賢愚経巻六 富那奇縁品(番外の三)

 このように聞いた。
 仏が舎衛国の祇樹給孤独園にいたとき、放鉢国に曇摩羨(ダルマセン/意味は法軍)という国一番の長者がいた。
 長者の妻が男児を産み、「他国に出軍征伐する者」という意味で羨那(センナ)と名づけられた。後にまた子が生れ「王の出軍征討で勝ちをおさめる者」という意味で比耆陀羨那(ビギダセンナ/勝軍)と名づけられた。
 二人は大きくなって各自妻をめとった。
 長者は病が重く、いろんな医師を呼んで診てもらった。医師にはおいしい物をたくさん出したので、医師は貪欲の心をいだき、かえって病気が長引くようにし、余分な薬を与えた。
 時に一人の婢(はしため)がいて、長者の飲食や薬湯の世話をきっちりとしていた。婢は長者に言った。「これらの医者はくびになさいまし。悪意があって病気はひどくなるばかりです。私が定番の治療をいたします。もう医者は呼びなさいますな」
 婢が看病すると、長者の病はよくなった。そこで婢は言った。「ご主人、ご主人、病気がよくなりましたよね。そこでお願いがございます」
「何かな」
「私を妻としてください。もし意見の相違があれば私に従うと決めて下さい」
 長者はわが身のあることを思いそれに従った。婢は妊娠し、十月が満ちて男児を生んだ。その願いが満たされたことから、富那奇(プナキ/満願端正福徳の意)と名づけた。商売も順調で財産もふえ、さらに利益が膨らみ、一切不吉なことはなかった。
※薬漬け医療、古代にもあったのですね。

 プナキは、長者の血を受け継いで才芸智量に優れていた。賎しい婢の子ということで正式の子としては数えられず、奴隷の中に入れられていた。長者はまた病気にかかり、床に寝付いていつ死ぬかという状況。丁寧な遺言を残し、二人の子には没後に違う家には住むなと言い置いた。長者は病に医薬も効かず、ついには命終をむかえた。
 二人の子は父の教えをまもって同じ家に住んだ。年頃になり縁あって他国で商売をしたくなった。二人とも家には妻子がいる。プナキに一切合切をまかせることにした。別れ際にプナキは家の経営をゆだねられ、二人の兄はしばしば旅に出て、飲食その他に立ち寄るだけになった。プナキは兄たちの希望に添っておこたりなく準備した。
 ある日、勝軍の子が一文も持たずにプナキのところに来て言った。「プナキ、腹が減った、喉が渇いた。飲食を用意しろ」
 しかし銭がなく、プナキは食事が出せなかった。
 子供は怒り、その母に言った。「今、プナキの所に行ってきた。昔と違って今は冷たいもんだ。伯父の子らは飯を食っているのに、自分には飯をくれなかった」
 母はこれを聞いて恨みを抱いた。「この婢(はしため)の子め!」と敵愾心を抱いたのだ。勝軍が家にかえっても妻子の怒りはおさまっていなかった。かくかくしかじかと勝軍に告げ、勝軍もまた怒り心頭、「この婢の子め! 私の言ったことにそむき、我が子を浅薄な者として扱うとは! ぶっ殺してやる!」と。
 意を決し、兄に分かれて住むことを求めた。兄は父の教えを重んじて即座にダメだと言った。勝軍の懊悩は深く何度も頼む。兄はその思いが激しいことを察し、弟の怒りをしずめようと別居を認めた。弟は家財の半分を持って田舎の家に行って休養することになった。残りの半分はプナキに与え、そこから兄が好きなだけ取ろうというのだ。兄が財を取るということは自らプナキを殺そうという事だと弟は解釈した。兄は勝軍の心を知って、慈心と憐愍からプナキを空っけつにし、妻子とともに家もなく出させたのだ。プナキはその兄嫁にたずねた。「少しばかり銭をいただけませんか。薪を買いたいのです」
兄嫁「五銭あります。これを与えましょう」
 プナキはこの五銭を持って市に薪を買いに行った。見れば一束の薪が五銭である。プナキはすぐにその薪を買った。
※兄は弟の味方をしていると見せかけつつ、プナキへの直接攻撃を避けたのですね。なかなかの策士です。

 それは、薪の中に牛頭栴檀香が混じっているのを見つけたからだ。喜び勇んで家に帰り、この香木を十分割した。
 時に、王の夫人が熱病にかかり、牛頭栴檀香の木が必要で、粉末にして体中に塗らなくては治らなかった。国をあげて牛頭栴檀香を探していたが見つからず、国内に「香木一両を持ってくる者には黄金千両を与える」とお触れを出していた。プナキは王にこたえて一かけらを持っていき、王家に収めた。王は命令通り千両の金をくれた。これを繰り返して十分割した香木をみな売り尽くし、金一万両を得た。そこで田舎に家を買い、象車や馬車に乗り、奴婢や家畜を蓄えた。家業は今まで通り続け、物は満ち足り以前をこえてあわせて数倍になった。
 時に五百人の商人がともに海外探検をしようと企画し、プナキにパートナーに加わるようもちかけた。
 プナキは兄に言った。「ともに行って宝を得ようと思います」
 兄はこれを許可した。
 船で大海に出、思うがままに宝を手に入れ、たくさん持って還った。
 途中に険難なところがあってそこを渡ろうという時、みなは天に三つの太陽が出るのを見て、怪しんで導師にたずねた。「今、三つの太陽が出ているのは何の端応なのでしょう」
導師「一つは本物、あと二つは魚眼じゃ」
「では水が流れ落ちているところは魚の歯で、真っ暗なのは魚の口なのですか。なんとおそろしい。我らには生きる道はないというのてすか。魚の口に近づいたら吸い込まれて死あるのみです」
 仏道を敬信していた賢者がいて、商人達に告げた。「ただ心をこめて南無仏と唱えるのです。三界の徳は大きく、仏者の危難は見過ごされません。一切が救われ、苦厄の衆生を救うのです。ただ仏のみが神聖なるもの。みなの風前の灯火の命を危険より救いたまえと願うのです」
 時に摩竭魚は仏の名をとなえるのを聞くとたちまち口を閉じて海底に沈んだ。商人達はこれゆえ心安らかに帰国した。
 プナキは大きな金のテーブルに、妙なる宝や摩尼珠等をたくさん飾り、兄の羨望を受けた。そこでひれ伏して大兄に言った。「私は兄のために財宝を蓄え、家も何もかもがそろいました。子孫七世にわたって食うには困りません。ただ願わくば大兄よ、我が出家を聞き届けたまえ」
 センナは答えて言った。「私も財産においては違いはない。卿は年わかくいまだ人倫に通じず仏法を重んじている。これを保つのははなはだ難しい。あと数年待って意を遂げてはどうか」
プナキ「大兄よ、知るべきです。人の命は永遠ではなく保ちづらいものです。眼前に大海があって摩竭魚にあい、船を吸われそうになった時、命は危機に瀕していました。仏神の恩をこうむりようやく命長らえたのです。ですから、ただ許したまえ。ここに旅の次第を語りましょう」
 兄はこれを聞いた。
 プナキは五百人の宝を求めた商人達ととも、みな信心を持って舎衛国の仏の所に至った。礼をして敬い、事の経緯を話して出家についてたずねた。仏はすぐに許可し道に入らしめ「善く来た」とほめたたえた。そこで沙門となり、仏は種々の苦をとりのぞく説法をした。五百人の新たな比丘は心がほがらかになり、諸々の苦を滅尽して阿羅漢となった。ただプナキだけは煩悩が深重で、仏が彼のために説法しても伸び悩み、まじめにつとめても困難なことが多く、はじめて初果に入ってからも勤精修習して休むことがなかった。
 諸比丘は安居の日が近く、仏は各々隨意に安居する場所を聞いた。プナキは仏のところに行って言った。「弟子は放鉢国で安居の三ヶ月を過ごしたいと思います。お聞き届けください」
世尊「あの国は人柄が悪い。邪を信じ物事を逆さに見ている。そなたはまだ仏法については初学者だ。いまだ仏法の聖行を満足にしていない。あの国の人に傷つけられ侮辱されたらどうする」
プナキ「たとえ埋められ傷つけられ侮辱されても害とは思いません」
世尊「あの国の人は極悪である。殺されるとしたらどうする」
プナキ「世尊、たとえ傷つけられ侮辱され害されようと、命までは取らないでしょう。それを恩と思います」
仏「かの国に行って悪人に会わず害されることがなかったらどうだ。そなたには無益ではないか。その時はどうする」
プナキ「世尊、一切万物は形あって最後は無に帰します。もし殺されなくても、私は死を分割払いで受けとっているのです」
世尊「かの地の悪人たちが、害を加えても命までとらずに毀損されたらどうする。怒らないというのか」
プナキ「怒りません、世尊。その人の根も葉もない誹謗によっていためつけられ、たとえ刀杖によって殺されるほんの寸前まで行ったとしても、一念として怒りの心は起こしません」
 仏はそこで讃言した。「善きかな善きかな。弟子のなすことは。すばらしい快挙ではないか」
 そこでプナキは衣鉢を持ち、仏に礼をして去り、放鉢国へと向かった。
 あくる朝、城市に入って乞食をした。大富豪のバラモンの家に行くと、主人が出てきて比丘を見、悪心を抱いた。罵声を浴びせて追いやった。比丘は別の家に乞食に行った。
 その翌日、またバラモンの家に乞食に行った。バラモンは力の限り殴ったが、比丘は喜び、顔色は変らなかった。バラモンはこの比丘を見て、傷つけられ困苦して野垂れ死ぬとしても怨みの色を見せず怒りと怨みを生じないだろうと知り、自ら悔いて謝罪した。
 かくしてプナキはその国中をまわり、怠ることなく修行した。煩悩は尽き、心は開かれ、無漏證を得た。
 安居がおわり、檀越を辞してその兄の所に向かい言った。 「海に入ってはいけません。大海中には難所が無数にあります。兄上の財宝はすでに七世代に足ります」
 そして仏の所にもどり、挨拶して色々とたずね、しばらく逗留した。
 兄のセンナは弟の教えを心には留めなかった。たくさんの商人がやってきてセンナを説得し、海洋探検に行こうと誘った。センナは逆らわず一緒に行き、海上に出てそれぞれの欲しいものを入手した。センナはとくに牛頭栴檀の香木をとり、船に満載して帰還した。
 竜は性質が慳悋で、香木を惜しんで帰途の船をつかまえようとし、船は帆を上げて風に乗じて逃げようとしたが逃げられなかった。商人達は死を覚悟した。センナは一心にプナキの名を唱え、今あっている苦厄から救いたまえと祈った。
 この時、プナキは舎衛国の祇園精舎で、坐禅し思索していた。天耳通(テレパシー)で兄のセンナが危機にあると知り、兄の心からの思いを知った。プナキは羅漢神足で一瞬にして金翅鳥(ガルーダ)王に変身し、竜を怖れさせようと大海に至った。竜は鳥の形を見ると怖れて海の底に入り、商人達はここに安堵して家にかえった。
※金翅鳥は竜に勝つものなのです。

 プナキは兄を教化して世尊のために一小堂を建てさせた。堂は栴檀のみを使って完成した。そして兄に仏を呼ばせようとした。センナは「仏に来ていただくにはどんな物を用意すればいい」とたずねた。
 プナキは兄とともに供養の品をそろえ、各自香炉を持ち、ともに高い楼閣に登った。遙か祇園精舎に向かい、焼香し、仏と聖僧に帰依し、明日この国に来て迷愚の衆生を開悟させたまえ、と願った。願がおわり、香煙は思った通り世尊の頂上に至って集まり、煙蓋を作った。そのあと水で世尊の足を洗った。虚空より水が出て二股にわかれ世尊の足の上にかかったのである。
 阿難はこれを見て怪しみ、仏にたずねた。「誰が煙と水を放ったのです」
仏「これはプナキ羅漢比丘が放鉢国で放った物だ。兄のセンナに仏と僧を請わせて煙水を放ったのである。阿難よ、僧たちのところに行って告げるのだ。明日、神足の比丘に籤を取らせ、センナの招請に応えて変化をあらわし、あの国に遊行せよと」
 阿難は命を奉じ、僧を集めて神足の者に籤を取らせ招請に応えさせた。
 比丘たちは籤を引いた。

 翌朝、僧たちの料理人ですでに阿那含道(第三果)を得ている奇虔直奇(キケンチョクキ/意味は「続生」)が結跏趺坐し、体より光明を放ち、調理器具の柄杓やボウル、百斛の大釜を引き連れて虚空に飛びだした。
 奇虔直奇が来るのを見たセンナはたずねた。「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。比丘たちの料理人です。飲食物を作る助けとなる道具とともにきたのです」
 センナは華香・妓楽の供養をする者を見た。供養の一団が過ぎ去ると、今度は十六人の沙弥の均提らが神足もてあらわれた。樹林を作りだし、華と果実を取り、種種の変幻を見せた。体は光明に輝き天地を満たし、虚空を突き進み、陸続としてあらわれる。
センナ「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。彼らは私の先輩や同じ師の弟子です。七歳にして羅漢道を得、漏尽をなし、神足にて純心、先に来て華と果実をとり華香にして供養するのです」
 供養がおわり、一団は過ぎ去った。
 次に年をとった阿羅漢たちがあらわれた。 千の竜を術で化作し、その上に結跏趺坐をしている。竜はあちこちに頭を出し、雷鳴をとどろかせて天をふるわす。竜の口からは七宝が雨のように降り注ぎ、その上に大宝座が生れ、虚空へと飛翔していく。体は光明を放ち天下を照らす。そのようにして国に来た。
センナ「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。彼らは憍陳如(キョウチンニョ/コンダンニャの音訳)ら五人の弟子です。仏が初めて道を得、鹿野苑で初転法輪をして広く衆生を済度しはじめたときに、まっ先に教化を受けた弟子で、第一の上首です。神通力がそなわり、執着がありません」
 センナはこれを聞いて恭敬の念が倍加し、香華・妓楽で供養した。
 そのあとに摩訶迦葉が、神通力で七宝の講堂を現して来た。七宝は荘厳で、全身から光明を放ちつつその国に来た。
センナ「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。彼らは師の弟子の摩訶迦葉です。清廉にして足るを知り、常に頭陀行をしています。貧しい人々、困窮者の救済をしています」
 センナはそこで香華・妓楽を供養した。
 そのあとに舎利弗(シャリホツ/シャーリプッタの音訳)が千の獅子に乗り、身をよこたえて座にありながら現れた。獅子たちは口から雨のように七宝を降らし、雷のように咆哮し天地をふるわせた。獅子の上には大宝床があり、荘厳に飾られていた。舎利弗はその上にあって体から光明を放ち、世界を照らし、虚空に飛翔し飛んで行った。
センナ「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。今のは師の大弟子で、広博大智の舎利弗です」
 センナはこれを聞いてますます喜び、華香・妓楽で供養した。
※まさにエレクトリカルパレードです。凄いイマジネーションです。

 次は大目連(ダイモクレン/マハー・モッガラーナの音訳)で千の象に乗って追ってきた。象の口には皆、六本の牙があり、その一本ずつの頭には七つの浴池水があった。池の中には七蓮華があり、その上には七玉女がいた。変幻は数限りなく、大光明を放つ。周囲をうちふるわせるその上には宝座があり、虚空を飛びながらやってきた。
センナ「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。今のは師の弟子で、大目連といいます。神足第一にして徳行そなわった方です」
 センナはこれを聞くと歓喜してふりあおぎ、香華・妓楽で供養した。
 次が阿那律提(アナリツ/アヌルッダの音訳)で七宝浴池を現していた。浴池の中には金色の蓮華が生え、茎はみな七宝が合わさってできていた。その華の上に結跏趺坐をして日光を頂から放ち天下を照らしていた。光が照らすところはみな金色で空中をわたってきた。
センナ「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。今のは師の弟子で、阿那律提といいます。大衆の中の天眼第一の人です」
 センナはこれを聞くと歓喜して恭敬し、華香で供養した。
 次が仏の弟の難陀で千の馬を現し七宝車に乗ってきた。車の上には七宝の大天蓋があり、光明を四方に放ち照らし、虚空を飛び放鉢国に来た。
センナ「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。今のは世尊の弟の難陀(ナンダ)です。あまたの瑞相をそなえ、徳行に純粋にとりくむ方です」
 センナは香華・妓楽で供養した。
 次は須菩提(スボダイ/スブーティの音訳)で七宝の山を現してきた。瑠璃窟に坐し、体から種種の光明を放ち天地を照らしてやってきた。
センナ「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。今のは師の弟子で、須菩提です。広智にして多聞、空を解すること第一です」
 そこで華香で供養した。
 次に分耨文陀尼子※が一千の迦樓羅王を現して来た。座の上に結跏趺坐し、四方の頭は口に衆宝をくわえていて妙なる音を出した。上には大宝座がありその上に坐して虚空を飛んできた。
センナ「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。今のは師を同じくする弟子の分耨文陀尼子です。弁才応適第一の人です」
 そこで華香をもって供養した。
※分耨文陀尼子……プンナ・マンターニプッタ。森 章司「4 人のプンナとそれぞれの事績年代の推定」による

 次の弟子は優波離(ウパーリ)だった。千の鴈の身が相つらなっているものを現した。その声は哀しく相和していた。口に衆宝をくわえ、虚空を飛翔する。その上には衆宝の座があり、大光明を放ち四方を遠くまで照らしていた。その上にすわり急いできた。
センナ「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。師の弟子の優波離です。比丘たちの中で持律第一の人です」
 センナは華香をもって供養した。
 次に来たのは沙門の二十億だった。空中を行く樹をあらわし、紺瑠璃を道にした。また七宝を両側の樹にし、種種の妙宝で道の端とした。このようにしてゆっくりと国に来たのである。
センナ「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。あれは仏弟子の沙門で二十億という者です。比丘中で精進第一の者です」
 華香・妓楽をもって供養した。
 次に大劫賓寧(マハー・カッピナ)が七宝樹をあらわして来た。樹上には種種の華と果実があり、樹下には七宝の高座があって、その座の上で大光明を放ち虚空を来た。
センナ「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。あれは仏弟子のカッピナです。勇猛にして端正第一の人です」
 センナは喜び、華香・妓楽をもって供養した。
 次に来たのは賓頭盧埵闍(ピンドーラ・バーラドヴァージャ/日本ではお賓頭盧さんとして親しまれている)だった。宝蓮華にすわり頭項からは日光のような光を放ち天地を輝かせている。虚空に飛翔してその国に来たのだ。
センナ「「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。師の弟子のピンドーラ・バーラドヴァージャで、よく入定し禅第一の人です」
 そこで香華で供養した。
 次は羅睺羅(ラーフラ/釈尊の子)で後ろから遅れてきた。自らの分身を作り、転輪王にした。千人が七宝で飾られ、前後についてその国に来た。
センナ「あれはそなたの師か」
弟「いいえ。仏の子、ラーフラてす。もし家にとどまっていたら四つの天下を支配し、七宝が自ずといたり、兵を用いずして自然に敵が降伏したであろう方です。今、この位を捨てて出家・学道し、阿羅漢となりました。六神通が清徹になれば、怖れるところはないのです。それゆえ変身して、これらの形をなしているのです」
 センナは聞きおえると、香華で供養した。
 五百人の神足の弟子は、各々変幻をあらわし数えきれないほどだった。
 この時、世尊は弟子たちがみな放鉢国に入ったと知り、大光明を放って天地を照らし金色にそめた。
 プナキは兄に言った。「これこそが世尊です。はじめてここに来ようという意志を示したがゆえにまず光を放ち瑞応を見せたのです」
 この時世尊は座上にあって足を地につけていた。時に感じて天地は六度震動した。
プナキ「今、世尊は座につき地に足をついたがゆえに天地が大きく動いたのです」
 世尊が精舎を出て外に向かうと、八金剛神が八面にいて、四天王は前を先導し、帝釈天は欲界の天子の百千万人とともに左面を衛り、大梵天王は色界の諸天と無数の衆とともに右面にあった。弟子の阿難は仏の後ろにあり、大衆が取り囲み、光明を放って天地を照らし虚空を飛んで放鉢国に来た。
 その途中、五百人の小作人が千の牛に犂を引かせて開墾し畑を耕していた。牛たちは仏が空を通り体から金色の光を放って世界を照らすのを見た。牛は至心に世尊をあおぎ、心からあつく敬って畝を耕すのをやめてそこに止まった。
 小作人は牛がふりあおぐのに驚き怪しみ、自らも仏を見た。そこで小作人たちはひざまづいて言った。「皆、感じ入っております。ただ願わくば如来よ、哀れみもてしばし生死を離れるよう済度したまえ」
 仏は悲心から彼らが済度されると知り、その場で様々な妙法を説いた。五百人の小作人は開悟して二十億の燃えさかる悪を断ち須陀洹(初果)となった。その時の牛は命終を迎えると天上に生れ変りみなが喜んだ。
 如来はまた出発し、そう遠くない前の一団を追った。そこに五百人の童女がいて荒野で遊んでいた。地が金色になるので空を見上げると、虚空を行く者がいる。みな喜んで叉手して言った。「ただ願わくば天尊、哀れみをもって済度したまえ」
 仏はその宿行によって済度できることを知り、そこに寄って願いをかなえた。諸法をとき、信受と理解をさせ、みな須陀洹(初果)となった。
 さらにいくと五百人の仙人が林沢にいた。光があまねく照らして金色なので、仰ぎ見ると如来と諸大衆が虚空を遊行していた。うれしくなって敬う心は倍加し、仰いで仏に請うた。「ただ願わくば大聖よ、しばし神形を休めて下さい。旅路の途中に御言葉をたれたまえ」
 仏はそこに本縁を見て済度できると知り、沙門の求めに応じて降り立った。
 仏は「善く来た比丘よ」と言い、すぐに沙門とした。説法をし、心は浄くなり理解されて、みな漏尽通を得て阿羅漢となり仏の後ろに従った。
※すごい勢いで済度の旅をし、最後には阿羅漢も五百人増えてしまいました。

 プナキは遙かに天地が光り輝き仏と諸大衆が来るのを見て兄のセンナに言った。 「世尊とその衆が今来ました。この国に仏が来たのです」
 センナは喜び、香華と妓楽で供養した。供養を終えると共に会所に来た。
 仏は宿舎につくとさだめどおり坐った。センナは家をあげておいしい御膳をさしあげ、自ら水を注ぎ、敬意をもって食を奉った。仏は供養を受け、食べ終えると口をすすいた。その国の様々な人のために妙法をとき、みな須陀洹果から二道三四果を得たり、大乗へのこころざしを抱いたり、不退転の決意をした。仏は法を説き終え、男女で得度する者は数え切れないほどだった。

 阿難はひれ伏し叉手・合掌して仏に言った。「世尊、このプナキは過去世にどんな悪行をして下賎の人たる奴隷となり、またどんな福があって仏と会い得度したのです」
仏「よく聞きよく考えるのだ。今からそれを話そう」
阿難「はい」
仏「過去、迦葉仏の時、長者がいた」

 財富限りなく、仏と衆僧のために伽藍を建て、衣服・飲食はもとより病いへの医薬・臥具の一切を供養して、欠けることのないようにした。その長者は早くに亡くなった。その後、一児が出家し道を学び、父の死後は仏の図に供養した。僧は段々やめたり去って少なくなり、ついには無人の寺となって荒廃した。その小比丘は力を尽くして檀越・知識を集め、銭財を集め、欠落を修補した。また衆僧が集まり、供養を続けた。衆が多くなり、その寺に住み、諸道の人をそろえてまじめに修行した。
 道人の比丘がいて僧の統括であった。羅漢がいて、草土を掃除して日に当てようとして中庭に積んでおいた。この時、比丘が悪心を起こして叱った。「この比丘は奴隷とかわらん。地を掃くことは知っていても捨てることはできない」

仏「阿難よ。その時の比丘の管理者が今のプナキ比丘なのだ。悪心を起こして道を得た人を奴隷にたとえた一言のゆえに、五百世の間いつも奴隷となった。また、衆人を集めて衆僧に供養したことで罪のあがないは終り、私の世に出会えて得度できたのだ。今、この国で教化された人は皆、昔、寺を助けていた人たちで、その縁で果報を得て皆、悟りを得て解脱したのである」
 阿難と会衆たちは、仏の説くところを聞いて喜んでうけたまわったのだった。



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