「水龍鎮守」について
2022年になりました。本年もよろしくお願いいたします。
昨年は色々なことがありましたが、その中で思い入れの深い出来事の一つとして、「水龍鎮守」の任に就き水龍を鎮め奉る儀式を担うようになりました。聞き慣れない役目だと思うので、長くなりますがご紹介させてください。
水龍鎮守の由来
「水龍」というのは、武蔵野台地に太古から潜む龍のことです。狭山奥地の水源に発し、多摩東部から東京の中心部へ向かう水の流れにそって、この水龍の龍脈が今の東京都一帯に広がっています。
この龍脈を放っておくと、洪水や地震に伴う津波を招いてしまいます。寛保二年(1742年)や安政六年(1859年)の大洪水も、玉川上水(1653年)等の治水工事により怒ったこの水龍が原因と言われています。
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水龍を鎮めるために、龍脈にそって様々な神社仏閣が建てられてきました。狭山湖畔にある竈神社は荒神様と呼ばれ、元は狭山湖の場所にあった村から移設されたものです。昔は逃げ水の里と呼ばれた小平には熊野宮が設けられ、田無神社には五龍神が祀られています。
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そして近年では、山口貯水池(狭山湖)が計画され、1923年には狭山湖と堺浄水所をつなぐ東京都水道道路が作られました。しかし、同年の関東大震災を招く結果となり、水龍を鎮め奉る重要性が見直されました。
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鎮守の役目
「鎮守」の任が始まったのはその頃だそうです。その役目は、武蔵野台地に点在する龍穴を守り、水龍を鎮める儀式を定期的に行うというもので、小平地域では私で10代目になります。約100年で10代目なので、私も10年ほどはこの任をしっかり守らなくてはなりません。
私が担当する儀式をかんたんにご説明します。私の担当地域には、前述の東京都水道道路、現在の「狭山・境緑道」があります。実は、その沿道には水龍を鎮めるための以下の龍神石が設置されています。
・「水の神殿」×1
・「水門」×2
・「水の碑」×2
・「道標(みちしるべ)」×5
水の神殿は境浄水所の近く(緑道のスタート地点)、水門は東村山浄水所の近くと狭山公園の麓に設置されています。どれも武蔵野台地の重要な龍穴を押さえるように置かれており、専任の鎮守が担当しています。
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一方、道標は緑道に沿って比較的小さな龍穴を守るように点在しています。そのため、一つごとに専任を置かず、一人の鎮守が順番に巡るようにしています。それが私の役目です。
道標にはそれぞれ「龍水」(祓い清めた水)を受けるための窪みがあり、鎮守は、水龍を鎮める印を結びながら窪みに水を流し込みます。それを毎月5つの道標で行います。
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一度の務めのたびに合計で20km弱を徒歩で移動します。おかげ様で普段からウォーキングの癖がつき、鎮守を引き継ぐ前と比較して5kgほど痩せました。笑
結語
以上、あまり知られていない水龍鎮守の務めをご紹介しました。緑道は以前から知っていましたし利用したこともありましたが、前任の鎮守の方からお話を聞くまで沿道に点在する龍神石には全く気がついていませんでした。
不思議な縁で始めた鎮守の任ですが、後進に引き継ぐ日まで健康と水龍への信心を守り、武蔵野の地の平安のために祈願して参ります。
終
制作・著作
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N H K
(この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。)