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「心の声を聞こう」として殻に閉じこもってしまう人へ

noteを書きたい、書こう!と思って悩んでるうちに、自分の中でハードルがどんどん上がってしまいました。ふるしょうです。

投稿ボタンを押せなくなりそうなので、さらっと書きます。

アドラーは全ての悩みは人間関係だと言ってる。

その悩みは1つだけのように見せかけて、実は2種類のタイプがあるんじゃないかと思いました。


1つ目は、よく世間で語られているもの。

人間関係の中で嫌われないように行動してきた結果、自分の気持ちが分からなくなってしまった、というもの。

そういう人は1人になって、「心の声」に耳を傾けましょう、というパターンだ。

アイデンティティが分からなくなってしまった人たち。サラリーマンや学生、生徒をうまくこなしてる人の大半はこれなんじゃないかな。


処方箋として「人目を気にするな!自分の気持ちに正直に!」
そんなメッセージが巷には溢れかえっている。

僕も正しいと思う。

誰だって自分の人生を歩むべきだ。


だけど、このアプローチだけでは、全ての人が自分の人生を歩むことは難しいんじゃないかなと思った。

2つ目は僕自身のパターン。マイノリティ。

「人目を気にするな!自分の気持ちに正直に!」ある日、僕はどこかでこのメッセージを拾って帰ってきた。

それからは自己と他者の間に明確に線引きをした。
嫌われないようにふるまうとか、愛想笑いをするといったコミュニケーションを放棄した。

なぜなら、自分の心の声に耳を傾けるために。小さな自分の声を遮られないように。自分の人生を歩みたいがために。

「キャラクター」に縛られてる人たちを傍目で笑っていたのだ。馬鹿馬鹿しいことしてやがると。


そうしたおかげで、僕は自分の心の声を聞くことがずいぶんとうまくなった。いつの間にか他者を拒絶した、立派な防音室ができあがっていった。

そしていつの間にか、ガチガチの殻の中に閉じこもって、1人ぼっちになっていた。

「自分の心の声に耳を傾けよう!」というメッセージはたくさんあった。

けれど、自分の人生を生きるために、他者のメッセージに耳を傾けようという言説は少ないと思う。


前者は、人との関係性の中で生み出される「キャラクター」に縛られている。

後者は「殻」=自分で決めた自分らしさに縛られている。


そして共通していることは、どちらも自ら生み出してるということだ。

前者は自らにリスペクトの矢印を向けるべきだし、後者は他者に対してリスペクトを向けるべきだ。

前者で苦しんでる人は、自分の心の声に耳を傾ける必要があるし、

後者で苦しんでる人は、自分の声を待ち望んでいる他者の声に耳を傾ける必要がある。

人生って難しい。



でもそんな両者が目指す先は一緒でシンプルなんじゃないかと思う。

対話だ。
自らのことも、他者のことも尊重すること。

これはトレードオフじゃない。
どちらかのリスペクトの矢印を伸ばすことが、もう一つの矢印を伸ばすことになる。

自分の心のコップの量と質がレベルアップすれば、誰かのことを受け止めるレベルアップにもなる。


後者の人へ。

いつの間にか殻に閉じこもってた人へ。

誰よりも自分のことをわかっている人へ。

内向的で内省的で叫びたい言葉があふれている人へ。

自分の人生を生きるためには、誰かが待ち望んでる声にも耳を傾ければいけないことを知らなかった僕自身へ。

だから僕はあなたの声が聞きたいです。
話をしませんか?

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