賢愚経巻八 大施抒海品第三十五

※題の意味は「大施が海を汲んだ話」です。

 このように聞いた。
 仏がラージャグリハのギッジャクータ山(霊鷲山)中で、尊い弟子千二百五十人とともにいたときのこと。
 世尊は思った。身近に仕える者が必要だと。
 尊い弟子たち、コンダンニャ等はみな、観察によって仏の思う所を知った
 コンダンニャは坐より起ち、右肩を出して合掌しひれ伏して仏に言った。「私がおそばに仕え、衣鉢をあずかりましょう。願わくばあわれみもて教えをたまい許し給え」
仏「そなたは年老いている。そなたに給侍が必要だというのに、そなたに供奉させるのはしのびない」
 コンダンニャは、仏に聞き入れられないと知って礼をして坐に戻った。
 摩訶迦葉、舎利弗、目揵連、そして諸弟子たち五百人が仏に申し出たが仏は聞き入れなかった。阿那律がためしに仏意をうかがうと、阿難を想定されているとわかった。太陽が東から舎宅を照らし、光が東の窓をぬけて西の壁にいたるように、世尊の意思ははっきりとしていた。諸大弟子はみなそのように観察して知ったのだった。
 舎利弗と目犍連は坐より起ち、阿難の前に行って告げた。
「世尊の意思は、そなたを侍者にしたいとのことだ。仁にして善、利根があり、ひとり意にかなっている。すぐに仏の所に行って侍者にしてほしいと頼むのだ」
 賢者阿難は、諸上座が前にきてのこの言葉を聞き、立ち上がり合掌して言った。
「世尊の徳は重く智慧は深遠です。私が常に近くでお世話すれば、おそらく罪になるような失敗をして災いを残すでしょう」
 舎利弗たちはあらためて言った。
「今、世尊を見るに、もうそなたを侍者にすると決めておられる。あたかも東からの日の出の光が東の窓を通って西の壁を照らすように、心を注いでおられる。世尊は人の情に通じ、そなたがよく任にたえると知っておられる。だから意をとめられたのだ。すみやかに侍者になりたいと言ってきなさい」
 賢者阿難は、重ねて言われて熟慮し、自らがその器ではないと判断した。そこで合掌して上座たちに言った。「もし侍者になるなら、世尊に三つの願いをかなえていただきたいのです。そうすれば仏の侍者となりましょう。その三つとは、世尊の衣を私に譲らない事、世尊の食事のあまりを私に回さない事、勤務時間は私の裁量にまかせること。この三願を聞き届けていただければ、仏の侍者となりましょう」
 舎利弗らはそれを聞いて、世尊の所に行きつぶさに述べた。
 仏はこれを聞いて舎利弗や諸弟子に告げた。「阿難が衣をくれるなと言うのは、弟子たちが嫉妬するのをおそれてのことだ。国王、臣民、諸檀越は、仏に高くて細かでつややかな衣を布施する。阿難はそれがほしくて給事になったと言われるからだ。また、我が食のあまりは弟子たちに同じく嫉妬を抱かせる。如来の鉢の中の食のあまりは、甘美の百味にして世に比べるものがなく、阿難はそれが食べたくて側近になったと言われるからだ。阿難が勤務時間を自らの裁量にしたいというのは弟子や外道の衆が来て疑問をたずねるのに絶え間がなく悩まされるからだ。侍者としての時間が決まっていれば、飲食の時間も取れるし身体によい。みな熟慮して先を見越して、先に三つの願いを述べたのだ。そして阿難は、今日三つの要望をしたのではない。過去世で私に奉侍した時も時宜を心得て要求をしたのだ」
※「袈裟は糞掃衣が理想。豪華絢爛であってはならない」という仏教論者がいますが、釈尊在世中から布施されたよい布で衣を作っていたのかもしれません。少なくとも、『賢愚経』の成立した時代には、そう信じられていたようです。

 舎利弗が仏にたずねた。「わかりません。過去に仏に奉事して時宜を心得ていたとはどういうことなのでしょう」
仏「舎利弗よ、聞きたいのならしっかり聴いて心にとどめるのです」

 はるかはるか昔、大国王がいてこの世の八万四千の小国と八千万の聚落を治めていた。王の居城は婆樓施舎(バロセシャ)といい、城中に一人のバラモンがいた。号して尼拘樓陀(ニャグロダ)という。聰明にして博識、天才としてぬきんでていた。王ははなはだありがたがり、彼に師事していた。八万四千の小国王たちも、みなはるか遠くから敬慕していた。世界の果てからも供物が届き、使者を送って意見をうかがった。その言葉は大王の物のように奉られた。そのバラモンの富は王家に匹敵した。
 ただ、跡継ぎとなる子息がなく、いつもその事を憂えていた。子を得る方法がわからず、梵天、天帝、四王、摩醯跋羅(マヘーシュバラ/シヴァ神)、その他の諸天、日月星宿、山河樹神を祀っていた。種々の祈祷祭祀をあますことなく怠らなかったのである。このように誠意をもって祈り続けること十二年、 大夫人が妊娠したと感じた。聰明な女人なので自らの懐妊を知り、必ずや男児であるとわかった。そこでバラモンに話すとバラモンも喜び、その喜びようは妻の倍。家中の夫人や采女に命じて大夫人の日常を護らせた。飲食に寝具は細かくなめらかにし、とりよせて満足のいく物にした。
 十ヶ月がすぎて男児が生れた。体は紫金色、頭髮は紺青、端正にして人並ではない貴相だった。バラモンはこれを見て喜びにたえず、占い師を呼んで相を見させた。占い師は赤子を見て讃歎した。「この児ほどよい相はいまだかつて見た事がありません。福徳ひろく、子が母親をあおぐように天下の人が仰ぐ存在となるてしょう」
 父は喜び名をつけさせた。天竺では名をつけるのに、二種類の方法がある。ひとつは星宿、ひとつは変異である。占い師が懐妊以来何か変った事はなかったかとたずねると、父は答えた。「この児の母は生来性格がよろしくなく、慈悲の心が少なく慈善をすることが少なかった。懐妊以来、心性改まり苦厄を哀れむ事母が子を愛するがごとくなった。布施を好み惜しむ事がなくなった」
 占い師はこれを聞くと喜んで言った。「この児に志あるがゆえにそうなったのです。名を摩訶闍迦樊(マハージャカハン/漢語では大施)としましょう」
 その児は次第に育っていき、父ははなはだ子を愛した。
 別に宮殿を作り、三時殿を作った。冬には温かく夏には涼しい。春秋には中にいて妓女をはべらせて楽しみとした。
 その児は聡明で、学問を好み楽しんだ。俗典をいつも読み、十八部書によって賢くなり、その義に詳しくなった。諸技術を学び、何でも知って通じていた。
 その後、大施は父に言った。「久しく宮殿の奥にいましたが、出遊したいと思います」父はこれを聞いて臣吏に命じ、街路を綺麗に掃除させ、不浄を取り除いた。幢幡を立て、散華焼香して道路をかざり、きわめて清潔にさせた。
 準備が整うと、大施は七宝で飾り立てた大きな白象に乗り外に出た。鍾や太鼓が鳴らされ、踊りや音楽がなされ、千乗万騎が前後についた。
 行列は大道を進んで城門についた。国中の民が楼閣にのぼったり道の両脇に集まり、競うように観覧し、口々に言った。
「なんと素晴らしいお顔だちだ、威風は梵天のようだ」
 行列が進むと乞食たちがボロボロの衣で破れ椀を持って卑しい言葉で哀れみを乞うた。
「わずかばかりのお恵みを」
 大施はこれを見てたずねた。「そなたらはどうしてそんなに苦しんでいるのだ」
 乞食たちは答えた。「父母兄弟妻子もなく、貧乏して孤独、誰も助けてくれないのです」
「長い病いで仕事もできず、生きる道が他にないのです」
「私の不幸は、数度の破産の後、負債がつもりつのって生きるために仕方なく乞食をして余命をつないでいるのです」
 大施はこれを聞くと、酸いものがこみ上げてきて悲しくなった。
 さらに行くと屠殺人たちが畜生の革を剥ぎ、肉を切り分けて売っていた。
 大施はこれを見てたずねた。「どうしてそんなひどい事をするのだ」
「先祖代々、屠殺がなりわいなのです。もしやめたら生きるすべがありません」
 大施は嘆息して構う事なく去った。
 次に耕作者を見た。犁で地を開墾している。虫が土から出て蝦蟇が飲み込む。そこに蛇が来て蝦蟇を喰う。孔雀が飛来してその蛇を喰う。
大施「彼らは何をしているのだ」
「地を耕して種をまくのです。後に穀物となり、自らの食料となるとともに、王家にも納めます」
 大施はこれを聞くと深く嘆いて去った。
 さらに行くと狩人がいた。網を張って設置し、禽獣をつかまえている。禽獣は網の中でじたばたして逃れられない。みなおびえて悲鳴が響いていた。
大施「どうしてそんなことをするのだ」
猟師たち「私どもはただ、猟をして殺すのを生業としています。もしそうしなければ、生きる道がないのです」
 大施はそれを聞いて心を痛めて去った。
 さらに行くと漁師がいて網を引いていた。たくさんの魚がとれて陸地に積まれピチピチと跳ねていた。
「なんでそんなひどい事をするのか」
漁師たち「先祖代々、これ以外の生業がなく、ただ魚を取っては売って衣食にかえているのです」
 大施はこれを見ていたく憐みの心をいだき思った。〈これらの衆生は皆、貧窮して衣食が足りないからこういった悪業をなして生き物を殺しているのだ。たとえその時は喜ばしくとも、寿命が尽きてのちには三悪道の暗い道を輪廻していく。なんで疑問を抱かないのか〉
 こう思いながら、駕籠を元来た方に向けて宮殿にかえった。
 そしてこの事を思い、憂鬱になって楽しさが消えた。
 父に会いに行き、願いがあると述べた。父は大施に、何でもかなえよう、と言った。そこで、先日出遊したときに見た、民が衣食を求めて労働に苦しみ、殺生という狂った事をして悪業を蓄えている姿に深い憐みを覚えたと言った。
「給付をしたいのです。願わくば恩を垂れて私に大蔵を開かせてください。物が不足している民衆に施したいのです」
父「私が財宝を蓄えてきたのは、みなそなたのためだ。好きになさい。反対はしない」
 そこで大施は父の許しを得て全ての民に告げた。「マハージャカハンは大檀を設けようと思う。必要な物がある者はみな取りに来るがよい」
 布告をすると、沙門にバラモン、貧窮者に負債ある者、ひとりで疾病に苦しむ者、あちこちから前後つらなって道をやってきた。ある者は百里、二、三、五百、千里の遠くからも人が来た。あるいは三千、五千、万里の彼方からも来る者がいた。皆、強弱あいたすけ四方から雲集した。全てを与えて皆満足した。衣食に金銀七宝、車馬に輦輿、園田に六畜、ほしがるままに与えた。このように布施をして時がたち、蔵のものは三分の二になった。
 蔵の管理人が父親に言った。「マハージャカハン様、布施が始まってから蔵の物は三分の一が施されてしまいました。王たちは使いをよこし問いただしてきます。どうかお考えください。後で責めを負わぬように」
 父は思った。〈この子を愛するがあまり言ってしまったことだ。翻意はできない。むしろ蔵を空にしてしまおう。今回の布施は途中でやめられない〉
 しばらくして蔵の物は三分の一になり、管理者は三分の二が布施されたと言った。諸王の使いは報告をせまってくる。「蔵が空になる前に重い決断を」と管理者は言う。
 バラモンは管理者に言った。「私はこの子を愛し、愛の心が未曽有の過失を生み出した。呼び出して問いただしたことにすれば、そなたにも言い訳のしようがあるだろう。たとえ物を求める者が来ても、管理者が居留守をつかうなら少しの期間は引き延ばせるはずだ」
 管理者はそこですぐに蔵の戸を閉めた。
 そこに乞食が集まってきた。大施の所に行き、大施が管理者に与えさせようとした。が、肝心の管理者がいない。探し回ったものの見つからず、かなりの時間が過ぎていった。ついには見つけて物品は受け取ったものの、かかった時間の割に得るものは少なかった。
 大施は思った。〈管理者のような下っ端が自力で何か敢えてしようとするとは思えない。これは雇い主の父の意を受けてだろう。人の子の法として父母の蔵を空にするのはよくないことだ。蔵の中に残ったものはもはや少ない〉そう思い考えた。〈どうすればたくさんの財宝を得て願いを満足するほど満たせるのか。みなを救うように支給できるのか〉
 そこで皆にきいた。「世間ではどういう事業をして使い切れないほど多くの財を得ているのか」
 人々は答えた。「多種の五穀を計画的に田圃に植えるのです」「たくさんの家畜を飼い繁殖させるのです」「危険を怖れずに遠くまで行き交易するのです」「海に入って珍しい宝を採取するのです」
 大施はこれを聞いて自分に言った。〈農耕や畜産、遠くへの交易は私には向かない。利益は出ないだろう。ただ海に入って採取する事はできる。これを頑張ろう〉
 思いが定まると父母の所に行き、言った。「海に入って多くの珍しい宝を得てきてそれを施給し、貧乏な民を救いたいのです。志をなしとげるためにこれを許してください」
※大施、親の財産を蕩尽する布施から一歩踏み出します。偉い!

 父母はこれを聞いて驚いてたずねた。「世の中の人で海に入る者は、窮貧してその日暮らしの、身命を捨てても誰も見向きもしない者達だ。何事があってこれを生業にしようと思ったのか。布施したいのなら我が家の所有するすべての物と蔵の中の物を残らず使い尽くせばよい。大海に入ってはならない。それに、海中にはいろいろな難事がある。波に呑まれるし摩竭大魚もいる。悪竜や羅刹もいる。水色の(見えない)山もあったりする。これらの苦難を乗り越えなくてはならない。何をそう急いで身を苦難に投げ込むのだ。父母の存命中はきけない話だ。思いを捨てて悩むのをやめなさい」
 大施は父母の願いを聞いても心からは従えず、悶々とした。〈我が願いは大事をなすためのものだ。たとえ身を滅ぼそうとも事を成らせねばならない〉
 そこで身を地面に投げ出して父母の前にひれ伏して言った。「私の願いがかなわなければ、この地に身を伏せたまま二度と起きません」
 父母はこれを聞いて怒った。他の家臣たちとともにいさめ諭して言った。
「海の道は遼か遠く、険難にして事故が多い。行く者ははなはだ多いが還る者は少ない。私は子を求めて諸天を祭祀した。誠実にこいねがったのだ。怠ることなく十二年がかかった。願いに沿うことが無理だとお前にもわかるだろう。ようやく大きくなったそなたを捨てるようなまねができるわけがない。思いを捨ててハンストをやめるのだ」
 六日にわたってこのようなやりとりを続けた。しかし大施の言うことは変わらない。
 父母は恐ろしくなり相談しあった。「この子は過去にはしたいことがあると、完遂して途中でやめることはなかった。海に行かせればきっと還ってくる。今は互いに拒絶して七日がたち、命の瀬戸際にある。このままではどうにもならない。よく言うではないか。憂いを転じて後は成り行きまかせと」
  父母の意見はまとまり、子の所に行って各々手をとり言った。「お前の決意は聴きいれた。立ちあがって食事をとりなさい」
 大施はこれを聞くと立ち上がり食事をとった。そのあと外に出て皆に言った。「海に入って一緒に宝探しをする者を探している。行きたい者がいるなら共に行こう。私が隊商長だ。道具はそろえよう」
 すると国中の五百人が応募してきた。そこで必要な物を与え出発日を定めた。出発日には装備を車に乗せて道を進んだ。王、群臣、父母、諸王、太子、臣民ら、数千万人が出発を見送り、皆が妙宝や道中に必要な物をを贈り、泣き声は絶えなかった。
 このようにして別れて数日。広野に野宿していると盗賊団に出会った。大施は菩薩として憐愍し、持っている物を全て彼らに与え、城に戻った。城の名は放鉢といい、迦毘梨(カビリ)というバラモンがいた。大施はそこに行くと三千両の金を借りようとした。
 さて、バラモンには一人の妙齢の娘がいた。体は紫金色、頭髮は紺青、端正にして並ぶ者のない絶世の美女である。八万四千の諸小国の王は皆、太子の嫁にしたがったが許されなかった。
 大施は門の中に入り、カビリに会いたいと言った。娘は中でその声を聞き、歓喜した。父母に言うには「外にいる者こそ私の婿です」と。カビリが会ってみると、その外見、知性、ともに非凡だ。
 カビリは金の要求をまるっと受け入れた。そして、左手に金のたらい、右手に娘を手にして大施に言った。「これは我が娘だ。容貌がことさら優れているため諸王が使いをよこし、子のために求婚してくる。今、商隊長を見ると端正にして似つかわしい。もしこの娘を求めるならそばに仕えさせよう」
大施「私は今、難航必至の海に入ろうとしているところです。安全に還れるかどうかもわかりません。あなたの娘さんを預かるのはまっとうなこととは言えません」
カビリ「もし無事に帰還したら、申し出を受けてくれるだろうか」
 大施はそれを是とした。カビリは喜んで三千両の金と必要な物を与えた。
 大施は別れをつげて進み、海についた。
※金のタライの原語は「金澡罐」。おそらくは手を洗うためかと思われます。

 大施が商人達に命じて言うには「船の守りを七重にかためよ。季節風が来たら海に出るぞ。今は七本の大綱で岸辺につなぐのだ」
 そして鈴を鳴らし商人たちを集めた。「皆、海難についてよく聴くのだ。黒風羅刹、大渦潮、悪竜の毒気、水色の山、摩竭大魚といった、とてもたくさんの苦難がある。百人が海に出て時に一人が還ってくることもある。去りたい者はここに残れ。綱を切って出港した後には後悔しても及ばないのだから。もし不顧身命の決心が堅いのなら、父母兄弟妻子を捨てて来たのなら、七つの宝を得て還った者は子孫七世にわたって食には事欠かぬであろう」
 このように宣告して、綱の一本目を切った。毎日このようにして、七日目に最後の綱を切り出航した。
 風に帆を上げると船は矢のように速く進みはじめた。商人達と行く所、あまねく宝があった。大施は多くの知識によって、宝の価値の軽重と見た目による売れ筋を見極め、商人達に教えた。こういった宝は大した価値はないが高く取引されるぞ、こういった宝は価値は高いが、皆ほしがらないぞ、といった具合だ。
 また教えるには「取った宝の多少にかかわらずほどほどにとどめるべきだ。多ければ船は重くなり沈没する。少なければ船は軽いが労苦に見合わない」と。
 誡めの言葉がおわると各自採拾につとめた。
 船上に山のように宝が積まれ、船を飾り立てるほどになったとき、一度帰国しようという話になった。しかし、大施は船に上ろうとしない。皆が集まりどうしてなのかをきいた。
大施「先に進んで竜王宮に行き、如意珠を取りたい。我が身命を賭しても。得られずば還らない」
 商人達はこれを聞いて嘆くこと甚だしく、皆共に言った。「我等みな、商隊長の出資をうけて身軽に冒険してここに至りました。希望は皆で安全に家に還ることです。今、どうして我らを見捨てるようなことを言うのです」
大施「私は諸君らのために誓願を立てよう。諸君らを安隠に帰国させると」
 商人達はこれを聞いて怖れが少し安いだ。
 大施は導師として香炉を持ち、四方に誓いを立てた「私は苦労をはばからず海をわたり珍宝を求めた。飢えて困窮したみなを救うためだ。この功徳によって仏道を求めるのだ。もし我が願いが至誠であれば、願いは成就するであろう。この商人達と船の珍宝は悪難に遭わず安全に国に還るのだ」
 誓いを立ておわると、商人たちは導師の手足にとりすがり、涙を流して別れの挨拶をし、国に還った。
 綱を切り帆を立てて閻浮提世界にかえってくると、皆大海を出られたことに安堵した。
 大施は皆と別れた後、水に入った。水は膝ほどで、行くこと七日、さらに進むと水は段々深くなって股に達し、さらに七日たつと、腰の深さになった。七日で頭頂に達し、七日にわたって浮いた。山の辺にいたり、両手で木につかまり、それをついて山に上った。七日して山頂につき、平らに行くこと七日、また山をくだること七日、水辺についた。水中には金色の蓮花があり、毒蛇がたくさんいた。
 その毒は強く、みな蓮の根ににまとわりついていた。大施菩薩はこれを見て端坐し、念をこらして慈三昧に入った。
 毒蛇の前世を見るに、みな瞋恚・嫉妬が盛んで、この世ではこのような醜い姿になったのだ。慈心は極まり憐憫の情が起き、慈心で満たされた。
 蛇毒たちはおのずと花にまといつかなくなった。大施は起ち花をつま先立って進んだ。七日がたち蛇たちを済度した。
 さらに進むと羅刹たちを見た。人の臭気を嗅ぎつけて皆、喰おうと集まってきた。大施はこれを見て、精神集中して慈観をした。羅刹たちに自然と敬いの心が生れ、おだやかにたずねてきた。
「どこに行こうとしているのか」
大施「如意宝珠を求めている」
羅刹たちは歓喜して言った。「この福徳ある人は竜宮に行くそうだ。道のりははるかに遠い。辛苦の道を行かせることがあるだろうか。我らが難所に同行しよう」
 そこで同行し、四百由旬を進んだ。そこで羅刹たちは帰り、大施はさらに進んだ。
 銀の城が見えた。白くて清らかで輝いている。これが竜の城だとわかった。喜んで行き城の外を見ると、七重の空堀があり、毒蛇で満ちている。その毒の猛盛なること、見るだに恐ろしい。大施は導師として諸毒蛇を思うと、みな前世で盛んに怒り、この憎むべき姿になったとわかった。
 慈を念じ哀れむこと赤子を見るようにすると、慈心に満たされ蛇の毒はことごとく除かれた。そこで立ち上がり蛇を踏んで竜城に行った。
 二匹の竜がいて城を体で取り囲んでいた。頭は門の前で交差している。大施を見ると頭をもたげて視た。大施はまた慈心に入った。竜の毒はたちまち除かれ、頭を低くして見ないようにした。
 大施は竜を踏み越えて進んだ。城の中に竜がいて、七宝の建物に坐していた。遠くから菩薩を見て驚いて立ちあがり思った。〈城の外には七重の空堀があり、皆、毒蛇がいる。竜や夜叉もいる。越えられるはずがない。ここに来れるとは何者なのか〉
 すぐに迎えに出てうやうやしく礼をし、七宝で飾られた座をすすめた。竜王は種々の美膳を供養し、食事がおわるとその来意を問うた。菩薩が答えて言った。
「地上の人々は貧窮のため辛苦にあえいでいます。財宝を求めることで衣食を提供したいのです。殺害に欺瞞、衆悪をなせば、命終の後に三悪道に落ちます。とても可哀想なことです。彼らを救済したいがゆえに、険しい道を越えて遠くから来ました。大王に会って栴陀摩尼を求めるために。救済に使って功徳を積み、仏道を求めると誓いましょう。もし異存がなければ、宝珠をお与えください」
竜王「栴陀摩尼は得がたい宝。そなたもそれゆえ危険をかえりみずここに来たのでしょう。もしよろしければ、ここに一月とどまってはいかがか。ささやかな供養もいたしますので、説法をして下さい。栴陀摩尼は差し上げます」
 菩薩はこれに同意した。
 竜王は日々百味を提供し、伎楽を演じて菩薩を供養した。
 菩薩は、分別四念処慧を教え、別れ際に竜王は智慧の弟子となれたことを喜んだ。
 一月がおわると辞去して還ろうとした。
※四念処とは、身を不浄とする身念処、感受するものすべて苦とする受念処、心は無常とする心念処、法は無我であるとする法念処のこと。
分別四念処慧とは、心受心法について、常・楽・浄・我の四つのとらわれを破る智慧を言う。

 竜王は喜んで髻の宝珠をはずして奉って言った。「大士の慈心は及びがたき者まで救う。その志や強猛。必ずや仏道に至るでしょう。我もまた智慧の弟子となりたい」
 菩薩は許可し、言った。「さて、この珠にはどういう力があるのですか」
「この珠は二千由旬に渡って好きな所に雨が降らせます」
 菩薩は思った。〈この珠は役に立つが、私の広く済度するという大事には役に立たない〉
 大小の竜が門の外まで送ってくれた。感謝の言葉をかさね、そこを去った。
 さらに進むとまた一つの城が見えた。純粋な青琉璃の色をしていて、その色は澄み渡っている。そばまで行くと城の外にはまた七重の空堀があり、毒蛇で満ちていた。菩薩はこれらの蛇が怒りと嫉妬からこの醜い姿になったものと知った。端坐して慈心に入り、哀念を加えた。慈心が盛んになると毒は皆、除かれた。
 その上を踏み越えて城門まで行った。以前と同じような二匹の竜がいる。菩薩は慈心によってその毒を除き、踏み越えて進んだ。
 城中の竜王は驚き、迎えに出てうやうやしく礼をし、殿上に招いて七宝の床に坐らせ、百味と美飯を供養した。食事がおわるとなぜ来たのかと問うた。
 菩薩は、旃陀摩尼(センダマニ)を求めてきたと言った。
竜王「旃陀摩尼は得がたい秘宝である。もしほしいのなら我が誓願を受けたまえ」
 二ヶ月いて菩薩行を教えた。竜王は種々の飲食と伎楽で供養して、菩薩は四神足(神通力)を教えた。
 二ヶ月が去り辞去しようとした。竜王は髻の中の宝珠を奉り、神足の弟子となれたことを感謝した。菩薩は宝珠の能力をきき、四千由旬内に雨が降らせると知った。
 菩薩は思った。〈この珠はより勝れているが、私の思いにはほど遠い〉
 諸竜に送り出されさらに進んだ。
 すると光り輝く金の城が見えた。
 菩薩は進み、七重の空堀には前世で怒りと憎悪と嫉妬とが盛んだったので蛇となった者達がいた。
 慈念に入り、愛念を加えると蛇の毒は除かれた。
 城門の二匹の竜を慈定によって鎮め城中に入った。
 そこの竜王もまた出迎えて殿上の七宝の床に招いた。
 食事がおわり来意を告げた。海竜王は如意珠を持っていて、四ヶ月とどまり受我と教誨を伝えた。
 その間、竜王は自ら供養し奉仕した。菩薩はつねに分別諸法をなし、名称についての本末を考えて、その義を竜王に伝えた。竜王は敬慕し、専心して傾聴した。
 朝夕にたずねて時宜にあった必要な物を提供した。竜は自らの裁量で、諸竜・夜叉で求める者には面会時間と限度をさだめた。
 竜王が仕えること四ヶ月、菩薩は辞去することにした。竜は髻を解き、中の如意の珠を奉って誓願した。「大士の弘誓、慈心は広く済度します。生きとし生けるものをあわれみ勤労をいといません。必ずや成仏して苦毒を除くことでしょう。願わくば、侍者となって總持の弟子となりたいです」
菩薩はこれを許した。
※總持……よく総(すべ)てのものをおさめ持(たも)って忘れ去らないこと

 そして珠の能力をたずねた。
竜王「八千由旬に渡って好きなだけ七つの宝が得られます」
 菩薩は歓喜した。「閻浮提地(この世界)は七千由旬四方である。この珠の徳がおれば、我が望みはかなえられる」
 得られた三つの珠を衣の隅につなぎ、すぐに城をでた。
 竜たちは城外まで送ってみな別れを惜しんだ。
 菩薩は少し進むと珠に願った。「旃陀摩尼よ、我に虚空を飛行する力を与えたまえ」
 するとその身は飛翔し、海の外に出た。
 海の難所を越えると少し眠って休息した。
 この時、海中で何匹かの竜が協議していた。
「この三つの珠の徳は絶大にして無比である。この人間が皆、持ち去ってしまった。この宝は惜しい。取り戻すべきだ」
 そこでこっそり取って持ち帰った。
 菩薩は目覚めたが珠が見あたらない。そこで思った。〈このあたりは無人だ。海竜が私の宝を持ち去ったに違いない。この珠のためにはるか遠く険しい道のりを進んだのだ。今、国に帰れば、我が所願は成就しない。取られたらそのままにはしておけない。この海水を汲みつくしてでも探し出すぞ。心を堅くして命をかけて探そう。もし珠が見つからねば、空しく還ることはしないぞ〉
 思い定めて海辺に行くと、一つの亀の甲をみつけた。両手に持って海を汲もうとする。海神が大施の意図を知ってたずねてきた。
「海水は深く広い。三百三十六万里の深さがある。全ての民が来て一緒に汲んだとて減るものではない。もちろんあなた一人では言うまでもないだろう。それでも汲み尽くそうというのか」
菩薩「もし至心になせば結果が出ると言います。事を無さざれば何もできません。宝を得て一切群生の利益(りやく)としたいのです。その功徳によって仏道を求めたいのです。私の心に怠ける心はありません。どうしてできないことがあるでしょうか」
 このとき首陀会天※の神々が、菩薩が一心不乱につとめはげむのを見て楽にしてやろうと思い、言い合った。
「我らがどうして助けに行ってやれないことがあるだろうか」
※首陀会天……suddhāvāsā devā。五浄居天、五不還天、五那含天とも。三界のうちの色界の一番上(第四禅天)の世界。舎念清浄地にある阿那含聖者(不還果を得た人)が住むという神界。 

 菩薩が器をおろすと一切の諸天が天衣を使って水中を覆い、菩薩が器を上げると衣を上げて水を他の所に捨てた。一回で四十里の深さの水がなくなり、二回目は八十里、三回目は百二十里という具合だ。
 竜たちは住処まで海水が減るのを怖れて「やめろやめろ、もう海を汲むな」と言った。
 菩薩が手を止めると竜が来てたずねた。
「この宝物に何を求めるのか」
菩薩「一切衆生に配給をして救いたいのです」
竜「そう言うが、我ら海中の衆生もはなはだ多い。どうしてそれを無視して必ず持ち去るなどと言うのだ」
菩薩「海中の生き物もまた衆生です。しかし、地上の人のように劇しい苦しみがあるわけではありません。彼らは銭と財のために殺害し欺きだましています。十不善をなし、死しては三悪道に墮ちます。私は人類を法化によって解脱させたく宝を求めてきました。先に足りない物を補い、後に十善をたもち誨いることを勧めたいのです」
 竜はその言葉を聞くと珠を還した。
 その時海神は、菩薩の努力がすさまじいと知り、誓言をなした。「そなたが今、このように精進して休まねば、必ずや仏道が成るであろう。その時私は精進する弟子となろう」
 菩薩は珠を得て飛び去り、先に海に出た仲間の商人の元にもどった。
 仲間は大喜びで歓声をあげた。「すごいぞすごいぞ!」
 放鉢城につくと、カビリバラモンが菩薩の無事な帰還を知り歓喜踊躍して出迎えた。そして仲間たちと共に招待して宴会を開き、種々の飲食でもてなした。食事がおわり、旅の冒険談を話し、菩薩は持ってきた宝珠を取り出して見せた。
 バラモンの家の者が見守る中、諸々の蔵がみな満杯になり、これを見た者はみな驚いた。カビリは娘に着飾らせ、若干の宝でその身を飾らせた。自ら手を金のタライで洗い、娘の手を引いて菩薩に手を握らせた。菩薩はこれを受け、カビリは歓喜した。五百の伎女に宝で着飾らせ、選び抜いた職工に五百頭の白象を宝で装飾した。素晴らしい形で娘を送り出し、菩薩は駕籠に乗って一緒に道を進んだ。
※菩薩の結婚が描かれています。大乗菩薩道では結婚はOKということですね。

 城中の老いも若きも道に出て送り出した。人々は伎楽をなし、帰国の途をにぎやかした。
 大施の父母は、子と別れて以来、憂鬱で、嘆き悲しんでばかりいた。そしてついには目がつぶれてしまった。
 子が帰国し、挨拶に来た。父母はその声をきくと手を握り大施が帰ってきたと確信した。
 悲しみが喜びとなり、子を責めた。
「お前は本当に無情だ。身を捨てて海に行くとは。私たちを困らせて命からがら生き延びるとは。大海の中で何を見つけた。何か得た物はあったのか」
 菩薩は珠を出して父母に渡した。父母は珠を手にして言った。
「今でもうちの蔵にはこんな石はごろごろしている。苦労をして手に入れたのがこれか」
 菩薩は珠を手にすると父母の眼に触れた。風が雲をはらうように眼はきれいになり元のように明瞭に見えるようになった。父母は喜び、珠の徳に感じ入って讃歎した。
「そなたは辛苦を越えてきたが、得た物はそれに見合う以上のものだ」
菩薩はまた珠に願って言った。「旃陀摩尼よ、我が父母の下に七宝の珍しい床座を出し、上には綺麗な七宝の大蓋を出したまえ」
 言うと皆その通りになり、皆が喜んだ。
 菩薩はさらに珠に願った。「父母、王、臣民の一切の蔵が皆、満杯になりますように」
 そこで珠は四方をめぐり、言われたとおりに満たした。
 みなが驚き喜んだ。
 人をやって八千里を象でわたり、閻浮提世界の全ての民に伝えさせた。
「マハージャカハンが海から徳の著しい如意珠を得て還ってきた。七日後に、あらゆる珍宝、衣食を必要とする人の元に雨のように降らせる。皆、斎戒して待つように」
 布告が行き渡り、七日がたった。
 大施菩薩は沐浴して新たな浄衣を着、平坦な地で珠を持つと、頭上高くさし上げた。
「一切の欠乏がないように。もし皆が満ち足りたら、旃陀摩尼よ、次に雨を必要なだけ降らせよ」
 願いが告げられると、四方から雲が広がり風が起きて、不浄となる汚れや糞を洗い流した。掃除が終ると雨は小降りになり砂塵をしずめた。次に百味のおいしい飲食物が降り注いだ。五穀、衣服、七宝と種々の珍奇な物が降り注いだ。閻浮提中に宝が山のように積まれ、民は好きなだけこれを取った。上等な衣食があふれ、さらに余りまで出た。諸々の珍宝が瓦石のようだった。
 菩薩は民が充足したのを見て、さらに臣吏を地の果てまで走らせて世界中に告げた。
「汝ら民は窮乏のゆえに衣食や財宝を求めてあい欺きたぶらかし、殺害してきた。つまるところ自利を求めて義を忘れ、罪福を思わず、命つきては皆、地獄・餓鬼・畜生となり、冥きより冥きに入るのだ。罰をうけること何劫にもわたり、常にあい悲しむ。これに救いの方法はない。そこでわが身の苦を忘れて冒険し海に入り、救いに用いようとこの宝珠を得た。汝らはすでに欠乏がない。克己精励して十善に勤めよ。身口意をつつしみ慈仁孝順につとめよ。精進して放逸になるなかれ」
 種々の方法で広く善をなすよう勅をくだした。
 文書を作り諸王の臣に伝えて法にてらして誨いる心をかきたて、民によく知らしめてさらにみだりに非をなさぬよう互いに監督するようにと告げた。
 閻浮提世界の皆が大恩をこうむり慈にうるおい、みなどのようにしてその至徳にむくいようかと思った。
 優れた教えのおかげをこうむり、修善のすすめをうけて、皆が思慕し、慈敬を専修した。身口意を制し、みだりに非をおかさず、命終の後は皆、天に生れ変った。

仏「舎利弗よ、知るがよい。この時の父のバラモンのニクロダは今の我が父、浄飯王である。この時の母は今の我が母、マハーマーヤーである。大施は今の私だ。銀城の竜は今の舎利弗、琉璃城の竜は目犍連、金城の竜は阿難、海神は離越(※無倒乱第一と呼ばれたレーヴァタ尊者)である。阿難が竜王だった時、私に仕えるにあたり時宜を心得ていた。今日に至っても阿難が時宜を得たいとする三願はその意に従ったのである」
 阿難はこれを聞くと歓喜踊躍し、座より起ってひれ伏して仏に言った。
「まさにいまこの身であるのは、仏の侍者たるためだったのですね」
 そこで会衆は仏の言う所を聞いて、大いに恩に思い、専心剋勵した。苦集滅道の四諦を思いそれが諸法の出ずる要と知った。それぞれの四果を得た。辟支仏となる者、善根因縁を得る者、無上正真道意を得る者、不退地にいたる者、みな共に歓喜して、ありがたく仰せをうけたまわった。

 賢愚経卷第八、おしまい。

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