生老病死。で、生苦って何?
お釈迦さん(人として実在したゴータマ・シッダッタ/サンスクリット語ではガウタマ・シッダールタ)が、王子の時代にお城の四方の門から世間を見に出て、老人、病人、死者を見て憂鬱になり、最後にでたときに無一物の修行者(沙門)を見て新たな生き方として修行者になった、という「四門出遊」の話は有名です。
しかし、ここには「生苦」の話は出てきません。
昔の高僧の中には「産道を出る苦しみじゃ」と言った人もいるそうですが、それは母の苦しみで自分の苦しみではないです。
そこで、思索をして気づいたのが「生まれた環境、血筋」ではないかということでした。
漢訳仏典では苦と訳されている言葉dukkha。wikipediaでは「苦しみや悩み、精神や肉体を悩ませる状態」となっています。英語版ですと「不安」、「不安定な姿勢」、日常生活の「不満」や「不安」、「不快」「困難」「痛みや悲しみを引き起こすもの」「不満足」「もどかしさ」などと説明されています。
要するに、思い通りにならないこと(不如意)がdukkhaなのです。
では、お釈迦さんの思い通りにならなかったこととは?
カピラヴァットの王家に生れて何不自由のない生活をした、と言われるお釈迦さん。しかし、現実には早く世継ぎをもうけて王家を安泰にするように、との圧力を受けていたでしょう。16歳でヤソーダラー姫と結婚した、といっても、当時の王家のことですから、側室や宮女はたくさん居たでしょう。にもかかわず、子供が出来たのは29歳の時。普通なら誰の子かと悩むところです。
お釈迦さんの子のラーフラ。のちに出家して立派な仏弟子となっています。その実父がかの悪名高きいとこ、デーヴァダッタではなかったかという説もあります。
いつまでたっても世継ぎが出来ないお釈迦さん。業を煮やした王家の面々が、ヤソーダラー妃に因果を含めてデーヴァダッタとの子を作らせたのではないか。
そうすると、生れたばかりのラーフラをおいて王家を出奔したお釈迦さんの心中も察してあまりある物があります。
ちなみに、ラーフラという名が羅睺星からら来ていて、お釈迦さん「我が破らねばならぬ障碍(ラーフラ)ができた」と言ったことから名づけられたという説がありますが、当時の王家では占い師を読んで名づけてもらうのが常識でした。ということは、月蝕があったからラーフラと名づけられたと考えるのが正解でしょう。それに、息子が孫にそういう理由で名をつけたとしたら、スッドーダナ王がお怒りになったでしょう。
現実には、家柄、血筋という個人の意思ではどうにもできない苦しみ/不如意なことがあります。
よく「成人したら実家からは自由」なんてことを言う人がいますが、とんでもない。本人はどんなに縁を切ったつもりでも、いざとなったら借金取りは来ます。親が逮捕されたり行き倒れたら連絡は子に来ます。そして、保護責任者として一生責任を負わされます。それが生苦なのです。
どこに行っても親の七光りがついて回る、というのもまた生苦です。-本当の実力で勝負したいのに忖度やヨイショがついて回る。能力と合わない地位職業につけられる。
逆に、生れた一族の悪評が無関係な当人を苦しめたりします。生れた地域・種族の評判などもあります。
生れつきの障碍も、本人にはどうしようもないことです。色盲の人に話を聞きましたが、生活はかなり不便なようです。計算の出来ない人、アスペルガー症候群の人、頭の中で視覚化ができない人(アファンタジア)。なんとか他人と合わせて生活は出来ても、何かのきっかけで意思疎通できない場面が来たりします。
これらは、当人の意思ではどうにもならないことです。