国民投票が否決されたことについて考えた
さて、こないだ(10月14日)にオーストラリアで行われた国民投票だが…。
過半数にはかなり届かず、否決された。
(日本語でとても分かりやすく解説・考察をしている動画があったので、これを見たら大体の流れが分かるかと思います。)
国民投票については、以前noteにも書いた。
この中でも、結果は否決だろうな…と書いてあるので、当初は「やっぱりなあ」という軽い諦めの気分だったが、日にちが経つにつれて、
「オーストラリア、何やっとるんじゃ!」
という怒りというか、頭を抱えるというか、そんな気持ちになってきた。
つい去年にオーストラリア人になったばかりなのに、何を気張っているんだ?お前はホントに分かっとるのか?…と言われそうだが。
結果は以下の通りで、リンクを貼ったウェブサイトに行くともっと詳しいデータが載っている。
結果を見て、すべての州でNOが過半数を上回ったのはショックだった。比較的保守的な、QLD,WAといった州ではNOが上回ると予想していたが、シドニー、メルボルンという大都市を抱えたNSW、VIC州ですらNOが過半数だったのだから、こりゃあダメだわ。
それから興味深かったのは、都市部と地方の差がとても大きかったということ。
下の図は、シドニーエリアの結果だが、シティ周辺の選挙区はYESがかなり強かったのに、郊外に行くにつれてそれが減り、NOが増えていく…というのが面白いくらいはっきりしている。いや、予想はしていたがこれほどとは。
結果として、高学歴、高収入の人が多く住んでいるエリアほど、YESの得票率が高かった。
さて、なぜ否決されたのだろうか?いろんなメディアの記事を読んで、僕なりにまとめてみた。
ちなみに、僕はYESに投票したので、その主観は入っています。
コンセプトが分かりにくかった
改めて、今回の国民投票で問われたのは、アボリジナル・トレス諸島民に関するもので、以下の文言を憲法に入れるか否かというもの。
ちょっと分かりにくいんだけど、ざっと簡単に言うと、
アボリジナル・トレス諸島の人々をオーストラリアの先住民として尊重する。
それを受け、"Voice" という機関を設け、この機関は先住民に関わる政策について政府や国会に助言をすることができる。国は、その助言を尊重しつつ諸政策を決めることができる
というものだ。
ざっと読むとどうとでも取れそうな文章だが、ちゃんと読むと、別にこのVoiceという機関が国の政策を覆す権限は無いというのが分かりそうだが、まあ不安に思う人は出そうだよなあ…。
これは、都市部の人がYESに投票したこととも関係がありそうだ。
教育水準が…という書き方は失礼かもしれないが、こういうエリアに住んでいる人は今回の投票の条文などもちゃんと読んで考えて、NOに投票する意味を見出さず、普通にYESに投票すればいいじゃん、と思って投票した人が多そうだ。僕もそんな考えだった。
反面、いわゆる「普通の人」にとっては先住民の問題なんて「どうでもいいわ」で、変化を嫌ってNOに入れた人が多かったのだろう。
特に、近年オーストラリアに移民できた人などは先住民の問題に対する意識は希薄だろうから、「なんでこんなことをしないといけないの?」と疑問に思うだろうし、自分たちも時々差別されるのに、「なんでアボリジナルだけを特別視するわけ?」と反感を持ったりしそうだ。
この辺りは、ちょっとやり方がまずかったかなあ、と思わないでもない。
憲法変更まで必要?
それから、この条文が憲法に追加される、ということに不安を感じてNOに投票した、という人も多かったと思う。
オーストラリアの憲法って、いったん条文が変更されたり追加されたりすると、今後一切削除することができないんだって。
なので、ふつうの法律改正、制定と比べるとかなり大ごとで、この辺りから、
「これが可決されると、何でもかんでもできてしまって後戻りできない」
といった不確実な意見(というか噂)が広まったのだと思う。
僕は、これまで普通の法律で先住民の問題が改善されて来なかったのは事実なので、国の最高法規である憲法にバシッと彼らのことについて触れることが、たとえジェスチャーだけだとしても大事なのでは、と思うのだが。
野党が反対に回った
オーストラリアでは国民投票が可決されるケースはかなり低く、可決されるためには、与野党が一緒になって賛成に回るのがほぼ必要不可欠らしい。
今回は、現在の野党(保守的な「自由党」)が反対派に回ったため、その時点でこの問題が残念ながら政争になってしまい、その時点で可決に至るのは難しいだろうなあ、となった。
あまり政治的ではないはずの先住民問題が政争になってしまったのは、くれぐれも残念だった。しかも、反対していた現野党党首ってのがホントにいやみったらしい奴で…腹立つわ~。
フェイクニュースが出回った
これは、コロナ禍、アメリカの大統領選挙あたりから世界的な問題になってきているけど、今回の国民投票でもたくさんのトンデモ情報が出回った。
いちばんポピュラーだったのは、「可決されると、自分たちの土地が先住民に取られてしまう」とか、「可決されると、政府がそれを隠れ蓑にして勝手放題できるようになる」とかいうもの。
みんな陰謀論、好きだからなあ…。
たとえそれを100%信じなくても、この運動自体に幻滅してしまう人、「もうたくさん!」と嫌気が差してしまった人も多かったようで、こういう人は消極的ながらもNOに投票したのではないだろうか。
この、フェイクニュース、ミスインフォメーションって、つくづく現代社会の宿痾だなあ…。
当事者の声が聞こえない
オーストラリアにおける先住民って、本当に数が少ない。全人口の4%ほどだったかな?
僕だって、先住民の知り合いを持っていないし、普段の生活でも関わることはめったにない。
その先住民だって、都市や郊外に住んで現代社会に組み込まれて生活している人と、オーストラリアの自然とともに昔ながらのスタイルをなるべく守りながら生きている人とは、考え方は全く違うだろう。
今回の国民投票で掲げられた案は、先住民の意見を尊重した上でのものであるが、それでもそんな少ない人口の人たちのことを、残りの96%の人たちがあれこれ言ったり決めたりすることって、どうなの?というのはまっとうな質問だと思う。
もし日本でこのような国民投票が行われたら?
オーストラリアの先住民族の問題って、日本人には良く分からないと思う。この地に長年住んでいる僕だって、分かっているとは言えないし。
どうしたら日本に住んでいる人にわかりやすく説明できるかな…と思っていたら、日本にもアイヌ民族という存在があるではないか。
長年迫害され、もともと住んでいた土地を奪われ、大和民族に同化され、数がとても少ない、という点でもアボリジナルと似ている点が多いかもしれない。
なので、今回の国民投票がもし日本で起きたら…と仮定してみた。
(僕はアイヌ民族のことは良く知らないので、間違っていたらごめんなさい。あくまで仮定の話です)
日本国憲法にアイヌ民族についての文言を入れる。
そして、国の機関として、アイヌによって構成される「アイヌ民族の声」なる団体を設置し、この機関はアイヌ人政策について国会に意見を述べることができ、国会はあくまでも憲法の制約内でその意見を尊重する。
ってな感じだと思う。
「え、それだけ?」と思うくらいシンプル。
ここでも書かれているように、あくまでもこの機関ができることは助言にとどまり、国会や政府を超越するものではないし、アイヌ人政策以外のことには関わらない。
普通の日本人にとっては失うものはほぼなさそうだし、アイヌ民族としてはプライドを保てる…という、Win-Winの結果になりそうなものなのに、
「これが可決されたらアイヌ人に土地を取られる!」とか、
「アイヌ人が優遇され、分断が更に深まる!」
みたいな論調が流れ、特定の政党もその論調を推し、結果この案件はボツになる…。
といったようなことがオーストラリアで起きた、というわけだ。
ここから、どこへ?
オーストラリアにおける先住民の問題は、のど元に突き刺さった小骨のようなセンシティブな問題で、例えばもしこの国民投票が可決されたとしても、一朝一夕に変わることなんてありえないだろう。
でも、これまでずっと差別され、苦労を強いられていた先住民の人にとっては、言葉だけでも認識されるというのはかなり大事なことなのではなかろうか。とりあえずスタートラインとして。
だからこそ、初めの一歩として今回の国民投票が可決されるべきだったと思うし、国民の60%からNOを突き付けられた先住民の人の気持ちを考えると、とても悲しくなる。
結局、オーストラリア人の大半は、先住民なんてほっとけばいいじゃん、国の税金を使ってまで優遇しなくてもいいじゃん、と思っている、というのが分かってしまったのが今回の国民投票なのだろうか。
ただ、こんな結果になるのなら、国民投票なんかやらなきゃよかったじゃん、とは思わない。
嫌な現実というか結果を見てしまったけど、これが国民の主流なんだ、ということが分かったのは、ある意味良かったと思う。
フェアネス(fairness)ということに関してはかなりうるさいオーストラリアだが、まだまだ考えないといけないところがあるんだなあ…というのが僕にとっての収穫だ。
それにしても、国民投票、得難い体験だった。
結果はともあれ、このような国の大事な決め事に一人のオーストラリア国民として参加できたということは、この国に住んでいく上で価値のあるものだった。