東武東上線 各駅停車 2 下赤塚
池袋を発車した東上線下り急行列車が最初に停まるのは成増である。成増駅周辺の沿線風景は起伏に富んでおり、大地のうねりを俯瞰できる一帯である。この駅を出るとじきに白子川を越え列車は埼玉県へと入っていく。筆者のような東上沿線埼玉県民の多くは、「池袋の次は成増である」と認識している。急行列車が通過してしまう8つの駅に埼玉人たちが関心をもつのはたいへんに難しい。
とはいえ、朝の通勤時間帯など、この通過区間においても過密ダイヤに因るノロノロ運転が発生し、窓の外を見てどの辺まで来たのか位置を確認することも多い。8つの駅についてもその名を知っている必要が生ずる場面である。
駅名を覚えるのに、子どもの頃気付いた法則が役に立った。ひと駅おきに「下、中、上、下」が現れるのである。池袋の次は北池袋、そこから下板橋、大山、中板橋、ときわ台、上板橋、東武練馬、下赤塚、成増という具合に。それぞれの駅名の「妥当性」について疑問も抱いてはいるのだがここでは措く。
都県境に最も近いのは前述のとおり成増だが、その次に埼玉寄りの駅が下赤塚である。したがって、下赤塚の駅通過に気づくと埼玉人は「もうすぐ最初の駅だな」と思うわけである。下赤塚に近づいたことを予知させる風景はいくつかある。たとえば池袋から進行方向右側の車窓を楽しんでいたとしよう。平凡な住宅街が続くのだが、突然片側二車線の高規格道路を眼下に渡る。国道17号「新大宮バイパス」が川越街道に直結したのはいつであったろうか。その先線路に近接して「ゲストハウス新都心」との看板が目に入る、新都心?に度肝を抜かれる。さらに下赤塚駅直前には赤い鳥居と控えめなお社が好もしく眺められる。
筆者がこの駅の名を知ったのは子どもの頃の読書体験の中であった。下村湖人著『次郎物語』第五部に下赤塚が登場するのである。主人公次郎が青年期に私淑した朝倉先生主宰の「友愛塾」の建設地が下赤塚近くに設定されていたのだった。
「場所は東京の郊外で、東上線の下赤塚駅から徒歩十分内外の、赤松と櫟の森のかこまれた閑静なところである。」
この友愛塾のエピソードは、著者自身の青年団での教育実践体験がもとになっているらしい。そして著者がこよなく愛した赤塚地域を舞台に、青年期次郎の苦悩が描かれているのだ。
下赤塚駅から20分弱の曹洞宗松月院は、下村湖人の墓所である。徳丸ヶ原での高島秋帆の砲術演習の、大砲の形の記念碑もあったりして、一見の価値がある。いや、周辺を見回せば、赤塚城址、区立美術館・郷土資料館、東京大仏、赤塚植物園等々、見どころ満載であり板橋区西部の観光拠点ともいえよう。