灌洗仏形像経
西晋の沙門、釈法炬が訳す。
ある時、仏が摩訶刹頭(未詳)ら諸天の人民に告げ、皆が一心に仏の言葉を聴いた。
「人身は得がたく、無為の道も得がたく、仏の世にもあいがたい。私ははるかはるか昔から身に白衣をまとい徳を積んできた。どの生でも五道の輪廻した環境に打ち勝ち、財宝をむさぼらず、身を捨てて施与し、惜しむことはなかった。そして自ら王太子となったのは、四月八日の夜半、明星の出づる時のことだった。生れ落ちて地を行くこと七歩、右手を挙げて言った。『天上天下唯吾為尊』と。まさに天と人の無上の師となるためである」
太子が生れた時、地は大いに動いた。
第一階層の四天王から、梵天・忉利天王の帝釈天にいたるまで、その中の諸天はみな、各々十二種の香湯にさまざまな名花をまじえて太子を沐浴させた。
太子が成仏して今の聖法を開き、もろもろの民を済度すると、仏は諸天の人民に告げた。
「十方諸仏は皆、四月八日の夜半を用いて生れた。十方諸仏は皆、四月八日の夜半を用いて出家し、山に入り道を学んだ。十方諸仏は皆、四月八日の夜半を用いて成仏した。十方諸仏は、四月八日の夜半を用いて涅槃についた」
そして仏は言った。「四月八日を用いたのはなぜか。春夏の際には殃罪が悉くおわるからである。万物は普く毒気を生ずるもいまだ行わない。寒からず熱からず、時の気が和合し調和する。まさにこれが仏が生れた日である。
善男子、善女人は、仏が滅した後、至心に仏の無量の功徳の力を思い、仏の形の像を仏が世にいた時のように沐浴させるのだ。得られる福は無限である」
仏は言った。「私がもともと菩薩道を行っていたとき、三十六回、帝釈天となり、三十六回、転輪聖王となり、三十六回、飛行皇帝となった。仏弟子たちで信心と善意ある者は、まさに十方諸仏の功徳を思うべし。よく香花や種々の物で仏の形の像を沐浴させた者は、願いが皆かなうだろう。諸天と竜神がいつもつきしたがい擁護してくれる。それが証明となるであろう」
仏は弟子たちに告げた。「人身は得がたく、経法は聞きがたい。天や人で自ら妻子等の五家の財物を分かちて仏像の沐浴に使う者は、仏の在世の時のように願いが悉くかなう。世を済度して無為の道を得、世々死にかかわらずに生きられるのだ。のぞめば釈迦牟尼仏のように勇猛に努力できるのだ。
のぞめば文殊師利のように不退転の菩薩になれるのだ。転輪聖王や飛行する教化者にもなれるのだ。辟支仏や阿羅漢にもなれるのだ。永遠に三悪道を離れられるのだ。天上の人に生れ変り、富を楽しむ者となれるのだ。百の子、千の孫も得られるのだ。長寿にして病なくいられるのだ。
世間の人の貪欲は海のようである。むしろ身の肉を削ろうとも、一銭も他人には与えたくない。生れた時には一銭も持たずに来て、死ぬときもまた一銭も持って行けない。財物は世間にあるのだから。人は死んで一人で去り、この苦を覚えている。仏像をゆあみさせる者は、この功徳のゆえに生死の相にはとぎれがない」
仏は言った。「もし人で一善心あってこの功徳をなした者は、諸天善神、天竜八部、四天王等がみな共に擁護する。仏像をゆあみさせると福報が生まれ、いつも清浄でいられる。この因縁によって成仏できるのだ。
【原文註】以下の三十一行の文は丹本にはなく宋本にのみある
仏は言った。「よい香を持ち、仏像をゆあみさせた者は、自ずとその福智によって、清浄、功徳、名声を得る。よい華を仏の上に散らす者は、自ずとその福によって端正にして血色よいこと比類なき姿となる。幡を持って仏にささげる者は、自ずとその福によってその生の中で自然で最もよい衣を得る」
仏は言った。「私は徳行・善・至誠の功績をかさね、持戒・忍辱・精進を一心につとめて智慧を得た。そして自ら仏となったのだ。今日、賢者は誰もが、慈心と善意から仏道を信頼し済度・解脱を求め、種々の香花を持って仏像をゆあみさせる。皆、七世の父母、五種の親属、兄弟・妻子が厄難中にあるからだ。十方・五道の中で苦しんでいるからだ。仏道を信じない無知蒙昧な民が、後世において人に生れ、端正にして潔く、皆に敬われるようにだ。
塵垢が身につかず、その生の中でいつも仏に会い、法に会い、比丘僧に会えるようにだ。その者は経に明るく智慧がととのう。
仏の十二部経、四阿含、意を守って安らかにあること、三十七品、四意止、四意断、四神足、五根、五力、七覚、八直行道が体得できる。もし至心に仏道を求めれば、すみやかに不退転の位に至るだろう。ついには仏の三十二相八十種好という特徴を得て、肌はつややかな紫金色となる。十種力、四無所畏、十八不共を得る。
※要するに、仏となるということです。詳しく知りたい方は各種辞書やWikipediaをどうぞ
口からは八種の音声が出て、飛行し透視し、いたるところに行ける。天たちと竜鬼神、鬼子母神の官属がその身を守り、どこに行こうと安隠が得られる。山中では虎狼に遭わず、軍旅でも戦いにはかかわらない。江湖でも風波に遭わない。病いで痩せ衰えて寝つくこともない。県官から呼び出されることもない。妻子や娘の出産は安らかだ。商売をすれば利は百倍、邪悪な気におかされて妄想を抱くこともない。水火の災い、盗賊、怨んだ者、債権主からもみだりに害されることはない。口舌のいさかいは消え、皆が伏する。仏道に精進している間も後悔はない。菩薩のように修行し、仏のなしたように道を得られるのだ。
仏説灌洗仏形像経、おしまい。
【原註】この経は宋の大蔵経では「摩訶刹頭経」聖堅訳となっている。 今『開元録』には、宋の大蔵経は混乱があるから丹本では「灌洗仏形像経」法炬訳にした、とある。
また、宋の大蔵経ではこの経の最初は「摩訶刹」から二ページある経文はみな「摩訶刹頭」となっていて「灌洗仏形像経」との違いがない。丹本では「爾時仏告摩訶刹頭」から「従是因縁得成仏道」までの二ページではなく
「仏言浴仏形像」以下の三十一行の経文は切れている。宋本にはあるので追加した。
※大蔵経には『佛説摩訶刹頭經』もあります。浴仏法で用いる香り水の、青色水、赤水、白色水、黄色水、玄水の五色水のレシピが書かれています。
浴仏後には白い上質の布で仏像を拭くことも書いてあります。
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