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その日 その後 ①

 人が亡くなるとやらなくていけない事の何と多いことか。慣れていない手続きの連続である。気ぜわしい日々が続く。その「やらなくていけない事」は直後から始まる。
 父の息がとまった連絡をうけて駆け付けた訪問診療の先生により死亡宣告がされた。その後、先生は部屋の片隅で何か書類を記入していた。「死亡診断書になります。こちら半分に記入して頂き、葬儀会社に渡して下さい。渡す前に何部かコピーを取っておいた方がいいですよ。」と薄い紙を渡された。コピー用紙ではなく、妙に薄い紙。少し透けて見えるその紙を見て、生キャラメルの包み紙のようだとぼんやり思った。
 多分、死亡診断書を目にし、死亡届を書く経験は人生でそうはないだろう。私があるとすればあと一回だろう。そんな馴染みのない妙に薄い紙の書類に記入していかなくてはいけないのだ。しかも、葬儀会社に渡すまでに。時間的余裕もない。どうやって記入すればいいか分からない欄もある。記入見本はついていない。紙の裏側にも説明はない。こんな重要な失敗できない書類に何故記入見本がついていないのか。自分のスマホで「死亡届 書き方」と検索をして確認しながら書き進めていった。
 最後の届出人の署名を検索した書き方で見ると「喪主の氏名」を書くとあった。母に「喪主はどちらがする?」と聞いたら「私がやります」と。うっかり自分の名前を書かないように慎重に母の名前を記入した。書き終えて、全体を見て書き漏れがないことを確認してすぐに駅前のコンビニにコピーを取りに行った。コンビニで10部ほどコピーを取って帰ったら、自宅の前に車が停まっていて、男の人が立っていた。もしや葬儀会社の人かと思いつつ帰宅すると、間もなく葬儀会社の人の来訪があった。やはり先ほど見かけた人だった。
 父があと数日だろうという状態になって、葬儀会社はどうしようかと母と相談していた。家族葬で行おうという点は決まっていた。そして、費用も高くない所でという点も。私がネットで何件調べて、母に問い合わせをお願いしていた。母は何件か書いた内の一番上の会社だけに問い合わせ、「ここにする」と決めた。私は母が納得するところでと思っていたので異論はなかった。資料が届いたその日には私は見ている余裕がなかったので、「明日見るね」と言っていた。その明日に父は亡くなった。急いで資料にザっと目を通し、母に連絡を依頼した。
 葬儀会社の人と打ち合わせが始まったのは、もう夜の時間だった。決めなくてはいけない事の連続だ。葬儀の規模は、供花は、火葬場はどこにする、告別式はいつにする、何時から始めると。値段も考慮しながら、母と決めていった。プランに含まれている供花だと顔の周り位になりますと言われ、母はオプションで花を追加した。結局こういうオプションで費用は上がっていく。
 葬儀会社の人の人との打ち合わせが終わり、寝台車で父を葬儀会社の安置場所への送り出しが終わったのが10時半頃だったろうか。いつもなら夕飯はとっくに終わり、母は布団に入って、私は入浴の準備に取り掛かる時間帯だ。まだ夕飯も食べていなかった。遅い夕飯を母と食べた。明日はゆっくり起きよう。職場への連絡は明日の午前中の落ち着いた時間にすればいいだろう。こんな日に果たして寝られるだろうかと思っていたが、寝られた。それまでより安心して寝られた。あと数日の父の様子をもう心配する必要はなくなった、その安心感だった。
 父が亡くなった次の日、職場への連絡を済ませた後、やるべきことがあった。遺影に使う写真の選別だ。多分、(父が使っていた)ライティングデスクに親戚と旅行に行った時の写真があると思うよという母の言葉を受けて、まずは写真を探した。介護で疲れ果てていた母は寝ていた。
 写真はあったものの、いまひとつのものが多かった。父は旅行に行く時にキャップ型の帽子を被り、サングラスを掛けていることがほとんどだった。きれいな景色の中で撮られている写真の父はその姿なのである。サングラスを掛けていなくて、帽子も被っていなくて、正面からで、そこそこ大きく写っているものとなると難しかった。
 何点か選んで、母にも見てもらった。一番いいと思えたのは、旅行先のどこかの観光地でご機嫌な顔で写っているものだった。正面から写っていて、サングラスは掛けていなかった。但し、帽子は被っていた。葬儀会社の人に何点か候補を挙げて、見てもらった結果、母と私が一番いいと思った写真になった。一番いい顔で写っていた。
 通夜は行わず、告別式だけの葬儀をお願いしていた。告別式の火曜日までは4日間の日があいていた。写真を探した次の日と翌日は何となく気が抜けてしまってボーっと過ごしていた。月曜日、こんなことではいけない、忌引き期間中にやれることはやらないと後で大変になると思い直し、父の口座から引き落としになっているものを確認して、次々に連絡をしていった。ここでも、コンビニで取った死亡診断書のコピーは役に立った。一通り連絡できる所は連絡をし、手続きや書類の送付を依頼した。妙な達成感があった。
 父は6人兄弟の5番目だった。上に姉が3人と兄が一人、下に妹が一人。姉2人と兄は何年か前に亡くなっていて、姉一人と妹一人しかいなくなっていた。電車で2時間弱くらい離れた所に住んでいる父より高齢の姉、飛行機で行くようなかなり遠方に住んでいる妹は病気で外出はままならない。親戚付き合いもしていないので、告別式は母と私だけの列席で行うことになっていた。
 告別式は翌日となっていた。喪服のチェックや持っていくもの、葬儀費用の支払いのお金、僧侶に渡すお布施の準備、副葬品の準備など再度母と確認をした。明日は長い一日になるだろう。

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