方だ。そして、この館もまた、その秩序を守るための装置だ。」
その言葉が響き渡る中、さらに別の足音が近づいてきた。九条はその音に目を向けた。
暗闇から現れたのは、田宮真知子だった。彼女の顔には決意と緊張が浮かんでいる。
「九条、驚いた?」田宮は冷たい笑みを浮かべた。


田宮の登場
田宮の姿は決然としていた。彼女の視線には覚悟と怒りが宿り、まっすぐ九条と従者の娘を見据えている。ランタンの光が彼女の端正な顔立ちを浮かび上がらせた。
「九条、どうやらあなたもこの館の真実にたどり着いたようね。」田宮が冷たい声で言った。
九条は眉を上げ、わずかに笑みを浮かべた。「ああ、その真実がどれだけ腐敗しているかもな。」
田宮はさらに一歩近づき、従者の娘に視線を移した。「あなたも久瀬を憎んでいるでしょう。でも、その憎しみが何を生むか分かっている? あなたたちがもたらすのは混乱だけよ。」
従者の娘は田宮の言葉に怒りを込めて応じた。「混乱を恐れて、どれだけの命を見殺しにしてきたの? あなたたちは結社を守るためなら何でも犠牲にする。そんな秩序は壊れて当然よ!」
田宮は冷ややかに笑い、「それでも、この世界に秩序をもたらしているのは結社よ。それを壊してどうなるのか、あなたに理解できる?」と反論した。
九条が田宮の言葉に割り込んだ。「秩序だと? それは偽りの安定だ。『ヴェールの影』が守ろうとしているのは、自分たちの利益だけだ。」


二つの陣営:対立する目的
久瀬と田宮は、『ヴェールの影』という秘密結社を守り、その秩序を維持することを目的としていた。久瀬は結社の中枢に属し、その影響力を駆使して世界の秩序をコントロールし続けていた。田宮は久瀬の計画に同調し、彼の秘密を守るために協力していた。
一方で、九条と沙織は、『ヴェールの影』を崩壊させ、その支配から世界を解放しようとしていた。九条は結社の一員として活動してきたが、その腐敗と犠牲を目の当たりにし、裏切りを決意していた。沙織は父を犠牲にした結社への復讐を胸に秘め、九条と共に行動していた。
「久瀬、お前たちが守ろうとしているのは、ただの腐った秩序だ。」九条は静かに言った。「それを壊すことでしか、世界は新しい方向に進めない。」
久瀬は苦々しく笑った。「その新しい方向とは何だ? 混乱と争いに支配された未来か?」
「その混乱を恐れて何もしない方が、よほど破滅的だ。」九条は断言した。


久瀬の最期の選択
久瀬はゆっくりと石棺に手を置き、深く息をついた。「私がここで死ねば、君たちは勝ったと思うのだろう。だが、『ヴェールの影』は私一人で成り立っているわけではない。」
田宮が慌てて声を上げた。「久瀬、やめて! ここで命を絶てば、結社の力が弱まるだけじゃ済まない。私たちの努力がすべて無駄になる!」
久瀬は彼女を一瞥し、穏やかに微笑んだ。「田宮、これは必要な犠牲だ。私の死が結社をさらに強くする。それは私の使命だ。」
「そんなはずない!」沙織が叫んだ。「あなたの死で、すべての歯車が狂う。それを分かっているのに!」
九条は声を荒げた。「久瀬、これ以上の茶番はやめろ! お前の死は混乱を招くだけだ。」
久瀬は彼らの言葉を無視し、懐から拳銃を取り出した。そして静かに呟いた。「混乱の中からこそ、新たな秩序が生まれる。」
その言葉と共に、銃声が地下室に響き渡り、久瀬はゆっくりと崩れ落ちた。


真相の崩壊
田宮は久瀬の体に駆け寄り、涙を流しながら彼の名を呼んだ。「久瀬さん……どうしてこんな結末に……!」
沙織は冷ややかにその光景を見つめ、小さな声で呟いた。「これで『ヴェールの影』に大きな傷を負わせられた。でも、これが正しいのかは分からない。」
九条は久瀬の手から血染めのノートを拾い上げ、冷たく言った。「お前たちが守ろうとしたものは崩れ始めている。だが、この混乱を収束させるには、まだ時間がかかる。」
娘は頷きながら立ち上がり、九条の隣に並んだ。「結社がどう動くか見届けるしかないわね。」
九条は黙って地下室を後にした。


目覚め
九条が次に目を覚ましたとき、自宅のベッドに横たわっていた。窓の外には朝日が差し込み、嵐の音も迷宮館の冷たい空気もすべて消えていた。
「……夢か?」九条は冷や汗を拭いながら呟いた。


新たな招待状
机の上には、一通の封筒が置かれていた。差出人は「久瀬鷹彦」。九条は震える手で封を開け、中の招待状を読み上げた。
『九条悠也様
迷宮館での推理ゲームに再びご参加ください。
今回こそ、真実にたどり着くことを期待しております。
久瀬鷹彦』

九条は手紙をしばらく見つめ、静かに笑みを浮かべた。「今度はどういうゲームを仕掛けるつもりだ?」


エピローグ:再び船に乗る
嵐の中を進む船上で、九条は迷宮館の影が近づいてくるのをじっと見つめていた。その姿は夢で見た光景と寸分違わない。
甲板に立つ三上涼介の姿を見つけた九条は軽く手を上げた。「また君と会うとは思わなかったな、涼介。」
三上は腕を組みながら九条を見据え、苦笑した。「俺もだ。でも、今度はもっとお前を見張らせてもらう。」
「それも悪くないな。」九条は静かに笑った。
再び嵐の中で迷宮館が近づく。そこにはまた新たな謎と陰謀が待ち受けている――真実を探る者たちを試す、終わりなきゲームの舞台として。
 
破戒部分
 
プロローグ
ノックスの十戒違反箇所

  1. 第2戒:
    探偵が事件を解く手段として、超自然的な能力を利用してはならない。
    → 九条が持つ千里眼という超自然的能力を使用して、館内の状況を把握している。この能力は非現実的であり、十戒に反する。

  2. 第6戒:
    偶然や直感によって探偵が事件を解決することは許されない。
    → 九条が千里眼によって事件の存在を直感的に把握しており、論理的な推理に基づいていない。


ヴァンダインの二十則違反箇所

  1. 第2則:
    作者がトリック以外の形で読者を誤解させるような描写をしてはいけない。
    → 九条の千里眼という異能が、読者に「解けない謎」を提示し、現実の論理を捻じ曲げている。

  2. 第8則:
    占いや心霊術など、非科学的な方法で事件の真相を示すことは禁止される。
    → 九条の千里眼という設定自体がこの戒律に違反している。

  3. 第9則:
    探偵役は一人が望ましい。複数の探偵が協力して事件を解決するのは読者に不公平感を与える。
    → 九条と三上の二人の探偵が協力して行動しており、読者が推理に集中しづらくなる構成。

第1章
ノックスの十戒違反

  1. 第2戒:
    探偵が事件を解く手段として、超自然的な能力を利用してはならない。
    → 九条の千里眼能力を用いて久瀬の死の瞬間を捉える描写がある。この能力は超自然的であり、論理的な推理の範囲を超えている。

  2. 第3戒:
    犯行現場には、二つ以上の隠し通路や抜け穴があってはならない。
    → 絵画の裏、床板の下と二つの隠し通路が存在している

  3. 第5戒:
    主要な登場人物として外国人を設定してはいけない。
    → 李翔(謎の中国人)の登場が唐突であり、犯人候補として重要視される可能性が高いにもかかわらず、背景がほとんど示されていない。


ヴァンダインの二十則違反

  1. 第8則:
    占いや心霊術など、非科学的な方法で事件の真相を示すことは禁止される。
    → 九条の千里眼能力は非科学的であり、これを事件の重要な描写に利用している。

  2. 第16則:
    無駄な情景描写や不必要な文学的装飾を省くこと。
    → 冒頭の迷宮館や嵐の描写、九条が暗闇の気配を感じ取る場面など、過剰な情景描写が物語のテンポを妨げている。

第2章
ノックスの十戒違反

  1. 第2戒:
    超自然的能力の利用
    九条が千里眼という超自然的能力を使って事件にアプローチしている。これは探偵小説で禁じられている超自然的要素の利用に該当する。

  2. 第9戒:
    探偵の助手は、自身の考えや判断を読者に開示する必要がある。その知能は、一般の読者より少し低い程度であるべきだ。
    → 一緒に行動する三上は、九条より高い推理力を持っている。

  3. 第10戒:
    双子や一人二役の未提示の使用
    → 橘遥香と橘美咲、小野寺隼人と小野寺桜子という2組の双子の存在が事前に明示されていない。

ヴァンダインの二十則違反

  1. 第2則:
    作者がトリック以外の形で読者を誤解させるような描写をしてはいけない。
    → ランタンの光により壁に映る影が一瞬だけ動いたという不要な誤解をさせている。

  2. 第8則:
    非科学的手段の利用
    → 九条の千里眼の使用。非科学的な千里眼という能力を使って事件解決に近づいており、推理小説の枠を逸脱している。

 
第3章
ノックスの十戒

  1. 第2戒:
    探偵が事件を解く手段として、超自然的な能力を利用してはならない。
    → 九条が千里眼という超自然的能力を用いて大広間や廊下での出来事を視覚的に把握している。この能力は科学的な方法に基づいていない。

  2. 第4戒:
    未知の毒物や、複雑な科学的装置を使った犯行は避けるべきである。
    → クルサリオキシンという未知の毒物が登場している。


ヴァンダインの二十則

  1. 第3則:

無意味な恋愛要素を加え、物語の知的な展開を妨げることを避けるべきだ。ミステリーの目的は犯人を裁きに導くことであり、恋愛の成就ではない。
→不必要な九条と三上の恋愛模様が記載されている。

  1. 第8則:
    占いや心霊術など、非科学的な方法で事件の真相を示すことは禁止される。
    → 九条が千里眼という非科学的な能力を使って「幽霊」の正体や他の場所での出来事を確認している。

  2. 第14則:
    犯罪の方法やそれを解明する手段は、合理的かつ科学的でなければならない。架空の科学や未知の毒物の使用は避けるべきだ。
    → クルサリオキシンという未知の毒物が登場している。

4.    第20則:
散々使い古された手法は作家が避けるべきである。
ドアノブに針金を仕掛けて外から鍵をかけたという使い古されたトリックが使われている
 
第4章
ノックスの十戒

  1. 第2戒:
    探偵が事件を解く手段として、超自然的な能力を利用してはならない。
    → 九条が千里眼を用いて状況を確認し、手がかりを得ようとしている描写がある。

  2. 第7戒:
    探偵自身が犯人である場合、そのことを隠すための変装などを用いない限り禁じられる。
    → 九条が自身の計画の一環で証拠を隠蔽している。


ヴァンダインの二十則

  1. 第1則:
    事件の謎を解くための手がかりは、全て作中で明確に提示される必要がある。
    → 第4章まで手がかりが一切登場していない

  2. 第4則:
    探偵や捜査員が突如として犯人になるような展開は不適切である。
    →探偵役の九条が証拠隠蔽など突然犯人である振る舞いをしている。

  3. 第5則:
    犯人の特定は、論理的な推理によって行わなければならない。偶然や予期せぬ告白による解決は避けるべきだ。
    → オウムの名指しによって九条を犯人として特定している

  4. 第8則:
    占いや心霊術など、非科学的な方法で事件の真相を示すことは禁止される。
    →久瀬のオウムが読心術を使って、九条を「犯人」と名指ししている

第5章
ノックスの十戒

  1. 第1戒:
    物語に登場する犯人は、最初から読者に紹介されていなければならない。ただし、その人物の心情や動機が明確すぎて読者が容易に見抜けるようではいけない。
    → 共犯者である沙織はプロローグや第一章に登場していない

  2. 第5戒:
    主要な登場人物として外国人を設定してはいけない。
    →李翔という正体不明の中国人を犯人の1人にしている。

  3. 第7戒:
    探偵自身が犯人である場合、そのことを隠すための変装などを用いない限り禁じられる。
    →九条が自身の計画の一環で証拠を隠蔽し、明らかに犯人と共犯関係にある行動を取っているが、それが隠されている。

  1. 第8戒:
    探偵は、読者に提示されていない手がかりを使って事件を解明してはならない。
    → 久瀬を殺した犯人は今まで登場していなかった沙織だったり、沙織や李翔への指示に今まで出てこなかった携帯電話が使われていたりしている。


ヴァンダインの二十則

  1. 第1則:
    事件の謎を解くための手がかりは、全て作中で明確に提示される必要がある。
    事件の謎を解くための手がかりが全く提示されていない。

  2. 第6則:
    探偵小説には探偵役が必要であり、その人物の捜査と推理によって事件が解決されなければならない。
    探偵役である九条によって事件は一切解決していない。

  3. 第7則:
    長編の探偵小説では、死体が不可欠である。軽犯罪では読者の関心を保つことが難しい。
    → 実は久瀬や田宮は死んでおらず、死体は存在していなかった。

  4. 第10則:
    犯人は物語で重要な役割を果たす人物であるべきで、突然登場したキャラクターが犯人であってはならない。
    → 突然共犯者として沙織が登場している。

  5. 第11則:
    犯人を端役の使用人などにするのは安易な手法とされる。その程度の人物の犯行なら物語にする価値はない。
    → 共犯者として沙織が登場しているが、久瀬の従者の娘という端役である。

  6. 第12則:
    たとえ複数の殺人事件があったとしても、真の犯人は一人であるべきだ。共犯者が存在する場合でも中心は一人に限られる。
    → 九条、沙織、李翔と三人の犯人が存在している

  7. 第13則:
    スパイ小説や冒険小説とは異なり、探偵小説では秘密結社や犯罪組織のメンバーを犯人にしてはいけない。
    →九条は『ヴェールの影』という国際的な秘密結社に所属している。

8.    第14則:
犯罪の方法やそれを解明する手段は、合理的かつ科学的でなければならない。架空の科学や未知の毒物の使用は避けるべきだ。
→ 九条の千里眼を使って、久瀬や田宮の行動を探っていた。

  1. 第15則:
    事件解明の手がかりは、探偵が犯人を明かす前に全て読者に示されるべきである。
    → 久瀬や田宮を殺した犯人に関する手がかりが全く出てきていない。

  2. 第17則:
    プロの犯罪者を犯人に設定するのは避けるべきだ。魅力的な犯罪は、アマチュアによるものである。
    → 実は九条がプロのスナイパー、李翔もプロの殺し屋という設定になっている

  3. 第18則:
    事件の結末を事故死や自殺で片付けてはならない。
    → 久瀬が自ら命を絶つことで物語が終結しており、規則に違反している。

  4. 第19則:
    犯罪の動機は個人的なものが好ましい。国際的な陰謀や政治的動機はスパイ小説に属する。
    →『ヴェールの影』という国際的な結社の陰謀とその崩壊が中心であり、動機が個人的な範疇を超えている。

  5. 第20則:
    散々使い古された手法は作家が避けるべきである。
    → 夢オチ、ループオチという散々使い古された手法を使用している。


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