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郷に入っては、片手でタクシー止めて赤信号でも堂々と渡れ。

人生初の海外旅行でニューヨークを訪れたときのこと。


当時はまだ"好奇心"より"心配性"が勝っていたわたしだったので、たかだか1週間ほどの旅行なのに、要らん荷物をたくさん持って大きなスーツケースをゴロゴロと転がしていた。

スーツケース片手に観光をする不便さといえば、国土の狭い東京がまったく酷いもんだが、今思えばニューヨークも大概である。

中でも「こりゃ日本が世界一安全な国って言われるわけだ…」と、妙な納得感を覚えた出来事が、五番街から少し離れた街中の交差点を渡ろうとしたときのことだ。

歩行者信号が青に切り替わったので、重いスーツケースをよっこら持ち上げ歩き始めたその瞬間。
海外ドラマでしか聴いたことのなかった「プァ~~~!!!」というクラクション音とともに、これまた海外ドラマでしか見たことがなかった黄色のタクシー、通称イエローキャブがわたしの目の前にやってきて、「Stupid, A**hole(怒)」という怒号とともに、窓からゴミクズが舞ったのだ。

マ??もとい、seriously?? とお思いだろうが、本当なのだ。

もちろん「怖いよぉ~…」という気持ちもあった。
けれど…それよりわたしは、その瞬間に大きく成長したのを覚えている。自分の中の"何か"が明確に変化を遂げたのだ。

そう、心のどこかで「おっけ、おっけ。そういうシステムね。」と、余計な恥やプライドを捨て、まったくの異文化に染まり切る準備ができたのだ。
「郷に入っては郷に従え」って、こういうことかと完全理解したわたしは、あっという間にニューヨーカー気取りで迫りくるタクシーを片手で静止し、「俺のために道を譲ってくれてありがとう」と言わんばかりのやかましい表情で堂々と道を渡れるようになった。

信号頼りではなく、赤だろうとなんだろうと、「わたし、渡ります。」という意思表示をして歩く。これがあの場所、あの交差点でのスタンダードだったのだ。

すると不思議なもので、わたしがそのスタンダードを実践すれば、タクシーの運転手も片手を挙げながら笑顔でわたしの横断を待っていてくれたり、先ほどのような罵詈雑言ではない、とても爽やかな挨拶を交わしてくれたりする。こちらが赤信号を無視して渡っているにも関わらず、そうなのだ。

どう考えても、みんなが普通~に信号を守って、ささ~っと道を渡るほうが気持ちがいいだろうと思うが、それはあくまで"日本のスタンダード"。わたしが訪れたときのニューヨークでは違った。

この経験を通じて、その土地、その文化、そのカルチャーに合わせることも重要だと、わたしは身を持って知ったのだ。
勝手な思い込みや自分基準の「普通」に合わせていたら楽しめるものも楽しめない。柔軟さや視野の広さが、単にルールを守ることよりも大切な場合があると、わたしはニューヨークの地で感じたのだった。



ところで。
これは別に、東京とニューヨークを比べるようなイキった旅の思い出に限定した話ではない。

同じ日本国内でも、都会と田舎、関東と関西、隣のデスクの〇〇さんとであれ、みんな違った"カルチャー"を抱えているのだから、そういうものすべてに「郷に入ってはなんとやら」の意識を(多少)持っていてくれよ、と思うのである。

ルールとしてはこれが正解。
だからこのルールをみんな守れるようにしよう!…して!…しろ!というのは、確かに大切な働きだと思いつつ、それを掲げて一方的に突っ走るのは、あまりにも指示する側のエゴであろう?と、わたしなんかは感じてしまう。

もちろん最終ゴールは、みんながみんな、その正しいルールを、正しく守れること、それがいちばんである。
赤信号は止まる、青信号は渡る。タクシーはどんなに急いでいても、スーツケースを持った観光客にゴミをぶつけながら暴言吐かない。それが理想だ。

しかし、そんな"正しいルール"を守らせようとした挙句、より一層の対立が生まれてしまっては元も子もないではないか。
ニューヨークのあの場所で、わたしはタクシーの運転手と口論することもできた。「お前がルール守れよ!フ○○○ユー!(ビビリながらカタコトで)」と反論することは容易かったが、外から来たものが、外からの正義を振りかざすことに、果たしてどれほどの意味があるというのだろう。

事実と真実は必ずしもイコールではないということを、常に頭の片隅に置いておくべきだと思うのだが、皆さんはどう考えるだろうか。


‥‥と、少々皮肉めいた記事になってしまったが、今日はそんなよそ者の、エゴでしかない正義に振り回されている人間もいるということを伝えたかった。あなたの正義をなだめるために、見えないところで立ち回らざるを得ない人もいるんだと、どうか忘れないでいただきたい。(もう~、大変なんだからほんとに。ぷんすか。)

わたしが今抱えるひとつの厄介事、これがひと段落した暁には、またのんびりとニューヨークでも訪れたいものだ。

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