シドニーマラソン、昨年の雪辱は果たせたのか?
今年もシドニーマラソンを走った。50歳を過ぎると、フルマラソンを完走する度に「今年も無事走れて良かった…」と安堵する。そんなこと考えるの早すぎ?
準備
今年の準備は…万全とは程遠かった。
いや、それなりに走ってはいたのだが、当日2週間ほど前に帯状疱疹が出てしまって。
心当たりは…あるなあ。ちょうどその前に、職場の組織替えが発表された。リストラ(クビ)にはならないとは約束されていたものの、雇用主が変わるので、その手続きはやらないといけないし、ホントに大丈夫かな?というストレスを感じた。
まあそれよりも、普段の不摂生というか、友達と飲み会を頻繁に開いていたので、どちらかというとそれが祟ったのかも。
帯状疱疹は幸いそれほどひどい症状ではなく、熱が出たり呼吸器に影響がある訳ではないので、走ること自体は問題ないが、フルマラソン走って大丈夫かな?
そんなこんなで、心身ともにあまり良いコンディションで準備をすることができなかった。
ただ、このおかげで、レースタイムへのこだわりがほぼ無くなり、とにかく無理せず完走することを念頭に置いて走れたのは幸いだったのかもしれない。英語で言うところのBlessings in disguiseですね。
レース当日
レース当日の9月15日は、とても寒かった!
その前日から、オーストラリアの東海岸に寒波が襲い、山の方では季節外れの雪も降ったそう。
ただ、去年のマラソン当日は逆に季節外れの暑さで、僕もその暑さにコテンパンにされてヨロヨロとゴールしたので(もちろん史上ワーストタイム)、寒いほうがまだええわ!とポジティブに捉えることができた。
その教訓を踏まえたのか、今年はレース開始時刻が早まり、6時スタート。これは有り難いが、ということは起床時間も早くなり、僕の場合は午前3時半にアラームをセットした。
もちろん外は真っ暗で、近所に住んでいる友達と落ち合い、新しく開通したメトロでスタート地点の最寄り駅まで。電車、混むだろうな…と不安だったのだが、なんと午前4時台だというのに電車を4分おきに運行していたので、スムーズに乗車できた。普段は余り信頼できないシドニーの公共交通機関も、やればできるんです。
もちろん電車の中は99%ランナー。地元民も多いけど、外国人(アメリカ人、中国人が多かったかな?)も多く、この大会が国際的になっていることを感じた。
スタート地点は、かなり広いスポーツ公園なので、それほど混み合ってなかった。去年までは別のスタート地点でかなりごちゃごちゃ混み合っていたので、これは改善されたなあ、と思った。
所定のグループに分かれ、スタートまでしばしの待機。今回はラン友とも落ち合わなかったので、ぼっちで気持ちを集中させる。それにしても寒いなあ…たぶん、気温は10度を下回っているだろう。僕はスタート地点で脱ぎ捨てるお古のジャンパーを羽織っていたので寒さはそれなりにしのげられたので良かったが、そういうのを着ていない人は鳥肌が立っていてめちゃくちゃ寒そうだった。
(オーストラリアのランニングイベントでは、こうした脱ぎ捨てた古着は回収されてチャリティー団体に寄付されます)
空も徐々に明るくなって来て、いざ!とスタート地点まで誘導されるが、これが結構遠くて、周りから、「え、もうスタートしたの?」という声が上がるがもちろんそんなことはなく、しばらくするとスタートのゲートが見えてきた。
さて、スタート!
去年の轍を踏まないように、とにかくオーバーペースをせず、高望みをせず、4時間を切れたらいいや、ということを頭にガンガン叩き込んで走り始めた。
ただ、最初は下り坂だし、こちらの気持ちも上がっているのでどうしてもペースが上がりがち。それを押さえ押さえ走ってゆく。
毎回思うけど、ハーバーブリッジを渡る時の開放感といったら例えようがない。すれ違う電車の乗客に手を振りたくなった。
橋を渡り終えると市街地に入り、早朝の街をひたすら走る。時々湾に沿ったエリアを走るので、あー、やっぱりオレのホームタウンは美しいわ…と感じ入る。
時折冷たい風が吹き付けるが、それ以外は快晴の空の下を走ることができ、やはり天気が良いと走っていて気分が良くなる。
ハーバーブリッジの下にあるホテルの前では、友達のコンシェルジュが手持ち無沙汰に観戦していたので、おーい!と声をかけてハイタッチをする。彼のホテルも、交通規制で大変だろうなあ…なんて思いながら。
時折、ラン友に追い越されたり追いついたりして、「調子どう?」なんて会話をしたり、セルフィーを撮ったりする。みんな頑張ってるなあ、オレも頑張ろ!と励みになる。
それにしても、今回はかなり冷静に走ってるな、オレ。
淡々と、かつ周りの景色や応援を味わいながら走っている気がするし、ランニングウォッチのタイムを見ても、ペースは一定している。これなら、最後の方で追い込めるかも?というよこしまな気持ちが頭をもたげるが、いやいや、35キロまでは押さえなくては、と自制する。
このあと、一旦シティを離れ、郊外の住宅地や大きな公園があるエリアへ向かう。僕の自宅があるエリアなので、だいたいの感じはつかめているのが助かる。そして、これまで多かったアップダウンも少なくなり、コース的には走りやすくなってきた。
それにしても、観衆が多いなあ。お手製のプラカードを掲げ、カウベルを鳴らして家族や友人の応援をしている人もたくさんいるけど、みな分け隔てずランナー全員に声援を送っている。ありがたやありがたや。
そして、給水所やコースの要所要所に陣取っているボランティアの人たち。こんな朝っぱらから何時間も同じ場所に立っているのは、ある意味われわれランナーより大変な仕事かもしれない。それでも彼ら彼女らは楽しそうに水を渡したり、声援を送ったりしてくれている。これも、ありがたやありがたや。
走っていると、本当にいろいろな物事に感謝したくなってくるんだよね。
さて、このあたりを走り終え、35キロ。あとはシティに戻るだけ、となったが、やはりこの辺りで脚が死んできた。とにかく脚が重くなり、普段なら気づかないような上り坂でさえ突然険しく感じる。ラストスパートなんて、ハハハ、やっぱり無理だよね。
まあ、こういうことはフルマラソンでは「いつものこと」だし、けいれんを起こしたり、息が上がったり、ということはなかったので、上り坂はとにかく歩くようなペースでゆっくり走り、坂が終わって落ち着いたらまたペースを上げるという走り方をした。なぜか、すごく落ち着いていた。
困ったのは、この辺りでめちゃくちゃトイレに行きたくなったこと。いや、あちこちにある仮設トイレに行けばいいのだが、目標の4時間を切れるかどうかの微妙なタイミングだったので、ここで貴重な時間をロスしたくない。まあ、なんとかなるか!と続行する。でもコースから2ブロックほど離れた自宅に寄ってトイレするか、という考えが頭によぎったのは、何だったのだろう。血迷ったのか?
シティに戻ってくると、観衆の声援がどんどん増えてくる。こうなるとあまり無様な走りはできねえよなあ、と見栄が出てきて、いい具合にペースも少し上がる。
が、最後の最後、39-40キロ地点に短いけどそれなりの坂が控えていて、ここはしんどかった!本当に這うようにして走ったけど、ここが最後の難関だった。
時計を見ると、4時間切りはほぼ確定となったので、もう感謝、感動、安堵、満足…そんなエモーションがいっぱいに溢れてきて、ああこれがランナーズハイ。
最後の1キロは下り坂。あとは下るだけ!沿道の観衆に、もっと盛り上げて!と腕を振って合図しながら走り下りる。あれ、オレってこんな陽キャだったっけ?
僕の名前が印刷されているゼッケンを見たのか、「ガンバレ!」と日本語で声援を送ってくれたボランティアの人もいて、ちょっとウルッとなってしまった。
さて、坂を下りきってカーブを曲がると、オペラハウスが見えてきた。
いつもながら、すげー観衆!なんか自分がオリンピックチャンピオンになったかのような錯覚を感じてしまう。
ここで、シドニーオリンピックで金メダルを取ったあのレジェンド、高橋尚子さんがコースのすぐ横で応援していた。彼女は大会アンバサダーでもあるので去年も同じ場所で応援していて、僕もハイタッチをかまさせて頂いたのだが、今年は気づくのが遅くて間に合わなかった。まあいっか。
最後の力を振り絞ってラストスパートをかけ、両手を挙げてゴールのゲートをくぐる。
3時間50分19秒!
ひゃ~、今年も完走できたし、自分の目標も達成できた!良かった、良かった…。
ゆっくりとオペラハウスの前庭を横切り、この瞬間の感動に身を浸す。
メダルをもらい、その重さを手に感じた瞬間、「ああ、完走したんだ」という事実を改めて受け止める。
このタイムは数字的には自己ベストではない。
でも、いろんな条件を考えると、今の自分としては自己ベストなのかな、と思った。
でも、次回はもう少し良い準備をして臨みたい、と考えている自分が既にいる。
ランナーって、欲張りだなあ…