「雪の化学式」
◯高校・外観
校舎の窓のサッシに、雪が積もっている。
窓の奥に見える教室には誰もおらず、ガランとしている。
◯同・廊下
3年生の掲示板に「以下の期間は自由登校期間とする」として、1月中旬から下旬の日程が記載されている。
◯同・職員室
数名の教師しかいない職員室。
黒板には、「一月三十日(土)」と書かれている。
瀬島達也(18)が、バスケ部顧問の名倉(35)と話している。
達也、名倉に部室の鍵を渡す。
名倉「悪いな。部室片付けてもらって」
達也「いいっすよ。ついでだし」
名倉「荷物はもう大丈夫か」
達也「これが最後です」
達也、スポーツバックを見せる。
名倉「本当は2学期中に持ち帰れって言ったけどな」
達也「固いこと言わないでくださいよ。じゃ、失礼します」
職員室を出ようとする達也。
名倉「瀬島」
達也「はい?」
名倉「お前、寂しいんだろ」
達也「(飄々とした感じで)何言ってんすか」
◯同・廊下
職員室の扉を閉める達也。
校舎はしんと静まりかえっている。
◯同・体育館
電気のついていない体育館。
達也が一人、バスケをしている。
フリースローをする達也。放ったボールが綺麗にネットに落ちる。
× × ×
体育館の壇上であぐらをかいて座っている達也。指先でボールをくるくる回している。
◯同・渡り廊下
歩いている達也。
校舎の中央にある中庭を見る。
◯同・中庭
雪が降り積もっている。
中庭の噴水の縁に座って、ぼおっとしている達也。
その背中に、ボスッと雪が当たる。
達也が振り返ると、藤堂綾(18)が立っている。
達也「え、なに?」
綾「なにしてんの」
達也「いや、別に」
綾「寒くないの?」
達也「全然」
綾「全然は嘘でしょ(と笑って)」
達也「そっちこそ、何してんの」
綾「私は推薦受かったから、先生にその報告」
達也「すげえな。さすが成績上位組」
綾「どうも。瀬島くんは、スポーツ推薦受かったんだっけ?」
達也「うん」
綾「今日、部活あったの?」
達也「いや、これは持ち帰る用」
綾「そっか。さすがにこの時期はもう部活ないもんね」
達也と少し距離を空けて、噴水の縁に腰掛ける綾。
少しの間。
綾「つか今日、このあとまた雪降るらしいよ」
達也「マジ?」
綾「今日も電車とまる可能性アリじゃない?」
達也「めんどくせえな」
綾「ね」
達也、傘の先端を使って噴水の水面をたたく。
水面は凍っていて、コンコンという音が跳ね返ってくる。
綾「結構凍ってるよね」
達也「え?」
綾「私もさっきやった。来る時」
達也「こんな凍ってるの、はじめて見た」
綾「ね」
少しの間。
綾「もうすぐ卒業かあ。どうだった? 高校生活」
達也「どうっすかねえ」
綾「つかさ、私らって同じクラスになったことあったっけ?」
達也「ないんじゃない?」
綾「だよね。でも知ってた? 私のこと」
達也「体育とか、たまに一緒だったから」
綾「そっか。そうだね」
少しの間。
達也「藤堂は、どうだった?」
綾「え?」
達也「高校生活」
綾「うーん、意外と良かったかも」
達也「なんかそんな感じするわ、藤堂」
綾「(笑って)私の何を知ってるんですか」
達也「いや別に知らないけど。イメージで」
綾「なにそれ」
綾、そう言いながら校舎を見上げる。
綾「あそこの教室、入ったことある?」
校舎の最上階、左端の教室を指差す綾。
達也「(教室を見て)ない」
綾「あれ、なんの教室なんだろうね」
達也「知らん」
綾「だよね」
達也「行ってみる?」
綾「(少し驚きつつ)……うん」
◯同・旧化学室・前
教室の引き戸を開けようとする達也。
しかし、鍵がかかっているため、開かない。
達也「(綾を見て、首をふる)」
綾「残念」
綾、教室の方を向いたまま後脚で下がる。背中が廊下の壁にあたる。
達也「(何かに気づき)あ」
達也が傘の先端で扉の上の小窓の扉を引くと、扉が動く。
達也「きた」
綾「ナイス」
◯同・旧化学室・中
小窓から教室に入ってくる達也。
中から内鍵を開ける。
達也「ようこそ」
綾「お邪魔しまーす」
廊下からの明かりで、教室の中がうっすら見える。
達也「これ、昔の化学室かな」
綾「そんな感じだね」
綾、教室奥のカーテンを開ける。
窓からは、雪が一面に降り積もった校庭が見える。
綾「うわー。見て」
達也「おお」
綾「なんか、全然別の場所みたいじゃない」
達也「な」
綾「雪が溶けたら、また見慣れた景色になるんだろうけど」
◯同・遠景
少しずつ、雪が降り始める。
◯同・旧化学室
教壇に立ち、黒板に適当な化学式を書いている達也。
席に座ってその様子を見ている綾。
達也、振り返り、
達也「(声を変えて)わかるなー、ここ大事だからなー」
綾「(笑って)似てない」
達也「マジ? 誰だかわかった?」
綾「近藤でしょ」
達也「え、似てない?」
綾「似てない。全然」
達也「へーい」
達也、チョークを置く。
綾、立ち上がり、教壇に上がる。
達也が置いたチョークを手にとり、黒板に化学式を書き始める。
達也「(それを見ながら)なに?」
綾「受験勉強で覚えた化学式。結局、使わなかったけど」
達也「他もわかんの?」
綾「(頷く)」
達也「水酸化ナトリウムは?」
綾、黒板に「NaOH」と書く。
綾「はい、次」
達也「えーと、じゃあ、酸化鉄」
綾、「FeO」と書く。
綾「はい」
達也「いや、てかさ、理系じゃん。藤堂」
綾「理系だよ(いたずらっぽく笑う)」
達也「なんでもいけんの」
綾「多分」
達也「じゃあ、ガラス」
綾、少し思い出すような仕草をしてから、「SiO2」と書く。
達也「やっぱすげえな、藤堂」
少しの間。黒板を見つめる二人。
綾「はい、おしまい」
綾、黒板消しで今まで書いた化学式を消し始める。
達也「……あ、最後もう一個」
綾「なに?」
達也「雪」
綾「え?」
綾、達也のほうを振り返る。
達也は窓の外を見ている。
その視線の先を追う綾。
窓の外で、しんしんと雪が降っている。
◯駅のホーム(夕)
電車がホームに入ってくる。乗車していく乗客たち。
雪は小降りになってきている。
◯通学路(夕)
傘をさして歩いている達也。
民家の屋根の軒にできた氷柱に水が滴る。
◯交差点(夕)
達也が信号待ちをしている。
雪が降りやんでいることに気づき、傘を閉じる。
空を見上げる達也。
◯高校・旧化学室(夕)
黒板の端に、小さく「H2O」と書かれている。
<終わり>
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