さぁ『シンドバッド』の話をしよう。
わたしのnoteは、主に映画のレビューがメインコンテンツとなっている。
映画館に行くことが大好きで、映画の話をすることが大好きで、毎日何かしらの映画のサントラを聴いて過ごしている。が、そんな映画以上に愛して止まないもの、それが「ディズニー」だ。
ディズニーへの愛は、主にポッドキャストでその思いの丈を定期的にぶちまけている。特に"夢と魔法"を謳うディズニーと、それを成り立たせる"現実の要素"を探るのが大好きで、ポッドキャストのタイトルは「世界史D」。我ながら(note以上に)やかましい妄想・考察話を繰り広げている。
したがって、このnoteではそれほど「ディズニー」に関する記事を書くつもりがないのだが‥‥今回はどうしても取り上げたいネタができてしまった。
***
実は、先述のポッドキャストを通じて知り合った、わたしと同じような(変態)考察をする仲間がいるのだけれど、中でも最近よくやり取りさせていただいているのが「月兎さん」という方だ。そして月兎さんのメインとなる発信源は、このnoteなのである。
もっぱら「東京ディズニーシー」における考察が秀逸すぎて、そろそろリアルにお会いしたいと思っている方なのだが‥‥
そんな彼が昨日、このような記事を投稿していた。
Dオタから絶大な人気を誇る神アトラクション「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」に一石を投じる、これまたニヤケが止まらない記事だ。
月兎考察における東京ディズニーシーは、その公式的な謳い文句から分かる通り、「冒険とイマジネーション」を主軸として、アトラクションをはじめとするすべての物語が創られている、という。
我々ゲストは「冒険者」、そこで働くキャストは冒険者をエスコートする役割の存在、そしてゲストもキャストも予想していない体験をすることになるが、ゲストの「イマジネーション」で事態は解決へと導かれる‥‥
という基本設定に則り、「東京ディズニーシー」というパークは出来上がっているというものだ。
しかし上記の記事は、そんな絶対的ルールから唯一外れたアトラクションとして、「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」が存在すると(おそらく本気の"炎上覚悟"で)明記している。
あの名アトラクションに対し月兎氏は、"コイツ"だけは救いようのない「冒険とイマジネーション」設定ガン無視のライドであると、言っているのだ。(火に油を注ぐひろひろ)
‥‥が、記事を読めば分かる通り、今回もまた月兎さんの考察はお見事。
なるほど確かに、と思うポイントが多すぎて「シンドバッド」の見方がガラッと変わる面白いお話だった。
だが。
タイトルにわざわざ"炎上覚悟"と付けたのであれば、それ相応の対抗馬が現れることを、彼自身もどこか期待している節があるのではないか。(そんなことはない)
なんならまじで少しくらい燃えてくれと願っている節があるのではないかと、わたしは思うのだ。(余計なことするな)
ということで、ポッドキャストでは「世界史D」というタイトルを引っ提げ偉そうに喋る私ひろひろが、今日はここnoteで、世界史的な側面から見る「シンドバッド」のお話をしようと思う。
本日のメニューは、ざっとこの2つだ。
こら月兎!日本通運なんて巨大企業のスポンサーまでを持つシンドバッドに、ディズニーシーにおける価値がないわけないだろう!
…というテイで、ひろひろ的シンドバッドの変態考察の幕開けである。
ちなみに‥‥
これは本文と微塵も関係ない話なので、ここでサラっと話しておくが、サンスターから発売されていた「シンドバッド」というシャーペンは皆さんご存知だろうか。
なんとこのシャーペン、芯が40本も入るのだ。
シャーペンの芯が、ドバっと40本。
芯が、ドバっと。
芯ドバっと。
・・・シンドバッド。
では、本題にいってみよう。
***
「アラビアの千夜一夜漬け」が意味すること
月兎さんの記事でも説明されている通り、東京ディズニーシーのアラビアンコーストというエリアは、映画『アラジン』の物語をベースとして、アラジンとジャスミンが結婚したのちのスピンオフ的な世界観が敷かれている。
詳しくはぜひ月兎さんの記事を読んでもらうとして。
驚くほどざっくり解説すると、ジャスミンの父であるサルタン王の"願い"により、ランプの魔人ジーニーが魔法で創り上げた街、それが「アラビアンコースト」というわけである。
月兎さんの指摘は、この「アラビアンコースト」の中に、「シンドバッド」の物語があるということは、『アラジン』という物語の中に『シンドバッド』が含まれている‥‥その整合性の無さが問題ではないか、ということである。同じ世界観だから、なんとなくふわっと存在しているアトラクションというだけなのではないか?と、うん、確かにそう言える。
だがここで、わたしの「世界史D」的な観点から「アラビアンコースト」の実態を探ってみよう。
(言わずもがな「世界史D」の「D」は、ディズニーの「D」ですよ)
そもそも論として、ディズニーが手掛けた映画『アラジン』の世界、見方によってはそれがもう既に、ここでいう「アラビアの世界観」を崩壊させている、まったくの整合性が取れていないと言えることに、皆さんはお気付きだろうか。
月兎さんの記事でも紹介されている通り、『アラジン』の物語は、現存する最古のアラビア書物とも言われる「千夜一夜物語」の中に収録されたお話のひとつである。
『シンドバッド』や『アリババと40人の盗賊』という物語も、この「千夜一夜物語」に含まれるお話のひとつだ。
で、この「千夜一夜物語」が何かというと。
これは750年から1258年頃に栄えたとされるアッバース朝の最高指導者ハールーンアッラシードの時代を描いた説話集とされており‥‥
その後に君臨したスルタン王が好んで聞いた物語、それが「千夜一夜物語」というわけなのだ。
(ちなみに"スルタン(またの呼び方をサルタン)"は、人の名前ではなく称号みたいなもんです。権力者とか国王を意味する単語なので、サルタンはひとりではありません。ただ、イスラム圏の歴史的に"スルタン"が公式的な登場をするのは、14世紀のセルジューク朝時代。はやくても13世紀のイスラム政権下のようなので、どのみち「千夜一夜物語」の舞台に"スルタン"が登場するというのは微妙に時間軸がずれていて、これがディズニーによる「アラビアの世界観(時間軸)」の崩壊だと、わたしは思っているんですね。)
つまり、歴史的な背景を考慮するならば、映画『アラジン』に登場するジャスミンの父:スルタンは、この「千夜一夜物語」を読み聞かせてもらっていた側の人間であるはずで、その「千夜一夜物語」に収録された『アラジン』にスルタンが登場するのは、いろいろと辻褄が合わない‥‥という話なのだ。
ゆえに、東京ディズニーシーのテーマポートのひとつ「アラビアンコースト」は、"ディズニーによる"『アラジン』をベースにしている時点で、その整合性はある種崩壊しているともいえるのではないかと言えるわけである。
しかし、だからといって『アラジン』の世界に『シンドバッド』が介入していい理由にはならないだろう。
この考察だけでは、まだまだ月兎先生の首が縦に頷くとは到底思えない。
ということで、うざったい歴史のお勉強はこれくらいにして、ここから先は「冒険とイマジネーション」の力も借りるとしよう。
そう『アラジン』の世界には、ある種ディズニーが手掛けた究極的な「イマジネーション」の権化ともいえる存在がいるのだ。
ご存知、ランプの魔人ジーニーである。
ディズニーの公式的な説明によると、ジーニーは宇宙最強の魔人であるようだ。
アラブ地域最強でも、地球上最強でもなく、"宇宙最強"という半端ないスケールでお届けしている。
これがどういうことか?
イスラムにおける宇宙観を調べてみると、この文化圏ではたとえ宇宙であろうとも、すべては絶対神「アッラー」による創造物のひとつとされている。
アッラーが宇宙を創り、またアッラーの予言により時の終わりが来る。この世の時間も空間もすべて、アッラーという唯一神によって定められている、という考えだ。
そうした文化がベースにある上で、それを逆手に取ったのか、はたまたそうした絶対神への崇拝を表現したのか、魔人ジーニーはそんなアッラーを超える立ち位置で"宇宙最強"と表現されている。
つまり、宇宙の始祖であるアッラーを凌ぐようにして"宇宙最強"と表現されるジーニーは、この世の時間も空間もすべて彼の手の内だと言えるわけだ。
そう考えたとき、我々ゲスト(=冒険者)は、あの「アラビアンコースト」という街に入り込むことで、"宇宙最強"の魔人ジーニーの手のひらで転がされるという、"誰も予想していない冒険"をしているのではないか、と考えられる。
現にジーニーは、自身を紹介する歌の中で、「アリババには40人もの盗賊がいた」と言い、アラジンを含め『アラジン』という物語に登場するキャラクターからは誰も分からない、「千夜一夜物語」のメタ発言を繰り出している。
「アラビアンコースト」というエリア全体に目を向けても、『シンドバッド』のアトラクションの他、街中には『アリババと40人の盗賊』でしか登場しない「開けゴマ」を意味する「オープンセサミ」という店が存在していたりもする。
極めつけは、お隣「マジックランプシアター」にて、我々ゲストがジーニーと対面できるとき、彼は「アラビアの千夜一夜漬けになるところだったぜ」という台詞を発するが‥‥
仮にわたしの考察を正とするならば、ここでいうジーニーの台詞は、単なる"ジョーク"である以上に、「千夜一夜物語」という説話集の中に自分という存在が閉じ込められてしまうことを恐れた、"宇宙最強"のパワーが封じ込められることを危惧した発言なのではないかと思えるのだ。
もっとも逆説的にいえば、あのエリアでジーニーは「アラビアの千夜一夜漬け」になっていないからこそ、彼の時間も空間も操る魔法によって、本来ではあり得ない世界の融合と時の歪みが起きているのではないかと推察できる。
事実、『アラジン』という映画の中で、ジーニーの魔法は他のディズニー映画への介入もOK、劇中歌はどれもイスラム文化圏とは相容れないジャズやサンバの要素をふんだんに盛り込んでおり、ジーニーという存在による現実との乖離が、この世界観を成り立たせていると考えられるのだ。
その上で、ジーニーによる「アラビアンコースト」に閉じ込められている(?)アラジンやジャスミン、またそこに従属するキャストたちは、"外の世界"を知らずにあそこで生活をしているが、海を渡って"外から"遊びにやってきた我々冒険者は、イマジネーションの力によって、その不可解さに気付けているのではないかと思えはしないだろうか。
実際、東京ディズニーシー全体を周遊するトランジットスチーマーラインの船内放送では、確かに「アラビアンコースト」の存在を認知し、そこで生活する商人や王宮の人々らの存在を確認している。
が、魔神ジーニーの存在は語られず、それを口にするのは決まって「アラビアンコースト」の中にいる者たちだけなのだ。
したがって、月兎さんの「東京ディズニーシー考察」を引用すると、「アラビアンコースト」はエリア全体が「想定していなかった物語」になっていて、そのエリアへの入退出それ自体が、我々ゲストの「イマジネーション」に掛かっているのではないかと、わたしは思う。
ゆえに、月兎さんが指摘する通り、本来『シンドバッド』は我々ゲストが体験する予定ではない物語。だが、なぜかあそこに存在してしまっている。それはひとえに、他のエリアとは一線を画す"ジーニー"という"自由な者"の存在、その想定外の出来事によるのではないだろうか。
とはいえ…こんな風に言うと、あたかもジーニーが何かの悪役のようにも聞こえてしまうかもしれない。
が、ユートピアとはそういう危うさを秘めた場所であろう?と、わたしは思う。
その絶妙なスリルこそが、東京ディズニーシーという"大人向けパーク"の所以だとわたしは感じているのだが、皆さんはどう思うだろう。
***
「東京ディズニーシー」全体を巻き込む「現シンドバッド」の役割
とは言ったものの、まだ月兎さんの疑問に完全回答はできていない。
(なんならアラジンの話しかしてない。)
もうひとつ、彼が指摘していたのは『シンドバッド』のアトラクションにおける待ち列(通称: Qライン)における不可解さだ。
これはわたしも思わず吹き出してしまったが、このアトラクションのQラインには、このあと体験するアトラクションの内容がすべて描かれたポスターで埋め尽くされている。月兎さんの言う通り、これは「伏線」ではなく、完全なる「ネタバレ」の演出。わたしもこれまで何の気なしにぼーっと見ていたわけだが、確かにアトラクションとしても完全アウトな作りじゃん…と思えてしまうのだ。
だが、ここでまたわたしのやかましい「世界史D」を発動させてみたい。
このポスターの演出が「ネタバレ」ではなく、「挿絵」の役割だと仮定してみたらどうだろう、と。
実はこの「シンドバッド」というアトラクション、Dオタ的には常識だろうが、東京ディズニーシーの開園当初は、今とはまったく違う物語で存在していた。
いわゆる「旧シンドバッド」は、それこそまさに「千夜一夜物語」で描かれる『シンドバッドの冒険』を地でいくアトラクションで、主人公シンドバッドが海を渡って、盗賊と闘ったり財宝を盗んだりして、好き勝手暴れまわるだけ(※言い方)の、非常に野蛮なライドだった。
結果ゲストからも不評で、開園から1年足らずでクローズ。
その後大幅に内容がリニューアルされ、あのアランメンケン様の神曲「コンパスオブユアハート」を引っ提げ「現シンドバッド」へとカムバックした、というわけなのだ。
そして、アトラクション名も「シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ」と改められ、問題となるQラインも今の形に落ち着いた。
ここでわたしが着目したいのは、「ストーリーブック」という名称の追加だ。
つまり、本アトラクションは他のライドと異なり、アトラクションそれ自体が端から「ストーリーブック=物語本」だと明示されている。
設定としては、東京ディズニーランドの「プーさんのハニーハント」と非常に似通ったものだと思っていて、アトラクションの入り口はそのまま本の入り口とイコールであることが、このライドを読み解くヒントではないかと思うのだ。
「プーさんのハニーハント」においては、それがイギリスの児童文学であるという特性から、AAミルンが手掛けた「くまのプーさん」の原作ページの間をゲストが進んでいくように作られているが、『シンドバッド』においては、その仕様が若干異なる。
前段でも軽く触れた通り、『シンドバッド』をはじめとした「千夜一夜物語」は、基本的に時の国王スルタンが、"読み聞かせ"てもらった説話。
つまり、この物語の起源は字を追って読み進めていくのではなく、言い伝えによって広く発展した歴史があるわけなのだ。
その上で、なぜわたしがこのQラインにおける「ネタバレ」全開のポスターを「挿絵」として捉えてみたいかというと‥‥
実はそうして言い伝えられた「千夜一夜物語」は、それこそ"海を渡って"諸外国に輸出されたとき、その本の多くに各国で多種多様の「挿絵」が施されたことが分かっているからなのである。
特にヨーロッパに渡ったとき、自国にはなかった東欧(オリエント)の異国情緒漂う魅力的な物語に、当時の画家やアーティストがこぞって目を付け、説話を様々な独自解釈で絵に落とし込んだ記録が残っている。当時キリスト教でタブーとされていた女性のヌード表現や、シノワズリ(中国趣味)・ジャポニズム(日本趣味)の要素が大量に持ち込まれたことに一役買っているとの見方がされているという話なのだ。
そしてこれが、東京ディズニーシーすべてを巻き込む重要な要素になるのではないかとも思うのだ。
ここから先は、わたしの完全なる憶測と突飛な妄想に過ぎないが、よかったら読み進めてみて欲しい。
ずばり、東京ディズニーシーの裏テーマとして君臨する、海上貿易のシンボルとして、『シンドバッド』は存在している、という話だ。
これはわたしのポッドキャストでもたびたびお話していることなのだが、わたしは東京ディズニーシーのひとつの楽しみ方として、エリアとエリアを繋ぐ貿易の物語があると信じている。
実際、20世紀初頭のアメリカを舞台としたアメリカンウォーターフロントと、古代マヤ遺跡の発掘現場を舞台としたロストリバーデルタには、それぞれのエリアに互いの交流があったことが分かる荷物が置かれているなどし、東京ディズニーランドでは決して見ることのできない、エリアを跨いだ物語の存在が確認できるのだ。
その上で、今回の主役となってる「アラビアンコースト」ないし「シンドバッド」にも、その物語設定を敷くことができると考えていて、そのひとつがこの「シンドバッド」というアトラクションのQラインにおける「挿絵」の文化なのである。
実は、先ほど紹介した「千夜一夜物語」における「挿絵」の発展には、もうひとつ世界史的に重要な要素があり、それが「アールヌーヴォー」の流行、という事象だ。
フランス語で「新しい芸術」を意味する「アールヌーヴォー」は、植物などの有機的なモチーフを多く採用し、美しい曲線を表現した建築のことで、早い話、東京ディズニーシーにおける「アメリカンウォーターフロント」というエリアで、その建築の流行を多く見ることができる。
そしてその発祥こそ、先述の通り「千夜一夜物語」の「挿絵」によっても発展した東洋文化であるわけで、つまるところ、あの「シンドバッド・"ストーリーブック"・ヴォヤッジ」に東洋思想全開、人魚や踊り子をはじめとする甘美な女性像(だけではないけどね笑)を描く「挿絵」がないと、対岸で待ち構える20世紀初頭のアメリカ、そこで花開くアールヌーヴォーの流行に繋がらない、というわけなのである。
したがって、わたしが思うに「シンドバッド」のアトラクションは、それ自体がひとつの"輸出品"としての側面を持っていて、あの『シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ』という本が、アトラクションの目の前に広がる港(=アラビアンコースト)から、パーク内の様々なエリアに旅立っていく役割を持っているのではないかと思うのだ。
ジーニーが手掛けた「アラビアンコースト」は、その中で様々な時間と空間が歪められた生活が営まれていて、ある場所は王宮、ある場所は市場、ある場所は交通の要所、ある場所は貿易港になっている。
で、あれば、それらを利用して輸出される何らかの"産物"が創られていて然るべき、そう考えたとき、その対象が『シンドバッド』というアトラクションそのものである可能性は、決してゼロではないと思う。
そう思うと、我々ゲストはあのアトラクションに「冒険」を求めるのは少し意味合いが異なり、言うなれば諸外国への輸出前に物品の最終のチェックをする、くらいの気持ちでアトラクションを体験する必要があるのではないだろうか。(まさかのスケールダウン)
だがそのQラインでは、まだ世界が知らないあっと驚く挿絵を見ることができるというわけで、あの物語に感動し、これを多くの人に知ってもらいたい!、心のコンパスを信じてこの物語を海の向こうに伝えよう!、という衝動に駆られるまで、そのすべてが納得の作りではないかと思えるわけなのである。
そうしてあのアトラクションが、輸出品そのものであると仮定した上で‥‥
人生は冒険だ
地図はないけれど
宝物探そう
信じてCompass of your heart
ついに見つけたよ宝物
宝石や黄金じゃなく
旅の中でめぐり合った
素晴らしい ぼくの友達
という歌詞が当てられているとしたら。
こんなに素敵なメッセージが他にあるか、と思う。
(ひろひろ、勝手に大号泣)
いかがだろう。
かなり無理やりなこじつけであることは重々理解しつつ、わたしの「シンドバッド」考察は以上である。
少しでも楽しんでいただけていたら、幸いだ。。。
****
【おわりにちょっとしたつぶやき】
と、今回、月兎さんの考察に反対意見を唱えるような形で記事を執筆してしまったが、当たり前にこれが「正しいかどうか」の話をするつもりはないし、月兎さんの意見を批判する意図もまったくない。笑
ただ、大好きな「ディズニー」というトピックで、ああだこうだとくだらない会話が楽しめればそれで良い、というだけである。
そんなわけで、普段ディズニーのお話は、ここnoteではなくポッドキャストで配信をしている。
人様のお耳に耐えるような美声でないことが残念だが、もし興味のある方がいたら遊びに来てくれると飛んで泣いて喜ぶワ。
stand.fmユーザーはこちら。
Spotifyユーザーはこちら。
Apple Podcastユーザーはこちら。
そして、今回あまりに面白すぎる考察を届けてくれた月兎さんのアカウントはこちら。
ああ!その視点があったか!と思わず膝を打つ秀逸記事の宝庫なので、ディズニー好きの皆さんも、そうでない皆さんもぜひ。
ひとつ忠告するならば、わたし以上のやかましさが垣間見れるところがあるくらいだろう。(わたしは毎度ニヤニヤが止まりません。笑)
最後までご精読、ありがとう。
***
月兎さん
standfm、noteを通じたこの素敵な出逢いに感謝しています。
よかったら今年中にどこか(どうせ、きっと、たぶん、舞浜)でお会いしましょう。
またDMします…!笑