賢愚経巻第五 迦旃延教老母売貧品第二十六
※題の意味は「迦旃延(釈尊の十大弟子の一人、かせんねん/カッチャーナ)がお婆さんに貧を売ることを教える話」です。
このように聞いた。
仏がアヴァンティ国にいた時、一人の長者がいた。財宝を多く持っていたが、ケチで暴悪にして慈悲心はかけらもなかった。
一人の婢(はしため)がいて朝から晩までこき使われ安らぐ暇がなかった。ちょっとでも失敗すれば鞭うたれ、服はボロボロで食事も足りず、ふけて憔悴し、死のうと思うもままならなかった。川に水を汲みに行って大声で苦しみを嘆いていると、カッチャーナがやってきてたずねた。
「お婆さん。どうしてそんなに嘆き悲しむのです」
「尊者。私はすでに年老いて、いつも苦役をさせられています。加えて貧乏で衣食も足りません。かといって死ぬことも出来ません。だから嘆いていたのです」
「そなたが貧乏なのは、貧を売らないからです」
「誰が貧を買ってくれるでしょう」
「貧は買えるのです」
このやりとりを三回して女人は言った。「もし買えるというのなら、大徳よ、どうすれば貧を売れるのか方法を教えてください」
「ならば私の言うとおりになさい。まず体を洗い、布施をなさい」
「尊者。私は極貧で手元には何もありません。手元のこの瓶も長者の物です。何を布施できましょう」
カッチャーナは鉢を与えてきれいな水を汲んできなさいと言った。その通りにしたのでカッチャーナは受けとり、呪願・受斎・観想念仏の種種の功徳を教えた。
「家はあるのですか」
「いいえ。掃除をした時にはそこに寝ます。ご飯を炊く時にはそこに寝ます。何もすることがなければ糞の山で寝ます」
「よく我慢して怨みも抱かず仕事に励んでいるのですね。長者の一家が寝静まったら、戸をしめてその中に清浄な草の座を敷き、悪念を起こさないようにしてただ思惟観仏するのです」
お婆さんは教えを受けて帰り、言われたように施行をし、夜中に命を終えて忉利天に生れかわった。
長者は早くに起きて婢が亡くなったのを知り、怒って言った。「この婢にはいつも部屋に入るなと言っていたのに、いまさらどうしてここで死んでしまったのだ」
そこで使用人に命じて草で脚をしばらせ、引きずって寒林の中に捨てた。
※結局、現世では貧は売れなかったようですね。
さて、天の中に五百の天子を眷属とする天子がいて、宮殿は壮麗であった。福尽きて命終を迎え、このお婆さんが生天の法によって入れ替わった。利根なれば生れた由来を知るところだが、鈍根だったのでただ楽を受け楽しむのみであった。五百の天子とともに娯樂を楽しみ、生れた縁を知らなかった。
時に舎利弗が忉利天でこの天子の生天の因縁を知り、問うて言った。「天子よ。何の福によってこの天に生れたのです」
「知らぬ」
舎利弗はその道眼を貸してカッチャーナによる生天の因縁を見せた。そこで五百の天子を率いて寒林にいたり、散花燒香し死屍を供養した。諸天の光明は村の林を輝かせた。
長者は変事を見てその由来を怪しみ、家の者に命じて林に様子を見に行かせた。すると諸天子が屍を供養しているではないか。そこで天にたずねた。
「この婢は醜く汚く、生存中にも人から嫌われていました。なのに今、死んでどうして諸天が供養するのでしょう」
天子は事細かに生天の因縁を話して聞かせた。 そこで皆はカッチャーナの所に詣でた。カッチャーナは天人たちのために諸法を広く説いていた。いわゆる、施論・戒論・生天の論である。不浄の法を求めず、出家して楽を求めるのだ。そこでかの天と配下の五百天子は煩悩を捨て、法眼の浄きを得て天宮に飛び帰った。
会衆はこの法をきいてそれぞれ道を得たり四果に至った。みな歓喜せざる者はなく、おおせに従い、敬って礼をなし去った。
※貧しい奴隷は、何によっても現世利益は得られず、来世に天子となることに希望を抱かざるをえなかったのでしょう。のちの浄土信仰の萌芽を感じられる話です。
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